総司令 第参拾参話

リツコが本部に戻ったのはアスカがシンジに潰された、その後のことだった。

「あれ以来、セカンドチルドレンは正気に戻りません。ベッドに拘束し、鎮痛剤を投与。点滴を施行中」
という、医務からの報告。

リツコは顔面蒼白でその報告を受け、
「そう、判ったわ」
と、辛うじて返答したのみ。

「あ、あの、先輩」
背後から声がする。
声ですぐ判る。マヤだ。

しかし、リツコは容易には動かない。
「先輩、どうもシンジ君がアスカに何かしたみたいなんです。いったい何があったのか……」
「そうね」
「あ、あの、シンジ君は……」
「……」

聞かれても答えられない。
シンジとアスカの言動を盗聴していたなどと、言えるはずもない。
リツコは全て聞いていた。シンジがアスカを落とす、その一部始終を。

(シンジ君は、アスカに仕返しをしたように見えるけど、でも私には判る。
 あれは私に対するものだ。私がいきなりあの部屋に連れて行ったのを、そっくり真似てアスカに仕掛けたのだ)

リツコは思わず、ゾクリと身を震わせる。
これから始まるシンジの復讐を恐れて?

いや、違う。
お前の本当の姿を見てみろと、鏡を見せられたような嫌な気分。
そんな嫌な気分に、リツコは寒気を覚えたのだ。

(復讐か。そうね、私はシンジ君に辛い思いをさせてきた。全ては私の願望のため。
 どうのような結果であれ、所詮は私一人の願望でしかない。いや、妄執と言っても良い。
 あるいは、これもまた私の復讐、とも)

「あの、先輩?」
「ん、ああ、何かしら」

マヤに声を掛けられて、リツコは思考を強制中断。
もっと情報を整理しなければならないところだが、仕方がない。
部下を大勢かかえている立場だけに、それ相応の動きを取らなければ。

そうせざるを得ない自分の立場が、やはり呪わしくて仕方がないところ。
しかし、ミサトも冬月も除いてしまったのは他の誰でもない、自分自身なのだ。

(全て、自分の蒔いた種、か)

などと考えている場合ではない。
ならば拾い集める他はないのだ。

「マヤ、シンジ君は何処?」
「それが携帯が繋がらないんです。多分……」
「ああ、執務室ね。あそこではどんな電波でも送受信は不可能だから」

セキュリティーに関して万全を誇るNERV総司令執務室。
それはシンジの父親によって設計され、ゼーレの手でも届かない鉄壁の城。

リツコは内線を入れてみようとしたが繋がらない。
いったいシンジは、あの部屋にこもって何を考え、何をしようとしているのか。


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その、総司令執務室。

広大、かつ不気味なその空間をカツ、カツ、と歩む者。
シンジである。

天井、そして床にも描かれた魔方陣。
それは邪悪なものではないが、シンジは知らないだろう。
それこそ天界の楽園にあるという「生命の樹」を描いたもの。
それがシンジにはさっぱり意味が判らないのだが、これだけは理解できることがある。

それはシンジの父親が描かせたもの。
そしてそれは、人類存亡を賭けた戦いには不要なもの。

ならば、それは何を意味するのか?
判るはずもない。ことさら、深い知識のないシンジには。

ただしこれだけは判る。
NERVの存在意義は、使徒退治のための組織ではない、ということだ。

シンジは部屋の中央を見た。
そこにはレイが寝そべり、眠っていた。

今のレイのその姿、それはいつもの性別を無視した適当な軽装ではない。
この間のスーツともまた違う純白のサマードレスで、レイを見違えるほどに女性らしく見せていた。
そしてシンジは父親の黒い制服を肩に羽織り、まるで黒い影のような姿でレイの側へと近づく。

シンジは苦笑いする。
これではまるで下手なコスプレだ、と。
魔方陣の中心で眠る生け贄の少女、その元へと登場した一人の黒魔導師。
なんだか子供がごっこ遊びをしているようで、思わず恥ずかしい気分を味わった。

その時、デスクの方からアラームが鳴る。
内線だ。多分、リツコか誰かだろうか。

しかしシンジはそれを放って置いて、最前から点灯している別の呼び出しを選択した。
すると執務室は一瞬で暗闇に包まれる。
そして、浮かび上がる一人の男の姿。

キール議長であった。
『見事な手並みであったな、シンジ君』
シンジはそれを軽く聞き流しながら、ゆっくりと電子会議の席に着いた。

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「よしてください、キールさん。今回の使徒殲滅なんて全然たいしたことないじゃないですか」
と、シンジは軽く謙遜する。

