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**1978年
当時中学生の真島・杉浦がバンド結成。当初はトリオ編成だった。
初期はS-KENスタジオや新宿JAM STUDIOを中心に活動していた。
この頃、真島と中学が一緒だった大槻は一時的にドラムで参加していた。
**1982年
初代ドラマーの加藤が意見の相違により脱退し、篠原がドラム&ボーカルとして加入。
その後大槻が新たにドラム&ボーカルとして加入し、ベース担当だった真島はギター、ドラム担当だった篠原はベースへとそれぞれ交代。
(時期は不明だが、杉浦ベース、真島ギターと一時的に担当を交換していた)
**1983年
ビクター系列のレコード会社・フィリップスよりメジャーデビューが決定する。しかし、レコードイニシャルプレス数について折り合いがつかなかったため、デビューの話は白紙に。
デビューシングルとして発売予定だった「涙のCOOL DANCING/ダイヤルを廻すだけでいいのに」はプレスまで完了していたが、フィリップスにより封印された。この2曲はシングル用に新たにレコーディングしたもので、このシングルでしか聴くことができない。
**1984年
2月、杉浦が脱退。真島・篠原・大槻の3人で活動を継続。この年の3月21日に、前年に白紙となったシングルを自主制作で発表する話もあったが、それも白紙となった。
**1985年
1月25日、新宿JAM STUDIOで行われた「マーチ・オブ・ザ・モッズ」にてラストライブ。これをもってバンドは解散する。
(この日のライブに甲本ヒロトが飛び入りでステージに上がった)
**1978年
当時中学生の真島・杉浦がバンド結成。当初はトリオ編成だった。
初期はS-KENスタジオや新宿JAM STUDIOを中心に活動していた。
この頃、真島と中学が一緒だった大槻は一時的にドラムで参加していた。
**1982年
初代ドラマーの加藤が意見の相違により脱退し、篠原がドラム&ボーカルとして加入。
その後大槻が新たにドラム&ボーカルとして加入し、ベース担当だった真島はギター、ドラム担当だった篠原はベースへとそれぞれ交代。
(詳細は不明だが、杉浦ベース、真島ギターと担当を交換していた時期もあった)
**1983年
ビクター系列のレコード会社・フィリップスよりメジャーデビューが決定する。
しかし、所属事務所「りぼん」とレコード会社の間で、レコードイニシャルプレス数について折り合いがつかず、デビューの話は白紙に。
デビューシングルとして発売予定だった「涙のCOOL DANCING/ダイヤルを廻すだけでいいのに」はプレス直前であり、
業界向けサンプル版カセットテープなどは出回っていたが、結局、発売には到らなかった。
**1984年
2月、杉浦が脱退。真島・篠原・大槻の3人で活動を継続。
この年の3月、前年に白紙となったシングルを自主制作で発表する話もあったが、それも白紙となった。
サポートメンバーを入れてのライブ活動も行っていた。
**1985年
1月25日、新宿JAM STUDIOで行われた「マーチ・オブ・ザ・モッズ」にてラストライブ。これをもってバンドは解散する。
(この日のライブに甲本ヒロトが飛び入りでステージに上がった)