総司令 第四話

「出撃って、この子がですか?」

ようやく我に返ってから、とでも言うべきだろうか。
どうにも引っかかっていたことをリツコさんに尋ねた。

「そうよ。あなたに見せたエヴァンゲリオン初号機、あれの操縦が出来るのはこの子だけ」
「出来るんですか? この子が」
「出来ないわよ。今、起こしたばかりだから」
「あ、あの、仰ってることがよく判りませんが」
「出来ないから、あなたに来て貰ったのよ。この子、あなた以外の人間の言うことなんか聞かないから」

ふと、レイという名の少女を振り返る。
彼女は僕の腕に捕まり、ひたすら僕の顔を見てばかり。
その様子からして、今の話を聞いてもいないし何も判っていないようだ。

白いボディースーツを着せられていたときも、こうしてどこかに連れて行かれることも、
そして「出撃」させられようとしていることも、何の関心も持とうとしない。
ただ僕にされるがままにされて、そして僕の顔ばかりをマジマジと眺めている。
僕が彼女と視線を合わせる気まずさで、思わず顔をそむけても。

それは「次は何をするの」「どうすればいいの」「次は何を言うの」と尋ねるわけでもなく、
まるで僕の顔しか見えないかのように、僕の顔を眺めている「レイ」。

改めて、尋ねた。
「あの、この子は何なんですか? 教えてください。何故、僕なんですか?」
「さあ」
「さあって……」

リツコさん自身が判ってないって……もう僕は呆れる他はない。
まさか何も判らず、当てずっぽうで僕を連れてきたのかな。

「フフ……あのね、シンジ君。私達は訳の判らない代物を、どうにかして使い物になるようにしなければならなかったの。
 期限もなく、しかも早急にね。こうすれば、こうなる。こうしても、何も起こらない。
 そんな試行錯誤の繰り返し。推論、憶測を繰り返しては泡と消え、ようやく完成したのがエヴァ」
「そして、この子――レイ、ですか」
「そうよ。私は単に引き継いだだけなんだけど、以前は比べものにならないほど大変だったらしいの」
「……」
「炎の原理を知らずとも、お肉は美味しく焼けて食事にありつける。山火事に悩まされたりしながらね。
 人間はそうして文明を築いてきた。科学技術とは神話と魔法の名を変えただけ。
 円周率を極める必要が無くとも、コンパスがあれば円が描けてタイヤの設計に困ることはない」
「僕をからかってるんですか」
「違うわ。あなたという人間と接するために、試行錯誤してるのよ」

その言い草……やっぱり、僕をからかってるとしか思えない。

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レイを伴って再びエレベーターに乗り、あのロボット兵器「エヴァ」の所に戻る。
そこには、さっきの葛城さんという人が不安げな顔をして待っていた。

「リツコ、レイは?」
待ちかねたように尋ねる葛城さん。
けど、リツコさんが答えるまでもなく、僕の腕にしがみつく「レイ」を見て彼女は眉をしかめた。
「レイ、どうしちゃったの? ねえ、レイ?」

それに対してリツコさんはケロリと答える。
「駄目よ。もう彼女は以前のレイではないわ」
「どういうことよ。まさか、エヴァにはもう乗れない、とか」
「判らないわ。彼女の頼りは、もはやご子息だけ」
「そんな、それほど司令が亡くなられたことがショックだったなんて」
「仕方ないわ。まるで全ての記憶が失われてしまったかのようね。私が話しかけても何も答えない」
「まるで、様子が違う。この間、私と打ち合わせをしたレイとはまるで」
「そう、本当に別人と思った方が良い。私も努力したけど、今はここから始めるしかないわ」

なんだ、このやり取り。
いや、そうか。葛城さんは「下」の「水槽」のことは何も知らないんだ。
しかも――この間、打ち合わせをした?
つまり、この子とは別の「レイ」が存在する筈。
このレイに打ち合わせなんて出来る筈もない。
まさか、その「レイ」は?

