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馬超

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馬超孟起

馬超(ばちょう、176年 - 222年)は、中国三国時代の蜀漢の武将。字は孟起(もうき)。諡は威侯。扶風郡茂陵県(陝西省興平県の北東)の人。
後漢の名将馬援の子孫。祖父は馬平(子碩)。父は馬騰。子は馬秋・馬承。娘は安平王劉理の妻となっている。弟に馬休、馬鉄、従兄弟に馬岱がいる。 また、『超・三国志』では、馬雲祿という妹も登場している。馬騰は羌族との混血であり、この血を引いている馬超も漢王朝の支配を受けない民族からの信望が厚かった。
『三国志演義』では、その雄姿から「錦馬超(きんばちょう)」として称えられ、五虎大将軍の一人に選ばれたとされている。

諡(し、おくりな)、あるいは諡号(しごう)は、主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名号のことである。「諡」の訓読み「おくりな」は、「贈り名」を意味する陝西省(せんせいしょう、拼音: Shǎnxī Shěng)は、中華人民共和国の行政区画の一つ。省都は西安。陝西省の陝から、略称は陝。古代中国の長安一体の地域。
    陝西省 

馬援(ばえん 紀元前14年 - 49年)は中国新末期から後漢初期の武将。字は文淵。諡は忠成。光武帝に仕え、光武帝の敵を多く討ち果たした。その娘は後漢二代目明帝の皇后となり、子孫には後漢末期・三国時代に活躍した馬騰・馬超親子がいる。
馬騰(ばとう、? - 211年)は、後漢末期の武将。字は寿成。祖先は後漢初期の名将馬援、父は馬平。蜀の武将の馬超の父に当たる。他に息子として馬休・馬鉄がいる。
劉理(りゅうり、212年-243年)は、蜀漢の皇族、字は奉孝。姓は劉氏。諡号は悼王。劉備の少子。生母は劉備の側室(姓名は不詳)。劉禅、劉永の異母弟。 子は劉胤・劉輯。妻は馬超の娘。 
馬休(ばきゅう、? - 211年)は、後漢末期の武将馬騰の次男。蜀の武将の馬超の弟で馬鉄の兄。
馬超と曹操が敵対したときに曹操によって、父と共に殺された。 三国志演義では、曹操におびき出された馬騰に従って許都へと向かうが、 馬騰と黄門侍郎(又は門下侍郎)黄茎との曹操誅滅の密議がばれ、曹操軍に囲まれて重傷を負い、 父子もろともに処刑された。
馬鉄(ばてつ、? - 211年)は、後漢末期の武将馬騰の息子。蜀の武将の馬超・馬休の弟。
馬超と曹操が敵対したときに曹操に父と共に殺された。三国志演義では、曹操におびき出された馬騰に従って許都へと向かうが、 馬騰と黄門侍郎(又は門下侍郎)黄茎との曹操誅滅の密議がばれ、曹操軍に囲まれて血路を開こうとするが、討ち死にした。

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