総司令 第参拾九話

「シンジ」は言う。

「きっと、ぼくのホンモノはしんだんだ。だから、ママのために、ぼくがつくられた。
 ニンギョウだからいくらでもつくれる。ママのがシトとたたかうために、ぼくがつくられたんだ」

カヲルは首を傾げた。
「どうして、本物は死んだと思うの?」
「いきてるの? いきてるなら、ママといっしょにいるはずなのに」
「そうか、君は……」

カヲルは感じ入ったように、シンジのことを見た。
「君はなんて切ない存在なのだろう。そして――」

そして感慨深げに、「シンジ」の頬をなでる。
「――そして、君を通して、君のママ、そして本物の君の姿が見える」

マヤはハッとして腰を浮かせた。
それを本当に言ってしまうのか。
「シンジ」がニセモノであることを認めてしまうのか。
それを認めることは、今の「シンジ」にとって、余りにも酷ではないか。
しかし、遅かった。

「その通り、君はママのために作られたんだ。ママが使徒と戦い続けられるように」
「では、ママは?」
「そうだ。君のママはね、使徒を殺すために生み出されたのだよ」
「あ、ああ……」

そこまで、言うか。

マヤの目付きが次第に鋭くなる。
この渚カヲルという少年。幼児の精神を持つ「シンジ」に対し、あまりにも容赦が無さ過ぎる。
「もう、止めて」
マヤは思わず、その気持ちを口に出した。

カヲルはマヤに対して、ん? と小首をかしげた。

マヤは立ち上がる。
「何を何処まで知っているのか知らないけど、これ以上この子を苦しめることを私は許さない」
そして銃を抜いて、こう尋ねた。
「渚カヲル――あなたは何?」

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しかし、カヲルは答えない。
その代わりに、カヲルは「シンジ」に語りかける。
「シンジ」とマヤ、双方に説明するため、こういう言い方で説明をした。

「ねえ、シンジ君。でもね、もう戦いは終わったんだ」
「……?」
「僕が言うから間違いない。僕こそが最後の使徒だ」

マヤは思わずビクリと後ずさりして、慌てて銃を構え尚した。
しかし、その手が震える。上手く狙いが定まらない。

普通なら一笑で済ましてしまうようなカヲルの発言。
しかし、それならば理解できる、という疑問が彼には多すぎた。

そんなマヤに、カヲルは告げる。
「君は下がっていてくれ。二人だけで話がしたいから」
「……あ」

――どさっ……。

唐突に、マヤの体が崩れ落ちた。
カヲルは指一本、動かしては居なかった。
カヲルは立ち上がり、マヤの手から銃を抜き取る。

マヤは死んだ訳ではなかった。
意識も完全には失っていないらしく、「う……う……」という呻き声を漏らしている。

カヲルは「シンジ」の手を引いた。
「さあ、行こう。なぜ、人間達が使徒を殺さなければならなかったのか。それを教えてあげるよ」
そう言って、部屋を出て行こうとする。

しかし、思い返して今一度、居間の中を見渡した。
そして、「使徒アダムの幼生」を壁から外す。

「お待たせ。では、行こう」

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そして、地下へ。
彼らはNERV本部のもっとも深い場所。
セントラルドグマの巨人の在る部屋へと辿り着く。

「うわあああああ……」
「シンジ」は、巨人の姿を見て素直に驚く。
カヲルは満足げな顔をして、「シンジ」と同様に巨人を見上げた。

「ねえ、カオルくん。これってママがのってた、おニンギョウとおなじくらいおおきいね」
「ああ、実は言うとね。これに鎧を着せるとママが乗っていたのと同じ人形になるんだよ」
「ふーん、これってなに?」
「僕の仲間、使徒アダム」

それを聞いた「シンジ」は素っ頓狂な顔をした。
「えー? カオルくんとは、ぜんぜんおおきさがちがうよ?」
「アハハ、僕の仲間はみんな形が違うんだ……いや、形が決まってないと言うべきかな」
「ふーん……」
「シンジ」は本当に判っているか判ってないのか、判らないような相づちを打った。

ふと、ある瞬間。
ピクリとカオルは眉をしかめる。
「おや……」

カヲルは数歩、巨人に向かって歩いてからこう言った。
「違う――あれは、リリスだ」

「シンジ」はカヲルの言ってる意味が判らない。判るはずもない。
「りりす? なにそれ」
「リリンの母、リリス……人間は虚無から生まれたわけでも、別の生物から進化した訳でもない。
 我々という存在から派生して生まれた者。それが、リリン」
「……??」
「リリンの全ての母。それがリリス。全てのリリンはこのリリスから――そういうことか、リリン」