と、僕が考えを巡らせていると、リツコさんは葛城さんに次の行動をうながす。
まるで、問題がないかのように笑顔を浮かべながら。

「さあ、葛城作戦部長さん。ここは私達に任せて貰うしかないわ。あなたが管制塔で指揮を執らなきゃ始まらない」
「……大丈夫、なの?」
「駄目ならこれまで。人類が滅びるだけよ。私達はその覚悟の元にNERVに入ったはず」
「そんな可能性は絶対に口にしないでくれる? 絶対よ。絶対にエヴァを動かしなさい」
「はいはい」
と、苛立つ葛城さんを駄々っ子をなだめるかのようにリツコさんは追いやった。

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僕は再び、待ちかねたかのように尋ねる。
「リツコさん、葛城さんが以前に」
「死んだわよ」
「!?」
「以前のレイはあなたのお父さんに、言うなればロックされていた」
「し、死んだって、あの」
「司令が死ぬと同時に崩壊が始まったの。その子は極めてデリケートに出来ている。気を付けなさい」
「……」

いや、もう驚かない。
慣れろ、シンジ。
何でも良い、慣れろ。

「それじゃ、記憶を失ったっていうのは」
「その言葉通りよ。以前のレイの記憶は全て碇司令とリンクしている。碇司令が居なければ意味がない」
「でも、記憶の埋め直しとか」
「以前のレイの記憶のバックアップはあるけど、切り捨てる他はない。
 理解できない? 以前の記憶、以前のレイは司令がいるからこそ成り立っていたの。
 司令が亡くなった今、以前の記憶を呼び覚ましても、彼女自身が生きていくことは出来ない」
「……」
「こうなれば、あなたに頼るしかない。司令の縁者であるシンジ君がレイを生かせなければ」
「……なければ?」
「人類は滅びる。新たに現れた使徒によって、セカンドインパクトが再発する」
「シト? 人類が滅びる? なんでそんなおおごとに――」

その時であった。
緊急を告げる館内アナウンスが鳴り響いた。

『使徒、湾岸から上陸開始。総員、直ちに第一級戦闘配備』

それを聞いたリツコさんは僕の背中をそっと押しやる。
「さあ、解説は後。とりあえず、その子をあちらのエントリープラグに押し込むのよ。ほら、急いで」
「え、あの、だから、この子じゃ操縦とか出来ないって、さっき」
「いいから早く。さっきのお姉さんに叱られても良いの? ほらほら」

なんか、だんだん腹が立ってきた。
そしてロクな説明もして貰っていないのに、どんどん僕を思い通りに操ろうとしている人々。
これ以上、関わっちゃいけない、今すぐ逃げろ、と僕の勘が告げているのに。

「リツコさん、あの」
「ほら、その中。レイに入るように促して……そうそう、そしてそのレバーを握らせて。そう、それでいいわ」
「……」

一番、腹立たしいのは僕だ。
結局、僕は流されているままじゃないか。

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それから、レイを「エントリープラグ」という筒に押し込むのに一苦労。
素直に中に入ったかと思えば、僕が離れようとすると慌てて僕に付いて来ようとするレイ。
仕方なく、力尽くで中に押し込んで扉を閉めれば、中からドンドンと叩く音がする。
僕から離れてパニックになっているようだ……大丈夫かな。

リツコさんは僕をからかうように、バスガイドのような手つきで案内する。
「彼女をモニタできるのは司令塔から。はい、こちらにどうぞ」
「レイでしたっけ。彼女は大丈夫なんですか」
「少しぐらいならね。ん、ちょっと待って。その格好じゃ、どうもね」
「え?」

僕は学校の制服の白いシャツに、同じ制服の黒いズボン。
なにがマズイというのだろう。

「ほら、これを着なさい。んー、大きすぎるかな? 袖を通さず、肩に引っかければいい」
「これってまさか」
「あなたの父さんのよ。ほら格好いいわよ、シンジ君」

どうやら、ここの制服の上着らしい。
黒づくめで、僕が羽織るとまるでマントかコートを肩にかけているようだ。
そして、父さんの上着だって?
なんのつもりだろう。またしても、もの凄くイヤな予感がする。

