「よし、判った。アスカ? 諜報部の人がそちらに行くから、来たら電話を替わってくれ」
僕から携帯電話を譲り受けた日向さんはそう言いながら、白地図を格納庫の床に広げ始めた。
そして、話を聞き取りながら定規とペンで線を引き、マーキングを始める。
成る程、アナログなやり方で管制塔を代行しようという訳か。
普段からコンピューターばかりいじっている日向さんだけど、そういうやり方もちゃんと出来るんだ。
流石は作戦部。
「まさか本当に使徒が来てしまうなんて驚きましたね」
と、先程の整備士長は言う。
「とりあえず、準備が出来ているのは初号機だけです。次は弐号機に掛かります。よし、みんな行くぞ!」
すると、そこに居る全ての整備士達は気合い十分に走り出す。
流石は本職、イザとなると顔つきまで変わってくる。
しかし、懸念の声が次々と上がる。
「でも、どうする? 発進するのは良いけど地上までの射出リフトが使えない」
「射出口をよじ登るしかないな」
「地上まで結構あるぞ。大丈夫か?」
「しかも、動力はバッテリーだけ。アンビリカルケーブル繋げたって電力供給が出来ないんだ」
「制限時間は5分だけか。で、武器は?」
「パレットライフルにプログナイフ。それだけだ」
「勝てるのか? それだけで」
いや、もっと困ったことがある。
その指摘は、マヤさんから。
「シンジ君、通信が出来ないからレイに指示を出せないわよ。だから」
それだ。一番の問題はそれだよ。
どうしたらいいんだ。これじゃ作戦を立てても、レイに指示しようがないじゃないか。
えーと、何か小型の通信機とか……。
「いや、シンジ君きいて。もし、通信できたとしてもここからじゃ状況はまるで判らない。
レイ一人を外に出したところで指示の出しようが無いわ。だからシンジ君」
「え?」
少し、間をおいてから。
「シンジ君も一緒に乗って」
- =- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=-
「あ、あの、このスーツぶかぶかなんですけど……あ」
僕が戸惑っていると、側に居たレイが手首のスイッチをカシッと入れた。
すると、プラグスーツはシュッと引き締まり、僕の体に完全にフィットする。
「ああ、ありがと。レイ」
……情けない。
今まで、さんざんレイにああしろこうしろって指示を下しておきながら。
などと頭をかいても誰も笑う人など居ない。
使徒がそこまで来ているのだ。笑う余裕なんて有るはずがない。
使徒に勝たなければならない。
しかも停電というトラブルの真っ最中に。
戦力は最弱装備の初号機だけ。
あ、うっかりしてた。
「そうだ。アスカはまだ戻ってきてないんですか?」
「駄目だ。ここへの到着は使徒より遅れるかも知れない」
うう、何もそんな山の散策なんて遠出しなければいいのに。
でも、使徒の早期発見が出来たのもそのお陰。それも幸運かな。
結局、出られるのは初号機だけになりそう。
しかもNERVの首脳陣、冬月さんもリツコさんもここには居ない。
まったく、こんな時にミサトさんは何をやってるんだろう。
でも、やるしかない。
これだけの戦力、これだけのメンバーでやらなきゃしょうがないじゃないか。
「でも、マヤさん。僕がプラグに乗り込んじゃったりして動くんですか?」
「多分、大丈夫と思う。レイのシンクロ率は高いし、多少はノイズが混じっても戦える筈。
でも、デリケートな操作は期待できないかも」
「それじゃ、レイの特技が」
「そうね。正確な狙いを付けるとか、そういうのは無理かもしれないわ」
これって最悪かも。僕がそれも考慮して上手く指示しなきゃいけないのか。
ああ、どうしよう。今までの全ての作戦よりも緊張してきた。
何故って、最後には僕の判断力にかかってくるじゃないか。
しかもそれには人類の存亡が掛かってる?
