総司令 第参拾八話

第17使徒、タブリス。

戦いは終わった。
言葉も交わした。
そして、我々が次に為すべきことは、何か。


――そうだね。僕らは和解をすればいいんじゃないかな、碇シンジ君?


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「青葉さん止めて! 止めてください!」
マヤは叫ぶ。

しかし、青葉は構わず「シンジ」の体を担ぎ上げ、数名の仲間を引き連れて、あの地下の「水槽」へ。
早くしなければ間に合わない。この「シンジ」だけが「レイ」を動かす唯一の鍵。
「レイ」が居なければ、初号機は動かない。
初号機が動かなければ、使徒に人類は滅ぼされる。

青葉シゲル。
リツコの指示を受けて、マヤと共に「レイ」の管理を任されていた者の一人。
彼はその担当である責任感に勇み立ち、人類存亡の大義名分を背に受けて、レイの復活のために奔走する。

しかし、マヤはそれを止めようとする。
呼んでも立ち止まらない彼を先回りして、彼の行為を諫めようとした。

「お願いです。もう、こんなことは止めてください」
「何故だ。死んでも良いのか? 自分がじゃない、みんなが死んでしまってもいいというのか?」
「だからって、もうこれ以上、レイに戦わせるのは」
「感傷に浸っている場合じゃないだろう。俺が出来るなら自分で戦う。でも、それが出来ないから――」
「それじゃ、あなたは自分で戦ってみたことがあるんですか!」
「だから、こうしてかけずり回って居るんだろ! これが唯一、俺の出来る戦い方だ!」

もはや彼らは、正論を唱える気持ちも失いつつある。
大声でいがみ合い、そしてそれは力任せへと変わっていく。

「もういいからどけ! 出来るものなら俺を止めてみろ!」
青葉はそう叫び、マヤの体をぐいっと押しのけた。

「……青葉さん!」
マヤの瞳に、宿り始める殺気――。

――パンッ……!

「ぐ……」

「シンジ」の体を背負ったまま、前のめりで倒れる青葉。
そのまま、絶命。

「あ……」
マヤは理解できない。自分がいったい何をしたのか。
ふと、自分が両手で握りしめているものを見た。
それは小型の拳銃だった。

「あ……あ……」
マヤはそれを握りしめたまま、自分がしたことに身を震わせた。
しかし、その隙だった。

「行くぞ、みんな」
と、別の者が「シンジ」の体を担ぎ上げ、さらにその先へ。

「おい、お前は判るのか?」
「ああ、こんなこともあろうかと青葉から聞いていたんだ。こっちだ」
「よし、急げ」

無慈悲に、無法に、そして無惨にも禁忌の扉が開かれようとしている。
いや、もはや禁忌でも何でも無い。
もはやリツコやその先人達が犯した冒涜が、当たり前のように行われようとしているのだ。
まるで、火の危険と有り難みを忘れてしまった人間達のように。

しかし、本部のセキュリティーは健在。
あの「水槽」へと通じるエレベーターはごく限られた者達だけしか……。

「おい、カードは?」
「いや、生体認証に変わって、もうカードじゃ開かん筈だ。どうする……お?」
「開いたぞ? ああ、そうか。コイツはなんたって司令様だもんな」
「そういやそうだったな。よし、みんな乗れ」

そして、彼らは「レイ」達が漂う水槽の元へ。

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「マヤ」
そう声を掛けながら、彼女が手にした拳銃を取り上げる者。

ミサトだった。
今だに自分のしたことに震え上がっているマヤの頬を、軽く叩いて正気づかせる。

「しっかりしなさい。彼らにレイが弄ばれても良いの?」
「は、はい……」
「しゃんとして。もう一度、覚悟を決めてから、もう一度これを構えなさい」
そして、マヤに再び銃を握らせて、自分もまた巨大な銃を抜く。

「さあ行くわよ。これ以上、私達は過ちを犯してはならない」
そう言いながら、彼らを追って先を急ごうとした、その時。

その少年は現れた。

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そして、青葉の意志を継ぐ者共が、「レイの水槽」を目の当たりにする。

