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「どうしたのよ。顔色悪いわよ」
 フリーズしたパソコンの前で俺は、また半死状態に陥っていた。
「いや、特に、何もないのだが……」
 ロビーに置いてある唯一の大きな時計から鳩が十一回の出入りを繰り返す。もう十一時だ。
 俺は目を瞑った。頭の中では、少年が言ったことが何度も何度も繰り返されていた。少年が傍に居るわけでもないのに、耳元で囁かれているようだった。
 俺はそれを振り払うようにガナーに問いかけた。
「そういや店長はどこに消えた? 朝見たっきりなんだが」
「お兄ちゃんなら、弟者が風呂に入ってすぐに町に買出しに入ったわよ」
「もしかして、またあのおんぼろリアカーで行ったのか?」
「おんぼろなんて言わないで。ここには車なんて高級なものないんだから。それに貴方の家よりはマシよ」
 ガナーは顔をそむけ、鼻を鳴らした。
 俺は本当のことを言われ言い返すことができなかった。
「う~ん……。まぁ、明日の朝らへんにはかえってくると思うわ」

 俺はわざと間を作った。口を開けたのは時計の長針が動いたのを確認してからだった。
「そうか。じゃ、俺部屋に戻ってるから何かあったら呼んでくれよな」
 俺は鉛のような体を無理やり動かして、カウンターから出ようとしたそのときだった。ガナーが突然「あっ!」と声をあげたのだ。
「昼辺りに雨降ってたみたいだけど、貴方の部屋大丈夫なの?」
 その言葉を聞いた瞬間、顔から血の気が引いていくのがわかった。

 大慌てで外に飛び出した俺は、倉から長いはしごをとって、宿の屋根に続くように立てかける。そして、また倉から二つのポリバケツとスポンジ四個とを手に取りはしごを上った。
「今日は満月、か……」
 上りながら見た星空はとても綺麗だった。だから山は好きだ。都会では星なんてそんなに見られない。夜空いっぱいに見られる星空が俺は好きだった。ここに住み始めたのもこの星空に惹かれていたからだ。
 兄者の遺骨がこの山にあるのは、兄者が雪が大好きだったから。人間嫌いの兄だから、人の居ない雪の見える場所に埋めてやろうと思ったのだ。本人もそうしてくれ、と日記に書いていた。
 以前、といっても数年前なのだがこの宿に、家族でお世話になったことがある。それはたまたま、母者が福引で『雪山観光一泊二日家族全員御招待』というものを当ててきたのがきっかけだ。兄者がエベレストに行こうとか何とか言って母者に殴られていたのを今でもはっきりと覚えている。始めの夜、確か俺は星空に、兄者は雪に見とれていた。

 いろいろ考えながら、やっとのことで、天井に到着した。息が切れていた。無意識のうちになんどもなんども腹式呼吸を繰り返す。
 例の穴から屋根裏部屋を覗く。細かいところまで防水加工された屋根裏部屋には一ミリから二ミリ程度の雨水がたまっていた。思っていたほど溜まってはいなかったので一安心だった。
「とりゃ」
 真下にあるベッドに飛び降りる。ぴちゃ、と水のはねる音がした。まだ凍り付いていない証拠だ。
「さぁて、作業に取りかかりますかと」
 バケツを机の上に置く。机の上には、未だに食べられていないアイスが乗っていた。
 まずは窓を開ける。その瞬間、心地よい風が部屋の中に流れ込んできた。
「気持ちいい……」
 木々の匂い、雪の匂いが薄っすらとした。ふと、窓のふちに眼をやる。つららだ。まだ半分凍りかけのつららが窓のふちを飾っていた。

「おっと」
 外の世界から眼を逸らす。室内の水が凍りつかないうちに作業を終わらせなくてはいけないのを思い出したからだ。最近は物忘れが激しいので注意しなければならない。
 机の上のポリバケツを手に取り、床の水をすくいあげ窓から中身を捨てる。この繰り返しだ。ある程度、バケツでの排水が厳しくなったら今度はスポンジ君の登場だ。
「頼みますぜ、スポンジ君」
 俺は二つのスポンジを両手で掴み、床にぎゅっと押し付ける。そして体重をかけるのを止める。そうするとスポンジは、ゆっくり床の水を吸い上げながらもとの形に戻っていく。その間に、もう二つで同じことをする。そして、その間にさっきの完全に膨らんだスポンジをバケツの上で握る。で、そのスポンジでまた水を吸い上げる。この繰り返しだ。