「ミサトさんや冬月さん、リツコさんが居ないから、皆の真似をして指示してみただけです」
確かにシンジが上げた人物が居れば、自分の口出しする隙など無かっただろう。
なんといっても14歳の子供。仮に才覚に恵まれていたとしても、経験の深い彼らに叶う筈はない。

しかし、キール議長は言う。
『いや、それも決して悪くはなかったのだがな。私が見事と言っているのは、そのことではない。
 セカンドチルドレンを落とした、あの手際だ』
「あ、ああ……」

それを聞いたシンジは思わず両手で顔を覆い隠し、嘆息する。
「しかし、キールさん。自分でも、あんな酷いことになるとは思ってみませんでした」
『ん? 後悔しているのかね』

「僕はアスカが憎かった。レイは人の犠牲の上で生きていることを僕に告げたアスカが憎い。
 しかしアスカは何ほどのことをしたというのでしょう。彼女はただ、僕に真実を告げただけです」
『ふむ……』

「アスカにそれを教えて貰わなければ、無邪気にNERVでの生活をむさぼっているところだった。
 そう考えれば、アスカは感謝すべき相手であり、その相手に酷いことをしたと考えるしかありません」
『……』

語り続けるシンジを注意深く見守るキール議長。
まるで醸した酒の仕上がりを味わうかのように。

「アスカにはお返しに、レイの秘密を見せてやるだけにしようと思ってました。
 ところが、あれほどにアスカを陥れる結果となるとは……」
『しかし』

キール議長は声を潜めて、こう言った。
『君はそれを楽しんだ。そうだろう?』

シンジは苦笑い。
「その通りです。でも、キールさん……大人相手、例えばリツコさんには通用しないでしょうね」
『まあ、そうだろうな』

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シンジは驚くほど素直に自分の気持ちを語り続ける。
無論、キール議長が細心の注意を払って聞き手に回っているお陰なのだが。

「僕は憎い。アスカだけでなく、このNERVの人々の事が憎い。人類全てが憎いんです。
 レイのような存在を生み出して、その彼女を足がかりにして生き延びようとする彼らが憎い。
 人類が救われ、生き延びた。そう彼らが思った瞬間、レイは捨てられる。
 そう、捨てられるんです。人の犠牲のもとに生きているレイなど、なんで生かしておく必要があるのでしょう」
『そうだな。その通りだ』

「僕はむしろ出会いたくなかった。しかし、出会ってしまった。でも――」
『でも?』

「僕はレイに出会い、救われたんです。僕はレイに出会うことで、生まれて初めて孤独から癒されたんです」
『……だから、失いたくない?』

「しかし、失われてしまう。そうなんでしょう?――何故ですか。何故、レイは生まれてしまったんですか。
 何故、僕はレイと出会ってしまったんですか」
『ふむ……そうだな』
「キール議長」

シンジがふいに、話を変えようとしている。

『何かね』
「人類補完計画とは、何ですか?」

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(これは、チャンスだ!)
そのシンジの電子会議を傍受していたリツコは、心中で叫ぶ。

恐らく厳重なセキュリティーが組み込まれて居るであろうその会議。
それをリツコは死力を尽くして傍受する方法を編み出していた。
その会議の動向こそ、自分の計画を左右する。
リツコにとって、絶対に押さえておかなければならない情報であったのだ。

(まだ早いと思っていた。しかし、今だ。今のシンジ君に働きかければ、一気にこちらに傾く)

(キール議長はまだ明かさないだろう。人類補完計画が何を意味するのかを。
 しかし、仮に明かしたとしても私には自信がある。絶対にシンジ君をこちらに傾ける方法がある。
 なにしろ、自分の願望と満たすと同時に、人類を守る結果にも繋がるのだ。
 それを踏まえればシンジ君は必ず同意する)

(今、シンジ君がキール議長に語ったことは、正しくゼーレの意志に添うものだ。
 ぼやぼやしていては、ゼーレにシンジ君が奪われてしまう)

(大丈夫。シンジ君はレイを愛している。いや、もはや自分の半身とも思っているはず。
 ならばこそ、私の計画が成功する。その計画は――)

