総司令 第八話

「それじゃ、レイ。行ってくるからね。留守番、大丈夫だよね」
と言うと、レイはこくりとうなずく。

「いや、うなずくだけじゃなくて、ちゃんと返事して」
「……はい」
「うんうん、お昼ご飯は用意してあるからね。ちゃんと時間になったら食べてね」
「はい」
「コンロとか、危ないものに触っちゃ駄目だよ。何かあったらボタンを押してね。誰かがすぐ来ることになってるから」
「はい」

って、本当に判ってるのかな。
ただ、機械的に頷いているだけじゃないだろうかと、不安になる。

「それじゃ、行ってきます」
「いってらっしゃい」

お、ちゃんと返してくれた。
僕の言うことは理解していると思って良い――のかな?

今日から冬月さん達から色々とレクチャーを受けることになってるんだけど、大丈夫かな。
レイ一人を置いて。

まあ、これからずっとレイに貼り付かないといけないんじゃ困るし。
ここは思い切ってほったらかしてみよう。

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「おはようございます、碇司令」
「今日も見学ですか? 何でも聞いてくださいね」
「司令、今日はお一人ですか?」

僕がNERV構内を歩けば、口々に声をかけてくる職員達。
それに対して苦笑い気分で相づちを打つんだけど、なんていうかな。
本当に職員達は納得してるんだろうか。

所詮、僕の司令就任はお上の決め事、上からの命令。
納得も何も自分達には、言ってしまえばどうでもいい話。
まあ、みんなにとってはからかい半分、面白半分でしか無いのだろう――。

「いや、君が司令に立ったことが、みんなにとってどれほど心の支えとなっていることか」
そう僕のに答えたのはレクチャー1時間目の講師、早めの時間に偶然ばったり出会った冬月さん。

「使徒襲来を間近にして君のお父さんが失われ、NERV本部の一同はみな顔面蒼白だったのだよ。
 このNERVは全てお父さんが死力を尽くして推進されたものだ。ここにある全てに前司令の気迫が息づいているからね」
「かといって、お飾りの僕がなんの役に立つと言うんです」
「碇司令の不在、という認識を味あわずに済んでいる」
その時、様々なアナウンスに混じって、僕への呼びかけが聞こえてきた。

 『碇司令、朝9時より第8会議室にお越しください』

大した待ち合わせでもないのに、無理に放送させたのかな。
今のを聞いた冬月さんは、どうだ? という得意げな顔をした。

「まるで君のお父さんが健在であるかのようだ。これだけでも精神的な効果は高い」
「判りませんよ。僕はここに来たばかりなんです」
「はは、そうだったな。しかし、ここの皆は知っての通り、死を覚悟して任務に当たっている。
 であるからこそ、過酷な状況を乗り切るためには精神的な支えというものが不可欠なのだ」
「そういうものなんです?」
「もはや宗教のそれに近い状態だよ。皆の精神力を保つためにどれほど苦労させられていることか。
 実際、君は実に評判が良い。君を見る各部署のどの職員の顔を見れば好印象だ。
 時にはレイを連れ歩く君の姿がほほえましく、声をかければ愛想良く微笑みかけてくれるのが嬉しい、とね」
「え、いや、その……」

……まあね。やっぱり、顔に出てたのか。
実のところ、以前のとは段違いなんだ。
ここでの生活がね。

ここならば僕が居る。
例え飾りであっても、司令という権威を借りて僕という存在がある。
からかい半分であっても、僕を呼びかける声が心地よくてしょうがない。
以前は居ても居なくても同じだった。
しかし、ここには僕が居る。

「冬月さん。とりあえず、時間は早いですけど始めませんか」
「そうだな。正直なところ、時間は幾らあっても足りないぐらいだ。いつ何時、使徒が現れるか判らない現状ならばな」

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という訳で、僕のレクチャーが始まった。

さて、1時間目は冬月副司令。
NERVの存在意義と、その組織構成から政府、国連との関係について。

「さて、筆記用具は持ってきたかな。とりあえず、一通り読み上げるから質問は後で答えよう。
 重要と思われる箇所には自分なりのメモを書き入れ……」

流石は元大学教授。
以前、通っていた中学の先生より、教え方が様になってます。

2時間目、オペレーターにして作戦部所属の日向さん。葛城さんの直属だとか。
そのNERVの中核、スーパーコンピュータMAGIについて。

「えっとね、データーベースの扱い方って判るかな。中学生じゃそんなことやらないか。
 君が細かい操作を覚える必要なんて無いんだけど、幾つかコマンドを覚えておいた方が……」

って、言ってることがめちゃくちゃ細かいんですけど。
自分のペースに酔っちゃうタイプかな、この人。
正直、話についていけずに眠ってしまいそうになった。

次はお昼ご飯を兼ねた3時間目。
伊吹マヤさんは福利厚生担当で、NERV本部のご案内。

「ここが食堂、給料天引きなんだけど司令となったら食べ放題かな? アハハ、んな訳ないか。
 でね、あそこのカフェ。社内施設とは思えないくらい本格的なの。ね、ね、後で寄って……」

気を遣ってくれたのかな。腕を組んでデート感覚で僕を案内してくれた。
お互い、暗い地下で暗い顔ばかり付き合わせていたからね。

で、4時間はその地下で出会ったもう一人、青葉さんから。

「へー? 君ってチェロを弾くんだ。なら、バンド組もうか? ダチも呼んでくるからさ。
 アコースティックベースなんて出来たら格好いいぜ? コードの読み方から俺が一から……」