「あっ!」
 やり始めてすう十分経ったところだろうか。ふと、忘れていた重大なことが脳裏を過ぎったのだ。
 慌てて床にあるドアを引く。むろん、雨水の水圧のせいでドアは開かなかった。
「くっそ……」
 天井の穴を見上げる。穴までの距離は俺二人分ぐらいだろう。思い切ってジャンプしてみる。もちろんのこと、届くわけがなかった。俺は大きな音を立ててそのまま床に落ちた。
「あ~あ……。どうやってこの部屋から出ればいいんだよ」
 自分の物忘れの激しさに、強く恨んだ。
 いつもなら、屋根に上る時に使った、あのはしごを使ってしばらくの間は部屋を出入りするのだが……。

 やがて闇が深くなる。
 俺は差し入れのアイスで夕食を済ませベッドの上で部屋からの脱出方法を考えていた。
 誰かに知らせようとしても、電話は持っていないし、下手に出ようとすると水が下の階に流れ込むし。今こうしてのんびりしている間にも水は氷に変化するし。
 足元にある半ば凍りかけの水に足を突っ込む。若干、表面は硬く凍りかけていたが、足先に力を入れてみればすぐに砕けた。
「もしかしたら、半ば凍りかけの状態で排水作業した方が早いんじゃないか?」
 呟いてみるが、水が凍るまでのタイミングと時間はどうするのか。こう考え事している間に排水作業を進めたほうがいいのではないか。いろいろな考えが脳裏を過ぎる。

 しかし、だんだん考えることに飽きてきていた。
 体が眠りを求めたのでベッドに横たわるが、あまりの冷たさに飛び起きた。
「座ったまま寝ろってか、くそっ」
 ベッドに悪態を吐いた。背もたれなしで座ったまま寝ることは、俺には不可能なのだ。仕方がなく立ち上がり押入れから脚立を取り出す。そして、部屋の隅で広げる。ピキッ、と音を立て半ば凍りかけの氷が割れた。
 もう一度、押入れに向かい、リュックの中から本を探す。家から持ってきたあの文庫本を。
「あれ? おかしいな……」
 しかし、本はどこにも見当たらなかった。小ポケットの奥に入れたのをはっきりと覚えている。でも、ある筈のそこに、本はなかった。
 もう、どうでもよくなって、諦めかけていたときだった。あの日記帳が眼に入ったのだ。
「続きでも読んでみるか」
 本の代わりにはなるだろう、と思った。
 脚立に深く座り、ふせんをつけたところを開く。日付は二年前のものだった。そのころはまだ家にパソコンがなく、兄者は完全なヒッキーでもなかった。
「へぇ……。こんなことやったかな……」
 日記を読んでいると、そのころの光景が目に浮かんでくる。記憶の箱奥深くに眠っていたものでも、細かいところまで思い出すことができる。文字って不思議だ。読んでいるとその光景が自然と頭に浮かぶのだから。

「最後のはどうなっているんだろう……」
 ふと思った疑問を解明するため、最後のページを開く。しかし、そこには何も書かれていなかった。
「流石に最後のページまで書いてはいないか」
 小さく息を漏らし、ページをめくっていく。そして、二十ページぐらいめくったところで、やっと最後の日記が出てきた。
「去年の二月二十八日……。俺と兄者が喧嘩した日じゃないか!」
 意味もなく慌ててその日の日記に目を落す。
 始めの文から既に目が離せなくなっていた。ふと、気がつけば声に出して読んでいた。
「二月二十八日。雪。弟者が俺の大事なパソコンを壊した」
 だから俺は壊してないって……。結局、信じてもらえなかったんだな。
 目の隅にちょっぴり浮かんだ涙をふき取り、再び目を落す。
「怒りのあまり俺は弟者の首を絞めた。もちろん弟者は抵抗した。俺の首を絞め返そうとした」
 そりゃ誰だって首絞められたら抵抗するって。
 心の中でつっこみつつも日記を読む。
「でも、手は俺の首まで一歩手前ってとこで落ちた。弟者は死んだ。……?」
 あれ?と思った。俺は今、確かに生きているのに、どうして死んだなんて書いてあるんだ?
 ためしに頬を思いっきりつねってみる。しかし、痛さのあまり手を離してしまった。薄く涙を浮かべながら頭の中で状況を整理してみた。どうやら俺はここで気絶したらしく、それを兄者が死んだと勘違いした。これなら筋が通る。
「頭の中がぐちゃぐちゃだった。だから俺はこの日記帳をもって家を飛び出した。運がいいことに家族は誰もいなかったので呼び止められることはなかった。今俺は近くの神社にいる」
 神社と書いてあって続きを読むのが怖くなった。確かに家の近くには神社がある。この神社はちょっと大きめで、夏休みになれば近所の小学生が肝試しをしにやってくる。
 でも、怖くなったのはそんな理由だからではない。ここで兄者が自殺した、だから。
 おそるおそる続きに目を落す。でも何もかかれていなかった。慌てて次のページをめくった。するとそこには、今までの字とは違う丁寧な字、改まった文体で書いてあった。
『ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい』と薄く。
 他にも文がないか探してみるが、どこにも見つからなかった。
「……流石だな兄者」
 なにも死ななくていいじゃないか。どうして死を選んだんだ。
 今、ここにあんたがいたら、そう問い詰めていたに違いない。
「あ~あ。あんたは本当の大馬鹿者だよ」
 日記帳を閉じて机の上に置く。足も水に浸らないように机の上に乗せた。
 寒い。あらかじめ出しておいたコートをはおる。
 そして朝、凍死していないことを願いながら静かに目を瞑った。


