どんそくずプロローグ

柄に納めた剣を杖代わりに坂を上っていくと、丘の向こうに町の灯が見えた。
「・・・助かった。」
煤けたマントとフードに身を包んだ若い旅人は、安堵のため息を漏らした。
シスターに渡された装備は、隣町までの旅程度には全く不足の無いものだったが、
断崖で風にあおられ、地図を紛失したのが運の尽きだった。道を見失って丸五日。
蛮族や猛獣の餌食にならなかったのは、幸運だったとしか言いようがない。
ああ、そうだ、地図を失った分の不幸が、こうやって生き延びているという幸運で還ってきたのだ。
旅の少年ウラニスは苦笑して、再び重い身体を引きずり始めた。
――不意に。
町の灯の温もりが、かつて母として姉として、自分を育ててくれた女性を思い出させた。
村の教会での監禁生活は確かに不幸なものだっただろう。
しかし、物心ついた時には既に格子の内側に居たウラニスにとって、
書物でしか知らない外の世界に旅立つこと、いやむしろ、シスターと別れなければならないことは、
これ以上ないほどに辛いことだった。
しかし彼女は言ったのだ。
「今までのあなたは生きていなかった。生きなさい。この扉から踏み出す瞬間、あなたの人生が始まるのよ。」
そうだ、僕は今・・・生きている。
町の灯は、もう目の前に迫っていた。

町を歩くと人が振り向く。
そうか、俺のテンガロンハットが気になるか。背中に背負った身長ほどもあるクロスボウが気になるか。
耳に留めた大きな宝石が気になるか。いや、それよりこの長い耳そのものが気になるのか。
エルフの耳なら珍しくはない。土地によってはエルフなどたくさん住んでいる。
彼の耳は、片方は天に向かってピンと立ち、もう片方は途中でぱたりと折れている。
正面は産毛に、背面は全身を覆う体毛と同じ、真っ白な毛に覆われている。
タビット族。
呪われ、滅びた神の末裔を自称する人族の一派である。その姿は、兎。直立歩行する兎である。
その種族としての出自の不明瞭さは、彼らの持ち前の探究心を大いに刺激し、多くのものは学問の道を志すという。
そんな中。
「おゥ、兄さんよォ、この町のォ、冒険者の店ってのはァ、どこにあるんでィ?」
「・・・。」
話しかけられた住民の男の目が、その相手に焦点を合わせたまま動かない。
「ン?どしたァ?」
「い、いや・・・何でもない。えーと、冒険者の店は・・・次の角を右に曲がって、右手の二軒目だ。」
「おゥ、ありがとよォ。」
低く図太い割によく通る声で礼を述べると、一族ではやや珍しい生粋の冒険者であるぺぺは、
目的地へとひょこひょこ歩き始めた。

「ご注文は?」
「んー・・・とりあえず、サラダと、ローストチキン、なんだな。」
「はーい。ご注文いただきましたー!」
チョッチは、ドワーフには珍しく、あまり酒を好まない。
ドワーフといえば酒豪の一族である。火のつくような強い酒をいくら呑んでも潰れない、
強靭なアセトアルデヒド脱水素酵素の持ち主というのが、世間一般のイメージであるのだが。
「ん、なんだな?」
チョッチは眼帯に隠れていないほうの目を細め、少し乱れた前髪を整えた。
まるで船の舳先のように前方に突き出たリーゼントヘアーが、その鋭さを増す。
「お待たせしましたー。サラダと、ローストチキンでーす。」
「ありがと、なんだな。」
「・・・あれ?」
料理を運んできた店員が、チョッチの眼帯に印された紋章に気づいて、覗き込んだ。
「どうしたんだな?」
「お客さん、ル=ロウドの信者さん?」
「ん、そうなんだな。」
風来神ル=ロウド。「自由に生きよ」を教義とし、多くの人族、特に冒険者に信仰されている神である。
自由奔放な性質から様々な立場の人々に愛され、蛮族の中にも信者がいるといわれるほどである。
「うふふ、実は私もなんです。」
女性店員がネックレスを持ち上げる。それにかかった小さな金属板に、チョッチの眼帯と同じ聖印が刻まれていた。
「でも、珍しいですね。ドワーフさんって、グレンダールの信者さんばっかりだと思ってた。」
「まあ、大抵そうなんだな。」
炎武帝グレンダール。炎をつかさどる武神であり、ドワーフの始祖と考えられている。
炎に親しく、武芸を好むドワーフの民族性の基盤でもあり、非常に多くのドワーフの信仰を集めている。
「まあ、ドワーフにも色々いるんだな。」
「ですよねー。」
思えば。故郷でも異端を貫く人生だった。村を出て行かなければならなくなったときも、あまり未練は無かった。
自分の信仰に従っているのだと思えば、放浪の旅に出ることも苦にはならなかったのだ。
ただ一つ、彼女のことを除けば・・・
胸に湧き上がってきた暗い思い出を、水と一緒に一気にあおった。

