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 花の甘い匂い。薄っすらと聞こえる、水の流れる音。
「あぁ……」
 目を開けた。若干ぼやけた世界だった。ふと、片目を刺されたのを思い出し、刺された部分を手で触ってみるが傷らしきものはなかった。閉じているまぶたを無理やり開いてみるが、見え方は変わらなかった。どうやら傷は治っても視力は戻らないらしい。
 花の匂いは近くに咲いている白菊のものだった。結構茎が長い。試しに一本掴んでみる。しかし、掴むことが出来なかった。手はそのまま茎を通り抜けてきたから。どんなに頑張っても握ることができなかった。
 気を取り直して立ち上がる。近くに大きな川が見えた。
「三途の川……」
 操られているかのように川に近づく。骨だけの魚がぴちゃりと跳ねた。
 周りを見渡せば小さな石ころがたくさん転がっていた。おそるおそる一個を掴んでみる。どうやら石には触れるらしい。
「うりゃ」
 石を川に向かって投げる。俗に言う水切りというものだ。
 しかし、石は一回も跳ねずに沈んだ。
「ヘタクソ」
 その声と共に、右側から石が回転しながら飛んできた。その石は水面を四回ほど跳ね、やがては見えなくなった。
「以外に上手いな」
「一年もやってりゃ誰だって上手くなるさ」
 そうだな、と呟きながら俺は大きな石の上に座る。そして、からかい半分でアンコールしてみた。
「却下。自分でやってくれ」
「お、即却下とは流石だな兄者」
 ふん、と兄者は鼻で笑うと俺の隣に座った。
 すると、上から骨だけの鳥が川めがけて突っ込んできた。
「兄者、いつからここにいたんだ?」
 俺が言い終えたころに、さっきの鳥が口に骨の魚をくわえ川から出てきた。しかし、俺の右から飛んできた石にぶつかり、ばらばらになって再び川に落ちてしまった。
「……一年前からだ。ずっとここで死に神っぽい仕事をしてた」
「ふぅん……。でもどうして死に神なんかになったんだ?」
「変な奴に頼まれたんだ」
「おい」
 なぜそこで引き受けたのかと小一時間、兄者に問い詰めたくなった。しかし兄者らしいとも思った。
 すると突然兄者は立ち上がった。そして後方に広がる白菊畑から一本持ってきて俺に差し出す。
「お前、この花持てるか?」
 俺はすぐに首を横に振った。すると兄者は白菊の花をもう片方の手で優しく握った。そして、しばらくしてから手を離す。すると、さっきまでは白かったはずの菊の花が赤色に染まっていた。
「これなら持てるんじゃないか?」
 俺はおそるおそるその花を受け取った。するとどうだろう。この花は持つことができたのだ。
 兄者は不気味な笑みを浮かべていた。風呂場で見た、あの笑みとそっくりだった。
「おめでとう弟者君。君には道の選択権があるようです」
「道?」
 俺の質問に構わず兄者は向きを変え、白菊畑の中を歩き出した。俺もなんとなくその後をついて行ってみる。
「どこに行くんだ?」
 返事が来たのはしばらく経ってからだった。しかも、後で分かるの一言だけ。
 少々イライラ気味なのか、若干大きな声だったので黙ってついて行くことにした。
 白菊畑の中に混じっている赤い菊が、俺の足に薄い傷をつける。歩くたびにわかる花の柔らかさ、茎の強さ、葉の鋭さ。
 ブーン、と突然何かが目の前を過ぎった。目で後を追えば白菊に止まっている皮膚なしの虫がいた。花粉を懸命に集めている。けなげだな、そう思った。

 突然兄者が足を止めたので、俺はそのまま兄者とぶつかってしまった。
「つ、着いたのか?」
 兄者は一回だけ頷いた。そして少し進んで俺に手招きをする。
「来い」
 俺は半信半疑で兄者のところへ行く。すると、雲らしき地面のひび割れが見えた。覗いてみろ、と言われたのでゆっくり屈んで中を覗いてみる。しかし、何も見えなかった。ただ、雲みたいな地面が永遠に続いているだけだった。
「何も見えないんですが」
「当たり前だ。ただのひび割れだからな。何も関係はない」
 じゃ、歩いた意味ないじゃないか。俺はそう思いながら足の傷を摩った。
 兄者は俺をからかうように笑った。でもすぐに真剣な顔に戻ってしまった。切り替え早すぎだろ。正直気持ち悪くなった。
「で、道って何だ?」
 兄者はまた白菊を一本摘み、花を優しく握った。今度は黄色に変色した。
「その前に、この花を持ってほしい」
 俺は兄者に言われたとおり、その花を持った。
 どうして白菊だけ持てないのか疑問に思い、もう片方の手で近くの白菊を掴んでみる。しかし、結果は同じで触ることすらできなかった。
 兄者の視線を強く感じたので兄者の方を見る。
 兄者はまた笑っていた。でもそれが悲しみの笑みなのか喜びの笑みなのか俺にはわからなかった。
「今まで花を持ってもらった。これは簡単な検査だ」
「検査?」
「そう、道を選ぶ権利があるかどうかのね」
 兄者はまた石を拾い、何かめがけて思いっきり投げ飛ばした。
 クエッ!と、遠くで何かの鳴き声がした。
 あんたは石投げの天才だな。俺も負けじとこっそり石を拾う。
 兄者は背を向けたまま話し出した。
「まず菊についての説明をしようか。まずは白菊。白菊は持った香具師が完璧に死んでいるかを確かめることができる。次に赤い菊。赤い菊は半死状態かを知ることができる。つまり、赤い菊が持てた香具師はもう一度下に戻ることが可能なのだ。で、最後の黄色い菊だが……」
「もういいよ、言わなくて。言いたいこともだいたいわかったから。つまりは生きたいか、逝きたいかってことだろ?」
 兄者は小さくうなずいた。
 俺は軽く助走をつけて、石を遠くに投げる。
 そして、白菊畑の中に倒れこんだ。
「俺は……」
 俺が口を開いたと同時に白菊畑がいっせいに揺れた。心地よい風だった。俺はそのまま言葉を風に乗せた。

「理由は聞かぬが、それでいいのか……?」
「何度も言わせるな。俺の意思は変わらない」
 ふん、と俺は鼻で笑った。兄者の手にはまた石があった。きっとまた何か打ち落とすつもりらしい。
「でも意外だな。お前がその道を選ぶなんて」
 べつにいいだろう、と俺は言葉を返す。
 頭の方で何か動くものがあったので、気味が悪くなって俺は起き上がった。
 それを誤魔化すために俺はわざと軽く走り出す。
「さ、早く連れて行ってくれよ。はやくマターリしたいんだから」
「OK.OK.そう急ぐな」
 兄者はそう言いながら俺の隣まで駆け寄ってきた。
 兄者は軽く息切れしているようだった。
「そうだ。遅くなったが、お久しぶり弟者」
「あぁ、久しぶりだな兄者」
 兄者は遠くの獲物に狙いを定め石を投げる。
 しかし、獲物は意外に賢く、兄者の投げた石を軽々とかわしてしまった。
「ぷ、失敗してやんの」
「五月蝿い。たまたま当たらなかっただけだ」
 俺らは最後に顔を見合わせ、互いに笑いあった。
 高らかに。声を上げながら。


 ぽちゃん、とどこか遠くで音がした。


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