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そして、更にエレベーターに乗せられて、本部の最上層と思わしきところに到着。
「シンジ君、緊張しなくて良いからね」
「してませんよ」
なんとなく、イライラしながら僕は答える。
そんな僕を見て、リツコさんはクスリと笑う。

なんだかな。この人、ちょっと異常かも知れない。
人類の存亡がかかっているとか言いながら、そしてキレる寸前の葛城さんとかを目の前にしながら、
平然と、むしろ楽しげに今の状況を楽しんでいる、この態度。

「あの、リツコさん」
「ん?」
「レイが僕の言うことを聞かなかったら? その、父さんが相手してた時と同じようにいかなかったら――」
「エヴァは使徒に勝てず、人類は滅びる。さっきも言ったじゃない」
「滅びるって、そんな」
「でも、レイはあなたを見て起きあがったわ。大丈夫、希望はある――多分ね」

あの水槽での顛末が、そんな人類の存亡を賭けた瀬戸際だったなんて。
それを平然と口にするリツコさん。なんだかなぁ……。

「ついたわ。ほら、しゃんとして」
「……はい」

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「す、すごい……」
思わず僕は息をのんだ。
僕がやってきたのは、少し小さめのビルなら幾つも建てられそうな巨大空間。
幾層にもフロアが別れ、それぞれに大勢のNERV職員とおぼしき人達が蠢いている。
そんな広大な空間、その中空に浮かび上がる巨大な映像。どうやら三次元レーダーのようだ。
それは最近になって開発されたと聞くホログラム映像技術みたいだけど、もう既に実用化されているとは思わなかった。

ここはそう、科学技術の最先端の頂上とも言うべき場所。
しかも、僕がやってきたのはその最上フロア。
こうして見下ろしていると、まるで神の机に座ったかのようだ。

そして表示されている映像。響き渡る轟音。
火を噴く戦車部隊の主砲、無数に飛来する戦闘ヘリ、それから放たれるミサイルの雨。
戦略自衛隊による総攻撃の有様が視界一杯に展開されている。
その攻撃対象は一点のみ。そこに凄まじい爆炎に包まれながら浮かび上がる巨大な影。

……巨人!?

「あれが使徒よ」
「……シト?なんなんですか、あれ。あんな怪物、いったいどこから」
「さあ。でも、あれがセカンドインパクトの引き金となった使徒の仲間」
「セカンドインパクトって、あの大質量隕石の衝突の」
「それ、嘘。そう言わないとパニックになるわ。サードインパクトの危険があるなんて、世間に発表出来ると思う?」
「……サード? あの大惨事がまた起こるってこと?」
「往々にして、事実は隠蔽される物なのよ。歴史書やニュース、マスコミの報道なんかもね」
「……常識とか、人の意志も、ですか?」
「フフ、そうね。隠蔽というか簡単に何でも犠牲にされてしまう。それでこそ、人類は生きていける」
「……」

(父さん、どこにいくの? ねえ、僕を置いていかないでよ! 父さん!)

そうだ。自分の息子ですら、犠牲にする――。

「駄目だ! この程度の火力ではらちがあかん!」
僕はその怒鳴り声を耳にして後ろを振り返った。
あれ、まだここより上位のフロアがあったのか。

「総力戦だ! 厚木と入間も全部上げろ!」
「出し惜しみは無しだ! 何としても目標を潰せ!」

振り向けば、軍服、しかも将校クラスの制服を着た面々が並んだデスクがそこにあった。
みな強面ばかりで、その顔をよりいっそうしかめながら机をドンドンと叩き――そんなに怒ったって役に立ちゃしないのに。
とにかく、この人達が現在、シトと呼ばれる巨人との戦いを仕切っている訳だ。
僕がここに来る途中にすれ違った戦自の部隊の親玉、か。

