総司令 第拾六話

ひとり、自室でコンピュータに向かう赤木リツコ。
ひとしきり作業に没頭していたが、ふと思い立ち携帯電話を手にする。
「加持君?」

『やあ、りっちゃん』
「この間はお疲れ様」
『いやなに、りっちゃんのサポートもあったお陰だよ』
「フフ、ご謙遜ね」
『葛城は? 元気にしてるかな』
「あいかわらず。そちらに向かっているはずだから、修羅場の一つや二つは覚悟してね」
『葛城が? なんだ、りっちゃんが迎えに来てくれると期待してたのに』
「あら、復縁するチャンスじゃないの」

そうして話をしながらも、軽やかにタイプする手は決して止めない。
その顔には絶えず微笑を浮かべながら。
はたして、その頭脳には幾つの思考が同時に動いていることやら。

『前司令から請け負った仕事のもう一つなんだが』
「ああ、アレね」
『本当にシンジ君に渡して良いのかな』
「そうね。なんといっても今の司令様なんだし、渡して貰うしかないわね」
『でも、これって何なのかな』
「知らない」

と、リツコは悪戯っぽく舌を出す。
電話の向こうから微かに聞こえる笑い声。
互いに互いの真意を知っているようで知らないようで。

「ところで、シンジ君とは既に接触してるのね」
『ああ、電話をしただけだよ。彼、今の立場に不満らしいね』
「仕方ないわよ。なんといっても弱冠14歳の彼ではね。でも、加持君?」
『なにかな?』
「彼を刺激しないでくれる?」
『……ふーん』

しばし、沈黙。

『判ったよ。でも、なんでシンジ君を司令に?』
「さあ。そう決めたのは私じゃないもの」
『アハハ、本当かな? 俺の聞いている話では』
「ん、ちょっと待って」

リツコはコンピュータの画面を見返す。
表示されている「CAUTION」の文字。

「加持君、また電話するわ。どうやら使徒が現れたみたい」

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「ミサト曰く、上陸した使徒を一気に叩くしかない、ですって」
とリツコさん。
現在、巨大な輸送機でエヴァと一緒に運ばれている真っ最中。

「こちら側の当面の指揮は私が執るわ。弐号機が到着次第、葛城作戦部長に総指揮を移行します」
スタッフの一人が質問のために挙手。
「あの、いいですか? 弐号機の到着は?」
「あと2時間ほど。可能な限り急がせているし、到着を待ってから作戦開始で十分なはず」

えーと、今の状況を説明すると。
ようするに新たな使徒が出現して、沖合いからまっしぐらにこちらに向かっている、とのこと。
それを湾岸まで出向いて殲滅する。
その理由はもちろん、いまリツコさんが言った通りに到着するであろう弐号機と連携を取るため。

現在、ミサトさんは弐号機とそのパイロットを出迎えるために出張中。
使徒出現が判明したのは、その最中のこと。
はてさて、運が良いのか、悪いのか。

「運が良いわ。上手くいけば挟み撃ちの形に出来る。2対1なら勝算は大きい。
 それに弐号機を輸送しているのは国連軍の太平洋艦隊。戦力は十分にある」
「しかし、今回の使徒は難しいかも知れないですよ」
と、日向さん。ミサトさん不在で作戦部の筆頭として張り切っている。
「測定された形状を見てください。上肢下肢を備えた人型とも言えるタイプです。
 つまり、今回は格闘戦を強いられるかもしれません」

ん、ああ、レイが対応できるかってことかな。
僕が答えなくちゃ。でもなあ……。

「えーと、まだレイは格闘訓練は、その」
と、口ごもる僕にリツコさんのフォローが入る。
「パンチぐらいなら出来るわよね? いち、にの、さん、ポカッ」
と、冗談っぽく丸めた書類で僕の頭を叩いてみせる……はい、そんな感じです。