(ただ、伝えるだけで良い。もう一つの補完計画の方法を、ただ伝えるだけで良い。
 鍵は整っている。使徒殲滅の後にはレイは生きていけないことを、シンジ君は既に知っている)

(そしてもう一つの鍵、決してレイが母親のクローンであることを知られてはならない)

(ゼーレが明かす筈はない。それは第二の碇ゲンドウを生み出すことになるからだ)

(いける。私は勝てる。あと一度だけ、一度だけシンジ君と話す機会さえあれば)

しかし、当のシンジは執務室の中。
シンジが望まぬ限り連絡手段は存在しない。

(リツコ、待つのよ。無理にこじ開けては駄目。落ち着いて機会を待てば……)

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『シンジ君』
キール議長はゆっくりと語り始める。

『まず、答えよう。人類補完計画、それには君にも参加して頂く』
「では、その内容は?」
『順を追って説明しよう。君の先程の嘆きに答えると共に』
「僕の、嘆き」
シンジはゆっくりと聞き返す。

キール議長は両手を祈るように組み合わせて、こう語った。
『本来、人は孤独であるものだ。孤独とは何か? それは自分が一人ではない状態を指す。
 しかし、人は孤独。なぜなら、誰かとの心を共にすることが出来ないからだ』
「……?」
『友と友情を結び、恋人と愛を語り、夫婦となって家庭を築き、子供を産み育てる。
 それらは孤独と相反するように見えるが、孤独ではない様に見えるだけだ。
 夜を徹して語り合い、体を許しあうことで、孤独ではない証を得たと感じたとしても、ただそう感じただけの思い込みだ。
 君はずっと一人だったと言う。しかし、例え友や恋人、妻や子供が居たとしても、孤独であることには変わりない』
「……」
『友情とは遊びや生活の困難を取引し、恋愛は自分の性欲を見たし、その結果が家庭であり、出産である。
 傍から見れば一人には見えない。しかし、心の中の全てまで誰かと共にあることなど不可能。
 人は常に孤独であり、他人との取引と共に生きている。それが成立せねば生きてはいけなくなる、ということだ』

シンジはゆっくりと顔を上げた。
「その孤独を満たすのが、人類補完計画だと?」

キール議長は笑って答える。
『その通りだ。しかし焦るな、シンジ君。君はようやく入り口に立ったばかりなのだ』

どうやら、キール議長は時間を掛ける必要があると判断したらしい。
何しろ14歳の子供が相手。概念を理解させるだけでも相当の手間が掛かるだろう。

『続きはまたいずれ。今日、私が話したことをゆっくりと噛みしめたまえ』
「はい」
『では、また』

そして、議長は姿を消す。
それを見越してシンジは大きな溜息。

そうだ、レイを起こさなくては。
そうシンジは思い立ち、なにやらビニール袋をぶら下げて眠り続けるレイの方へと歩いていく。

「レイ、ほら起きてよ。おにぎり握ってきたんだ。袋はアレだけど本当に僕が握ったんだってば」
そう言ってレイの体をゆする。

そうしながらも、シンジは溜息をもう一度。
「なんだい、よく判らない話ばかりして。僕が孤独だって? ありえないよ。レイがこうして居てくれる限り」
やがて、レイは目をこすりながら目覚める。
その様子を眺めながらシンジは水筒のお茶を取り出した。

議長の判断は間違っていた。
どうにもシンジを買いかぶりすぎたか、もっと早くから手を打つべきであったのだ。
しかしレイは希に見る存在。シンジが孤独から癒されていることを信じて疑わないのも、無理はない。

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それからシンジは執務室から出ようとしない。
何を考えているのか、何も考えていないのか。

実は、大して何も考えていない方が正解。
アスカを追い落としたことも、実は計画の上で行ったわけでは無かった。
たまたまチャンスが訪れ、それに牙を剥いただけだったのだ。

リツコや他の者が先を読んで手を打つならば、シンジはまったくの自然体で機会を待つだけ。
チャンスがあれば即座に食いつく。ただそれだけだったのだ。

しかし何時までもそうして機会を待ちながら、執務室に籠もっているわけにもいかない。
食事も取らなければならないし、レイも治療が必要だ。
しかしシンジは考えている。
今、この瞬間にチャンスが来れば、思い通りの結末を向かえることが出来る、と。

そして、そのチャンスはすぐに訪れる。
果たして、それは誰のとっての好機なのか。









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最終更新:2009年03月04日 18:44
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