 真っ暗闇の中、突然耳から痛みが走ってきた。誰かにつねられているらしい。
「いたいいたいたいたい、痛いって!」
 案の定、おかげで目はパッチリと覚めた。
 耳から手が離れたのを狙って俺はそいつに飛びかかった。
「てめぇ!」
「のわっ!」
 驚きのあまり、ガツン、と大きな音を立てそいつは倒れた。俺はお構いなしに上に乗る。
「覚悟はできてるよな?」
 太陽の光のせいで顔がよく見えなかった。手足をしきりにバタバタさせている。
「ギブ。弟者、ギブアップモナ!」
「え」
 慌ててそいつの上から降りた。嫌気がした。
 冷たい氷の上にひざまずく。そいつに向かって必死に土下座した。
「すみませんすみません、本当にすみません!」
「いや、顔上げてモナ……。こっちも悪いんだから」
 まさかモナーが入ってくるとは思ってもいなかった。俺は言われたとおりに顔を上げた。
「でも、どうしてここがわかったんです? 風呂場にいるかもしれないのに」
 そういうとモナーは、いつの間にかに穴に立てかけてあるはしごを指差す。
「外にね、はしごが置きっぱなしだったモナ。まさかって思って、ガナーに弟者のこと聞いたら自分の部屋に居るっていったモナから」
 おもわず俺は苦笑いした。
「ありがとうございます……。もし、店長が朝に来てくれなかったら、俺は……」
 穴から空を見上げた。はしご越しに見た空はとても澄んでいて、雲ひとつない青空だった。高く昇った太陽の日差しが目にしみる。冷えていた体もだいぶ温まってきた。
 カラスが空を過ぎった。
 カラン、と一階の鈴がなる。
「客だな」
「客モナね」
 俺らは互いに顔を見合わせ、笑いあった。

――銃声。
 それは突然だった。もとい、それは突然すぎた。
「な、なんだ?」
「強盗モナよ。行くモナよ!」
 床にめり込んだはしごを駆け上り、俺たちは大慌てで宿の入り口に向かった。
 入り口に着くと壁に耳をつけ、中の様子をうかがう。
 しかし、低い男の声だけしか聞こえなかった。
「店長は警察に連絡してください。ここは俺が」
 モナーはしばらく考え込み、真剣な眼差しで俺の目を見つめた。
 俺は安心しろ、とモナーに言ってから、さっき思いついた簡単な流れをモナーに説明する。その案にモナーはしぶしぶうなずいた。
「……じゃあ、任せたモナ。ただし、死ぬのだけは止めてほしいモナ」
 モナーは最後にひそひそ声で、あるものを俺に託した。
 俺は偽笑いを作り、手で『了解』の合図を出す。モナーは微笑した。
 そしてスキー板を使ってふもとの町まで下りていった。俺はモナーが見えなくなるまでじっとその姿を見つめていた。