そしてスタッフ達は溜息をつく。
なんだよう、これでもレイは頑張ってるんだから。
殴るって言葉を説明するだけでも、ずいぶん手間が掛かったし。

さて、リツコさんは本題に入る。
「では作戦の詳細、いいかしら? レイには格闘戦は無理。無理なことをさせるつもりはありません。
 レイは使徒の正面に立ち、使徒の標的となります。パレットライフルで使徒を牽制、しかしそれでは殲滅は無理。
 そこに弐号機が背後から強襲。上手くいけばそれで倒せるわ。
 あるいは弐号機によりATフィールドを中和し、初号機の狙撃によってとどめを刺す」

そこに日向さんのツッコミが入る。
「でも博士。格闘戦の最中に狙撃となると、弐号機が巻き添えを食う恐れがありますが」
「狙撃ならレイのお得意。それに弐号機なら撃たれても問題ないわ。エントリープラグに命中さえしなければね」

レイを信頼してくれてるのは嬉しいけど、しかし弐号機にはずいぶんな歓迎だな。
でも、動く標的の狙撃って難しくない?

僕は傍らのレイに声をかける。
「レイ、できそう?」
「……?」

やっぱり、なんにも聞いちゃ居ない。
いや、聞こえてないんだろうな。これまで僕以外の相手と会話したことなど一度もない。
もしかしたら僕の存在以外が認識できないのか、関心が無いのかも。

それにしても、ついに弐号機とそのパイロットの到着か。
どんな子だろう。写真で見る限り、ちょっと可愛い女の子には見えるけど。
でも、ミサトさんが付けたBランクってのが気になるな。
ん?

「赤木博士、葛城作戦部長から連絡が」
「どうしたの?」
「現在、使徒と交戦中とのことです」

ええ!?

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海岸に降り立った初号機は、使徒と思わしき波立ちをジッと見据えている。
そして僕達を乗せてきた輸送機の中で、スタッフにもまれながら作戦指揮を司る。
臨時の管制塔というわけだが、いやそんな説明はどうでもいい。

事態は急変。結局、初号機単体で使徒を迎え撃たなければならなくなった。
この作戦に参戦する筈の弐号機もまた、既に使徒との交戦に突入しているのだから。

「考えられる事態だったわね。同時に2体の使徒出現。
 それもそうね。何も一体ずつ順番に登場する決まりなんか無いんだし」
と、リツコさんはのんきな口調で僕に言う。

そんなリツコさんとは正反対に、日向さんの表情は険しい。
「反対です。ここは撤退しましょう。航空隊によるN2機雷の大量投下で、使徒にダメージを与えれば足止めできます。
 最初の使徒で実績はあります。殲滅までは至らずとも、弐号機の到着まで時間を稼ぐのが最善です」
「それが本当に効けばいいけど。あちらはどうなの?」
「それが、呼びかけても返答がありません。連合艦隊を巻き込んでの大規模な作戦を展開中、とだけしか情報が……」
「仮に弐号機が使徒殲滅に失敗した場合、初号機だけで2体の使徒を同時に迎え撃たなければならなくなるわ」
「しかし、弐号機を抜きにしては」

その時、傍らに座っているマヤさんからのアナウンス。
「使徒、上陸します!」
それを受けて、みんなは一斉にモニタを覗き込む。
そこに映し出されたのは両手両足のある、ちょっとユーモラスな使徒の姿。
如何にも格闘戦に向いたタイプに見える。
果たしてレイが狙いを定めるのを大人しく待っていてくれるかどうか。

「あれは……」
「マヤ、どうしたの」
「使徒の胸部を見てください。コアが……二つ?」
それを聞いたリツコさんは、なんと口に手を当てて大笑い。

僕は思わずギョッとしてリツコさんに振り返る。
「あ、あの、リツコさん? なに笑ってるんですか」
「アハハ、ごめんなさい。ちょっと頭をコツンとやられたような気がするわ。判らない? コアが二つよ?
 無限機関と言うべきコアが二つ。使徒もやるわね。実にシンプルで即物的、でも効果は絶大だわ」
「だから、どういうことなんですか?」
「使徒の力、それは永久機関とも言うべき赤いコア。それが活動源であり、自己再生能力をもかねた無限のエネルギー。
 私達はそれを破壊することで使徒殲滅を果たしてきた。それが二つあると言うことは?」
「では、片方を壊しても、もう一つのコアがコアそのものを修復してしまう?」
「よくできました。つまり、より完全なる永久機関を目指したという訳ね。
 シンジ君、レイに予備のライフルを左手に持たせてくれない?」

