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 兄の墓参りを終え、玄関へと走った。相変わらず積雪は俺を転ばそうとする。
 朝よりもはるかに寒い。コート一枚では、流石にもう限界だ。
 そういえば、家の鍵、どこにおいたっけ?
 ポケットをまさぐる。見つけるには少し手こずった。
「よし」
 開いたドアを急いで閉める。風を家の中に入れないためだ。寒さのほとんどは風によるものだから。
 誰もいないためか、ドアを閉めたときのあの音が無駄に響いている。同時にピン、とたった耳が時間をかけてもとの位置に戻る。ご近所さんが居たなら、苦情が来ていただろう。
 でも、こんな山奥で、しかも雪山に自ら住みたがる人が居るだろうか。
 居ると例えてみても、人が居るか居ないかの山奥ではなく数人が住んでいる山里を選ぶだろう。現に山里がここから南へ行ったところにあり、そちらの方が生活費も余りかからなくて楽だ。

 勝手に膨らむ妄想を振り払い、勢いよくカーテンを開ける。その時小さな光の道が木の床に伸びた。
 とりあえず、コートを脱ぐ。それとともに寒気が襲ってきた。
 ふと、目の前の暖炉が目に入った。唯一の暖房器具。

 炎はたきぎを燃料にし、メラメラと燃えている。
 見ているだけでもあたたかい。
 頭がぼんやりしてくる。
 なぜだろう。
 不思議と泣きたくなってきた。

 一瞬、火が笑ったように見えた。


「弟者! お前のせいで大事な俺のパソコンが」
 よみがえる、いまわしい過去。それと引き換えに意識は遠くなっていく。
「どういう理屈で俺のせいになるのかと小一時間」
 大嫌いな自分の声が、はっきりと聞こえた。最悪だ、最悪。


 今日の天気は雪。二年ぶりに見た都会の雪だ。
「じゃあ立ち上げてみろ! ずっと黒いままじゃないか」
 例のパソコンは、開いた窓のそばにあった。
 窓からは少しだけだが、雪が侵入している。そしてその雪は、パソコンの上で溶け始める。このことを兄者はわかっていない。

「当たり前だ」
 いらいらしながらも、全開になっている窓を指差す。
 しかし、返答は意外なものだった。
「……開いている窓が悪いというのか? ふざけるな」
 流石は兄者。大好きな雪までも見えなくなったのか。
 俺のイライラ感はだんだん大きくなっていった。
「兄者、視力下がりすぎだと思われ」
「ふぅん。だからパソコンを壊した、そうだろう?」
 違う。
 この一言すら他人不信のあんたには伝わらない。残酷だ。
「……兄者。なんで俺を疑うのだ」
 聴かなくても理由は分かっていた。
 俺がずっとこの部屋に居たからだ。
 それに、最後に触ったのも俺だから。
「ふん、自分の胸に聞いてみろ」
 一言一言がとても痛い。
 勝手にありもしない罪を着せられて、勝手に信頼を無くされて。
「ときに兄者よ。今日の天気をしっていますか、と」
「そんなこと関係ないだろうが!」
「……」
 その一言でようやく分かった。あんたはパソコンが大事だと。
 そういうことだろう? 何よりもパソコンが大事なのだろう?
 家族と言う人間の集団にも敵意を持つあんたには何よりも大事なパソコン、か。
 中毒だな。あんたは完璧なパソコン中毒だ。
「流石だよ兄者……。それだから人に嫌われるんだよ!」
 突然の俺の言葉に兄者はきょとんとする。
 俺自身も自分の行動に驚いていた。
「ど、どうした……?」
 この空気とは逆にあんたの落ち着いた声。
 気づけば俺は泣いていた。
「うるさい! 黙れ!」
 ふと、気づけばあんたに手を上げていた。
 耳を塞ぎたくなるほどの大きな音。
「……と者、お前!」
 手のひらが、じんじんと痛かった。
 俺の意思で殴ったんじゃない。身体が勝手に動いたんだ。
 無駄だと思いながらも自分に言い聞かせる。どちらにしろ、殴ったのは俺だ。そのことに変わりはないのに。
 兄者は俺に向かって、近くにあった一冊の分厚い本を投げた。
 俺はすぐに避けようとするが、華麗に顔面に直撃した。頭に血が上っていたせいか、それが突然すぎたせいか。なぜ避けることができなかったのかわからなかった。

