LASではない後日談

「温泉……ですか?」
碇シンジはNERVの生き残りである伊吹マヤから手渡されたチケットを見て、目を丸くした。
「そう。日本の各地もずいぶん滅茶苦茶になっちゃったけど、でも唯一そこが残ってて。
 あの時の計画のためにみんなで用意した旅費、まだ残っていたから。」
「……はい。」
「実現させたかったね。ああ、ごめんなさい。こんなことを言っても……」
「……」
「さあ、せめてシンジ君だけでも命の洗濯をしてらっしゃい。」

あの時の計画、そのために結成されたのが「シンジとレイを温泉に放り込む委員会」。
伊吹マヤもその一員だった。しかし、その多くはゼーレが送り込んだ軍隊に惨殺され……
こうしてシンジの手に手渡すことが出来たのは、正に奇跡であった。

あれから数ヶ月後。
全ての使徒を倒したその後に、遂にゼーレは人類補完計画を遂行するために動きだす。
しかし、一度は廃人となったアスカの復活、
そして葛城ミサトの叱咤を受けて立ち上がったシンジの奮戦の末に、
補完計画の遂行を担っていたエヴァシリーズは全て殲滅され、
もう一つの補完計画をたくらんでいた碇ゲンドウもまた、その愛人たる赤木リツコとの差し違えによって息絶える。
こうしてサードインパクトの勃発は免れ、国連所属の各国の手によりNERVは解体。

そして重要参考人である碇シンジがようやく軟禁状態を解かれた、その矢先のことであった。


本当ならシンジはレイの手を取り、二人きりの温泉旅行を楽しむはずであった。
だが、その計画は既に実現不可能となっている。
何故なら、シンジと語り明かしたあのレイは既に使徒アルミサエルとの戦闘で非業の死を遂げてしまっていたのだ。
そして、補完計画遂行のためだけに再生された「3人目のレイ」は、もはやシンジの知るレイでは無くなっていた。

シンジはなんとなく気が進まなかった。あの頃のことを思い出してしまいそうで。
でも……悲しくとも大切な思い出だ。湯に浸かりながら涙するのもいいだろう。
そんな思いを抱えながら、温泉に身を沈めていた時のこと。

カラカラカラ……という引き戸の音が聞こえてくる。
ああ、他の客かな?こんな状勢でも温泉客が他にいるとは思わなかった。
ここは混浴だし女性だったらマズイな、と考えて奥の方へと移動開始。

案の定だった。
最初は湯煙でよく判らなかったけど、やがて見え始める女性らしいほっそりとした姿。
よく見れば、タオルで身体を隠そうともせず、全裸のままで堂々とこちらにやって来るではないか。
「あのー!すいませーん!先に入ってるんですけど……」
と、シンジは慌てて声をかけようとしたが、その相手を見て驚愕する。
忘れるはずもない、その燃え立つような赤毛の少女の、その姿を。

「シンジ、来たわよ。」
「あ、あ、アスカ……」


シンジは相手が首まで湯に浸かっているのを見て、ようやく相手の顔を見ようとした。
しかし、この温泉は濁り湯ではない。
湯にゆらぎながらも胸元の先端までハッキリと見えることが判り、慌てて顔を背ける始末。

「アスカ……その、もう身体は大丈夫なの?ついこの間まで、面会謝絶だったじゃない。」
「まだ完全じゃないけど、温泉ならこんな身体でも大歓迎。あんたも軟禁とかれたし丁度良いと思って。」
「そうだったんだ。それじゃ、伊吹さんじゃなくてアスカがこれの発案?」
「そう、それにね?やっぱり、あれだけ約束しておいて実現できなかったじゃない?温泉の計画。
 申し訳なくってさ。こうして身体を張ってお詫びをしようと思ったわけ。」
「お詫びだなんて……ちょっ!!」

シンジは思わずお湯の中でひっくり返りそうになる。
さっきまで距離を置いていたはずの相手が、身体をおこしてこちらに近づいて来るではないか。
しかも、あらけもなく丸裸の上半身を見せつけて。
流石のシンジもこれにはたまらず、おっかけっこを演じるハメとなってしまった。

