総司令 第参拾話

その次の日のこと。
作業の合間を縫って、リツコはようやく自分のプライベートなパソコンの前に座る。
そして、そこに表示された膨大なログを見てギョッとした。

(シンジ君がレイの体の秘密を知ってしまった!? なんてこと!)

そのログの内容。
それはアスカがシンジに告げた、レイの注射に関する会話が詳細まで書かれていた。
リアルタイムでリツコ自身が傍受していたら、すぐにでも手を打てただろうに。
しかし、多忙なリツコではずっとシンジの言動、シンジの行動を見張り続けることなど不可能だ。

(盗聴を別の者に命じても、シンジ君の言葉の意味まで解釈できる者なんていない。
 ましてや、私の計画の意味を知るのは私自身だけ)

リツコの計画。
それは何か。

(早すぎる。レイの注射はNERV抜きでは手に入らないことを知るのは、あまりにも早すぎる。
 まだ、残存する使徒は少なくないのだ。今、このことを知ってしまっては……)

昨日のリツコは多忙だった。
参号機に続いて、四号機が開発されていたアメリカでとてつもないことが起こってしまったのだ。

「あ、先輩! ここにおられましたか!」

マヤがやってきた。
まだまだ事態は収束していない。
こんなに忙しい自分の身の上をリツコは呪う。

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「向こうはなんて言ってきたの? やはり、参号機の輸送は中止?」
リツコはマヤに問いかける。露骨に眉間に皺を寄せながら。
この状況、とても部下達に対して愛想のいい顔ができないようだ。

マヤも必死だ。
あまりの大変な事態に、彼女も厳しい形相でリツコに答える。
「それが違うんです。四号機の失敗を踏まえて、こちらで参号機を完成させよ、と」
「何を言ってるのかしら。考えられる原因は数万通りでしょ? それを全て踏まえるだなんて無理よ」
これもまた珍しい、リツコの憤慨。

「あ、あの先輩。それから、参号機のパイロットなんですが」
「何?」

そういえば、シンジがパイロット候補の鈴原トウジと面談した筈。
その結果を踏まえて代表者が集合して検討しなければ、とリツコはマヤに言おうとした。

しかし、マヤは言い辛そうに報告する。
「昨日の夜、シンジ君が事務にNERVからの特別出資を命じたそうなんです」
「……? それは、どういうことかしら」
「重病人が疎開できずに困っているから、この辺り周辺の病院に対して特別に費用を支払え、と」
「あ、まさか」
「パイロット候補の鈴原君は、該当する病院に入院されていた妹さんと共に、既に……」

(やられた!)

思わず、リツコは心中でそう叫んだ。
シンジの大ざっぱな支援活動に紛れてしまい、パイロット候補が含まれていることをチェックできなかったのだ。
何しろ候補者の名前はまだまだ極秘で、一般的な社会活動に従事する者が知るはずもないことだから。

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リツコはさっそくシンジを呼び出そうとしたが、代わりにやってきたのはミサトだった。
司令代行を勤める彼女のことだし、それは当然なことだが。

ミサトは言う。
「シンジ君から聞いたわ。十分、納得できる話じゃないの」
「しかし、パイロットの決定をしないうちから」
「シンジ君は決断したそうよ。レイを乗せることに」
「……」
「確か、言ったわよね? シンジ君に決めさせるって。あんた、自分の口でそう言ったのよ」
リツコは凍り付いて何も言わない。
ミサトはそんな彼女を見捨てて去っていく。

リツコの背後に居るのは、青葉とマヤ。
そう、エヴァとのシンクロの仕組みを知っている者達。

思わず青葉は机に顔を伏せてうなり声を上げる。
「よかった……小学生の女の子をコアに押し込むなんて、絶対にやりたくなかったんだよ……」
「青葉さん、レイなら平気だというんですか」
「すまんな、伊吹。俺は既に、それについては麻痺しちまってるんだよ」

それを聞いて、いい気なものだ、とリツコは考える。
しかし、それは口にできない。
なぜなら、それはリツコ一人の都合だから。

(私は、シンジ君は鈴原君を選ぶと思っていた。
 レイを二度までも失い、もう二度とレイを失うまいと、そう考えると思っていた。
 どちらを選ぶか、それがシンジ君の心を測る目安となり、シンジ君に覚悟を決めさせるチャンスと考えていた。
 しかし、予測に反する結果となった。
 シンジ君、またレイが死んでも良いの? あれほど君はショックを受けていたじゃない)

(おまけに、こともあろうに鈴原君が選ばれる可能性を完全に潰してしまった。それも、自分の手で。
 仮にレイを選択したとしても、私がシンジ君に働きかければ修正は可能だと目論んでいたが)

(もはや……)

リツコは思わず、歯ぎしりをする。

(シンジ君、あなたの心も麻痺してしまったのかしら。死んでもどうせ生き返るのだ、と)