ずいぶん遠くまで来てしまった。
城壁のない町並みを見つめながら、イオニアは旅愁に胸を打たれていた。
「少し、寂しいところね。」
彼女はテラスティア大陸北西部、ザルツ地方に住む神官の娘である。
それが何故、荷馬車に乗って数週間をかけ、二つの地方を跨ぎこのジュク地方までやってきたのかといえば、
それは、布教のためである。
イオニアが信仰する神は「纏いの神ニールダ」。
テラスティア大陸でも北部のごく一部でしか信仰を集めていない小神(マイナーゴッド)である。
ニールダは多くの神と比べ伝説に乏しく、そもそも知名度に劣る。そして、信者の数はそのままその神の力に比例する。
ニールダの信仰を広め、その力をより大きなものにするため、神官たちは日夜布教に励んでいるのだ。
弱冠14歳のイオニアもまた、例外ではなかった。
とはいっても、父親の口利きにより、彼女が徒歩で1週間以上の旅をすることは今までなかった。
それがいきなり、大陸の東の果てまで旅することになろうとは。
「・・・チャンスだわ。」
そう、イオニアはこの時を待っていた。厳格で過保護な父親の元を離れ、冒険者となる。今がその時だ。
幼い頃からの憧れ――それだけではない。彼女の目には、決意の炎が灯っていた。
「待っててね。私、きっと追いついてみせる。」
今から歩き出すこの道の先に、あの人が待っていてくれる。彼女は、そう信じているのだ。

突然、半開きだった扉が大きく開き、ばたり、と人が倒れる音がした。
「ん?」
冒険者の店「刻み大蒜と背油亭」のマスターが自分の店の入り口を見やると、
扉を押し開けたらしいマント姿の人物が店内に倒れ伏している。
「・・・いらっしゃい。リスティ、グラスに水を用意しろ!」
「は、はい!」
マスターはすばやく反応し、ウェイトレスに指示を飛ばす。
回復術や薬草の心得がある者たちが腰を浮かせ、店内は一時、騒然となった。
「・・・ボクじゃ役に立てないんだな。」
一応は神官であるチョッチだったが、彼は回復術の心得はなかった。
丁度、倒れた人物のすぐ後から店に入ろうとしたイオニアもまた、自分の修行不足を呪うこととなった。
しかし、もう一人の――。

「んぐ・・・ぐ・・・くはぁ・・・っ!」
グラスに注がれたほの青く光る液体を一気に飲み干すと、少年の顔にたちまち生気が戻る。
「助かりました。」
「いやァ、いいってことヨゥ。」
一時は浮き足立った店内の客たちも、少年に続いて入ってきたタビットが早急に問題を解決したのを察して、
安心した様子で席に戻っていった。
妖精使いのタビットは空になったグラスを、すまねェなァと言いながら元の席に返す。
目いっぱい背伸びをしてようやくコップを机に置くその仕草に、少年は軽く頬を緩ませた。
「本当に・・・ありがとう。お名前は?僕は、ウラニス、といいます。」
「俺ァ、ペペってんだ。よろしくゥ。」
手を握り合う。ペペの手は白い毛に覆われ、とても触り心地が良かった。
「ウラニスぅ、タビットはァ、初めてかい?」
「え、ええ。そうです・・・。」
本当はタビットどころの話ではない。
「ごめんなさい、何も出来なくて・・・。」
イオニアが申し訳なさそうに話しかける。
「あ、気に・・・しないで。大丈夫だから。」
ウラニスが更に申し訳なさそうに、たどたどしく答える。誤魔化しきれているだろうか。ウラニスは不安だった。
しかし、彼の表情が優れないのが体調の問題からではないと気づくほどには、イオニアもまた大人ではなかった。
「お三方、机が残ってなくてね。合い席でいいかい?」
マスターが、一人しか座っていない四人掛けの机を指差す。
鋭く尖った前髪と髭をもつ隻眼のドワーフが、ぐるりとこちらを振り向いた。
「どうぞ、なんだな。」
不思議な緊張感に包まれ、三人は席に着くのだった。