「こら、逃げるんじゃない!男でしょ?私に裸を見られるの、そんなにイヤ?」
「い、いや、そ、そ、その……」
「私は構わないわよ。お互い、命がけで背中合わせで戦った仲じゃない。なんなら……する?私と。」
「ちょ、ちょっと、本気でいってるの?」
「別に恋人同士じゃなくてもいいじゃない。私とあんたの思い出ってことでさ。」



ようやくシンジを逃げ場のないところに追いつめ、遠慮無くザブザブと近づいていく。
これまでのアスカからは考えられない、優しい口調で語りかけながら。

「……ね?私の初めてをシンジにあげる。記念に貰っておいてよ。私のためだと思って。」
「あの……もう一度きくけど、本気でいってるの?」
「もちろんじゃない。」
「それじゃさ、綾波。本気なら、なんでアスカのふりしてカツラなんかかぶってるのさ。」
「え……!?」

そしてシンジは相手が驚いた隙をついて素早く手を伸ばし、その長い赤毛のカツラを奪い取る。
そこからこぼれ出てきた、独特の蒼いショートヘア。

「……いつから、気付いてたの?」
「最初は僕も混乱して判らなかったけど、よく聞いてみたら話し方とか全然ちがうし。それに……」
「それに?」
「え、いや、あの……とりあえず、僕の泊まってる部屋に戻ろうか。本物のアスカに問いたださなきゃ。」
「……うん。」

で、シンジの泊まる客間に移動。

『アッハッハッハッハ!アンタ、すぐに気が付きなさいよ!カツラかぶせただけの変装だったのにさ。
 どーせ、アンタのことだから下の方ばっかり見てたんじゃないの?アッハッハッハッハッハ!』


「笑いすぎだよ、アスカ。湯煙とかで判りにくかったし……
 それに、いきなり裸の女の人が入ってきたら混乱するじゃない。」
『フフン、実は言うとそれも計算の内。でもよかったわね?誘いに応じて押し倒したりしなくってさ。』
「本当にもう……でも元気そうだね、アスカ」
『ああもう、アンタのお陰で元気いっぱいよ!アッハッハッハッハッハ!』

部屋に戻って浴衣を着込み、コーヒー牛乳片手に携帯電話でアスカに連絡を取るシンジ。
アスカにさんざん笑われて困り顔ではあるのだが、ここに来るまでの暗い表情は見事に晴れていた。

「でもさ、アスカ。その……どうやって説得したの。あの『綾波』を。」
『ああ、あの『三人目ファースト』が私の近くに居たときにね?冗談で言ってみたのよ。
 いわゆる二人目のカレシがしょげてるから、慰めてやってよってさ。
 拒否するかと言ったけど、まさか応じてくれるとは思わなかったわ。』
「そうなんだ……」
『台本まで書いて演技指導までしてさ……
 でも、アンタと裸で風呂に入れって言っても、まったく動じないのには驚いたわ。
 なーんか、最初の頃の『二人目のファースト』を思い出さない?なんというか、無頓着というか。』
「そうだね……あ、ちょっとまってね。何?」

シンジは電話の途中で肩を叩かれ振り返って見れる、そこには綾波が立っていた。
そのレイの格好はシンジのようにくつろいだ浴衣姿ではなく、いつもと同じ学校の制服であった。
ようするに、すぐにでも立ち去るつもりらしい。


「あ、ああ……綾波、帰るの?」
「うん。表に私の護送車が待ってるから。」
「護送車?」
「今回は特別にここにくることを許可して貰ったの。私の連絡先はこれ。それじゃ……」
「あ……」
そうしてレイは、そっけないまでにあっさりと立ち去ろうとする。
先程までアスカの振りをしていた時とは考えられないほどの無表情で。
しかしレイは、ふと振り返って一言。
「何故、私の正体が判ったのかと聞いたとき、最後になんて言おうとしたの?」
「え……その……」

シンジはどう返事しようかと迷った挙げ句、仕方ないと考え白状した。
「実はその……違っていたから。その……綾波とアスカの胸が……」
そう言われても、無表情な『三人目のレイ』の顔色は変えない。
しかし何を思ったのか、レイは足を伸ばしてシンジのすねをコツンと一蹴りしてから去っていった。

「???」
『こら!どうしたのさ!私の胸がどうしたって?』
「い、いや、なんでもないよ。それじゃ、そろそろ切るよ。
 まだ入院中なんでしょ?帰ったらおみやげもってお見舞いにいくからね。」
『……見舞いは来なくても良いわ。アタシ、明日にはドイツに帰るから。』
「え?」