ああもう、諦めてしまいたい。
「あの、作戦は?」
僕は、白地図と電卓相手に計算し続ける日向さんに尋ねる。
頼みますよ。ミサトさん不在で作戦部筆頭なんだから。
「そうだね。とにかく5分でタイムリミット、エヴァで地上まで登り切るには無理があるから……。
いや、待てよ? ああ、駄目だ。管制システムが無い今、使徒の居場所すら判らないし」
「ちょ、ちょっと、どんどん旗色が悪くなってるじゃないですか」
「シンジ君、考えてるんだから急かさないでくれ。えーっと……」
「耳だ、シンジ君」
と、そこに青葉さんが割り込んできた。
「いいか、シンジ君。指示を出して警察力で地上の動きを全て止めろ。車もバイクも歩行者も何もかもだ。
そしてマイクを最大にして聞き耳を立てるんだ。使徒は足で歩いてここに向かってるんだから、足音で判る筈だ」
「そして、攻撃は?」
「射出口の下から撃つ。ATフィールド影響圏内まで地上へ近づいて待ち伏せする。
耳で聞いて使徒との距離を測り、使徒が真上に来たと同時に打てばいい。ポイントはここだ」
と、白地図を指し示す。
「射出口A-0、この真上。使徒が目指すのは必ずここだ」
うわ、最終防衛戦になっちゃうのか。
「でも、そこまで来なかったら?」
「ハズレだよ。地上に出て追いかけるほどバッテリーが持つかどうか判らないから、賭けるしかない」
「そんな……」
「早々にATフィールドを貼って誘うのも手かも知れない。撃つときは中和するのを忘れるな。それと」
青葉さんは僕の耳たぶを引っ張った。
「小さい頃から鍛えた耳を生かすのはこの時だ。そうだろ?」
「……はい」
思わず、苦笑い。それって無理矢理おだててるだけだよね、青葉さん。
音楽やってたことなんか、どうでもいいような気がするけど。
しかし、作戦は決まった。
もう時間もないし、それでやるしかない。
でも作戦部筆頭の日向さん、ちょっと涙目。
- =- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=-
さて、いよいよエヴァに乗り込む時が来た。
「よし、地上とNERV総員に伝達。物音を立てるな。動いているのは使徒だけにするんだ」
青葉さんがそんな指示を飛ばして……あ。
「え、あの、レイ?」
「こっち」
「あ、ああ……」
なんか立場が逆転してる。
今回ばかりはレイが僕を導いて、エントリープラグへと連れて行く。
なんだか……なんていうかな、照れくさいというか、なんというか。
そんな様子に、マヤさんは思わずクスクス笑う。
しかし今は作戦中。慌てて顔を引き締めるマヤさん。
お願いだから、からかったりしないで下さいね。
そして、いよいよエントリープラグの扉が閉められ……うわっぷ、何これ!
