総司令 第九話

シトとは何か。

青葉さん曰く。
「さあな。そういう生物、というしかないかな」
「生物? あれがですか?」
「ああ。俺達人類の文明はまるで地球を全て征服しているように見えて、実はこの星のかさぶた程度でしかない。
 ああいう俺達の常識から考えられないものが居たところで、なんら不思議ではないさ。それに――」
「なんですか」
「最初に発見された、セカンドインパクトを捲き起こした使徒。それは使徒アダムと命名された。それは何故だと思う。
 その体が人間とほぼ同一の構造だからだそうだ。だからこそ、コピーした肉体が神経接続により操縦可能なのさ」
「そんな、まさか」
「そのまさかだ。もしかしたら、あれが神話で言う本物の――」

マヤさん曰く。
「使徒、つまり天使様よね。なんで天使って呼ぶのかしら。私達にとっては悪魔みたいな存在なのに」
「天使?」
「ええ、使徒っていうのは天使の別の呼び方。何故か、みんな天使と呼んでいるの。
 でも、天使が私達と敵対してるのは正しいかもね。
 楽園を追われた人間から生命の樹を守るために配置された獣。それこそが守護天使」
「へえ……」
「神話のお話だけどね」

日向さん曰く。
「まあ、天使の名をコードネームに使うっていうのも面白いけどね。
 ほら、画面を見てごらん。前回の使徒、ANGEL №3と表示されてるだろ。第3使徒っていう訳だ」
「コードネーム、ですか。ああ、兵器とかパソコンのOSとかに付けるやつ」
「そうそう。でも、攻撃目標に天使の名前なんて使っちゃうのもどうかな。宗教家が怒ってきたりしないかと心配だけどね」

冬月さん曰く。
「天使だよ。その通り、天使だから使徒と呼んでいる」
「あの、まさか本物という意味で言ってます?」
「その通りだ。君は神話をゼロから空想した物だと思ってるかね?
 一部、あるいは大半はそうかもしれないが、昔話にはそれなりに由来がある。
 ギリシャ神話の太陽神アポロについてもそうだ。現実に、太陽は存在している」
「……なんだか、信じられない」
「いや、我々は遂に神話の真実に足を踏み入れたのかもしれない。
 人は山や星、動物や自然現象を神と称した。人は自分達にとって説明が付かない物を神や悪魔、あるいは妖精と例えてきた。
 そして更なる科学技術の発展が、その真実の姿を解き明かして来たのだよ」
「それじゃ、僕達がやってることって……」

そして、リツコさん曰く。
「そう。私達はね、神との戦いを挑んでいる、ということになるわ」
「神……」
「神とはなんなのか。それは私にも判らない。
 人はいろんな物事を神と称する。生き物を、亡くなった人のことを、自然を、天災を、そして宇宙、あるいは存在しない何かを」
「……」
「あるいは、森羅万象を自在に操る者の存在。もしそれが存在するならば、まさしくそれこそ神に他ならない」
「そんなものを敵に回して相手に戦おうというんですか?」
「でもね、科学の目指すところはそこじゃないかしら。神に代わって全てを思うがままに、とね」

リツコさん、僕をからかってるんだろうか。
とてもまじめに話すようなことじゃないよね、神様なんて。

しかし、NERVの中核とも言うべき人達の言うことはまるで違う。
それは正に白と黒、そしてグレーが織りなす鮮やかなコントラスト。
これって人それぞれの立場を示しているのかな。それとも、それぞれの人格か。
しかし、副司令やリツコさん、そしてゼーレ委員達。
より頂点に近いほど闇が深い。
判らないけど、そんな気がする。

そしてもっとも深い闇。
5時間目、リツコさんからのレクチャーはE計画について。

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「ある程度は青葉君から聞いているのね。使徒アダムのコピー、それがエヴァ。
 そして、レイのオリジナルが眠るのがエヴァンゲリオン初号機」

と、誰も居ない格納庫のような場所でリツコさんは語り始める。
ゆっくりと僕と並んで歩きながら。

「オレンジ色の機体があったのを覚えてる? あれが実験機の零号機。
 あれにはレイそのものが埋め込まれてあるの。ああいう実験機は山ほど作っては破棄されてきた」
「あの、ここってなんなんですか? なんかエヴァみたいなのが沢山……」
「そう、今言った通り破棄されたエヴァの放置場所。言うなれば、エヴァの墓場」
「……」