 起き上がろうとする俺に兄者は飛びかかった。それはすごく乱暴で、両手で首を掴まれる。身動きが取れないように、自由を奪うために。
「は……はなせ」
 息ができない。
 首が押されている感覚から徐々に痛みに変わってくる。
 手を、脚を必死に動かそうとする。
 なぜ? なぜ、動いてくれないんだ?

 兄者の顔が見えなかった。きっと俺が泣いていたからだろう。
 意識が薄れてゆく。
 嫌だ、嫌だ。あのろくでなしで、自己中心的なあんたに負けたくない。
 わがままで、人を敵だと考えるあんたに殺されたくない。
 くそっ、死んでたまるものか。

 願いが通じたのか、ようやく手が動いた。
 ふん、あんたの負けだな。力では俺の方が上だ。

 俺は目を開けた。

「……あれ? どういうことだ」
 起こせるはずがない身体を起こす。
 目を開けたといっても、もともと目を開けていたのだから、余計わけが分からなくなる。
 自然と辺りを見回す。近くには本が落ちていた。とても分厚い。兄者が投げてきた本にとてもよく似ている。
 後ろを振りかえる。後ろには本棚があった。

 いつの間にか、夢の中に居たようだ。


 くらくらする頭と、ぎしぎし痛む肩を抱えながら洗面所に向かう。
「はあ、これからは床で寝るのはやめよう」
 歩くのがこんなに大変なことだったなんて。脚までもが思うように動かなかった。

 数十秒後、俺は洗面所にやっとのことで到着する。
 他の人がここを見たら、きっと不思議に思うだろう。鏡のない洗面所だなんて。
 まぁ、俺に鏡は不要だから仕方がない。
 理由はいろいろとある。簡潔に言ってしまえば、俺と兄者が似過ぎているから。でもそれは、一卵性双生児として生を受けたのだから当然のことであって、逆に似ていなかったら怖い。 
 つまりは、兄者を思い出したくない。たったそれだけのことだ。


 さてさて。眠気覚ましには冷水が良いと言うが他にはないものか。蛇口をひねったものの、どうしてか、水が出てこないのだ。
「もしかして、あれですかね……」
 寒い地方にはよくある水道管の凍結か?
 まさかと思い、他の蛇口もひねってみる。
 おいおい、冗談じゃない。全部ダメになった。
 年末休業で水道局は休みだ。仮にやっていたとしても、こんな山奥まで来てくれるだろうか。いや、それ以前に重大な問題が残されている。
 今月の生活費が底をつきかけているじゃないか。とても出張費やら修理代やらを払える状態じゃない。
 ふと、湯を沸かして凍結部分を溶かす方法が頭に浮かんだが、すぐに無理だと結論が出た。なぜなら、ここはいちばん暖かい冬でも氷点下を下回るからだ。きっと氷結した部分にたどり着かないうちに湯は凍りつくだろう。いや、湯を沸かすどころか、水が出ないのだから何もできないじゃないか。だいたい、湯を沸かすのにどれだけ金がかかることか。ガス代に、水道代……。嗚呼、頭が痛い。

 過去にも同じようなことがあった。そのときも同様に生活費が残り少なく、春までまった覚えがある。春になれば気温も上がり、ヘビやトカゲが顔を出すときには氷が解けているからだ。
 もちろん、春まで一回も風呂へ入らないわけではない。ここから一キロほど下ったところに小さな宿がある。万が一の時はそこで生活している。ちなみに、生活費の支払いもこの宿を通して払っている。
 俺の生活の収入源はその宿からの給料だが、アルバイトとして働いている。店員になれば給料も上がるだろう。が、小さいわりにあそこはかなりの客が来る。観光のついでに泊まる者、登山途中の休憩として来る者もいる。あの宿の店員はたったの二人。兄と妹の兄妹が運営している。アルバイトは俺一人。でも、仕事内容はとても簡単。しかし、忍耐力がいる仕事でもある。正式な店員になったら毎日……いや、考えるのは止そう。
「あ~あ……」
 仕方がない、明日から仕事に行くか。
 小さく肩を落した。
 今日のついでに明日、明後日と休暇をとっていたのだが水が出なくなってはしょうがない。
 今年こそは自分の家で年を越せると思っていたのに……。