「ぐ……」
「話には聞いていたが、これは凄いな……」

「レイ」達の水槽を初めて見るものには流石にショックだろう。
しかし、青葉から手ほどきを受けているという者がハシゴを使って水槽の上部に登る。
そして、慣れない手つきでレイの一体を引き上げた。

そうだ。水槽に驚いている場合ではない。
今この瞬間に使徒が現れるかも知れないのだ。

早く、一刻も早く新しい「レイ」を用意しなければ。
でなければ、我々人類に未来はない。

レイをベッドに横たえ、メモを取り出して確認しながら様々な端子を取り付ける。
そして、「記憶」のインストール。
「レイ」の最新の「記憶」、シンジがまだ生きていた頃の。

そこに「シンジ」が担ぎ込まれる。
ベッドの隣りに座らされ、薬品を嗅がして覚醒を誘い――。

「おい、どうした?」
「ファーストチルドレンの反応が無い――何故だ!」
「何か間違ったんじゃないのか? もう一度、眠らせるか?」

しかし、目を覚ました「シンジ」が呟いている言葉。
「ママ……ママはおニンギョウ……そして、ぼくも……」

「おい! しっかりしろ!」
「駄目だ、息をしてないぞ!」
「駄目か? 駄目なのか? コイツが死んでしまったら……」

「その子をコイツ呼ばわりするとは良い度胸ね」

――バキッ!

ミサトだった。
追いついてきた彼女は、連中の一人を銃の持ち手で思いっきり殴りつけたのだ。
「気力を無くしたその子で、レイが起きるわけ無いじゃないの」

そう言いながら、ミサトは連中を押しのけてシンジの体を抱え、
「もうこのまま逝かせてあげなさい」
そういって、レイの隣に横たえた。
どうやら、ミサトはレイを活かすの方法を、その理由を大体ではあるが理解しているようだ。

一同、落胆する。
しかし、もう仕方がない。
この「シンジ」がレイを望まなければ、彼女は応じることはない。
この「シンジ」は、レイが死ぬところを見てしまったのだ。
まるで人形のように崩れ落ちる様を見てしまったのだ。

ミサトは言う。
「マヤ、もしかしたらシンジ君を作り直せば可能かも知れないけど。ね?」
「はい。今から作っていたのでは遅すぎるし、そのための材料は全て処分いました。それに、私はそれを許しません」
「そういうこと。それに――」

ミサトの言葉を、後ろからやってきた少年が差し止める。
「ちょっと待って。いや、紹介して貰うその前に」

一同、振り返る。
ミサトはハッとして銃を構えた。
やはりここは禁忌の場所だから。

少年は、ミサトの銃口にも動じずニコリと笑う。
そして引き留める隙を与えずに「シンジ」の元へ。

「ねえ、しっかりして。ほら、目を覚ますんだ。シンジ君」

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「はっ……!」

「シンジ」は、意識を取り戻す。
目の前に居る少年に体を揺さぶられ、何かの衝撃を受けたかのように身を震わせた。
少年はシンジに微笑みかけ、そしてこう言った。

「よかった。もう少しだけ生きていて欲しいな。いろいろ話をしたいから」
さて、それはどういう意味だろうか。

その少年の姿。
髪は青。いや、レイと比べると少し灰色に近い。
瞳は赤、というより紅色と言った方が良い。

似ている。しかし違う。
そうなのか? 判らない。
年の頃はシンジと「シンジ」、レイやアスカと同じくらい。

そして、名乗った。
「僕はカヲル、渚カヲル。よろしくね、シンジ君?」

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ミサトはどうしたものかと頭を抱える。
待っていろと言ったのに勝手に後ろから着いてきてしまい、NERV最大の秘密の場所に入ってしまったのだ。
しかし、仕方がない。

この部屋のことを忘れろと言い渡し、おとがめ無し。
そうせざるを得ない。彼は貴重な存在なのだ。

「そして、あんたたちもね」
ミサトは、「シンジ」をここに引きずり込んだ連中に対して宣告する。

「青葉二尉の射殺は最重要機密の乱用、倫理性に反してNERV一員としてあるまじき行為に及んだため。
 緊急ゆえに伊吹二尉が独断で処分。司令代行の私はそれを止むを得ず、と判断します。そして、あんたたちも!」
シャキッと銃口を連中に向ける。

