東北大学SF研読書会 アーサー・C・クラーク「幼年期の終わり」
(幼年期の終り/地球幼年期の終り)“Childhood’s End”
byちゃあしう 2008.4.18

1・作者紹介

アーサー・C・クラーク (1917~2008)
言わずと知れたSF界の御三家(ほかの二人はハインライン・アシモフ)の一人。彼のみイギリス人。

大戦中はレーダーの技術者。そんな中で「ワイヤレス・ワールド」誌に載せた論文が後に有名になる通信衛星の基礎理論である。その後1954年「抜け穴」「太陽系最後の日」でデビュー。60年代SF黄金期を支える人材となった。その後68年の映画「2001年宇宙の旅」で監督キューブリックと共同で脚本を担当。その後もSF・ノンフィクション・科学啓蒙で活躍した。ダイビング好きが高じてスリランカに移住。初期からのパソコン通信の利用者であり、近年の作品はスリランカで書いて衛星で電送したものが多かった。サーの称号を与えられた後、「2001年」を自分の目で見るという夢を達成。04年のスマトラ沖大津波では無事だった。2008年3月19日、心不全のため死去。

 そういやいろんなものの(時折正確でないにしろ)「発案者」「紹介者」として有名な彼だが、「真空呼吸」の紹介者でもあった。ボンベがなかったりヘルメットがなかったりで真空に放り出されるのはこの人の作品のオハコ。これもダイビング経験から考えたものらしい。真空にさらされても体は爆発しない。

2・あらすじ

人類が宇宙へ新たな一歩を踏み出そうとしたその日、異星人の大円盤群が各大都市のうえに出現する。これこそ人類が待ち望み、恐れていた最初の接触だった。それから数年、異星人「オーヴァーロード」は地球人を上から見守りながらも平和的に支配していた。しかし、その姿を見たものはなく、支配の目的も定かではない。彼らが地球を訪問した目的は何なのか?やがて人類は科学のユートピアを実現するが、それはあくまでオーヴァーロードにとって「手段」に過ぎなかった。人類がその「幼年期」を終え、新たなる存在へとなるための・・・

 本作は1946年に発表された短編「守護天使(Guardian angel)」が元になっている(新潮文庫『太陽系オデッセイ』&早川『太陽系最後の日』収録 訳:南山宏 そのまま一章に流用されている)。ここにクラークが好んだオラフ・ステープルドン(『最初にして最後の人間』『スターメイカー』どちらも国書刊行会)の描く予見されたユートピア・人類の進化と終末という要素や哲学的・神学的要素などさまざまなものをミックスした構成をしている。1953年に発表された当初は欧米では酷評され、むしろSFとかには縁がなさそうなC・S・ルイスぐらいしか評価していなかったが、日本では翻訳された当初から評価が高かった。現在では「宇宙の旅」シリーズとともにクラークの代表作として認知されている。

3・おもな登場人物

第一章の宇宙関連者は話にあまりに絡まないので省略(ぉ

人類

ストルムグレン   国連事務総長
ピーター・ファン・リーベング   事務総長補佐官
アレクサンダー・ウェインライト 自由連盟会長
ジョー 誘拐犯の一人
ジョージ・グレグソン テレビスタジオ設計者
ジーン・モレル(グレグソン) ジョージの妻
ジェフリー・グレグソン   その息子
ジェニファー・グレグソン   その娘
ルパート・ボイス 獣医 超常現象愛好家
マイア ・ボイス   ルパートの妻
ジャン・ロドリゲス   その弟 宇宙に興味を持つ
サリヴァン教授 第一深海研究所所長 ジャンの計画に協力

<オーヴァーロード>

(天帝・上主・上帝・最高君主・上君etc)
地球を訪問し、支配した異星人
カレルレン(カレラン・カレレン) オーヴァーロード地球総督 
ラシャヴェラク 心理学者
サンサルテレスコ 「監査官」(検察官)

<オーヴァーマインド>

(上霊・上主心)
上位存在?? 昔からオーヴァーロードを使役してきた大いなる存在。

4・流れ

プロローグ

「人類はもはや孤独ではない」

人類が宇宙への新たな一歩を目指したその日に異星人はそれを台無しにしてくれる劇的な登場を見せる。旧版は米ソの月世界競争(関係者の一部が亡命して加わっている諜報もの的展開がある)・新版は国際共同の火星探検という設定。ちなみに「ソビエト」という言葉はしっかり一章途中に出てきたりする。二章以降に手は加えていないといっていたのでちょっと油断してたか?