 大きく伸びをする。
 さてと、居間に戻って支度でもしますか。
 一息ついてから、開けたすべての蛇口をきつく閉めた。

 居間に戻ると、暖炉の火が消えていた。たきぎがほとんど灰になっている。時計を見ればもう三時だった。けっこう長い間夢の中にいたらしい。
 火が消えたせいで、部屋が若干薄暗かった。でも、明かりはつけない。これでも十分に見えるのだから。

 押入れからリュックサックを引っ張り出し、中を十分に広げる。
 そして、タンスの中に眠っているバスタオルやら、防寒着やらをたたんで押し込んだ。
「読む暇ができるかどうか分からないが、一応本も持っていくか」
 半分下がきちきちになっているリュックサックを本棚まで引きずる。
 ちなみに、タンスから本棚の距離はそう遠くはない。
「何冊も持って行くと邪魔だし、短編とか、中編がいいよな……」
 数十分ほど、本棚とにらめっこしてようやくこれぞと思える一冊の文庫本を見つけた。
 変にニヤニヤしながらリュックのポケットにしまう。もちろん子供も読める本だ。いつからこんな迷惑な癖が身についてしまったのか、俺は自分自身に問い詰めたかった。
 さて、次は何を詰め込もうか、そう考えながら立ち上がってみると、床に落ちている一冊の本が目に入った。
 それは、寝ている間に落ちてきたあの本だった。正しくは、俺が自分で落した本だ。丁度、夢で兄者を殴っていたとき、現実では頭上の本棚を殴り、そしてこれが落ちてきた。たった今、そう勝手に解釈していた。
 本を拾い上げる。表紙には大きく『Diary』と書いてあった。
「あれ? 家族の中で日記を書いている香具師なんていたかな……?」
 表紙をめくる。
 小学校の低学年レベルほどの字がお出迎えしてくれた。しかしながら、文章の方はしっかりしている。こんな特徴的な文章を書くのはただ一人、あいつしかいない。
「ははん、兄者の日記ですね」
 笑いが止まらなかった。流石は兄者だ。2ちゃんねるに書き込んでいるだけあって、文章力が自然と鍛えられていたのだな。でも、どうして二十歳近くにもなってこんな字が書けるのだろうか。見ていてイライラする。同時に不思議も募っていた。
 眼は、並んだ文字をすらすらと読んでいった。疑問符を浮かべる頭とは逆に、何のためらいも無く、自然にだ。まるで小説を読んでいるようだった。気がつけば、日記に引き込まれていた。
 日記は約三百ページ。内容的には、いろいろなことが書いてあった。今日の夕飯のことやら、ネットで知り合った人のことやら、正直どうでもいいことばかりだった。しかしまれに、人間について、生きることについてなど、兄者らしくないことも書いてあった。
 外見だけでその人が完璧にわかるわけじゃないんだな。たとえ、身近な人物であっても。そう実感した。

 目覚まし時計のベルの音に眼がピタリと止まる。それはアラーム代わりにセットしていたものだ。
 ついつい読みふけっていた……。
 とりあえず、今読んでいた日のページは読み終える。そして、ふせんを貼っておく。

 さっきから疑問に思っていたのだが、どうして兄者の日記がここに在るのだろうか。実家から持ってきた覚えもなければ、とってきた覚えもない。それ以前に見る気さえしなかったのだから。

 まぁ、いいか。
 そっと、日記張をリュックの中にしまう。


 すると一瞬、世界が歪んだ。


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