データ

『アンダルシアに憧れて』
を歌う前の真島による朗読

セビリアの町で踊るよカルメン
髪はもう白い 目はギラついている
少女達はカーテンを閉めるんだ
カルメンの頭の中は
とぐろを巻く黄色いヘビ一匹
カルメンを踊るヘビは夢見る 昔の色男達
少女達はカーテンを閉めるんだ
人一人いない街路で、、、
だが路地の奥で解けてゆく
アンダルシアの人々の心の謎が
それは~を求めている。
少女達はカーテンを閉めるんだ
アンダルシアに憧れて


真島がトリオ時代の時に朗読したロルカの詩

おお 恋よ!
立ち去って帰らなかった!
アンダルシアよ運んでいけ
オレンジの花とオリーブをおまえの海へ
おお 恋よ!
空に消えた!


記事


●84年発行 別冊宝島『THE ROCKERS』より 鳥井賀句さんのレビュー

ブレイカーズは78年に真島昌利と杉浦光治の2人を中心に結成されたイキのいいビート・バンドだ。
都内のライブ・ハウスを中心にニューモッズ族のヒーロー的存在として人気を集めてきた。
メンバーは真島昌利(Vo,G)、杉浦光治(Vo,G)、大槻敏彦(Vo,Dr)、篠原太郎(Vo,B)
だが、現在、杉浦は脱退している。
ザ・ジャムやビートルズ、ブライアン・ジョーンズらをフェイバリットにあげているだけあって、
彼等は60年代のプリティッシュ・ビートのカッコ良さに、
独特のGS的メロディ・ラインをうまく乗せることに成功しているようだ。
レコード・デビューの話もかなり具体化しているようである。
とにかく久々に楽しみな若々しいビート・グループの登場である。



●宝島'83

~東京モッズ族と噂のザ・ブレイカーズ~
ミラーだらけのベスパにアーミーコート、三つボタンのスーツという
英国60年代のモッズ族をフル・コピーした集団が今、次第に話題になっている。
二~三年前から都下国立市周辺に現われた彼ら、新宿、原宿などでも出没し
「1度見てみたい」とわざわざ探しに出かける人もいるほどだ。
彼らが目立って集まるのは新宿JAMスタジオや
国立のライブ・ハウスなどで行われるマージー・バンド・のギグ。
東京モッズ族の中にもいくつかのバンドが結成されているらしい。
昨年などは本家英国モッズと同様にR&Bバンドを好みスクーターズのギグを主催したりもしていた。
そのモッズ族に今一番人気の高い噂のバンドがザ・ブレイカーズだ。
アップテンポのラブ・ソングはメロディー・ラインも美しく、
やさしさとカッコ良さがバランスよく同居している。
オリジナルは百曲以上を持つという彼らの可能性は大きい。
このモッズ族とザ・ブレイカーズは大きな流れを作るかもしれない。


●【ALL THAT MODS!】の記事

東京モッズ・シーンで活躍した伝説のバンドは数多く存在する。
ここでは後にザ・ブルーハ-ツ~ザ・ハイロウズとして活躍する真島昌利が在籍したバンドを紹介しよう。
まずは杉浦光治(Vo,G)、真島昌利(Vo,G)篠原太郎(Vo,b)、大槻敏彦(Vo,dr)の4人からなる
マージ-・ビート・グループ、ザ・ブレイカーズ(THE BREAKERS)。
1980年頃、真島と杉浦が中心となりトリオバンドとして結成。
パンク・ムーヴメント全盛の中に突如現われたこのグループは
アティチュ-ドにパンク・スピリットを持ちながらメッセージ・ソングではなくラブ・ソングをあえて歌った。
'82年に篠原がドラム&ヴォーカルとして参加,
まるでTHE BIG 3のようなステージングでストンピンしまくっていた。
その後、大槻がドラムで参加
'83年にメジャーへのディールを目前としてプレスまで済んでいた
ファースト・シングルはレコード会社によって闇に葬られてしまう。
そして杉浦が脱退、
3人で活動を続けるが'85年1月の「マーチ・オブ・ザ・モッズ」での演奏を最後にバンドは解散。
その後マーシーはブルーハ-ツに参加、
篠原はソロ・シンガーとしてメジャーからデビューするが
活動に疑問を持ち大槻と共にブリックス・トーンを結成する。
彼らマージ-・ビート・グループが何故モッズに人気があったのか。
それは彼らが3つボタンのスーツを着ていたとか
サイド・ゴアのブーツを履いていたとかボ・ディドリーを演ったとかそんなことではなく
彼らの持つアティチュ-ドがその時代のモッズ・シーンにいた
僕らのアティチュ-ドと変わらないものだったからなのだろう。