その通り、ここは墓場だった。
エヴァの剥き出しの頭蓋、そして脊髄だけの巨体がうち捨てられた広大な場所。
なんというんだっけ。人骨が積み上げられた、ああそうだ。まるで、カタコンベにいるかのようだ。

咥えタバコのリツコさんの言葉が朗々と辺りに響く。
「正にあのクローン技術がエヴァの研究開発を実現させたの。
 シンジ君、つまりこの数だけレイが犠牲になった。とはいえ、意識のあるレイは君が預かってる子で4人目だけど」
「……」
「私にはレイを愛せない、と言った意味がわかるでしょ?
 あの子が生きた人間と思っていては、とてもE計画の遂行なんて出来なかった」
「でも、リツコさん。そうまでして……」
「ん?」
「そうまでして、世界を守るためとはいえ、そうまでして何のためにここまで……その、あなたは……」
「私じゃないわ」
と、リツコさん短くなったタバコを投げ捨てる。
口中に残る煙をフッと吐きながら。

「私もまた、仕組まれた存在。私が為すべきと、宿命づけられたの」
「誰に、ですか?」
「あなたのお父さんよ」
「……」

それから、リツコさんは思い出したかのように口早に語る。
僕のレクチャーという作業をさっさと終わらせようとしているかのように。

「E計画は言った通りに、使徒と同じ能力を持つ兵器を開発するプロジェクト。
 それで我々の手にある使徒アダムからコピーを作成、それがエヴァ。
 そして、そのE計画は尚も推進中。既に弐号機は初号機からのフィードバックを受けて完成間近。
 ドイツ支部から、それがここに届く予定。パイロット込みでね」
「あ、別のエヴァがあるんですか。パイロットも?」
「そう、レイとは別人で鍛えられているから、その子が来れば楽になるわよ。
 さらに参号機、四号機も開発が進められている。量産型のエヴァシリーズについても、確か聞いているわね」

僕は拍子抜けした気分で溜息をついた。
「そうなんだ。レイ以外にもエヴァに乗って戦える人がいるんだ」
それなら、僕が司令など名乗ってここに居る理由も無くなるじゃないか。
そして、あのレイが戦う理由も。

そんな僕の気持ちを見透かしたのか、リツコさんはクスクス笑う。
「フフ、ちょっと解放された気分? でもね、私はレイこそが主力になると思う。
 普通の人間には辛い任務よ。今にそれが判ると思うわ。それにね」
「なんです」
「あなたは正式に司令として承認されたわ。ゼーレはあなたが司令となることを認めたそうよ」
「ええ!?」

正直、それを聞いた僕は怯えた。
正に漆黒の世界。あの総司令執務室で見たゼーレ委員の面々。
あの闇の世界の住人が、僕を認めたというのだ。
僕はもはや、もっとも深い深海の闇の中へと取り込まれてしまったのだ。

いや、何故だろう。
何故、それが闇だと僕は思うのだろう。
そのリツコさんは言っていた。これが自然界を生き抜く人間の真の姿であると。
様々な犠牲を払い、こうして生きてきたのだ、と。
今、NERVにある酷薄とも残忍とも言うべき犠牲者の山、それこそが存亡を賭けて戦う人類の真の姿。
人の真の姿形は、どうしてこれほど闇に包まれているかのように見えるのだろう。

そして。

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最後に、葛城さん曰く。

「使徒? 知らないわ。私の知っているのはセカンドインパクトを捲き起こした人類の天敵。ただそれだけよ」
と、あっけらかんと強い口調で僕に言う。

最後の授業、6時間目は葛城さんからエヴァによる使徒殲滅作戦について――
「を、説明するつもりだったんだけどね。やっぱ、止めた」
「え? あの、葛城さん、止めたって」
「エヴァの能力と戦闘方法、要塞都市・第三新東京市の設備、戦自との共闘体制、政府、国連との連携。
 そんな細かいことを君に教えようったって、小一時間のレクチャーじゃ頭に入んないでしょ?
 状況に応じて幾らでも変わっちゃうから、意味無いわよ」
と、陽気な口調で話しながら僕を案内していく。

行き先はエレベーターに乗って本部のもっとも深いところ。
そのエレベーターは『レイ工場』とは別の系統で、比較的に認証レベルは低いらしい。
「葛城さん、あの、どこに行くんです?」
「本部の中でもっとも重要なところよ。我々がここを守る理由がそこにある。
 この間の使徒は何故、ここ第三新東京市に来たのか。正しく理由がそれ」
「……何があるんです?」
「見てからの、お楽しみ」