(レイなど使い捨ての女の子だと、そう納得してしまったのだろうか)

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リツコは多忙にも関わらず、自室に戻ることを選択した。
自分の心を落ち着けるため。

(なんだか、自分の思考がおかしい。上手くいかないことが多すぎて混乱し始めている。この私が)

所詮、世の中はロジックではない。
全て計算しつくして、ボールを投げればどう跳ね返ってどこに行き着くのか。
そうしてリツコは全て読み切ることで、これまでの困難を乗り越えてきたのだ。
しかし、予測の付かないことが多すぎる。

(アスカ――マイナス因子となるのは判っていたけど、甘く見ていたようね。
 レイの注射について、そこまで調べ上げてしまうなんて。
 アスカにそれを教えた教官、もしかしたらレイに使用されたクローン技術の開発に関わっていたのかも知れない。
 そして、ポロッと機密を漏らしてしまった――)

(機密保持が甘かった。クローン体の維持のため、どれだけの生け贄がゼーレによって投じられていることか。
 アスカに対して子供騙しの手は通用しなかったのだ。簡単な罠でシンジ君を安心させられると思っていたのに)

(そして、結果は最悪。NERV抜きには生きられないことを、いつか私自身から言うつもりだったけど。
 しかも最悪なことに、犠牲者ありきでレイが生きていることだけ、シンジ君は知ってしまった)

(そしてシンジ君の選択。もはや、レイのことをコピー可能な作り物としか見ていないのか。
 あるいは、生かしてはおけない罪深い存在である、と。
 早急にシンジ君に手を打たなければならない。
 そうだ。その必要の有無を知るためにも、彼に選択をさせたのだから)

リツコは心を落ち着けるために、自分のコンピューターを開く。
様々な情報、事情を記されたファイルを閲覧するため。

(手を打つと言っても、ミサトが邪魔ね。うかつにシンジ君に顔を合わすことも出来なくなってしまった……ん?)

リツコが見たもの。
それは動画ファイルの一つだった。

(参照日付がおかしい。この時間は私はここに居なかった)

リツコは立ち上がる。
知られてはならないことを知られてしまったのだ。

そして、それは一体誰が?
それによっては大変なことになる。

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加持リョウジ。
NERV諜報部に所属する男。
しかし、その実態はNERVの動向を知るためのフリーエージェント。

(悪いね、りっちゃん。君が何を考えているのか、それを報告するのが俺の仕事)

そう考えながら、リツコのコンピューターに潜入。
しかし、リツコとは友人なのだ。
全てを告げ口するつもりはない。

(しかし、碇ゲンドウが何を考えていたのか。NERVの人類補完計画が何なのか。
 それが判らない限り、何が重要なのか判ったものじゃないな)

どうやら、加持は全ての情報を与えられているわけではないらしい。
調査し、全て報告せよ。
彼の任務はそれだけのようだ。

(仕方がない。りっちゃんにとって不利になりそうなことは何なのか、持ち帰ってじっくり調べるか)

リツコが所持するデータファイルの一覧に手を通す。
この時間、彼女は多忙で不在の筈。
しかし、手早くコピーをしてしまおう。
いつ何時、彼女がそこに戻ってくるかどうか。

(ん、このファイル……動画ファイル?)

何故、そんなものが存在するのか。
実務に忙しいリツコが動画を閲覧して楽しんでいる?
まあ参考資料として、記録映像を保管している可能性もあるのだが。

そして、そのファイル名が気になる。
名称の中に「shinji」の文字があるからだ。

加持は気になった。そのファイルに興味津々だ。
ここで閲覧するのはマズイ。いや、しかし……。

(ん、パスワードか。えーと……甘いな、りっちゃん。俺達だったら絶対に判るパスワードじゃないか)

そして、そこに映し出された映像を見て、加持は衝撃を受ける。

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その映像は色合いやピントが不鮮明で、とても見づらいものだった。
古いものだろうか。しかし、誰が編集したのだろうか。ところどころ繋がりがおかしい。

(なんだ、これは。まるで、自分の夢を映像化したような……)

『おい、何故こんなところに子供がいるんだ?』

冬月の声だ。幾分、今よりも若い。

『ごめんなさい、私の息子なんです』

女性の声。一体誰だ?

『君かね。ユイ君、これは君の試験なんだぞ』
『いえ、私の試験だからこそみせて起きたいんです』

その声の主が徐々に近づき、そして画面一杯にその顔がアップとなった。

(べっぴんだな。しかし、見覚えがある……んん?)