「シンジ」はしびれを切らした。
「ねえ、きみがなにをいってるのかわからないよ、カオルくん」
「ああ、そうだね。説明してあげるよ、どういうことか」

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カヲルは語る。
「使徒というのはね。この星の古い生物なんだ。また、人間達の祖先でもある」
「そせん?」
「そう、君のママの、そのママの、そのママのママのママの……ずーっと、辿っていくと、行き着くのがこのリリス」
「うん」
「リリスは使徒。使徒の仲間。彼女は僕ら使徒の17人の仲間のひとり」
「……うん」

相づちは打つものの、既に「シンジ」はカヲルの話からついて行けなくなって来ている。
しかし、カヲルはもう構わずに話を続けた。

「使徒はもともと、この星の古い生物だった。ただ、それだけの存在なんだ。
 やがて人間が生まれ、人間と使徒は共に暮らし始める。
 しかし、その間に諍いが起こり、戦いが始まる。
 双方が戦ったその結果――使徒は勝利し、人間は別の地に逃げ延びた。使徒の方が強いからね」
「うん……」
「それはとてもとても古い話。人間の間でもそれを知っている者は居ない。
 しかし、人間の子孫が僅かにその戦いの話を伝承していたんだ」
「でんしょう?」
「言い伝えだよ。昔話として、ママからその子にお話をしたんだ」
「うん……」

「ただしね、シンジ君。伝承していくうちに、なぜ使徒と人間が戦ったのか判らなくなってしまった。
 しかし、判らない、では済ましたくない。そこで人間達は考える。
 使徒は何かを守っているのだと。それこそ使徒が絶対に人間に譲ってはならないものがあると。
 それさえ手に入れれば、使徒の強さを身につけられる。
 それを得るために昔の人達は戦ったのだと、そう昔の人間達は考えた。
 では、それで得られるものはなんなのか」
「……」
「永遠の命、無限の力、不滅の体、等々……。
 それを使徒は持っていると、人間は考えた。
 いや、そこまでは大体あっている。使徒はそれに近い力を本当に持っている。
 その使徒の持つ力はどこから来るのか? 恐らく、使徒はそれを守っているのだ。
 人間は使徒から逃げ延びた。それを後の人達は使徒に追い出されたと解釈した。
 かつて使徒と共に人間が居たところ。それを楽園と後の人達は想像した。
 その楽園に何かがあるはずだ。それを使徒が守っているのだ。
 さあ、それは何だろう」
「ん、んーん……?」

腕組みで悩む「シンジ」。
恐らく「シンジ」は話を理解していない。
何だろう、と聞かれて、とりあえず悩んでみただけだ。

カヲルは尋ねる。
「大自然の楽園にあるもの、と言えば、君は何を想像する?」
「……やま、たいよう、おおきな木とか?」
「うん、そんなところだろうな」
カヲルはニッコリと「シンジ」に笑いかけた。

「楽園――そこは神様が作った場所で、使徒に守らせている所。
 そこの中心には大きな木があって、それには不思議な力がある。
 人間はそんな夢を描いた。そして、その楽園の絵を自分の想像だけで描いた。
 その楽園は苦痛のない素晴らしい世界なのだと。
 あるいは、その大きな木の不思議な力で何でも出来るのだと」
「なんでも?」
「そうだ。使徒を倒せば、その力が手に入り、どんなことでも出来る。永遠に生きたり、死んだ人を蘇らせたり」
「しんだヒトを!?」
「でも、有り得ないことなんだ。死んだ人は既に存在しないから、生き返れる筈がない」
「……」

カヲルは床を足でトンと叩くと、彼の体がフワリと浮かび上がった。

――ビーッ! ビーッ! ビーッ! ビーッ!