びくりと彼らは身を震わせたが、しかしミサトはすぐに銃を下ろした。
「しかし、伊吹二尉の独断決行は組織の秩序を乱す。彼女は担当から外して数日の雑務に就いて貰う。
 あんた達は、彼女のオペレーター業務を引き継ぎ、穴埋めをしなさい。ほら、行って」

そして、その連中はすごすごと退場。
ミサトはマヤに振り返って言い渡す。

「二人の世話をして。勤務時間内だけでいいから」
「葛城さん。あの子はなんなのですか? どうしてシンジ君が……」
「知らないわ。聞いてたでしょ?」

ミサトは、ふう、と溜息をつきながら。
「彼はフィフスチルドレン。ゼーレから派遣されたパイロットとしか、私も知らない」

マヤは首を横に振る。
「しかし、乗れるエヴァがありません」

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マヤはミサト共に、二人を連れてエヴァの格納庫へと向かう。
二人を連れて、というか「シンジ」を連れてくるカヲルを連れて来た、というのが正確な説明なのだが。

ミサトはマヤの質問には答えず、カヲルに指し示した。
「あれがエヴァよ。とりあえず、どっちかに乗ってみる?」
格納庫に残るエヴァは2体。
初号機と、そして弐号機。

「それじゃ、僕はこっちに乗ればいいんだね。だって、その紫色にはシンジ君が乗るんだろう?」
そういって、スタスタと弐号機に向かう。
理論上、アスカでなければ動かないはずのその機体へと。

マヤは慌てて引き留める。
「あ、あの、それは無理なはずよ」
「いや、試してみますよ。だめ?」
「……それじゃ、プラグスーツに着替えて。持ってくるから」

ミサトはその光景を見て渋い顔をする。
その少年の勝手な振る舞いはさておいて、常ならぬ少年の言動が気になるのだ。

なぜ、少年が「シンジ」の死を防ぐことが出来たのだろう。
さっきの様子からして間違いない。彼にはその力があり、自信満々にシンジの肩を揺すぶったのだ。
この調子だと、アスカにしか乗れないはずの弐号機とのシンクロも可能だろう。

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予測通り。

試験室のオペレータールームで、渚カヲルのハーモニクステストを見守るNERVスタッフ達。
どうやら彼は手慣れているようだ。説明も受けずに、テキパキと操作を開始。

「シンクロ率、80%以上をキープ……弐号機の操縦は十分に可能です」
アスカ並、いや、それ以上かも知れない。

マヤにミサト、それ以外のスタッフ達は胸をなで下ろす。
「これで、次の使徒が襲来しても何とかなりそうですね」
「だと、いいけど」
と、ミサトはやっぱり苦い顔。

マヤはそんなミサトの様子が気になった。
「どうしたんですか。葛城さん」
「判らない? 彼、尋常じゃないわ。なんていうか――上手く言えない」
「……」
「そうね。なんていうか、何もかも判ってるような口ぶりが気に食わない」
「……?」

そして試験終了。

「シンジ君、終わったよ。お風呂に入りに行こうよ」
カヲルはそう言って、しゃがんで待っていた「シンジ」の手を取った。
どうやら、そのまま「シンジ」の世話を買って出るようだ。

ミサトはそれに対して。
「ずいぶん上手く本部の穴を埋めてくれるじゃないの」
「そうですね……」
「マヤ、聞こえたでしょ? 彼らに着いていって」
「え? 私も一緒に入って来いと?」

ミサトは苦笑い。
「そこまで尾行しなくったって良いわよ。あなたは女湯に入って来たら?」

やれやれ、リツコの盗聴システムが使えれば良いのだが。

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「ああ、この自販機もセンサーに指を当てたら、お給料天引きで……」
カヲルに自動販売機の使い方を説明するマヤ。
お風呂上がりの三人は(結局、マヤは女湯に入った)、休憩所でジュースを買った。

カヲルはパックのジュースを二つ購入して、一つを「シンジ」に手渡す。
しかし、思い返して付属のストローを刺してやり、
「ほら、角を持って飲むんだよ? 中身が溢れるからね」
そう言って「シンジ」の手を取り、しっかりと持たせた。
「シンジ」は一口、二口、ジュースを吸い込み、一呼吸。