「LCL。大丈夫、苦しくない」
と、レイは言う。
なんか扉が閉まった瞬間に妙な液体が流れ込んできて溺れるかと思ったけど、ああそうか。
そうだった。レイやアスカはこのLCLとかいう薬液の中でエヴァの操縦してたんだった。
普段から知ってるはずなのに、いざ自分が乗ってみるとビックリしてしまう。
「大丈夫?」
もう一度、心配げに尋ねるレイ。
液体の中なのに、ハッキリとレイの声が聞こえる。やっぱり水とは違うんだ。
こうして自分で浸かってみないと判らないもんだな。
「ありがとう、レイ。大丈夫」
といっても胸の中が気持ち悪い。
本当に大丈夫かな、僕は。
それにレイと僕、狭いプラグの中で完全に密着状態。
これでレイは本当に上手く操縦が出来るのだろうか。
「エヴァンゲリオン初号機、起動」
そうレイが言うと、プラグ内部が鮮やかに変色を開始。
そして、外部の様子が映し出される。
すごいな。これが全方向モニターなのか。
これでエヴァが起動を開始した。さあ、作戦開始だ。
もうここからはNERVのみんなと相談一つ出来なくなる。
僕が目で見て耳で聞いて、そしてレイに指示を出さなければ。
それに全てが掛かっている。
「レイ……い、いくよ。拘束器具の除去」
「はい」
やっぱ、情けない。
緊張でカチコチの僕と、冷静沈着なレイの組み合わせがあまりにも……。
- =- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=-
ガシッ、ガシッと、射出口を壁づたいに登り続ける僕達、どれくらいそうしていただろう。
いや、大して時間は経っていない。
ほんの数十秒か、いっても1分強。
そして目標地点まで昇り切ったはず。
「レイ、ストップ。ここでいいからライフルを構えて」
「はい」
「上を見上げて」
「はい」
初号機は壁にしがみついたまま、片手を空けて背中に装備したライフルを構える。
うん、ちゃんとレイは理解している。
言われた通りに射出口の縦穴を見上げる初号機。
でも、真っ暗。
どうしよう。射出口の入り口が開いてない。
外が見えなければ、使徒が来たかどうかも判らない。
こんなこと打ち合わせに無いよ。
ああ、どうしよう。
いや、それしかないな。
どうしよう、やってもいいかな。
そうだ。使徒を誘い込んでしまえばいいんだから、問題ない。
……うん、問題ない!
「レイ、撃って」
「はい」
ダダダダダッ!
「よし。レイ、待機」
「はい」
上手くいった。射出口のシャッターを破壊し、頭上の丸い穴から小さな青空が見える。
頭上の街で動いているのは使徒だけの筈。
あの青空、あれが塞がれば使徒がやってきた事になる。
それをめがけて、撃てばいい。
それだけだ。
ズシッ……ズシッ……ズシッ……。
来た。
使徒の足音だ。
あれが一番大きくなったら、撃つように言えばいい。
でも、一番大きい足音って、どれくらい?
判るわけがない。
こんなケース、初めて出会うのに。
その時が来れば、判るのだろうか。
青葉さんは耳を頼れと言っていた。それは間違いだ。
今の僕では、焦って指示を早まってしまうかも知れない。
使徒の足音が大きくなるにつれ、僕の鼓動が早くなる。
落ち着け、自分。
ズシッ……ズシッ……ズシッ……ズシッ……ズシッ……。
いや、駄目だ。もう自分の鼓動が耳鳴りのように頭に響く。
とても冷静でいられない。
とても、射撃の指示なんて出せるものじゃない。
初めて判った。
レイの能力は本当に驚異だ。
こんな死活の場面を繰り返し乗り越えてきたレイは本当に凄い。
しかも正確、確実に。
レイが何も考えていないから?
そんなことはない。レイはちゃんと自分の考えを持っている。
あの屋島作戦の折に、僕の言うことを無視したこともある。
でも、僕はあの時のことを怒ってはいない。
その行動は素直に僕の願いを全て叶えるため。
そして見事に果たしてくれた。
レイは僕のために行動する。
そのためには僕に逆らうこともある、ということだ。
そう、僕がそう願えばいい。
使徒を倒したいとさえ、僕が願えば。
……よし!
「レイ」
「はい」
「後は任せるよ」
レイは、ハッと驚いて僕の方に振り返った。
限界まで首をねじ曲げて。
ズシッ……ズシッ……ズシッ……ズシッ……ズシッ……ズシッ……。
そして、レイは改めて前を見る。
銃を構え直す初号機。
そして、レイは一言。
「ありがとう」
そして。
ズガガガガガガガガガガガガッ!