NERV本部の警報が鳴り響く。
「シンジ」はビクリと驚いて辺りを見渡した。

渚カヲルが使徒としての力を発揮したため、スーパーコンピューターMAGIのセンサーがそれを捕らえたのだ。

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カヲルは宙に浮かび、彼がリリスと称する巨人と対峙する。

「リリン達――人間達はその楽園に戻りたいと考えた。
 では、どうやって戻ればいい?
 まずは、そこを守っている使徒達を倒さなければならない。
 それは今、成し遂げられようとしている。最後に残っているのは僕だけだからね。

 では、その次。楽園にはどうやって帰れば良い?
 それが問題だ。楽園の場所が判らない。
 人間達は考える。それはあの世じゃないのか、と。
 人が死ぬと神様の元に返ると、多くの人は考えていた。
 しかし死んでも楽園にはたどり着けないだろう。何故なら、人間は神から追われたのだから。
 使徒が居なくても、神様が許してくれないだろう。

 ならば、謝罪すればいい。
 生け贄を捧げて儀式を行い、神様に贖罪をすればいい。
 そう考えて用意されたのが『ロンギヌスの槍』。
 かつて、今から二千年ほど前のこと。そうして贖罪した者が居た。
 多くの者の心はそれで救われた。贖罪が果たされたのだと、そう思い込んだ。
 ならば、同じ事をすれば良いのだと考えたのだ。本当は神様なんて居ないのに」

もはや、カヲルは「シンジ」に理解させようと努力することは止めてしまっていた。
少し上を見上げて、何かに語りかけていた。
もはや、彼は「シンジ」を相手にしては居なかった。

カヲルは話し続ける。
「そして、もう一つの方法が考えられた。いいかい? 碇シンジ君。
 リリスはリリンを生み出した母。そこまでは正しい。
 さらに人間はこう空想した。リリスはアダムの妻となるべき存在だった。
 しかし、リリスは神様から楽園を追われて、地獄の獣たちと交わり、そしてリリンを生み出したという。
 少し、話に矛盾が出ているけどね。
 ならば、リリスとアダムが交わったその時こそ、それが楽園へ回帰することが許されたことになるという。
 そして、こともあろうに無理矢理に交わらせれば、それが達成されると考えた。

 その方法を用いれば、楽園にある生命の樹へと到達することが出来て、樹の力を使うことが出来ると考えた。
 そして神様に匹敵する、この世の全てを自在にする業を手にすることが出来る。

 そして、リリンと僕達との戦いが、満を持して始まったのだ。
 リリン達は自分達の空想を実現するため、有りもしない楽園を目指して、再び戦いを挑んで来たのだ。
 そのきっかけが使徒アダムが捉えられ、そして……」

その時。
「ほんとうにないの? ラクエンはどこにもないの?」
「シンジ」の澄んだ声が、セントラルドグマの内部に響き渡る。

「もしあったら、なんでもできるの? ママをいきかえらせることもできるの?」

カヲルは初めて「シンジ」の存在に気が付いたかのように、みおろした。
そして、スッと同じ高さに降り立つ。

「でもね、楽園なんて存在しないんだ。魂なんて存在しないから、死んだ人間は元に戻らない。
 生きとし生けるもの全ては、死ぬと土に還る運命にある。
 このリリスも既に死んでいる。彼女になんの力もない。もはや単なる土塊の偶像でしかない。
 君のママも、本物のシンジ君である彼も、今まで失われた使徒も、既に土へと還ってしまった。
 死んだ者は土へと還る。地球という名のこの星の一部へと還る。
 この星という一つとなって、後に残るのは思い出だけ。

 シンジ君、それが真実なのだよ。
 なぜなら、死んで失われた意識はもう戻らないのだから。
 例えそっくり同じ肉体を作り、同じ記憶を植え付けたとしても、それは別人でしかない。
 例え同じ人間にしか見えなくとも。

 死んだ人間は生き返らない。楽園に還ろうにも、そんな場所はない。
 しかし、人間はアダムが実在することを知ったその時、神話が真実であると信じてしまったんだよ。
 神の力が手にはいると有頂天になって、神話を全て信じてしまったんだ。
 そしてこの戦いが始まった。使徒と人間との戦いが再び巻き起こってしまったんだ――」

じわり、と「シンジ」は涙をこぼす。
そして、シクシクと泣き始める。
「そんな……ウソのはなしのために、ママがたたかわされたの? ママは……」

ふと、カヲルは視線を「シンジ」から外す。
明滅するエレベーターのランプ。誰かがここにやってきたのだ。

「シンジ君、話は終わりだ。さあ、これを持って」
カヲルはマヤから奪った拳銃を「シンジ」に手渡した。

「この戦いを終わらせる。僕がここで死ななければ、この戦いは終わらない。
 君が僕を撃つんだ。そして、全てを君が終わらせるんだ」

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その少し前のこと――司令塔において。

ミサトは少し疲れているのか。
あの渚カヲルという少年が何者なのか、それをつらつらと考えてはいるものの、マヤに彼のことは任せきり。

(ゼーレから派遣されたパイロット、特徴がどことなくレイに似ていなくもない。彼もそうなのかしら。
 そういえば、リツコやシンジ君のクローンを作るシステムは破壊してしまったけど、レイを残しておいたのは問題だった。
 だからこそ、あんな騒動が起こってしまい、結果として青葉君を失ってしまった)