そして、エレベーターが到着するまでの間、到着してから目的地までの道すがらで。
「シンジ君、正式に認められたそうね。総司令就任」
「はあ……」
「いくら総司令になったからといって、君に出来ることは限られる。出来ないことをさせるほど私達は暇じゃない。
 だから、司令として私達に命令しても、私達は聞くこともあれば聞かないときもある。
 前司令、亡くなられたお父さんほどの能力は君には無いからね」
「……はい」
「ゼーレや副司令、リツコが君に何をさせるつもりかは判らないけど、君は君が出来ることをすればいい。そして」
「……」
「そして、今のレイが出来る限りのことを君の手でさせればいいわ。それは何のためか」

そして、僕達が到着したのは巨大な扉。
葛城さんは操作パネルを開いてキーを押すと、やがてゆっくりと扉が開く。
そこには――

「これは……エヴァ? 使徒? いや……」
「シンジ君、これこそがセカンドインパクトの引き金となった使徒アダムよ」

そこにあったもの。
それは巨大な十字架に打ち据えられた巨人の姿。
顔は不気味なマスクで隠された巨人。それは正しく人間と同じ体をもつ者。
青葉さんは言っていた。使徒アダムは人間と同じ構造を持つ、と。
そのことが一目でわかった。巨大ではあるが、正しくこれは人間である、と。

葛城さんは静かに僕に語りかける。
まるで誰かの寝室に入り込んだかのように。
「これこそがセカンドインパクトを捲き起こし、そして複製である全てのエヴァのオリジナル、それがこのアダム。
 これは既に死んでいるの。しかし、他の使徒がこれを目指して動き始めた。
 使徒が接触すれば必ずサードインパクトが起きる、と言われている」
「……」
「どんな手を使っても良い。エヴァを用いて、あるいは他のあらゆる手段をもって、使徒との接触を阻止する。
 それが私の仕事であり、NERV設立はそのためにもある」

僕は何も言えずにゴクリと息を飲んだ。
使徒という存在、その信じられない話がビリビリと僕の全身に実感となって伝わってくる。
かつて神話でしかない夢物語がここにある。それは既に現実となって僕達の前に現れた。
神との戦いが既に始まっていることを、僕は実感せざるを得なかった。

「だからこそ」
葛城さんは僕に向き直り、問いかける。
「だからこそ、教えて欲しいの。シンジ君」
「……え?」
「レイのこと。あなたは色々と口止めをされているかも知れない。
 全てを話す必要はない。話したいなら聞いても良いけど、私の任務のために一つだけ教えてくれたらそれでいい」
「あの、それは……」
「レイは、以前の私が知っているレイとは、別人ね?」

来た。直撃だ。

言ってしまって良いのだろうか。
別に口止めされている訳じゃない。それに相手は葛城さん、言わば身内だ。
世間に広く公表する訳じゃない。
しかし――。

なんというか。
リツコさんは黒い存在。そして、ミサトさんこそ真逆の白。
人類存亡、生き抜くために善悪の概念すら捨て去ったリツコさんに比べ、
正義感と己の信条に強く生きているかのような葛城さん。
言ってしまってもいいのだろうか、あの地下の世界のことを。

いや――。

この人だ。
僕が、救いを求める相手が居るとすれば、この人だけだ。

「葛城さん、その通りです。レイは僕が来てから新たに生み出されました」

それを聞いた葛城さんはニッコリと微笑んだ。
「ありがとう、私を信頼してくれて」

そして葛城さんは額に指先を当てて、軽く敬礼をして見せた。
「これでやっと、レイに何をさせればいいのか考えることが出来るわ。
 もう一度言うけど、それ以上の話はしなくてもいい。
 シンジ君、私は必ずあなたを守る。そして、レイのことも必ず守る。
 そして人類の存亡を賭けて使徒に勝ち抜いてみせる。
 葛城ミサト、あなたの司令就任を心から歓迎します」
「葛城さん、あの……」
「ミサト、でいいわよ。よろしくね、碇シンジ君」

根拠のない自信。
保証のない希望的観測。
リツコさんの示す真実の闇とは真逆の、夢と幻の光の世界。
そんな輝かしくも儚い王国の騎士、ミサトさんが誓う忠誠。
そんな当てのない約束が、どうしてこうも輝かしく見えるのだろう。