「・・・とりあえず、自己紹介、なんだな。ボクはチョッチ。
 35歳ドワーフ。斧が得意だけど神聖魔法もちょっと使える。よろしく、なんだな。」
「俺ァ、14歳のタビット。名前はペペってんだ。ご覧の通りボウガンを使うがァ、本業はァこっち・・・」
ペペは自分の耳にクリップで留めている宝石を指先でつついた。
「妖精魔法がァ俺の十八番さァ。よろしくなァ。」
「あ、あの・・・ウラニス、と言います。えと、16歳、ヒューマン・・・です。
 軽剣技が使えますが、操霊魔法を勉強したいと思ってます。まだ、冒険らしい冒険はしたことがありません・・・。」
三人があまりにも自然に自分の「技能」を述べていくことに、イオニアは少なからぬ疎外感を覚えていた。
私はまだ、冒険者じゃない。そんなかすかな思いが心のどこかで、彼女にブレーキをかける。
「私はイオニア。14歳の人間です。ザルツからニールダ神の布教のためにやってきたんだけど・・・」
口ごもるイオニア。果たして、この三人に歩み寄ることは出来るのか。不安が募っていく。
「ねえ皆さん、三人で、パーティ組むんですか?」
「冒険者の店」で技能を披露しあっている人たちに向かって、何と野暮な質問か。彼女は自嘲した。
「え・・・?」
突然の質問に戸惑ったのはウラニス。しかしやはりと言うべきか、他の二人に悩む余地はなかった。
「そうだなァ。俺はァ、ここを拠点に冒険者家業を本格的に始めようと思ってたんだ。
 この辺はまだ掘り返せる遺跡も多いらしいからなァ。丁度いいじゃァねェか。やろうぜィ。」
「ボクもそのつもりだったんだな。ウラニス、キミは何か訳アリみたいだけど・・・。」
「あ、あの、僕も・・・加えてください。是非!」
ウラニスの表情に、今までにない明るさが宿る。イオニアははっとした。
そう、冒険とは一人で出来るものではない。常に仲間と共にあること、それが冒険者を冒険者たらしめ、
危険な遺跡や蛮族の脅威から守ってくれる。イオニアは、そんな言葉を思い出していた。
ならば。
「・・・私も。」
しばらく押し黙っていたイオニアが、突然口を開く。
「私もパーティに加えて下さい。神聖魔法の他に、拳法の心得も少しだけあるの。きっと役に立つから。お願い!」
イオニアは思わずテーブルから身を乗り出していた。このチャンス、逃すわけにはいかない。
焦りと緊張で真っ赤になった顔を恥ずかしがっている余裕も無い。
しかし、彼女の不器用な荒々しさは、簡単に受け止められることとなった。
「まァまァお嬢さん、そんなに前に出なくても大丈夫。仲間は多い方がいいぜ。なァ。」
「だな。」
「旅は道連れ・・・ですか。」
三人が柔らかな表情でイオニアを見つめる。
「・・・いいの?」
それだけだった。
イオニアはあっという間に、冒険者としての一歩を踏み出してしまったのだ。
否、ラクシアでは、冒険者を自称するものは、すべて冒険者。イオニアは既に、冒険者だったのである。
「よろしくゥ。」
「がんばろう、なんだな。」
「頼りにしてるよ。」
三人がグラスとジョッキを差し出した。イオニアも自分のグラスを手に取り、合わせる。
「うん、みんなありがとう。一緒に冒険しましょう!」

どんな運命の悪戯か、辺境の都市国家「ワフール」に集った4人。
イオニア、ウラニス、チョッチ、ペペ。
出自も性格も全く異なる4人だが、彼らにはひとつだけ、共通点があった。
完全装備の状態で100m走るのに、30秒を要する点である。
史上稀に見る鈍足パーティを待ち受ける運命は、いかなるものなのであろうか。
最終更新:2009年03月14日 22:13