●『OYAMA TIMES VOL.3~1984』

原宿を中心に活動するMODS族のヒーロー的存在として活躍しているグループ.
メンバーは真島昌利、大槻敏彦、篠原太郎の3人.
現在いる若手ビートバンドの中では傑出したライブパフォーマンスと動員数を誇る.
今秋、デビュー予定
真島昌利(VO,GUITER)
生年月日・・・1962,2,20
血液型・・・B型
身長・・・171cm
体重・・・52kg
好きなアーティスト・・・ブライアン・ジョーンズ


●HERE TODAY 2号 MODS MAYDAY参加のコメント

近況をまず
真島:ギターとキーボードを探している。ギターが抜けて、3人でいいんだけど、音楽表現をよりもっと完璧に近付けるため新メンバー募集中。
MODS MAYDAYに向けコメントを
真島:年一回の集まりだし、第一に楽しみましょう。
MODS族大喜びのブレイカーズということですが
真島:MODSに関するこだわりはないけど、BEATバンドは好きだし、自分を含め若い連中がいきいきとしているのはとてもいかしていると思うぜ。


●HERE TODAY 3号 ブレイカーズ解散直後の記事

THE BREAKERS
25th JAN、マーチオブモッズで解散してしまった。
会場には虹色の瞳をもった少年、少女たちで溢れ、マッシー、太郎は涙しながら最後まで叫びつづけた。
マッシーに解散前にコメントをとろうとしたら、「別に何も言うこと無いぜ!」といわれた。
新しアイデアで一杯なのか、開き直っているのか?
25日にJAMに居たKIDSたちは分かったかもね
とにかく、喉が引き裂かれる、その瞬間まで吠え続けろ、もう、引き返すなんて許されないのだから。
マッシー、太郎、ヒコ、Stay hip!

Manabu the DOVE


☆THE BREAKERS PART3☆より909氏の話

私の知るところ、ブレイカーズのライブの記録で一番古いのは
1978年12月24日のS-KENスタジオでの「怒りのクリスマスイブ」です。

主催はスマッシュで他S-KEN、アーントサリー、SS、東京ロッカーズセッション(レック&ヒゲ FRICTION)です。
この日は盛り上がりパトカーが3台来たとか!?

その頃の雑誌のブレイカーズ紹介記事です
THE BREAKERS
真島昌利(G.VO)、杉浦光治(B.VO)、ドラムは不定。
78年に暮から79年に春まで、スマッシュ主催のギグに出演。


こんな記事がありましたので。

篠原:「高校の時に知り合ったのが大槻でね、高校入ってから一緒にやってたバンドがあって。」
「ブレイカーズのメンバーが大槻の友達だったからみんなそれで知り合ったのかな。」
「バンドが自然消滅してその頃にブレイカーズをやらないかって誘われたんだけど」
「その誘われた時っていうのがマッシーともう一人杉浦がいてその二人がすっとやってたのね、それでマッシーがその頃ベースやってたんだけどドラムがいないバンドだったのね、で俺が誘われたのがなぜかと言うとドラムやってくれないかって(笑)」

篠原「なんとなくねー、で、その前は大槻が手伝ってやってたから」

篠原のインタビューを読むと高校時代から真島、杉浦と篠原、大槻は接点があり、大槻がヘルプで参加したのがわかります。

それと真島がブレイカーズでベースを担当していたのは82年初頭までだと思いますよ。


☆THE BREAKERS PART3☆より
953 :伝説の名無しさん:2009/02/15(日) 01:10:35
こんにちは。

  • 81年のライブ(真島、杉浦、加藤)の時に、
 "いつでもロックンロール","Baby Don't Look Back"という曲をライブで演奏しています。
 この2曲はマーシーボーカルで、たぶんオリジナル曲だと思われます。

  • 82年?頃のスタジオデモ(リハーサル?)では、
 "Don't Knock Me Down"というオリジナル曲をマーシーが歌っています。

  • シングル用等のスタジオ音源はSTEREOで録られていて、音が左右で分かれています。

  • "プラットホームで待ちくたびれて "には
 最後の♪キオスクの脇に 泣きそうな顔の 彼女がいたのさ~が無く、
 ♪プラットホームで待ちくたびれて ~の
 繰り返しでフェイドアウトするバージョンがあります。


初代スレより抜粋

ブレイカーズは84年にフィリップスレコードから
2曲入り7”EP『涙のクールダンシング』を発売する予定でしたが幻と化しましたね。
この7”EPは盤は当時プレスされた盤は見た事ないですが、プロモテープは数本!!本物が残っていて、
出回ってる音源はこれのダビングですね。
ジャケットにはちゃんと杉浦氏も写真に写っていますよ。