『故郷に帰った方が精神的にも良いからってさ。アタシもそうしたいと思う。ドイツに戻って、そこから再出発。』
「……そうなんだ。」
『問題なのはアンタよ。自慢じゃないけどアタシは大学も出てるし、それなりに生きる手段は取れると思う。
 アンタ……もう一人になっちゃったんだよ?なんなら来る?ドイツに。』
「え?」
『あっちには、日本から疎開に出てる人が沢山いるんだって。ヒカリとか三馬鹿の残り二人も。
 ああいうことになっちゃったけど、話し合えば上手くやっていけると思う。どう?』

シンジにとって思わぬ誘いかけだった。
僅かではあったけど楽しかった中学校生活が懐かしくて仕方がない。
しかし、シンジは既に心に決めていることがあるらしかった。
そしてレイから手渡された連絡先を見ながら返答する。

「いや、僕は日本に残るよ。綾波の側に居てやりたいから。」
『どうして?あのコ、もう以前のファーストとは違うんでしょ?』
「確かにそうだけど……でも、僕は綾波の側に居たい。
 何も綾波も一人になってしまうからとか、そう言う訳じゃなくて……」
『……』
「よく判らないけど、以前の綾波と違うようで違わない気がする。なんだろう……
 ……そうだ、三人目でも同じなんだ。僕が二人目に出会ったときの、あの目と。
 何かに殉じることが、そうすることが自分の全てだいう、そんな彼女の目が。」



『……』
「もしかしたら、あの目に僕は恋をしたかもしれない。だからこそ……」
『……言ってくれるじゃないの、シンジ。』

そして、ふうっというアスカの溜息が携帯を通して伝わってきた。
『判ったわ。それじゃ上手くやんなさいよ。将来、二人でドイツに遊びにいらっしゃいな。
 必ず二人で来るのよ?でないと追い返すからね、必ず。』
「約束するよ、アスカ。でさ、何時出発するの?見送りに行くから。」
『来なくて良いわよ!アンタ、しばらく温泉で毒抜きしてなきゃ……』
「ちょ、ちょっと、僕のどこにそんな毒が……」

そんなふうに名残惜しくアスカとシンジが話し続けるのを、レイは黙って聞いていた。
それも、シンジの泊まる旅館の屋根の上に腰掛けながら。

護送車が待っているというのは嘘ではなかった。
監視役の数名が車の周辺で、レイが戻るのを待っている様子が伺えた。

そして立ち上がり、うんと背伸びをする。
すると次の瞬間、すうっと身体が溶けるように消えていく。
人に見られては困ると想ったのだろう。
なんとその背中には、幾対もの羽根が広げられていたのだから。




綾波レイ、その正体は使徒リリスの化身。いや、もはやリリスと呼ぶべき存在ではないのかも知れない。
碇ゲンドウが殺される間際に使徒アダムとの融合を果たし、
NERVの地下深く、セントラルドグマに安置されていたリリスの肉体への回帰まで果たしていたのだから。
そして既に他の使徒は全て殲滅されて、もはや彼女の力を阻む者は無くなっている。

「ばらすのはもう少し後にしようかな?二人目も三人目もない、私は以前と変わらない綾波レイであることを。
 少し可哀想だけど、二人目だった私をどう想ってたのか色々話を聞いたら面白そう。」
そんなことを言いながら旅館を見下ろすレイの顔は、淡く優しげな微笑を浮かべていた。
それこそ間違いなく、使徒ラミエル戦の果てにシンジから貰った笑顔そのものであった。

そして大きく翼を広げて空高く舞い上がり、かつてシンジと眺めていた星の彼方をめざして羽ばたいた。
今の彼女なら可能だろう。
宇宙の全てを見極めることも、その全てをその手に包み込むことも。
もはや彼女こそ神に等しい存在となってしまったのだから。

そうして空の散歩を楽しみながら考える。
いずれはシンジも連れてきてやろう。でも、しばらくは内緒にしておこう、と。
そろそろ時間も迫ってきた。護送車に戻らなければならない。
おとなしく「普通」の生活を送るために。
シンジが迎えに来てくれるのを待つために。

(完) お粗末様でした。
最終更新:2007年12月02日 00:21
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