一章 地球とオーヴァーロードたち

やがてオーヴァーロードの人類への干渉は非暴力的ながら成果を上げていき、ついに世界連邦制が誕生しようかというにもかかわらず、彼らは真の姿を見せなかった。そんなおり、人類との唯一の交渉役を務める国連事務総長が拉致される。彼らの目的はオーヴァーロードの素顔を暴くことにあった…

テーマ: 「最初の接触」と人類

…これまで多く描かれてきたバリエーションの中でも王道
「宗教の否定」を匂わせるカレルレン・・・のちに2章で恐るべきことをやってのける
「人類の好奇心」という障害・・・姿かたちを認めさせるには時間が必要?

ガジェット

  • 大都市上空に鎮座する大円盤
SF原風景としてはもはやおなじみになりました。『インデペンデンス・デイ』なんかが有名?あとはドラマシリーズ『V』など。核ミサイル攻撃後のなんともなさ(そして華麗にスルー)などもなかなかのものである。

  • 姿を現さぬオーヴァーロード
「守護天使」ではずばりストルムグレンが見たカレルレンの姿かたちが明かされる。もちろんこれは2章で明かされるものの一部である。短編としてこの落ちにはあまり評判はよくなかったようだが、このアイデアが本作のプロットの軸になったのは言うまでもない。かのジョン・W・キャンベルによると自身の「宇宙最強の機械」に登場するエイリアンとかぶるらしい。クラークも認めている。(『太陽系オデッセイ』参照)

  • 「白人マイノリティ」
あくまで「時代」ですので(英連邦脱退・南ア共和国は61年なので出版後 当然ローデシアもある)。あとクラークはイギリス人なので、オーストラリアに関することでも同じような記述が諸作で見られる。これだからブリタニアの人間は・・・とは言わない

二章 黄金期

 50年で地上にはほぼ完全といえるユートピアが築かれた。そしてついにオーヴァーロードがその新の姿を現す。しかしその姿は、人類がかつて恐れていた存在そのものの巨大で醜悪な生物であった。それでも人類は与えられた楽園での生活を謳歌するように見えた… そんな中一人の男がオーヴァーロード母星への密航を企てる。それはある場所で起きたささいな事件がきっかけだった。

テーマ:あっさりとしたユートピアの実現

進んだ技術、そして圧倒的存在により人類の害悪をことごとく無効化したオーヴァーロードは文字通りの平和な社会を「作り上げてしまう」。ある意味でその牙を抜かれた形となった人間の行く末とは?

ガジェット

  • オーヴァーロード 君臨。
このモチーフ、日本の某黙示録漫画でも使われました。ホラーモノでは必ずといって良いほどテーマになる「根源的恐怖」。西欧で倦厭された理由のひとつがこれらしい。その真意は?? これは三章最後に明かされる。
創元推理文庫旧版の表紙がトリなのはいちおうオーヴァーロードを想起したものなのではないか・・・と思うのだが実際どうだろうか。他の表紙も参考にされたい。

  • 唯一生き残った宗教は仏教!!
「海底牧場」にも登場する。こちらは暴力的でないという理由で人類が淘汰したという設定。(そのため人類の肉食撲滅に世界が動き出すことになる) 時間を覗く装置は後の「過ぎ去りし日々の光」 (バクスターとの共著)にも登場。仏教だけはマシな場面が映っていた、もしくは検閲の結果そうなっただけなのかもしれない。このへんはスリランカに魅せられたクラークの?