多分プロモテープは50本以下で今現存ではもっと少ないでしょう。…当時処分されたので
ブレイカーズが無事発売されてたら、ブルハも勿論無く、ロックの歴史が変わってたであろうという物ですね。
だから価値はとてつも無い物でしょう…数万の単位??
なんにしろ、ブレイカーズはあんなにカッコよかったのに、色んな意味で伝説なバンドでした。

解散ライブでヒロトが乱入して歌ったけど、歌詞を間違えて台無しにした。
この頃からブルハを演るつもりだったんだ。
太郎は嫌な顔をしていたぜ。

S-KENスタジオ(伝説のスタジオ)ってとこのイベントでブレイカーズを見た。
78年頃かなぁ…彼らの最初期のライブだと思う。
彼らは自分達をモッズと差別化するために、
あえて「マージービート」と位置付けていた気がする。

430 :伝説の名無しさん:03/06/18 08:45
BREAKERS、78年にS-KENスタジオでみたぞーい。
ボルシーとか不正療法と一緒に出てた。


186 :伝説の名無しさん:2007/01/14(日) 15:53:24
ブレイカーズ以前に、タロウさんとヒコさんが組んでいたバンドはThe Beat Londonners。
その頃から、street girlやフェアリーテイルはやっている。

3人時代のブレカーズのドラムはカトウさん。
マッシーとけんかしてやめたとか??歌い方はエルビスっぽい感じ。
81年ライブ
  • baby don't look back (まーしー)~たくさんの人々が過去にすがりつく~
  • いつでもロックンロール(マーシー)~退屈すぎるAOR♪~
  • あの娘にもう一度(おっちゃん)

ブルーハーツのアートワークを手がけた杉浦イツオさんは
マーシーからバンドに入らないかと誘われていたそう。
スチュワート・サトクリフみたいな存在だ。


マージービート誌を模倣したフライヤー写真は
東久留米ガス記念館にて撮影したもの。

とりあえず事実かどうかは不明だけど、知っていること書いてみました。


☆THE BREAKERS PART4☆ にタローさんが来ました。

600 :TARO:2011/03/14(月) 16:26:13.63
THE BREAKERSをいまだに聴いてくれてる皆さん!
とてもうれしく思ってます。
まとめサイトがあることを知らせてもらったので、
懐かしくいろいろと思い出すことができました。
一部、歌詞を憶えている曲は修正してみました。


☆THE BREAKERS PART4☆ より

690 :Free:2012/04/03(火) 10:02:57.43
このスレを見てくれているBREAKERSファンの人たちに謎解きその1。
代々木公園編です。
当時、ちょうど所属事務所が決まった後で、
エルヴィス・コステロ初来日時の銀座ゲリラLIVEや
BEATLESのアップル屋上のイメージで
一般の人に見てもらうという話をタローちゃんにしたんだよね。
ホコ天には業界人、TV局、メディアが毎週のように取材に来ていたので、
宣伝になるんじゃないかなと思ってました。
当日、竹の子族やローラー族がやっていて、
のちにバンドブームがある場所で演ってもらいたかったのですが、
ホコ天中止で代々木体育館よこ原宿駅よりで演っています。
たぶん、ホコ天で演奏した最初のバンドだと思います。
net上では見たことはないんですが、(あげているのは私ではありません)
映像を撮ったのもわたしです。
タローちゃん、これでいいんだよね~。


691 :Free:2012/04/03(火) 10:31:04.20
代々木公園編、その2映像について。
BETACAM 放送用1/2テープ 1台
BetaMovie試作機2台 の3台で撮っています。
Netで出回った経緯はわかりませんが、2年前に25年ぶりにタローちゃんに
MODSMAYDAYであったときに好意的に思ってくれていたのでホッとしました。
現在の映像の所在は
①元動画 betacam1本、betaテープ2本(当時の事務所)
      ↓ダビング ↓
②元動画 betaテープ、 ↓     (当時の事務所)
      ↓
③編集  betaテープ (所有)
      ↓
④ダビングテープ   (所有)
      ↓
⑤ダビングテープ (友人に貸したことあり)
      ↓
⑥ダビングテープ (知らない誰か)

ということです。


692 :Free:2012/04/03(火) 11:12:28.17
代々木公園編、その3 映像について。
初期からLiveのたびに録音はしてましたが、映像に撮りたいとタローちゃんに
話をしていたところ、もとの映像は著作権、肖像権の問題で所属事務所に渡す
という条件で撮影許可がおりました。
デビュー後に使ってもらえばいいなと思っていたんですが、
個人的には業界を信じてなかったため、
編集、ダビングをさせていただきました。④からVHSテープです。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2013年03月24日 12:55
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。