僕は言われた通りに指示しながらも、戸惑いを隠せない。
「やっぱり、やるんですか。弐号機を待たないといけないんじゃ」
「いいえ。こうなると、かえって居ない方が良い。私達も作戦はシンプルにいくわよ」

リツコさんは改めて皆に言い渡す。
「作戦は簡単。初号機は正面から使徒を攻撃。使徒を引きつけて2つのコアを同時に狙い撃ち、破壊する。
 ただ、それだけよ。如何に強固にみえるデュアルシステムでも、2つ同時にダウンさせればあっけなく崩壊するわ。
 それに正面からなら使徒はまっすぐに初号機に向かってくる。狙いをつけるならそれが一番。
 動かずにジッとして貰うことが出来ないなら、それが最善」
「しかし、ATフィールドは」
「そうね。だから攻撃のタイミングは初号機によるATフィールド影響圏内に使徒が入るのと同時。
 使徒の移動速度から測定し、シンジ君はレイに攻撃を指示」
「しかし、それに失敗すれば」
「航空隊にお願いするしかないわね。初号機には使徒と一緒にN2機雷の爆撃を耐えて貰うわ」

そんな、リツコさん本気で初号機を巻き添えに爆撃なんかするつもりだろうか。
と、おののいている僕だけにボソリと囁き、追い打ちをかける。

「イザとなったら初号機の暴走に期待をかけるしかないわね」
「そ、そんな。でも、ダメですよ」
「どうして?」
「もうレイは僕との交信を切ったぐらいじゃ崩壊したりしませんてば」
「あらそう? レイ、成長してるのね」
「……」

いや、リツコさんのことだ。
もしかしたら、レイの首筋に爆弾を仕込むことぐらいやってのけるかもしれない。
レイが死ねば、制御を失った初号機は暴走、使徒アダムとしての本来の力が発揮される。
そしてレイはコピー可能な使い捨て。こんな有効な手段は他にはない。
忘れてた。なんでリツコさんの酷薄な性格を、僕は忘れてしまっていたんだろう。

「フフ、冗談よ。そんな手段、めったに使えるものじゃないから、そんな怖い顔しないで」
「……本当ですか?」
「だって、暴走したところで使徒に勝てるという保証はないもの。それにね」
「え?」

少し、リツコさんは目を輝かせる。
「そんな手より、今のレイの方がよっぽど期待できるわ。見てなさい、今日にもそれが証明される」
「……?」

そして、作戦開始。

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「さあシンジ君、しっかりレイに指示してね。簡単に、判りやすく、もらさずに。ね?」
「は、はい。レイ、いいかな?」
『はい』

いつもと変わりないレイの返答。
今の状況、かなり切羽詰まった事態なんだけど、こうなるとかえってレイがうらやましい。
ものの数分、いや数十秒後には使徒と接触。それまでにレイに作戦を判らせなきゃならない。
思わず心臓の鼓動が早くなる。
いや、落ち着け。落ち着け、自分。

「レイ、では指示を言うよ。持っている二丁のライフルで使徒のコアを撃つんだ。
 い、いや、えーとね。右のライフルで上の赤いコア、左のライフルで下の赤いコア。
 コアってどれのことか、判るよね? 前の画面を見て……これ、いまマーク表示してるやつ」
『はい』
「い、いや、まだだよレイ。あのね、僕が撃てって言ってから。僕がそう言った瞬間、返事しないで撃つんだよ」
『はい』

「……あの、これでいいでしょうか」
「上出来よ、シンジ君」
と、リツコさんはニッコリ。
ああ、この人もだ。なんで、こんなに落ち着いていられるんだろう。
しかも、だ。

「インダクションモードはオフ。照準はレイに任せるわ。この間の実績を生かしてもらいましょう」
「あ、赤木博士! それは無茶です! 二つの照準を同時にですよ?」
「尚更よ。照準システムが出すゴーサインより、レイの方が早い」
「でも!」
「無理はさせないと言ったけど、出来ることならどんどんやってもらうわ」

抗議する日向さんをケロリとねじ伏せ、この死活の状況をレイの能力に丸投げしてしまうつもりだ。
なんて心臓してるんだろう。

と、言ってるうちに既に作戦スタート。
「使徒、来ます! 秒読み開始! 5,4,3……」

あわわ、カウントダウンはもうそんなところから?