マヤは気が付く。
カヲルの細やかな気遣い、それは「シンジ」の精神が幼児であることをよく知っているかのよう。
説明も受けずにそこまで理解することが出来るのだろうか。
マヤが見ていない入浴中の空白時間では、流石に無理があるとしか考えられない。

カヲルは「シンジ」に尋ねる。
「悲しいの?」
「うん、ママがしんじゃった……」

そう言ってうつむく「シンジ」。
今の「シンジ」はそのことで頭の中が一杯だろう。
マヤは二人の会話を注意深く聞き入っていた。

じわり、と「シンジ」の目から涙がこぼれる。
「ママ、ぜったいにしなないっていってたのに」
「恨んでるの? ママのこと」
「ううん、うらんでなんかいないよ。だって」
マヤは次の「シンジ」の言葉に驚く。

「ママは、ぼくたちがニンギョウだってこと、しらなかったんだ。ニンギョウだから、こわれちゃったんだ」

カヲルは首をかしげて「シンジ」の顔を覗き込む。
「君は人形なの?」
「うん、ママのこだもん」

もし、マヤがレイと使徒との会話を全て聞いていたら、もっと驚いていただろう。
「シンジ」は「シンジ」なりの考えで、正確に事情を把握している。
しかも、自分の「ママ」を弁護する形で、子供らしい理論ながらに理解しようとしているのだ。
もちろん、偶然なのかも知れないが。

「それじゃ、シンジ君はママを許せるの?」
「うん……」
「使徒が憎い?」
「……わからない。ママはニンギョウだから、こわれただけ。ママをころしたの、シトじゃない」
「あれ? どうして、そう思うの?」
「シトはもういなくなったんでしょ?」

カヲルは笑って頷く。
「そう、その通りだよ。君のママはね、使徒をちゃんと倒してから死んだんだ」
「うん……」
「君は賢いね。ちゃんと、判ってるんだね」
「ママは?」
「もちろん、ママは自分の仕事をちゃんと済ませたんだ。ママもえらいよ」
「うん……」

あまり嘘はつかず、ごまかさず。
カヲルは正面から「シンジ」をなだめることに成功したのだ。
マヤは少しだけほっとした。

カヲルは自分のジュースを飲み干して、立ち上がる。
「シンジ君、ご飯を食べに行こうよ」

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「からい」

本部内の食堂で、「シンジ」が定食のみそ汁をすすって出た言葉がそれ。
カヲルは肩をすくめ、二人分のお膳を丸ごと手をつけずに返却する。
ちなみに、その食堂はセルフサービス。

「えーと、伊吹さんでしたっけ」
カヲルに初めて声を掛けられ、思わずビクリと驚くマヤ。

「え、あ、はい」
「すみませんが、料理できる場所って無いですか?」
「あるわよ。その子と亡くなったファーストチルドレンが暮らしてた部屋が……」
「案内して貰えますか? シンジ君の好みに合わせて料理を作りたいんです」

マヤも慌てて案内しようと立ち上がるが、流石にもったいないと思ったらしい。
うどんの汁を一口だけすすってから、カヲルに習って返却した。

そして、シンジが暮らしていた部屋へ。

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カヲルは早速、冷蔵庫の中身を物色。
マヤは自分が作る気満々で腕まくりをするのだが、もう既にカヲルは鍋や材料を取り出して料理に取りかかっている。

小さな鍋で湯を沸かし、削り節を入れて出汁を取り、材料を煮立てて味噌を溶かして……。
さっそく「シンジ」に味見をさせる。

「どう? シンジ君」
「うん、ママとはちょっとちがうけど」

「シンジ」チェックはクリアしたようだ。
カヲルは続いてチャーハンのようなものを作り始める。

「器用ね」
マヤは声を掛けた。

カヲルは愛想良く受けあう。
「ええ、まあ」
「あなた、アメリカから来たんでしょ?」
「アメリカにだってみそ汁ぐらいはあります」
「……まあ、それもそうね」

マヤはどこからメスを入れていいかどうかも判らない。
こんな時、リツコが失われたのが悔やまれる。こういう場合、なんでも相談を受けてくれたのに。
所詮、自分はコンピューター屋でしかない。

