総司令 第参拾五話

第1使徒、アダム。

意識を取り戻した彼の目の前に、自分自身の姿があった。
遂に人類は禁忌を犯したのだ。
こともあろうに我らが肉体を我が物として、我らが肉体を操るために。

人類の手に落ちた彼は怒りに狂う。そして恐怖する。
目の前に居る自分の複製の姿を目の当たりにして。
いや、もしかしたら自分こそが複製では無いだろうかと。

そしてその苦悶が、恐怖が、その怒りが頂点に達し、炸裂した。

それを彼ら人類はこう称した――「セカンドインパクト」と。

そして、彼の複製は彼ら人類の手に落ちた。
その複製は意識を取り戻すごとに苦悶する。
彼ら人類の操り手が息絶え、自意識を取り戻したその瞬間に。

我ら仲間の姿を目に前にして、自分が複製であることを自覚した恐怖が蘇り、そして見境を失う。
「本物」と見立てた仲間が完全に息絶える、その時まで。

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ガチャン!

ようやく執務室への入り口がこじ開けられて、誰よりも早くその中に飛び込んだ者。
ミサトであった。
あまりの非常事態のために、特別に釈放されたのだ。

そして左右を見渡し、そして見つけた。
窓にもたれて座り込み、咥えタバコを吹かしながら外を見ているリツコの姿を。

「リツコ……ッ!」

ミサトは相手の元に駆け寄り、胸ぐらを掴んで引きずり上げ、そして。

――バキッ!

指導をうながすための平手ではなく、自分の憎しみを晴らすための鉄拳だった。
それだけでは飽きたらず、さらに鳩尾に膝蹴りを喰らわせ、再び拳で殴り倒す。

ドサリと床に叩き付けられたリツコ。
しばしの沈黙の後、
「痛い、痛いわ、ミサト、痛い……」
そう言いながら身悶える。

ミサトの怒りがそれで収まるはずはない。
今度は首根っこを掴んで無理矢理に引っ張っていく。

「まだよ! シンジ君のために彼と同じ目に遭って貰うわ!
 私は全て知ってる! マヤからも、あんたが仕込んだ医務の連中からも全部きいてるのよ!」

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そして、リツコが突き出されたのは、既に事態が収拾した現場。
そこには動かなくなった初号機と、その足下にはイジェクトされたエントリープラグ。

「リツコ、さあ見なさい! 見るのよ! シンジ君の死に様をね!」
そう言って、プラグの前に横たえられているシンジの遺体の前に、リツコを突き出した。

「……」
リツコは何も言わない。
そうだ。かつて、レイが死んだすぐ後に、こうしてシンジに遺体を突き付けたのだ。
シンジに、レイが死ぬことに対する恐怖心を植え付けるために。

ミサトは怒りに震えながらシンジの遺体を整えた。
「見なさい、シンジ君の顔……笑ってるのよ?」
「……」
「死ぬことが嬉しくて笑ってるのよ? ねえ、見てご覧なさいよ。
 あんたを出し抜いて、仕返しが出来て、そして死ぬことが嬉しくて笑ってるのよ?
 ねえ、なんか言いなさいよ、リツコ……なんとか言ってみなさいよッ!」
「ウフフ……」

リツコは、笑う。
いったい何が嬉しいのか。

「リツコ、あんたは!」
「ううん? 嬉しいのよ。見事に私を出し抜いて、自分の想いを成し遂げた彼――本当に見事だわ。
 シンジ君、誇りに思って良いわよ? この私に勝ったと、あの世でみんなに自慢――」

――バキッ!

再び、ミサトはリツコを殴りつけた。
ポロリとリツコの口中から欠けた前歯が落ちる。

「あんたがあの世に送り届けた、誰と誰に自慢しろって言いたいのかしらね」
ミサトはそう言いながら、銃を抜いて構える。

「あんたが自分で宣伝してきなさい。さあ、殺してあげる。マヤから聞いてるのよ?
 私が出会った最初のレイと同じように、私があんたを殺してあげる。さあ!」
「葛城さん、待って!」

ミサトの腕に飛びついて引き留めたのはマヤだった。
「お願い、待ってください。先輩も、そして私達にも世界の命運が掛かってるんです。もうこれ以上、誰かに死なれては――」
「構わないわ! 世界がどうなろうとね! もう終わりよ。シンジ君も死んだし、新しいレイを起こすことも出来ない。
 エヴァを操縦できる者はこれで居なくなったのよ! シンジ君はそうなることが判ってて死んだのよ!
 シンジ君は人類を見捨てることに決めた。そして私も彼の意志に従う。もうこんな世の中なんか無くなってしまえばいい!」
「葛城さん、本気ですか! 葛城さん!」

尚も狂乱するミサトを見ながら、リツコは笑みを絶やさない。
「いいのよ、ミサト。撃ちなさい。私の完敗、シンジ君には本当に悪かったと思ってるわ」
「……口軽く、よくもそんなことを」