ミサトが銃と力にモノを言わせて、その場を納めてしまったけれど。
おかげで尚いっそう、司令塔の空気は重い。

(こうなれば、レイも処分するか――そうだ。私は何を未練に思ってたんだろう。
 私も青葉君と同じだ。世界を守るため、彼女だけが使徒を倒せるという意識から、レイをそのままにしてしまった)

(渚カヲル。どうも気に食わないけど――ゼーレから送られてきたというから間違いないのか)

ミサトは、ゼーレが何を企んでいるのか、人類補完計画の存在すら、彼女は知らない。

(彼が居れば、エヴァは動く。ならば、使徒を殲滅することは可能。
 もうまもなくエヴァの量産型も完成するという。
 あと、使徒は一体なのだ。あと、残るは一体。それを殲滅すれば、全ては――)

念のため。
知らないと言うことは、罪ではない。

「葛城さん」
ある時、日向は尋ねる。

「ん?」
「葛城さんは、どうしてNERVに?」
「そーねぇ……」

腕組みをするミサト、しかし思い出そうと努力しているわけではない。
自分の過去をどのように話せばいいのか、考えているだけだ

そして、簡単にありのままに説明することを選択した。
「私の父はね。セカンドインパクトに巻き込まれて、死んだの」
「え……?」
「私の父は、私を救って死んだ。私はセカンドインパクトの中心地に居た、唯一の生存者」
「……」

絶句する日向。
世界人口の半数を失うという大惨事。
その中心地にあって、生存を果たしたという驚異の事実。

「エヴァに使われているエントリープラグのモデルに私を押し込み、そして父は死んだ。
 そのお陰で、私は無事に生還――私は見た。使徒アダムのその姿を。
 そして、世界を破滅に誘う咆哮を私は聞いた」
「……」
「私は使徒を許しはしない。ここまで立ち上がった人類をこれ以上失わせてなるものか」
「そうだったんですか……」

ミサトの話。
「何故?」が抜けている。何故、使徒は人類に破滅を及ぼそうとするのか。
重ねて言うが、知らないことは罪ではない。

「あの……」
その時、二人の会話に割り込んできた者が一人。
女性オペレーターの者だった。スーパーコンピューターMAGIを通して、本部内の運営を管理するのが担当。

「セントラルドグマに向かうエレベーターが作動しています。それが……乗っているのが、あの二人なんです。
 フィフスチルドレンのあの子と、それから――『シンジ君』です」
そのオペレーター、「シンジ」のことをどのように呼称すればいいのか迷ったようだが――いや、そんなことはどうでもいい。

「まったく、あの子ときたら」
ミサトは簡単に憤慨する。

「私も行って、説教してくる」
「でも、どうやって乗ったのでしょうか?」
「シンジ君が一緒なんでしょ? あの子なら生体認証でどこへでも行けるから。
 本当にもう、マヤ、ちゃんと見てろと言ったのに――」

ミサトは足を止めた。
嫌な予感がする。それも、猛烈に。

思わず、息を飲む。
そして、深呼吸。

ミサトは慎重に、口を開く。
「――日向君?」
「はい、私も同じ事を考えています」

――ビーッ! ビーッ! ビーッ! ビーッ!

しかし、遅かった。

「し、使徒出現、場所は――場所は、セントラルドグマ中心部!」

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司令塔に激震が走る。
使徒の目標と言われていたセントラルドグマ。
そこにある巨人、「使徒アダム」の、その遺骸。
それとの接触により、サードインパクトの発生が起こると言われていた。

「使徒アダム」――かつて、セカンドインパクトを人類に及ぼした者。
今正に、新たな使徒がその前に立っているのだ。

もはや、人類の命運は風前の灯火――。

「まさか、最後の最後でこんな手を使うだなんて」
ミサトは呟く。

少年の姿をした使徒。それがゼーレにフィフスチルドレンとして潜入。
そして本部に派遣され、司令としての権限を持つ「シンジ」に取り入り、そしてセントラルドグマへの潜入を果たす――。
これまでの戦いが何だったのかと思えるほどに、柔軟かつ確実なやり方だ。