ふと、居間で座っている「シンジ」を見た。
大人しい子だ。お行儀良く料理が出来るのを静かに待っている。

「あなたの分も作ります。座って待っていてください」
と、カヲルに声を掛けられ、自分も「シンジ」の方へ。

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マヤは部屋の中を見渡す。
ささやかながら、それなりの飾り付けもされている。
かつてのシンジが学校も通わずに暮らしていた部屋だ。
内装に凝りたくなるのも判る。

しかし、大人しい雰囲気だ。14歳の子供のデザインとも思えない。
父親である碇ゲンドウが居た状態から変えてないのか。
しかし、ゲンドウにとっては単に寝るだけの場所としか聞いてないのだが。

マヤは「シンジ」の側に座る。しかし、反応はない。
声を掛けても同じだろうな、と再び周囲を見渡してから、台所にいるカヲルの方を見て……。

マヤは、ハッと気が付いて、再び立ち上がった。
初見では気が付かなかったが、とんでもないものが部屋にあることに気が付いたのだ。

(この額縁に納められているものは……まさか、使徒!?)

まるで巨大な胎児の様なものが、琥珀色の固まりで封じられていた。
最初は絵だと思ったが、よく見てみると実物だ。
これはどこかで見たことがある。いつぞやに見た使徒の姿にそっくりなのだ。
なんだったか――。

「使徒アダムの幼生だね」

ハッとマヤは振り返った。
カヲルが料理を仕上げて居間まで運んできたのだ。

「ごめんなさい、カヲル君。運ぶのを手伝うわ」
「ああ、それじゃみそ汁を注いでください」

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灯台もと暗し。
シンジなりのジョークだろう。貴重なその品をシンジはそんな隠し方をしていたのだ。
しかし、マヤにはその貴重さが理解できないのだが。

そして、カヲルが作った即席料理を食べながら、二人の会話に耳を傾けた。

「ねえ、えーと」
「カヲルだよ」
「ああ、それじゃカオルくん。どうして、シトはやってくるの? どうしてシトはぼくやママをころすの?」

「シンジ」の子供らしい素直な質問。

「それはね、シンジ君。使徒は怒ってるんだよ」
「どうして?」
「リリン達が――人間達が、使徒の体をつかって大きな人形を作ったから」
「どうして?」
「それはね。使徒を殺してしまうためだよ」

ん? と、マヤは手を止める。
カヲルの説明はおかしい。
使徒がサードインパクトを起こすのを防ぐために、自分達は日夜問わずに戦っているはず。

「ニンゲン達は、どうしてシトをころすの?」
「人間達は使徒が邪魔だと思ったらしいんだ。
 人間達は使徒を殺すために、使徒と同じ力が欲しいと思ったんだ。
 使徒は人間より強いからね。だから、使徒の体を人間が取っちゃったんだよ」

クローンに関して、「シンジ」が理解するには難しいだろう。
コピーではなく取った、奪ったと言ってしまう方が判りやすい。

「シンジ」はすぐに理解した。
「それはシトはおこるよね」
「そう、だから捕まった使徒は怒って、大爆発しちゃったんだ。でも、人間達を滅ぼすことは出来なかった」
「ほろぼす?」
「ん、ああ、そうだね。君達みんなを一人残らず殺すって意味なんだ」
「ふーん……」

「シンジ」は素直に結論をつける。
「それじゃ、悪いのはニンゲンじゃないか」
「その通りなんだ。でも、使徒の体を盗んだ人間達の力は強かった」
「そうなんだ。ねえ?」

「ん?」
「ニンゲンって、どんな人?」
「アハハ、ごめんね。君や君のママや、他の人達がそうなんだよ」

カヲルはそのまま、語り続ける。
「いいかい、シンジ君。人間達はね、使徒の体を使って大きな人形を作ってしまった。
 使徒はそれが許せなかった。使徒の力、それは自分達の体そのものだからね。
 そして、人形にされてしまった使徒は苦しい思いをした。だから他の使徒が怒っている」
「……ふーん。ニンギョウってぼくらとのおなじ?」
「そうだ」
「どうしてニンギョウになると、くるしいの?」
「君は人形の苦しさをまだ知らないからね。君のママは知っていた」