「2,1……」
「う、撃て!」

さあ、結果は?

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会議室。

『……以上が、第7使徒殲滅における作戦報告となります。なお、殲滅した使徒は爆発と共に四散。
 その回収作業は本日より2日間で完了の予定……』

現在、作戦終了後の締めくくりである報告会議の真っ最中。
つまり作戦は成功。レイの射撃は見事に的中し、殲滅完了。

『初号機の損壊はありません。付近の被害は軽微……E計画責任者、赤木博士。何か一言』
「お見事」

リツコさんからの賞賛の言葉を受けても、何か聞こえたような様子もなく呆然としているレイ。
いや、別に無心にぼーっとしている訳ではなく、ひたすら僕の指示を待っているだけ。
本当に何も聞こえていないのかな。

リツコさんは、そんなレイを満足そうに微笑みかける。
「シンジ君、お手柄のレイをたっぷりといたわってあげてね。今日の訓練メニューは白紙、お休みにするから」
「あ、はい。それじゃお疲れ様です……」
「アタシには賞賛の言葉は無いのかしら」

突如、会議室に響く声。
そして、カツ、カツ、と足音を立てて後ろからやってくる。
振り向けば、プラグスーツ姿の少女が立っていた。その色は赤。
そして髪の色も赤。自信満々の表情に至るまで、まさしくレイと好対照のその姿。

「惣流アスカ・ラングレーよ。アタシも見事に使徒を殲滅してきたというのに、いたわりの言葉は無いの?」
「いいえ、お疲れ様。気になっていたの。無事でよかったわ」

リツコさん、それ嘘でしょ?
レイの成果ばかりを喜んでて、ミサトさんからの勝利報告を聞いても、「あらそう」だけだったし。

そして、その少女・アスカはゆっくりと近づいてくる。
むろん、目当ては僕じゃない。
「ふ~ん……」
と、レイをマジマジと眺めるアスカ。なんだか小ずるそうに笑みを浮かべながら。

「アンタがファースト・チルドレンね。よろしく、仲良くしましょう」
「……」
「聞いてるの? ねえ!」

「あの、聞こえてないんだ」
と、僕が口を挟むと、初めて僕がいることに気が付いたみたいに振り返った。
「なによ、アンタ」
「名前は碇シンジ。レイの世話をしてるんだ」
「あ~、前司令の息子って言うのはアンタね。何よそれ、聞こえてないって」
「ホントのところは判らないけど、僕の声にしか反応しないんだ」
「は? アタシが聞いてる話では、ファースト・チルドレンはそんな……」
「さあ、間違ってるんじゃないのかな。その話」

成る程、僕が来る前の(父さんの)レイのことを言ってるんだな。
ここは気持ちを落ち着けてドッシリと構えよう……いや、これはリツコさんの受け売り。
このアスカって子、僕の言うことなんか聞かなさそうだし。

「で、アンタはどうなの? アンタが司令っていうものアタシの聞き間違いよね?」
「そうだよ。僕はレイの世話をするためにここにいるだけ」
「……」

何か言いたかったのだろう。
でも、フン、と鼻を鳴らしただけで背を向ける。
「あ、待ちなさい。私達の方の作戦報告を……」
と、着いてきたミサトさんが引き留めるのも構わず、会議室を出て行った。

僕は思わず溜息をついた。
「あの、ミサトさん。あの子が?」
「そう、あれがアスカよ。お気に召した?」
「成る程、それでランクBですか」
「ンもう、シンちゃんてば訳知り顔しちゃって」
「……からかわないでくださいよ」

しかし、そんなミサトさんのからかいも束の間。
まじめな口調で語り始める。
「確かにあの子は優秀よ。今回の作戦行動、初戦だというのに見事に完遂させたわ。
 私の指示無くエヴァを起動、艦船を足がかりにしてエヴァ初の水上、水中戦闘を慣行。
 その度胸、状況判断、瞬時の対応、操縦技術、それらは特質に値する。でも……」
「あの勝ち気な性格。時には頼りになるけど、諸刃の刃ね」
と、リツコさんが言葉を継ぐ。

