二人の 第拾弐話

現れた使徒について、既にレイには察しが付いていた。
子宮を司る天使、アルミサエル。
性的な意味ではなく、胎児を守るという神聖な役目を果たすと語り継がれた天使の一人。
果たしてその伝承は嘘偽りで、まさかこれが真の姿なのだろうか。
どう見てもそれは「冒涜」以外の何者でもない。

『あ、あ、あ、あ……』
初号機から通信を介してシンジの嗚咽が聞こえてくる。
無理もない、気の弱い者なら一瞬で発狂しかねない光景である。
もはやレイの見るモニタにも、その姿がハッキリと捉えられていた。

それは、無形であった。
一定の形に止まらぬ形、蛇のように身体をうねらせたかと思えば、時には泥人形のように崩れ落ちる。
その身体を構成しているもの。それは紛れもなく人間の身体であった。
そしてその者達は誰なのか、その人々が身につけている衣服ですぐに判った。
使徒アルミサエルは大勢の隊員が集まっている戦自の駐屯地を駆けめぐり、
人間の身体を繋ぎ合わせてこね合わせた、そのおぞましい姿でここまで辿り着いてきたのである。
そう……レイとシンジの元に訪れ、温かい援助をしてくれた自衛隊員の彼らに相違なかったのだ。

モニタを見据えるオリジナルのレイも驚愕し、絶句する。
動けない。どうしていいか判らない。あれを攻撃しろ、などとシンジにはとても言えない。
何故なら、その使徒に取り込まれた人々の蠢いている様が見て取れたから。

「あれは……私達を攻撃しようなどと考えていない。倒せるものなら倒してみろと……
 アルミサエルは自らを犠牲にして、私達そのものの心に浸食するつもりなのか……」
思わず、そんなことをつぶやくレイ。
だが、ショックを受けてばかりはいられない。
シンジの初号機に物理浸食されては全てが終わりだ。
この上はシンジを下がらせて、零号機を出撃させて……と、考えていた矢先である。

レイは突然なりだした携帯電話を開いて、そして答えた。
「何ですって!?……判ったわ。今すぐにお願い。
 構わない、エヴァならそれにも耐えられる……碇君!ATフィールドを全開!」
レイは電話の相手に答えながら、シンジに命じる。

『う……あ、あの……AT……?』
「しっかりして!ここにN2爆雷が投下される!早く!」
『わ、わかったよ……ATフィールド、全開……』

そして取り囲んでいた攻撃ヘリの部隊も一斉にその場から避難し、
その遙か上空で数機の攻撃機が風の如く飛び去っていった、その時!

    ズドドドドドドドドドドドドドドドッ!!

凄まじい轟音、そして巨大なキノコ雲が立ち上がり、辺り一帯が真昼のように照らされる。
レイの地下基地はガタガタと振動し、あちこちで壁が崩れて鉄骨が落下した。
しかし、防壁のかなりの部分を壊してしまったとはいえ作りは頑丈である。
そこにいるレイ達はどうにか無事であった。

そして地上では、N2爆雷の投下によって燃え上がる使徒の姿があった。
そう、使徒に取り込まれてしまった隊員達は全て焼き尽くされてしまったのだ。
果たして、日本国政府がとったその「処置」は残虐というべきか、それとも英断ともいうべきか。
ただ、これだけは言えることがある。
とても、レイやシンジにはあの使徒を攻撃できるものでは無い、ということを。

やがて爆炎が引いて、三方から姿を現した者。それは三機のジェットアローンであった。
どうやら、N2爆雷による焼却を待って前線に投入されたらしい。
その寸胴のボディに黒光りする装甲の機体。
それは初めて目にするデザインで、新たに開発された最新型であるようだ。

自らの鎧を剥がされて、露わとなった使徒アルミサエルの姿。
螺旋の形状を持った蛇のような細長い身体で、彷徨うように獲物を求めて飛び回っている。
しかしジェットアローンは正確にそれを捉えていた。MAGIコンピュータの補助があるのだろう。
自らに搭載したリアクターのエネルギーより、高出力のポジトロンライフルによって三方から狙撃する。
完璧であった。
これが大量の人質を身にまとった使徒に対する、情け容赦ない政府の見事な殲滅作戦であった。

レイは何とも言えない気持ちで、使徒が殲滅される様を見ていた。
これこそが、時として無慈悲にも悪魔にもなれる人間達の生きる力なのか。
しかしレイは彼らに対して怒りの思いを向けることは、彼女の複雑な思いが許さなかった。
人間と同様に使徒も、大自然もまたこの残酷な有り様こそが、それらの真の姿であるのだから。

ふと、コピーの一人の異変に気が付いて、オリジナルのレイが振り返る。
その無表情さは変わらないが、ポロポロと涙を流しているではないか。
そんな彼女に対してオリジナルのレイは厳しく、しかし優しい口調でたしなめる。
「顔を洗ってきて。零号機で発進しなければならない。泣いていても使徒は容赦してくれない。」

何故なら、レイが見ているレーダーには新たな使徒の存在が示されていたのだから。
どのようなことが起こったとしても、生きるために戦い続けなければならない。
碇シンジを守るために。

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そして瓦礫の山をかき分けるようにして零号機が地上に射出された。
初号機はあまり動いていなかった。すぐ斜め前に両腕をブラリとさせたまま突っ立っている。
エントリープラグに搭乗しているレイはすぐにシンジを呼び出した。