これもまた、人類が生きていくための犠牲ということだろうか。
パネルの映像を見れば次々と破壊される戦自の兵器。その犠牲者も半端ではないだろう。
戦車は踏みつぶされ、戦闘ヘリは叩き落とされ、僕の素人目にも判る滅茶苦茶に不利な状況らしい。
将校達は怒りにまかせて膨大な軍事費用を、そして兵隊さん達の命が次々の投げ捨てられていく。
その有様を呆然と眺めていると、机を叩いていた将校の一人が僕に振り返った。
「おい! 何故、こんな所に子供がいるのだ!」

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すると、将校の面々も含めて周りにいるスタッフ達が一斉にこちらを振り返る。
一瞬、シンと静まりかえる司令塔上層部。

「その格好……リツコ、あんた何を考えているの!」
葛城さんだ。彼女もまた眉をしかめながらツカツカとこちらにやってくる。
格好?ああ、僕が肩に引っかけている制服か。これは父さんの――まさか?

「ははは、成る程。それは赤木君の仕業か。それが一番、手っ取り早いかも知れないな」
今度は別の角度から近づいてくる、もう一人。
それは初老の男性で、戦自の将校達とは違う制服姿。
それはどうやら、ここNERVのものであるらしく、加えて言うなら僕が羽織っている上着と色違い。
そして、リツコさんに軽くウインクして僕達と将校達の間に立ちはだかる。
ここは任せておけ、という合図だ。

「彼は、先日に他界したNERV総司令、碇ゲンドウの実の息子、碇シンジ君です。
 現時刻をもって、新たなNERV総司令に着任となりました。以後、お見知りおきを」

……はあ!?

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それを聞いた戦自の将校達はパニック寸前。
更に机を割れんばかりに叩いて、恐慌とも言うべき怒号を上げた。
そりゃそうだろう。僕もこの人達と一緒に並んで抗議したいぐらいだ。

「そんな子供が総司令だと!? 貴様、何を考えている!」
「それほどの重要なポストに世襲制度が通用すると思うか!」

実にごもっとも。
しかし、この初老の男は笑みを浮かべながらサラリと答える。
「無論、何の経験もない、ましてや少年にすぎない彼では前任者ほどの仕事は勤まりません。
 ある点において彼の協力が不可欠となるのです。追々、我々の手で然るべき教育を施し……」

その時、将校連中の目前にある電話のベルが鳴り響く。
それに答える将校の一人。
「はあ、はい……判りました。では……」
この偉そうな連中より、まだ偉い人がいるようだ。なんだか判らないけど。

戦自の将校は、これまでとは打って変わった憔悴した面持ちで、僕達に向き直った。
「今、君達に指揮権が譲渡された。どうやら我々の手には終えないようだ。
 新任の総司令については君達の内部事情、それについては我々の干渉するところではない。
 さあ、お手並みを見せて貰おう。君達なら勝てるのかね、碇シンジ君?」

嫌みたらしく、僕の名前を付け加えた。
そこにいるNERVスタッフの面々も一斉に僕に振り返る。僕に答えろと言うの?

なんだか無性に腹が立つ。
父が死んだから、といってここに呼びつけられて、
そして地下で気持ちの悪い思いをさせられて、
そしてレイとかいう少女に結びつけられて、
挙げ句の果てには、総司令?

一体、僕は何?
僕の意志は何処にあるの?
さっきの初老の男が何か答えようとしていたが、いい加減、腹が立ってきたので僕が言ってやった。

「そのためのNERVなんでしょ?」

そうしたら、リツコさんは僕の隣でプッと吹き出して笑った。
ムッとする将校の面々、しかし何も言い返せないご様子。

止めておけば良かった。
もうこれで、僕はここから逃げられない。
今の台詞、正しく全ての同意書にサインをしたようなものじゃないか。








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最終更新:2009年02月24日 19:42
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