レイが何を見て、何を感じとったのか。
それすら判らない瞬間に初号機のパレットライフルが放たれ、そして――。
- =- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=-
「いやったーッ!」
「司令! お手柄です!」
僕達が格納庫に戻ってくると拍手喝采。
みんな停電中の暗い中で懐中電灯を振りながら。
いや、僕を褒められても困るんだけど。
「司令、お疲れ様です!」
「ねえ、このまま祝杯あげましょうよ」
「そりゃいい、どうせ厨房の冷凍食が溶け始めてんだろ? 全部ここに持ってこようぜ」
「こらこら! 戻ってきたエヴァの整備が先だ!」
「あーあ、まだ人力でやるんです? もうたまったもんじゃ……あれ?」
お、電灯がつき始めた。
電力が回復したのか。
「よーし、停電が直ったからにはやることは山ほど有るぞ!」
「うわ、停電騒ぎのほうが楽しかったかも」
「変な愚痴行ってないで……おい、見ろ。初号機が破損してるぞ!」
「左上腕装甲第2が溶解だ! すぐ交換にかかれ!」
そういって改修に取りかかる作業員達。
普段通りの状態に戻るのも時間の問題……痛たたた。
結局、クロスカウンターになっちゃった。
初号機が撃った瞬間、使徒も何かを放っていた。
あれ、なんだったんだろう。なんか雨のように降り注いできたけど。
ATフィールドの張り直しが間に合って、なんとか軽傷で済んだみたい。
「シンジ君、負傷したの?」
「あ、マヤさん。どうやら、使徒の攻撃が当たっちゃったみたいで」
「いやシンジ君、それは……」
「え?」
マヤさんがなんか不思議な顔をしてる。
なんだろう。
「シンジ君。それはエヴァとのシンクロで痛みが伝わっただけだから」
「え、あ、そうなんです?」
「シンジ君自身は怪我してないから、すぐにその痛みは消えるわ」
「そうですか……え、何かな」
レイが僕の腕をしきりに引っ張っている。
それを見て、今度こそはとクスクス笑うマヤさん。
「ほら、乗った後はシャワーで流さないと。後輩は先輩の指示にはちゃんと従わなくちゃ」
「いや後輩とか言っても、後ろに座ってただけなんだけど……あ、あの、ちょっとレイ?」
もう、ほとんど無理から僕をレイは引っ張っていく。
僕の世話しなきゃと夢中なんだな。
そうか。レイ、嬉しいんだな。喜んでるんだ。
さっきのこととか、それとも一緒にエヴァに乗ったことが。
- =- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=-
『それは本当にお手柄だったわ。シンジ君』
「いえ、最後にトドメを刺したのはレイですから」
電力が回復してようやく通信が可能となったので、僕らは出張中の冬月さんとリツコさんに経緯を報告。
モニタには分厚いオーバーを来たリツコさんと冬月さんが映っている。
どうやら、そこは空母の艦橋のよう。
『いいえ、シンジ君がエヴァの発進準備を進めてなければ、全ては上手くいかなかったわ。 それに引き替え、ミサト?』
「わかってるわよ。反省してますってば」
なんと、ミサトさん。
停電が収まるまで、ずっとエレベーターに閉じこめられていたらしい。
いや、それなら不可抗力だったんじゃないのかな。
『よかったわね、ミサト。あなたが居なくてもNERVは機能するみたいで』
「うっさいわね! これから取り返すわよ!」
逆ギレしないでよ、ミサトさん。
それにしては冬月さん、なんか渋い顔。
う、リツコさんを押しやり割り込んで前に出てきた。
『ちょっと良いか? 停電の原因は?』
それには青葉さんが答える。
「それが原因がまだ掴めていません。復旧した理由もまだ」
『なぜ治ったのかすら、判らないというのか。発生箇所は?』
「それが……」
一同、シンと静まりかえる。
その理由。責任者が叱られるとか、そんなことじゃない。
まさか……。
リツコさんは言う。
『使徒が来るから、停電が発生した。使徒を殲滅したから、停電が治った。そういう訳ね』
「……はい」
『考えられる理由が幾つか。その1、停電は使徒と無関係。その2、先程の使徒が原因。そして、その3……』
その時、突然のアナウンス。
「使徒の反応! 場所は本部内です!」
『その3が正解だったようね』
- =- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=-
最終更新:2009年03月03日 16:42