「レイとは違った意味で優秀。まるで陰陽の対比のように、両極端の性格を互いに持っている。
 かたや周囲の状況に機敏に反応し独自で行動する者と、
 かたや無心に何事にも捕らわれず任務に徹する者と。
 これほど、両極端なコンビは珍しいわね。となると……」

となると?
しかし、リツコさんはもう何も言わない。
まあ、これからどうなるか。判る人は誰も居ないけど。
そのままリツコさんは考えに沈み込み、タバコにカチリと火を付ける。

「あの、先輩? ここ、禁煙ですよ?」
「ん、あらごめんなさい。司令の許可を貰うの忘れてたわ。ね、シンジ君?」
僕は仕方なく答えた。
「ああ、はいはい。これからは皆さん気楽に行きましょう。タバコでもビールでも何でもどうぞ」

やったー! と喜ぶミサトさんを尻目に僕はレイを連れて部屋を出た。
でも、レイをいたわったりするのは後。
僕には面会人が待っている。

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総司令執務室。

「冬月さん、ここってどうしてこんなに広いんですか?」
いや、以前にゼーレとかいう人達と話をするとき入ったことはあるんだけどね。
学校の体育館よりも広いこの部屋、なんの意味があるのだろう。
床にも天井にも怪しげな魔方陣みたいなものが描かれてるし、なんか不気味だ。

「電子会議を行うための空間でもあるのだが、碇……君の父さんの希望で作られた部屋だ。
 自分の思考が壁で遮られるのが嫌だったんじゃないかな。聞いたことはないがね」
確かに壁がない。
ワンフロアを全て使い切り、360度すべて窓。どっちを向いてもジオフロント全体を見渡せる。
確かににこうも広い場所にいると違った気分にもなれるけど。

思考を遮られたくない、か。
しかし、使徒を殲滅するための組織、いわばガードマンの仕事で何を考えることがあるというのだろう。
しかも、こんな魔方陣に挟まれて? 父さんって本当に何を考えていたのかな。

「ん、来たようだな」
という冬月さんの声にふりかえると、せり上がり式のエレベーターから一人の男が現れた。

「改めまして、加持リョウジといいます。遅ればせながら司令就任、おめでとうございます」
と、胸に手を当てて挨拶する男。
そう。これがこの前に電話で話した加持リョウジという男。

「いやはや、波乱に満ちた船旅でしたよ」
と、言いながら頑丈そうなトランクケースを僕の目の前において、腕に付けていた手錠を外す。
背は高く、それなりに鍛えられているらしい体格。
髪は長く後ろで束ねて、顎には無精髭。それなりに整った顔を皮肉げな笑みでゆがませている。

僕は尋ねる。
「あの……」
「なんでしょう、司令」
「なんなんですか? 人類補完計画って」
「おやおや」

と、加持は僕の傍らで立っている冬月さんに苦笑い。
「彼、何にも知らないのですか」
「ああ、そうだな。物には順序がある。シンジ君、それは使徒を全て殲滅した後の話だ」
「後の話……?」
「そう、使徒の殲滅はそのためでもある」

そんな冬月さんの言葉を聞きながら、目の前のトランクケースに手を触れてみた。
「えっと、加持さん? これ……」
「どうぞ、ご覧下さい」
僕はうながされるままロックをあけて、そっと開いてみた……。

「ひっ!」

思わず声をあげてしまった。
そんな僕を見えてニヤリと笑う加持リョウジ。

「特殊ベークライドで固めてあります。そこまで成長しました」
「成長……あの、これって」

冬月さんもまた、トランクケースを覗き込んで言葉を添える。
「それこそが人類補完計画の要、人類最初の人間、アダムだよ」
「……」

そのトランクケースの中にある物。
まるで琥珀に閉じこめられた蚊の化石のように、半透明の物質に封じられている物。

それは正しく、人の姿へと変わり始めたばかりの胎児であった。









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最終更新:2009年02月05日 00:07
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