ミサトの激怒は遂に頂点に達する。そして絶叫。
「悪いと思うなら、今すぐシンジ君を元通りにして見せなさいよッ! 今すぐッ!」
涙までも流しながら、ミサトは叫ぶ。

そして、そのまま泣き崩れる。
「お願い、シンジ君を返して……お願い……」

その時、背後から大声が。
「あ、あの……生きています!」

どうやら医務の一人らしい。
現場の収拾に尚も作業を続けていた一人が、修羅場の真っ最中である首脳陣に向けて報告しにやってきたのだ。

「ファーストチルドレン、綾波レイが生きてるんです! エントリープラグが、あの爆発にも耐えたんです!」

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「う、あ……」

呻き声を上げて、意識を取り戻そうとするレイ。
あちこちに怪我を負っているようだが、間違いなく生きている。

医務や技術担当者は言う。
「恐らく、N2爆雷から受けた過負荷によって、エントリープラグが強制射出された模様です」
「地面との衝突や振動によって軽傷を受けていますが、LCLがクッションとなったもよう。命に別状は、ありません」

別状ならある。
シンジは既に命を絶ってしまったのだ。
これでレイが生きている理由が無くなったのだ。

そのことを理解しているマヤは、大慌てで医務に命ずる。
「レイを眠らせて! 早く! もし、シンジ君が死んだことが……」
「じゃあ、このレイは何時、目覚めればいいの?」
と、ミサトは流れる涙を拭おうともせずに、マヤに問う。

マヤもまた、泣きじゃくりながら。
「だって……だって、ミサトさん! 簡単なことじゃないんですよ! 世界の命運がレイに掛かってるんです!
 もし、残る使徒を殲滅できなければ、人類は……人類は……ミサトさん! 本気で人類に滅べと言えるんですか!」
「ああ、言ってやるわ。すぐ記者会見でも何でも開催して、何度でも言ってあげる。それが――」

ミサトはシンジの方を見た。青白い顔で、自ら頭を撃ち抜いたその姿を。
「私が忠誠を誓った、総司令の意志なのだから」

一同、沈黙。

気が付けば、NERVスタッフのほとんどがその場に終結していた。
そして誰もがシンジの遺体を前に、目を伏せる。
正式な儀礼に添ってはいないが、その場にいる誰もがシンジの死に自らを伏した。
NERVが、ゼーレが、人類が及ぼした所業のために、シンジは死んだのだ、と――。

もはや、レイがクローンであることは知れ渡っていた。
さらに彼らの多くは、シンジが苦しんでいたことも知っていた。
レイがクローンであるがために。

もし、真実なる葬儀というものがあれば、これがそうだろう。
中には膝を地について泣き続ける者もいる。
それはシンジにとって名も知らないスタッフの一人。
誰もがシンジに哀悼の意を心に抱き――。

いや、一人。
異端者がゆっくりと体を起こす。

「シンジ君を返せ、と言ったわね」
リツコであった。

ミサトはピンと来た。
「待ちなさい。何をする気?」
「実はもうした後なの。備えあれば何とやら……」
「やめなさい、リツコ! それは……それは、シンジ君では無いわ!」

だが、リツコはニヤリと笑い、こう答えた。
「それを決めるのは、レイよ」

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狂気が、そこにあった。

リツコは言う。
「ほら、ミサト。シンジ君よ……」

地下の、あの水槽とは別の部屋。
そこはマヤも誰も入ったことのない部屋だった。
薄汚れてて、掃除すらまともにしたこともないような。
そこにある中央のベッドに横たわる者。

――シンジであった。

いや、違う。
大きな違いがある。
髪の色は青、そして見開かれた瞳の色は赤だった。

「でもねぇ……シンジ君の記憶って、ちっちゃいころの物しかないの」
リツコはそう言いながら苦笑い。
「彼のお父さんがもしものために、と記録した幼い頃の記憶だけ。それも、母親を失った直後のね」

そこに、眠らされているレイが運ばれる。
シンジの目の前に座らされ、嗅ぎ薬があてがわれた。

「ほら、ミサト? 感動のご対面よ」
「止めて、お願いだから、止めて……」
ミサトは絞りだすような声でリツコに訴えた。
この狂気を目の前にして、もはやミサトの心は押しつぶされそうになっている。
しかし止めることが出来ない。誰も止めようとはしない。

やはり、人類存亡の危機はあまりに重く、誰も逆らえなくなってしまったのだ。
シンジ自害のショックを経ても、彼らは人類を守るために動かざるを得なかった。

そして。

「ママ……」

「シンジ」の声。

「ママはどこにいったの? なにがあったの? ねえ……」

「シンジ君……っ!」
ミサトの呼吸が止まる。

碇ユイ、最初のテストパイロット。エヴァンゲリオン初号機の中に眠るシンジの母。
シンジの記憶は、最初の稼働試験で母を失った、その直後のものであったのだ。
シンジが忘れていた、忘れなければ生きていけなかった記憶が、今、蘇ったのだ。