  • 超常現象と運命の出会い
おなじみ「コックリさん」(テーブル・ターニング)が登場する。ちなみに現代では筋肉疲労による微動が原因とされている。海外では「ウィジャ・ボード」と呼ばれるものが用いられる。文字盤の上で(下の文字が見えるように)穴の開いた板を皆で保持する方式をとる。

  • 竜骨座NGS549672
現実世界にあるのはNGC(ニュージェネラルカタログ)。ハーシェル親子が作った星雲表をドレイヤーが追補、7840の星雲・星団を網羅していたものをさらにハッブルらが補完したもの。おそらくさらに強化されているのだろう。

三章 最後の世代

 黄金の時代は続くかに見えた。しかしそれによって失われたものを取り戻すべく芸術家たちはやがてその拠点・ニューアテネを作り上げる。やがてそこで子供たちに変化が起きてゆく。そして時は来た。
旧人類は子供たちと別れ、そして滅びのときをそれぞれの形で迎える。人類はその役目を終えたのである。
そして帰ってきた「最後の人類」と仕事を終えたオーヴァーロードが地球の終わりを見届ける。

テーマ: 人類の変貌

実は逆だったオーヴァーロードと人間の関係。彼らはもうこれ以上進化できないという点では悲しい存在なのだった。人類はおろか、オーヴァーロードすら超える超存在が示され、知性体が新たなステップを越える瞬間というものを目の当たりにさせられる衝撃の部。クラークの言葉として、有名な第三法則「十分に発達した科学技術は魔法と区別がつかない」があるが、それを文明に当てはめた場合既成の概念にとどまらない可能性がある、といえるだろう。「2001年宇宙の旅」でもこのテーマは形を変えて再生産される(人類がサルから人へ、そして人から先へ)。ただしエイリアンのデザインだけはキューブリックのお眼鏡にかなわず、劇中では石版「モノリス」だけが登場。

ガジェット

  • ニューアテネ
国を創設したイスラエル人が国をまた奪われたところから始めた事業。いろいろ文句も言いたいところだが・・・

  • 「一日500時間分のテレビ・ラジオ」 いまではそれどころではないですね。

  • 「無限の可能性を持つアニメ映画」 なんと!クラークはアニメにエンタメ最後の希望を見ていたんだな!(何)

  • 超能力者・・・にとどまらなかった人類の進化
 超能力者=人間の新たな進化系=結論:旧人類の淘汰→迫害の始まり、というのはミュータント物のお約束。
『地球へ』『超人ロック』などの名作が日本にも存在する。本作では、「人類から未来を奪わざるを得なかった理由」が「科学の暴走」と「心理の暴走」その両方を止めるためだったという視点も特徴的。

  • 「未来の記憶」としてのオーヴァーロード像 
単に過去に遭遇したため覚えていた、目的あって深層意識に埋め込んだというものではない。

5・感想

自分は「2001年」のほうを先に読んだ(「見た」ではない!)ので、人類の革新のビジョンというものを文字で説明されることにある程度の免疫ができていたせいか、幼年期を最初に読んだころはそこまでの衝撃は感じなかった。でもその影響力を他作品から知ることによって、本作品の隠れたテーマ性とその平易であるがゆえに衝撃を呼ぶ文章に改めて心惹かれるものを感じる。そして何より、実は人類ではなくオーヴァーロードが、また逆にオーヴァーロードではなく人類がという構成の大転換を迎えた辺りから話は動いてくる。この話がズバリ人間側から描かれたものではなく、実は逆側からの壮大な「子育て」の物語であり、タイトルどおりの巣立ちをあらわすものであることを知ると、それまでのオーヴァーロードの苦労とたとえそれを完遂したとしても自分たちの到達できぬ高みゆえの悲しみも分かってくる。そして同じく子を育てた親はあっさりとその役目を終える。目的を失い、静かに終わりを迎える旧文明の姿はひどくもの悲しい。これこそ日本人が当初から本作への支持を行ってきた理由と言えるだろう。そして示されたイメージが今も褪せることがないのもまたそのため。ぶっちゃた話、「2001年」と本作によりファーストコンタクトとは「クラーク以前」と「クラーク以後」に分けられるといっても良いだろう。(レムも加えたいところだけれどいちおう省く)

これと同時期の作品として56年の『都市と星』(“City and the stars”)がある。こちらでは、銀河帝国の黄昏から数千年、地球最後に残された都市ダイアスパーで外から隔絶し、あらゆるものを即座に実現できる一種仮想空間的閉鎖世界に生きる人々の中からやがて「異質」な外への好奇心を持つ少年が誕生し・・・という物語。すばりグレッグ・イーガン『ディアスポラ』はこれを踏まえているわけですな(ダイアスパー・万能の仮想社会・外界への恐れ・好奇心の塊である「孤児」の誕生など)。クラークの描く「人類の行き着く先」「宇宙への再出発」として忘れられない一品。…再販、するよね?
(2009年に新訳で再販されました やったね!)

