来歴

「来歴」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

来歴」(2011/03/07 (月) 11:45:57) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

**1978年 当時中学生の真島・杉浦がバンド結成。当初はトリオ編成だった。 初期はS-KENスタジオや新宿JAM STUDIOを中心に活動していた。 この頃、真島と中学が一緒だった大槻は一時的にドラムで参加していた。 **1982年 初代ドラマーの加藤が意見の相違により脱退し、篠原がドラム&ボーカルとして加入。 その後大槻が新たにドラム&ボーカルとして加入し、ベース担当だった真島はギター、ドラム担当だった篠原はベースへとそれぞれ交代。 (時期は不明だが、杉浦ベース、真島ギターと一時的に担当を交換していた) **1983年 ビクター系列のレコード会社・フィリップスよりメジャーデビューが決定する。しかし、レコードイニシャルプレス数について折り合いがつかなかったため、デビューの話は白紙に。 デビューシングルとして発売予定だった「涙のCOOL DANCING/ダイヤルを廻すだけでいいのに」はプレスまで完了していたが、フィリップスにより封印された。この2曲はシングル用に新たにレコーディングしたもので、このシングルでしか聴くことができない。 **1984年 2月、杉浦が脱退。真島・篠原・大槻の3人で活動を継続。この年の3月21日に、前年に白紙となったシングルを自主制作で発表する話もあったが、それも白紙となった。 **1985年 1月25日、新宿JAM STUDIOで行われた「マーチ・オブ・ザ・モッズ」にてラストライブ。これをもってバンドは解散する。 (この日のライブに甲本ヒロトが飛び入りでステージに上がった)
**1978年 当時中学生の真島・杉浦がバンド結成。当初はトリオ編成だった。 初期はS-KENスタジオや新宿JAM STUDIOを中心に活動していた。 この頃、真島と中学が一緒だった大槻は一時的にドラムで参加していた。 **1982年 初代ドラマーの加藤が意見の相違により脱退し、篠原がドラム&ボーカルとして加入。 その後大槻が新たにドラム&ボーカルとして加入し、ベース担当だった真島はギター、ドラム担当だった篠原はベースへとそれぞれ交代。 (詳細は不明だが、杉浦ベース、真島ギターと担当を交換していた時期もあった) **1983年 ビクター系列のレコード会社・フィリップスよりメジャーデビューが決定する。 しかし、所属事務所「りぼん」とレコード会社の間で、レコードイニシャルプレス数について折り合いがつかず、デビューの話は白紙に。 デビューシングルとして発売予定だった「涙のCOOL DANCING/ダイヤルを廻すだけでいいのに」はプレス直前であり、 業界向けサンプル版カセットテープなどは出回っていたが、結局、発売には到らなかった。 **1984年 2月、杉浦が脱退。真島・篠原・大槻の3人で活動を継続。 この年の3月、前年に白紙となったシングルを自主制作で発表する話もあったが、それも白紙となった。 サポートメンバーを入れてのライブ活動も行っていた。 **1985年 1月25日、新宿JAM STUDIOで行われた「マーチ・オブ・ザ・モッズ」にてラストライブ。これをもってバンドは解散する。 (この日のライブに甲本ヒロトが飛び入りでステージに上がった)

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。