「碇君……大丈夫?すぐに新たな使徒がやってくるわ。」
『……』


「……碇君?」
『聞こえてるよッ!』

通信モニタから音割れして聞こえてくる、シンジには珍しい怒髪天を衝くような一喝。
正にシンジは誰彼無く怒りの思いをぶちまけたいような、そんな状態だ。
あんなことの後では無理もない。
普段はまるで歌のお兄さんの様に、もとい「チェロのお兄さん」として過ごしている優しい性格の彼。
オリジナルのレイのくだらないネタ話にも笑って請け合う彼なのだ。
その健全で健康な彼があんな有様を見て動じずにいられる筈もない。

「碇君、落ち着いて。日本政府のとった処置は……」
『判ってる。判ってるよ。言われなくても……』
「……」
『……あれだね?あれが、次の敵なんだね?』

そのシンジの一言を聞いて、レイはハッとなって見上げた。
空中から飛来する巨体、それを見たレイは恐怖する。

「使徒ゼルエル……ま、まって!碇君ッ!!」
『……うおおおおああああああああああッッ!!』

突進する初号機。それを制止しようとするレイ。
しかし、レイはその間際にあることに気付く。
レーダーには使徒の姿を示す光点が二つ映っているではないか。

「碇君!これは罠だわ、さがって!」
しかし、もうシンジの耳には聞こえていない。
レイの制止を振り切り、シンジは力の象徴たる恐るべき使徒ゼルエルの元へと駆けだした。
それに続いて、三機のジェットアローンの対応も素早かった。
すぐにポジトロンライフルを構え直して新たな敵を狙撃する。

しかし、レイには判っていた。そんなものが通用するはずはないことを。
例えATフィールドを突破する力があっても、ポジトロンライフルなどで倒せる敵では無いことを。

そして、レイはこうなることを予測していた。ジェットアローンでは歯が立たない使徒が現れることを。
何もレイが使徒の詳細を知っていたからではない。
これまでの戦闘の経緯で使徒達が何も考えず、そして準備もせずに来る訳がないではないか。

ジェットアローンの狙撃は正確だったが、あっさりとポジトロンライフルが放つ閃光ははじき返された。
そして使徒は反撃に出る。胸部にある不気味な顔の目が輝き、それの口が開かれ、そして、

  キュァァァアアアアアアッッ……
                              ズドドドドドドドドドッッ!!!

使徒の放つ高エネルギーの閃光、その一撃でジェットアローンの一機はあっけなく消失する。
もう終わりである。ATフィールドに匹敵するような防御手段が何もないジェットアローンには、
これまでのように戦闘で先の先を取らなければ、決して勝ち目など無いのだ。

だが、残りの機体はボヤボヤしてはいなかった。
一機目が吹き飛び、巻き上がる爆炎の中から姿を現したもう一機。
仲間の死をこれっぽっちも構ってやしない、正に無人兵器が故の極めて効率的な行動であった。
どうやら、使徒の方は先程の閃光を再び放つのに時間が必要とみえる。
その隙が二機目の狙い目。使徒ゼルエルの弱点を模索し、ライフルの引き金を引こうとしたその瞬間。

 サクッ……

閃光の放つ代わりに使徒が放った攻撃手段。
それは使徒の二本の腕のようなものが伸び、
カミソリのような切れ味でジェットアローンの両腕を切り飛ばしたのだ。
そして、もう容赦はしないと三機目が動き出す前に、再び閃光が放たれる。
一機目と同様に、三機目は一瞬にして消失した。

しかし、まだだ。ジェットアローンが全て戦闘不能となった、その瞬間だった。
まるでジェットアローンと示し合わせたかのように、使徒ゼルエルに襲いかかる者。
それはエヴァ初号機であった。
初号機はライフルのような物を所持していたが、シンジはそれに頼ることを全く考えていなかった。

手にはプログナイフ一本だけ。
飛びかかり、使徒を斬りつけ、八つ裂きにしなければ気が済まない、とでも言うかのように、
初号機は雄叫びを騰げかねない猛烈な勢いで、使徒ゼルエルの背後から飛びかかる。

しかし、いきなり戦意を失ったかのように、シュッと上空へとゼルエルは浮上する。
間を外されて、初号機は急停止して使徒を見上げた。
いったい何をするつもりか。しかし、こうなっては何らかの飛び道具がなければ使徒を倒せない。
エヴァに空を飛ぶ装備など用意されていなかったのだ。

エントリープラグ内のシンジは、思わず肩で息をしながら上空を見上げる。
目に入るのは、ぽっかりと浮かぶ使徒ゼルエル。
そして、その付近に同じく浮遊している物がある。
丸く、そして縞模様でデザインされた不気味な月。あれは……

『碇君!逃げてッ!』
絶叫するレイ。既に零号機は手近な焼け残ったビルへとよじ登っている。
「え……?」と、急に素に戻るシンジ。しかし、もう遅かった。

「うわあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

その次の瞬間、地上は一瞬にして漆黒の闇と化し、初号機は永劫の暗闇の中へと飲み込まれていった。
夜の象徴たる使徒レリエルが生み出した、どこまでもどこまでも深い闇の世界へ。
最終更新:2007年12月01日 23:35
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