(あの、ファーストチルドレンの綾波レイにそっくりじゃないか)

『シンジ、ここで見ていてね。全てはあなたの未来のために』

(カメラの持ち主はシンジ君なのか? しかし、この低い視線は……まてよ。
 ユイといったな。ユイを名乗る関係者は只一人)

(そうか、碇ユイ。碇ゲンドウの妻、ユイか。ということは?
 エヴァンゲリオン初稼働のテストパイロットはゲンドウの妻だったのか。確か、それは事故で……)

やがて映像は、その事故発生の瞬間に至る。

『おい、どうした』
『数値がおかしい。なんだ? いったい何が』
『止めろ! 早く!』
『いや、待て! あああっ!』

不鮮明な映像、不鮮明な音声を見ながら、加持の頭の中に一枚の絵が浮かび上がる。

(テストパイロットにして、ゲンドウの妻が事故により死亡。
 続いて現れたテストパイロットはユイそっくりの少女、綾波レイ)

(そうか、あの子はクローンだったのか――ありうる。エヴァ自体がクローン技術で作られているのだから)

(パイロットにはDNAのチェックが不可欠と聞いている。成る程、そういうことか……)

そこまで考えた加持は我に返って、その場を立ち去る。
今の映像こそ、重要な鍵だ。

しかし何故、それが今まで判らなかったのだろう。
当時の事故について知るものはごく僅かだと聞いてはいたが。

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リツコは忙しい最中にも関わらず本部を出て、ある所に向かう。
待ち合わせをしていた。その相手は、あの映像を閲覧した相手。

それが誰なのかは、すでに判っていた。
閲覧可能な者は限られているから。

「よう、遅かったじゃないか」

既にその相手はそこで待っていた。
場所は、誰も居ない古い施設の廃墟。

リツコにためらいは無かった。
いつもの白衣から取り出したもの、それは一丁の拳銃。

「ん、りっちゃん。何を……」

――ドンッ!

問答無用。
リツコは両手でしっかりと銃を構え、相手に何も言わせず、瞬殺。

リツコは既に動かなくなった相手に語りかける。
「加持君、ごめんなさい。こうでもしないと、あなた相手に勝ち目がないから。
 あなたは知ってはいけないことを知ってしまった。
 あなたはシンジ君に繋がりがある。万に一つ、それをシンジ君が知ってしまえば」
後は、心の中で呟いた。

(もしシンジ君が、レイは自分の母親のコピーであることを知ってしまえば――。
 彼は必ず、レイを見捨てて碇ユイの復活を願うだろう。コピーの存在は所詮、オリジナルの影でしかない)

(レイの本質、それは母性。レイはシンジ君に対して強い母性を抱き始めている。
 だからこそ、その果てに存在する者。碇ユイこそが、レイの本来の姿である、と彼は思い至る筈――)

「これ、お願いね。それにしても」

リツコは傍らにいる諜報部の一人に、加持の射殺に使った銃を手渡した。

「ミサトの銃って大きすぎて私には合わないわね。そんなのを片手で撃つミサトって凄い」

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ミサトは眠っていたことに気が付いた。

午前4時。
どうやらキーボードに顔を押しつけて居眠りをしてしまったらしい。
目の前にあるノートパソコンの画面には同じ文字が延々と並んでいる。
無理もない、多忙の毎日である。

「ん……ふう」
と、寝起きの呼吸を整えながら、封を開けたまま放置していた缶コーヒーを飲み干した。
ぬるい、と思わず愚痴をこぼしながら。

なら、ビールでも飲むかと立ち上がる。
散らかった部屋を掻き分けながら、冷蔵庫へと進むミサト。

だが、ふと違和感を感じる。
気が付いて、脇のホルダーに入れていた銃を引き抜いた。

(弾が減ってる?)

その時、玄関のチャイムの音が鳴る。
こんな時間に、誰?

そう、それはもちろんNERV諜報部の男達であった。

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「葛城さんが監禁? 何故?」
葛城ミサトの側近、司令塔の日向は驚きの余り大声をあげた。
それに対して答えたのは青葉。

「いや、なんでも諜報部所属の加持とかいう男を射殺したとか」
「ええ? でも、加持さんって、葛城さんの昔の……。
 痴話喧嘩の果てに射殺? まさか、葛城さんがそんなことをするとは思えないが」
「だから、その動機について尋問中らしい――荒れてるだろうな」

青葉と日向だけでなく、その周囲の者達も顔を寄せて話に加わろうとする。
しかし、そんな彼らを諫める者。

「さあ、みんな。仕事は山ほどあるのよ。ボヤボヤしていると、あっという間に時間なんて無くなってしまうわ」
リツコである。
その鋭い号令を受けて、ざわついていた司令塔は一瞬で静まりかえった。

シンジはともかく、ミサトの不在でいよいよリツコの双肩にNERV運営が委ねられたのだ。
いや、冬月が居るではないか?

(こうなれば、副司令も除いてしまった方がいい。もう不確定要素など放置してなるものか)

そう考えながら携帯電話を取り出すリツコ。
そして、シンジにも会わなければ。

もう邪魔者は居なくなったのだから。









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最終更新:2009年06月08日 22:41
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