ピクリと、レイは動き出す。
そのレイを「シンジ」は見た。

「あ、ママ? ねえ、ママなの? ママなんでしょ?」

その問いかけに、レイは答えた。
「そうよ、シンジ」

レイは答える。目の前にいる「シンジ」の望みのままに。
「私が、ママよ」

14歳の少年が同い年の少女に「ママ」と問いかける、その光景。

あまりに惨いその光景にマヤは思わず顔を背ける。
「もう嫌だ、こんなの……イヤよ……」

そうまでして――それでも、それでも人類は生きていかなければならないのか。

「さあ、シンジ。お部屋に戻って休みましょう」
「あたらしいおうち?」
「そう、とても綺麗なお部屋だから」

マヤはもうたまらずに悲鳴を上げた。
「……いやああああああああああああああああああああっ!!」
やりきれない気持ちをぶちまけるかのように。

レイは、そして「シンジ」は、その叫びが全く耳に届かなかったかのように、
互いに相手の手を取り合いながら、その場から立ち去った。

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そして。

レイは「シンジ」を伴い、かつてシンジと過ごした部屋へと戻る。
彼女と話を出来るのはシンジと、そして新しい「シンジ」だけ。
NERVのスタッフ達は、その光景を遠巻きに見る他は無かった。

誰にも構わず、誰に断りを入れようともせず、何も疑問に思わずレイは「シンジ」との生活を始める。
冷蔵庫に残る食料で「シンジ」に食事を作ってやり、「シンジ」を風呂に入れて着替えさせ、そして「シンジ」と共に眠る。
かつて、シンジが自分にそうしてくれたように。

マヤと他の女性職員達の有志が、その生活を影ながら支援した。
冷蔵庫に食料を詰め込み、衣服や生活のために足りない物が無いかどうかをチェックした。
そして、二人の様子を見守りながら。

「どう、シンジ。美味しい?」
「うん、おいしいよ、ママ」
「そう、よかった……」

その仲睦まじい光景は、吐き気を催すほどに美しかった。
その光景にもはや耐えきれず、誰にも告げずにNERVを去る者も出始める。

そうでなくても、NERV内部の士気は最悪のところまで落ちているのだから。
自分の隣にいた同僚が次の日に来なくても、誰も構おうとはしなかった。

しかし、マヤは唇を噛みしめながら職務に耐えていた。
それは何故だろう。

マヤは、リツコから託されてしまったのだから。

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「シンジ」とレイを妻合わせてから、その直後。
リツコはマヤとミサトを伴い、地下の更に奥にある秘密の部屋へと訪れた。

「そろそろ、限界のようね」
リツコはマヤに言う。
古びた椅子に座り、ぐったりと背もたれに身を預けながら。

その時、ボタリと右腕が落ちる。
まるで作り物の人形のそれが、壊れてちぎれてしまったかのように。

「ひっ」
マヤは悲鳴を上げる。そして、改めて自分が先輩と呼んだ相手の姿を改めて見た。
まさか、そんな……そんなことが……。

リツコは最後の力を込めて、引き出しからトランクケースを取り出す。
「当分はこれで持つはずよ。レイとシンジ君の体は」
中身はそう、レイに施していた注射のアンプルであることには間違いなかった。

「それじゃね、マヤ。そして、ミサト。今から、シンジ君に謝ってくるから。あと、加持君にも……」

そう言い終えると同時に、リツコの体は脆くも崩れ落ちる……。

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ミサトはそれを見届けて、更に奥の部屋へと向かった。
そこにあるものは、おおかた予測がついていた。

巨大な水槽に浮かぶ、幾つかの女性の裸身。
それはみな、青い髪と赤い瞳。
恐らく、その髪を染め上げ、カラーコンタクトでその目を隠していたのだろう。

それこそ正しく、MAGI開発者の赤木ナオコ博士が自分の跡継ぎとするために生み出した物であった。
あと自分が数人欲しいという誰もが考える欲求を、彼女は実現してしまったのだ。
なにせ、その手法は既に確立されていたのだから。

ミサトにうながされ、マヤは決めた。
水槽にあるスイッチを操作すると、みるみるうちに水槽の中の肉体は崩れて溶け始める。

もう生み出してはならない。
再びリツコを起こして苦しめてはならないと、二人はそう決めたのだ。
後を継いで人類を守るという誓いの元に。

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しかし、残る使徒はあと3体。

そしてNERVに残っている戦力は?

零号機は四散。
残るは初号機と、
専属パイロットが再起不能の弐号機。

パイロットは、「シンジ」の世話に没頭する綾波レイ。
あえていうなら、「シンジ」も初号機とのシンクロが可能。

もはやスタッフ達は気力を無くし、ポジトロンライフルを再び用意するほどの力は、もはや無い。
冬月も、リツコも居ない。

司令代行として指揮を執るミサトを中心に、NERVがどれだけ戦うことが出来るというのか。


そして、使徒は静かに現れる。
まるで二人の生活を乱してしまうことを恐れているかのように。








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最終更新:2009年03月19日 21:02
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