マヤは、思わず食べる手を止めた。
その人形の苦しさって、クローンであることの葛藤のことを言ってるんじゃないだろうか。

ならば、全ての原因はエヴァを作ってしまった人間の方にある。
いや……おかしい。

順序が逆だ。

使徒を怒らせたから、人類の危機が訪れ、エヴァが作られた訳じゃない。
エヴァが作られたから、使徒が怒り、人類の危機が訪れた。

そう考えるのが自然だ。
しかも使徒が襲来する理由としても、辻褄が合う。

(アスカは僕と同い年の14歳。そしてセカンドインパクトは15年前です。
 使徒が襲来して、セカンドインパクトが起きて、そのわずか1年後にアスカが生まれました。
 アスカは言ってました。自分がエヴァパイロットになるために生み出された人間だって。
 使徒を殲滅するエヴァの計画は、セカンドインパクトが発生する以前に立てられたんですか?)

以前のシンジの言葉をマヤは思い出す。

エヴァは使徒を倒すための道具。
それを作ったがために、使徒の怒りを買った――いや、それは余計事だ。

全ては人類の計画だったのだ。
全ての使徒を滅ぼす、そのためだけの計画。

それに対する使徒の反撃が始まった。
NERVは、そのとばっちりを受けるための機関だったのだ。

さらに、使徒に対して犯した罪を、その苦しみを、NERVに居る者自身が受けている――。

マヤは思わず、カヲルに尋ねる。
「あの、サードインパクトは……?」

会話の流れも無視した突然の質問。
それに対して、カヲルは答える。
「それを起こすのは使徒。でも、起こさせようとしているのは誰だと思う?」

それを聞いたマヤの頭は、さらに混乱する。

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食事を終えた「シンジ」は、静かにスプーンを置いてこう言った。

「それじゃ、シトがわるいんじゃなくて、わるいのはニンゲンじゃないか」
「そうかい?」
「そうだよ。だから、シトがおこったんだ」
「でもね、シンジ君。実は、シトはもう怒ってないんだ」

カヲルはリンゴを剥きながらシンジに言う。
「君のママが同じ苦しみを理解していたからね。使徒とママはお話し合いをしたんだよ」

話し合い? なんのことだ。
あの天空の使徒との戦いでレイが誰かに話をしていた、あのこと?

「ふーん……でも、ママはしんじゃったよ?」
「ああ、その時にママは自分が人形であることを知ったんだ」
「それをおしえたのはシトなんでしょ?」
「そう。まだその時までは、その使徒も怒っていたのかも知れないね」
「……」

しばらくの沈黙。
カヲルが剥いてくれたリンゴを三人で、シャリ、シャリ、と食べる音だけが部屋に響く。

「ねえ」
「シンジ」はまったく違う話を始める。

カヲルは応じる。
「なにかな」
「シンジ」はまじめな顔をして尋ねた。

「ぼくは、ママの子の、ニセモノなんでしょ?」

マヤは息を飲む。
何故? どうして、この子がそれを知ってるの?

「シンジ」は一枚の写真立てを手に取り、カヲルに渡した。

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その写真とは。

それは、シンジとレイが並んで映されていたものだった。
シンジも、そしてレイすらも恥ずかしそうな顔をして。
そのレイは綺麗に化粧をして、女性らしいスーツ姿で写真の中にいた。
それは恐らく、ミサトが携帯電話のカメラでデート前の二人を撮ったものだろう。

この「シンジ」が知るはずもない、「ママ」の姿が其処にある。

「ぼくはこんなママをしらない。ママは……」

「シンジ」はカヲルをまっすぐに見つめた。
「ホンモノのぼくじゃないと、しあわせじゃないんでしょ? このヒトが、ホンモノなんでしょ?」

マヤは、そしてカヲルですら言葉を失った。
まったく違う話、と述べたが、実は同じ話であったのだ。
幼い彼の心ですら、自分がクローンであることの苦しみを知っていたのだ。







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最終更新:2009年03月11日 14:12
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