あと、とりあえず「クラーク=科学での幸福な未来を夢想しかしてないバカ」と思ってる人間はただちにこれを読め。究極の人類賛美(そしてその逆)を心して受け取るがいい。

最後に自ら上位存在へと旅立っていったアーサー・C・クラークに感謝をこめて。
そしていつ訪れるか分からない接触に思いを馳せながら。

「そして、これだけはどうか記憶にとどめておいてもらいたい――私たちはこれから先もずっと、君たちを心からうらやましく思っていると言うことを」
光文社新訳文庫P.359 カレラン人類への最後の演説より


6・追記

早川文庫版:福島正実
創元推理文庫版:沼沢洽治
光文社新訳文庫版:池田真紀子

新版では「フェイズ」など現在ではさほど不自然でない部分は訳されずに使用されるようになっている

 昔は超能力を信じていたという新版まえがきに大いに笑わせていただいた。こういう過去はあえて隠しておいて他人にばらされるより自分で先に出しておくものなのかもしれない。実際に超常現象を「科学的に」検証するドキュメンタリーに出演していたこともある。

 80年代の『幼年期の終わり』として、バイオテクノロジーの暴走が世界を覆い、宇宙の認識にまで影響を及ぼす・・・というグレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』がある。そして人類の進化の果ての終末を扱ったものとしては『ブラッド~』の影響も受けた90年代作品『新世紀エヴァンゲリオン』を忘れることは(とくに日本においては)できまい。ずばり「人類補完計画」の究極の目的=オーヴァーロードの手を借りない進化である。
 またそれにも影響を与えている『伝説巨神イデオン』にも自らを高める進化の末にひとつの意識体へと凝縮した「第六文明人」の遺産が登場する。(富野監督は実のところ和製「2001年」を作りたいのではないかと見えるフシがある ニュータイプ論しかりイデオンしかり)

 また本作とタメを晴れる人類の未来観というでは小松左京『果てしなき流れの果に』がある。こちらも人類を見守る上位存在とそれをさらに上回る上位存在が示唆され、時空を超えた物語が交錯する。

 巨大な力を持ちつつも、実のところそれより上位のよく分からない存在に使われているに過ぎないというのもSFでは多く登場する。有名どころでは『果てしなき流れの果に』に出てくる使いっ走りの皆さん、『ハイペリオン』のサイブリッド・下位テクノコア群など。例の情報統合思念体の対有機…もそういうものだと考えている人もいる。まぁ、一皮剥いたらあらゆる意味で「根源的恐怖」かもしれないが。

その他あまり深い例ではないが
  • TM NETWORKのアルバム名で「Childhood’s End」がある。
  • スクウェアのRPG「ゼノギアス」には「カレルレン」というボスが登場する。
  • 「ラーゼフォン」第15楽章 「子供たちの夜」-Child Hood’s End-
  • 「ジーンシャフト」第13話(最終話)「幼年期の始まり」
  • 「SF幼年期の中ごろ」(筒井康隆)「老年期の終わり」(藤子・F・不二雄)「絶望期の終り」(あびゅうきょ)
  • 日本SF・幼年期の終り―「世界SF全集」月報より
  • 最近だと「ガンダム00」の最終回での意味深なメッセージが「The Childhood of Humankind Ends」だった。 
 ...あえて言わせてもらうぞ

 「まだ始まってもいねぇよ!!!!」


などなど。有名SFのタイトルはいつまでも利用され続けることで有名だが(例:セカチュー)本作もずっと使われ続けることになるだろう。それはやはり「幼年期」「の」「終り」という翻訳とその語感に負うところが大きい。

  • よく読んでいて面白い、自分も大好き -- しろう (2016-05-10 17:43:59)
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最終更新:2016年05月10日 17:43