「よろしくお願いします、ミサトさん」

そして、ミサトさんが差し延べた手を取った。

しかし。

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「ただいま」

僕が部屋に帰ったのは、もう夕飯時の午後6時。
さあ晩ご飯を作らなきゃ、と冷蔵庫の中身を思い出しながらドアを開ける。
何事かがある、などとは考えもしないで。

入ってみれば部屋は真っ暗。
ああ、もしかしたらレイは部屋の照明を付けるなんて考えもしないのかな。
と、部屋のスイッチを探ろうとして、ビクリと驚いた。

玄関口に浮かび上がる黒い影、レイがそこに座り込んでいたのだ。
思わず息を飲んだけど、気を落ち着けて照明のスイッチを入れた。
「レイ、こんな所でどうしたの? まさか、僕を見送ってからずっとここに居たってことは無いよね。あはは……あ」

レイ、泣いている……?

いや、違う。目から血を流している!
た、大変だ!

「もしもし? もしもし! すぐ来て! 早く!」

無我夢中で携帯を手に取り、レイを抱きかかえながら叫び続け――。

その電話の相手は誰?
ほんの少し前に、ミサトさんは約束してくれた。
僕とレイを守る、と。
でも、現実は。

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「ごめんなさい。もう少しで崩壊が始まるところだったわね」
何故か、僕に謝りながらレイの治療をするリツコさん。

そう、僕が頼るべき相手。それはリツコさんに他ならない。
僕はミサトさんこそが正常な世界の救い主で、リツコさんこそが闇に属する人だと見始めていた。
子供じみた考えだけど、なんだか悪魔との盟約を交わしたような気分になってしまう。

担ぎ込んだ病室でリツコさんは幾本もの注射をレイに施し、僕は落ち着かない気持ちでその様子を見守っていた。
今日一日、まるまるレイのことをほったらかしていたことを悔やみながら。

「もう大丈夫よ。血圧、脈拍、体温、すべて正常。
 ごめんなさい。この前、完全体だと言っておきながら、まだレイの耐久性は不安定だったようね。
 もうしばらくは側を離れずに居てあげて。それでこの子も落ち着くと思うわ」
「いえ、あの、ありがとうございました」
「ううん、私達のチェックが甘かったから。当面、ここで治療をすれば大丈夫。だから、ね? 泣かないで」
「え、あ……」

そうか、僕は泣いていたんだ。
言われるまで気が付かなかった。

そしてリツコさんは僕にレイのすぐ前の場所を譲り、そっと立ち去った。
あ、と思って振り返ればもう姿はない。
ドアを閉める音すら気が付かなかった。それぐらい静かに僕達を置いて去っていった。

僕はリツコさんは闇に属する人だと決めつけ始めていた。
いや、でもそれはとても撤回できるものではない。
出会ってからの彼女の振るまい、前のレイにした仕打ち、その冷酷さが脳裏に焼き付いて離れない。
このレイも、同じように破棄されてしまうのではないかと恐れていた。
壊れた機械など取り替えればいいと。

しかし、訳も判らない僕の叫びを聞いて、作業を放りだして駆けつけ治療をしてくれた。
僕に優しい言葉をかけながら、優しくレイの手をとりながら。
こうして優しくされただけで、これまでの自分の考えが脆くも崩れ始める。
なんというか、自分の移ろいやすい自我、貧弱な自分の自意識が――。

その時、ふとレイの手が僕に触れた。
「起きてたの?」
僕がそっと囁くと、微かにレイは頷く。

様々な想いが消えては現れ、惑い続ける僕の心。
そんな僕の心にそっと触れたかのようなレイの指先。
そして、微かな力で僕を引き寄せようとする。

「ん? ああ、僕も一緒に寝て欲しいの? うん、そうだね……」

最近、レイから距離を置こうとしていた。
縁を切る、という意味ではなく、レイの成長を促すために。
でも、それがもしかしたら、それがこんな結果に墜ちてしまったのかも知れない。
ただ、無意味にレイを苦しめただけに。

そんな罪悪感からか、僕は招かれるままにベッドに潜り込む。
するとレイは腕を僕に回してぴたりと身を寄せた。
こうしていると、なんだか僕が慰められているような気分だ。
なんだかレイは少し嬉しそうだ。しばらく、こんなふうに一緒に寝ることがなかったから。
でも。

「レイ、君の笑った顔って見たことが無いな……」

思わず、そう囁いた。
その声がレイの耳に届いたかどうか。
僕はそうしてレイに抱かれながら、まどろみを感じることなく深い眠りへと落ちていった。
悩みや不安、戸惑い、その全てから解放されたかのように。








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最終更新:2009年02月02日 00:26
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