 俺も覚悟を決めて入り口のノブをひねる。そして、軽く咳き込んでから中に突入した。
「何事だ!」
 宿じゅうに響くような大声で叫ぶ。全ての視線が俺に注がれた。
 すると、一人の男が客を掻き分け俺の傍までやってきた。手には人質。妹に似ているあの女子高生だった。
「お前、店のやつか」
 男は銃を突きつけながら言った。俺は小さく両手を上げて言い返した。
「ああ、そうだ」
 それを聞いた強盗はニヤついた。
 強盗は銃を器用に使って客の山を分け、カウンターまでの道を空ける。
「……なるほど。で、いくら欲しいんだ」
 余裕の表情の俺に客たちの不安な視線が突き刺さる。流石にやりすぎたかもしれない。
 強盗はカウンターまで俺を誘導すると、勝ち誇ったような笑みで俺に言った。
「一千万だ。すぐに用意しろ」
「……心得た」
 銃を睨みながらカウンターに入る。そしてすぐに屈んで床倉庫を開ける。中にはずっしりと重そうな金庫が入っていた。店長の言ったとおりだ。
 カウンターに金庫を乗せ、教えられた順番にダイアルを回す。そして、最後のダイアルを回すとき、袋がないことに気がついた。俺がそのことを強盗に聞くと強盗は、焦った表情でまた金を要求した。
 もしかしたらこいつ、袋すら買う金がなかったとかではないか。そんな考えが頭を過ぎるが否定はできなかった。覆面もつけていないのだ。もしかしたらあの銃は玩具なのかも。でも、たとえ玩具だったとしても油断してはいけない。玩具の銃でも、中に弾が入いるものだったら人を殺してしまうことも可能なのだから。
 俺は最後のダイヤルを回し、百万円分が束になったものを十束、大きなレジ袋につめる。そして、下でちょっとした細工をしてから強盗に突きつけた。その袋を見て、強盗はすぐに奪い取ろうとしたが、俺は袋を取れないようにした。
「人質を放せ」
 俺はカウンターから出ると、袋を俺と強盗の中間に置いた。すると、強盗はあっさりと人質を解放してしまった。強盗のあまりの素直さに冷や汗が伝る。
 とりあえず客の安全を確かめるために、俺は人質に駆け寄った。
「君、大丈夫か」
「ええ。ありがとう……」
 若干かすれた声であったが大丈夫そうだった。
 突然後ろで、床を強く踏みつける音がした。慌てて振り返るが、遅かった。
 強盗の手には鋭利なハサミ。しかも、そのハサミはもう俺の目の前にあった。
「う、うそ、だろ」
 鈍く痛々しい音が二回、宿内に響く。同時に聞こえた高らかと笑う声。
 俺は金切り声を上げながら床を転げまわった。目の辺りから感じるあまりの痛さに気絶寸前だった。
「ふん、馬鹿め。なに余裕ぶっかましてるんだよ」
「っ……」
 何とか悲鳴を抑える。目から体内の血がどんどん流れ出ているのがわかった。
 指先が震える。まぶたが開かない。

 カラン、と誰かが出てゆく音が聞こえた。強盗が逃げたらしい。
 足に力を入れる。
 モナーと約束したじゃないか。俺が何とかするって……!
 でも立てなかった。

 カラン――。再び聞こえた鈴の音。願いが通じたのだろうか。かなり慌てた足取りで強盗が戻ってきた。かなり機嫌が悪いらしい。入ったとたん悪態を吐いている。
「くそっ! どうなってんだ、袋から札束が全部落ちやがる!」
 俺は心の中で笑ってやった。
 実は、こっそりあの袋に穴を開けておいたのだ。ついでに束ねていたゴムも切ってやった。全く、いい気味だ。
「おい、お前なんかしただろ!」
 強盗がイライラした口調で俺に叫ぶ。俺はどちらにしろ言い返す余力すら残っていなかったのでそのまま無視した。すると、目ではなく腹に強い痛みを感じた。腹を蹴飛ばしたらしい。
「ふん、ざまあみろ」
 薄めで強盗を睨みつける。腕には大量の札束が見られた。
 欲張り者め。心の中で言ってやる。
 強盗は口笛を吹きながら出口に向かった。嗚呼、何もできない自分が情けない。

 突然、食堂の方から誰かが走ってくる音が聞こえた。足音からしてかなり怒っているようだ。
「おい、てめぇ、待ちやがれ!」
 そう大声が聞こえて、その足音がしなくなったかと思えば今度は強盗が居ると思われる場所で、何かが倒れる音がした。
「お前こそどういうつもりだよ。ふん、ざまあみろ? ふざけんじゃねぇよ!」
 若干低くなっていてわかりにくいがガナーの声だ。
 どうやら強盗に飛びかったらしい。なんだか強盗がかわいそうに思えてきた。
 ガナーが怒り出せば、他の人間が止めることは不可能。火山の噴火のように誰にも止められないのだ。俺はもちろん、兄のモナーや客、可愛い子供であってもだ。自然に収まるのを待つだしかない。
 ところで、さっきから聞こえる何かを殴る音をどうにかできないだろうか。

「ふぅ……」
 誰にも聞こえないように小さく息を吐く。そして、またゆっくりと息を吸う。
 どうやらもう、体が限界らしい。考えるだけでも疲れてきた。指も動かせない。立って歩くなんてなおさらだ。
 モナーには申し訳ないと思った。約束を守ることができなかったから。
 今までお世話になりました。それが無理なら『ごめんなさい』でいい。
 だから、一言だけ。感謝の気持ちを伝えたいだけだから。

 俺にチャンスをください。


 しかし、数秒もすれば目の前には光のない世界が広がっていた。
 どこを見てみても闇だけの世界が、そこにあった。


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