この人、何?
何をレクチャーするつもりなんだろう。
ていうか、それ以前にちゃんと仕事してるのかな。

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とはいえ、僕にとって青葉さんのレクチャーがもっとも重要なことだった。
あの地下室、レイの『生産工場』について。

「俺がNERVに就任したときには、既に水槽の中はこの状態でさ。
 この子達がプカプカ浮いてるのを見たとき俺も吐いたよ。君だけじゃない」
「はあ……」
「クローン技術っていうのは、様々な問題があってな。
 同じ遺伝子を持って来て同じ人間を産む技術、ってことなんだが、人体は環境に応じて変化する。
 顔かたちや指紋、神経、血管など生体認証に用いられるパターン、そしてここ、ハートもな」
と、自分の胸を親指で示す青葉さんは、先程の雑談からは打って変わって大まじめで語り続ける。
『レイ』が漂い続ける水槽を眺めながら。

「その全ての問題を突破してのけたという訳だ。ここ、NERVという組織がな。正直、恐れ入ったよ」
「はい……」
「その技術は生体だけじゃない。あのMAGIにしてもそうだ。
 あれは初の人格移植OS、赤木博士の母親にして設計者である赤木ナオコって人の人格が移植されているそうだ。
 エヴァについてもそう。あれは最初の使徒、アダムのクローンだそうだ。
 そして、この子が言わば総決算。肉体、人格、その全てをコピー可能とした技術の産物。それが、綾波レイ」
「……」

僕は立ち上がって水槽の側に寄った。
水槽の中を漂い続ける『レイ』の肉体、その一つと目が合う。
まったく同じだ。僕が昼夜とわずに世話を焼いているレイと寸分も代わらない。
この子も僕を見ているのだろうか。見えているのだろうか、僕のことを。

「青葉さん」
「ん?」
「生きてるんですか。この子達は」
「いや、医学的には――そうだな、停止している」
「停止?」
「そうでなければ、消耗して老衰が始まるからな」
「はあ……あの、それから」
「なんだ?」

前から少し気になっていたこと。
聞くのが少し怖いけど。

「このレイのオリジナルは居るんですか?」
「ああ……もちろん、居る。というか、亡くなったそうだ」
「そう、ですか……」
「死んだ、というかな。その……今はエヴァの中だ」
「……え?」

青葉さんは少し答え辛そうに説明する。
「エヴァ、つまりアダムの肉体を操作するための試行錯誤の過程の中で、失われた一人の女性。
 その人こそ、エヴァのパイロットとして適格であると選ばれたらしいのだが」
「その人が、その……」
「最初のエヴァの操縦試験が行われ、それは失敗に終わった。そのパイロットがエントリープラグから消失したそうだ」
「……消失?」
「そう。だが失われたのではなく、エヴァの中に取り込められた、ということだ。
 同一化したのか、と思われたが、エヴァに欠けていたものを埋めることになったのでは、とも言われている」
「なんだか、訳が判らないです」
「正直、俺もそうだよ。だが次の試験は成功。そして、判ったこと。エヴァの操縦には『つなぎ』が必要だと」
「つなぎ……」
「そうだ。しかも、その『つなぎ』とDNA構造が同一、あるいはそれに近い者でなければ操縦は不可能。
 複雑な神経構造を介して操作する上で、パターンがまるで異なる別人では無理」
「それで、クローン技術が用いられた訳ですね」

青葉さんも立ち上がり、僕と並んで水槽の中をジッと眺めた。
少し、暗い眼差しで。

「それ以後、かなりの数の『レイ』が実験の犠牲として投入され、そして、エヴァの開発技術が確立された。
 露骨に言えば、どうすればエヴァのコアとして人を埋め込むことが出来るのか、とかな。
 多くの実験機のコアに使うため、この子達が使用されている。人間の代わりとして」
「そんな、それじゃまるでモルモットじゃないですか」
「ああ、そうだな。さっき、この子達は生きていないと言ったが、実は本当のところは判らない。
 既に基本的な記憶は全ての肉体に埋められているからな。もしかしたら生きているのと同じ状態かもしれないが」
「え?」

僕は驚いて、水槽を見返した。
その時、『レイ』の一体が僕に急接近する。やはり、僕が普段から接しているレイと寸分代わらない。
部屋に置いてきたレイが何故ここに居るのかと尋ねたいくらいだ。
少し旋回しながら僕の前を横切る一体の『レイ』。その時、一瞬だけ僕と視線が絡み合う。
その一瞬。正にこの『レイ』が生きているのではないかと思わせる一瞬。
しかし、旋回を続けて僕から視線を外す『レイ』は、まるで人形が漂うかのような挙動を見せながら遠ざかる。
もはや生気の欠片もない、その姿。
果たして、生きているのか、死んでいるのか。

「しかし、生きていると思ってたら俺の仕事は勤まらない。しかもな、この子達が大量出荷される予定がある」
「あの、それってどういう――」
「エヴァの操縦を外部から可能とするためのダミープラグの開発。そして、量産型の製造」
「!?」
「済まない。君はショックな話だったかな。もはや、この子達は生きている者として扱われていない。
 これが世間に知れたら、いや、NERV内部でこの話が広まるだけでも大変な騒ぎになるだろう。
 如何に人類の命運がかかっているとしても」
「……」

NERVの光と闇。
ここは、その闇の領域。
僕は今、その中核に立っている。
この青葉さんもまた、闇の領域に取り込まれた人。
そう、僕もだ。

――そうだ。いつもの質問をしてみよう。

「シトって、なんなんですか」









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最終更新:2009年03月28日 22:23
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