そして、日向は言う。
「やりますか――こちらの最後の最後の、あの手段」

日向はMAGIの端末から普段、使われることがなかったメニュー画面を操作する。
そして、表示される選択肢。

本部の爆破を行うか、否か。

「待って、日向君」
ミサトは目を閉じて考える。

そして、手には銃。頭にヘッドセット――マイク付きのヘッドホンを装着して体制を取った。
「なぜ、今すぐに使徒はサードインパクトを起こさないのか?」
「それは……」

日向は答えた。
「まさか、別の目的が?」
「いや」

ミサトはエレベーターへと向かう。
「彼は待っている。私達と交渉するため、誰か来るのを待っているのよ」

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そして、ミサトは数名だけ引き連れて、エレベーターへと向かう。
「葛城三佐! もっと武器を用意した方が!」
「意味無いわ。短銃だけで十分――出来れば、戦闘を起こしたくない」
「し、しかし」
「相手は何時でも私達を滅ぼせるのよ!」

そして、ヘッドセットを確認し、日向にコール。
「聞こえる?」
『はい』
「私が、その時が来た、と言ったら」
『判っています。私は迷わず、ここを全て爆破します』

ミサトは少し優しい顔をした。
「すまないわね」
『いえ、構いません。あなたと……いえ、みんな一緒ですから』
「ありがと」

こうなると、多くの人が失われたことが悔やまれる。
老練の冬月副司令。
博士として名を轟かせた友人、赤木リツコ。
元恋人で気に食わないが、切れ者だった加持リョウジ。
その他、日向に不足はないが青葉も行動力のある仲間であった。
もし、碇ゲンドウが健在だったらどんな判断を下しただろう。
いや、もしも碇シンジが健在だったら。

(まだ子供であり、レイの保護者でしか無かったが、一点のみ光るものを持っていた。
 先見の明を持って、停電の混乱の最中にスタッフに指示を下し、使徒を殲滅した彼の功績は大きい。
 私は加持を殺した疑いで収容されていた、その間も)

手早い指示で参号機の暴走を対応し、続いて出現した使徒にいち早く対応したのも彼だと聞く。
しかし、その後――。

もし、渚カヲルと一緒にいるのが「本物」であれば、何かを察知してくれていたのではないだろうか。

(しかし、今は私だけ。いや、他にも頼れる人材は沢山いる)

「か、葛城さん!」
そう呼びかけながら、転がるようにして現れた者。

マヤであった。
「すみません、彼が、彼が使徒だったなんて――」
「大丈夫? 体がふらついているわよ?」
「け、怪我は無いんですが彼に――あの、銃が奪われました」
「銃を? いったい、彼がそれで何を……」

考えても仕方がない。
とにかく急げ。使徒がその手を下さないうちに。
使徒が言葉を解するなら、なんとでも言いようがある。

「とにかく」
ミサトはエレベーターに乗り込みながら、こう言った。
「使徒との和解交渉。それで、この場を乗り切る他はない」

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そして、静かに扉が開く。

ミサトは降り立ち、正面を見た。
「使徒アダム」――「使徒リリス」の巨体の、その姿を。

その足下に立っている二人。
背丈はほぼ同じ、二人の少年。

一人は渚カオル。
もう一人は「シンジ」――碇シンジのクローン体。
碇シンジの幼年時代の記憶を持つ、母を失った少年「シンジ」。
髪は青、瞳は赤。

カヲルも「シンジ」のその色によく似た髪と瞳を持つ。
こうして見ると、まるで彼らは兄弟のようだ。

今、「シンジ」の体は渚カヲルが維持している――と、見られている。
自分の「ママ」を失い、その様を目の当たりにした彼が生きていられる筈はない。レイがそうであったように。
かつて、自分の存在意義を失って崩壊した彼女に習って、「シンジ」もそうであるに違いない。

カヲルは巨人に背を向けて立ち、やってきたミサトの方を向いていた。
その斜め前のあたりに「シンジ」はミサトに背を向けて立っている。
その手には、マヤの拳銃が――そう、「シンジ」はカヲルに自分を撃てと言われた後のことだった。
しかし、「シンジ」はそれをしなかった。

「!?」
ミサトの後に続いてやってきたスタッフは驚く。
彼女はいきなり銃口をカヲルに向けたのだ。
交渉をするのではなかったのか?

ミサトは問う。
「あなたは、いったい何をしに来たの?」
銃を構えつつ、そう言った。

目の前にいるのは父を、人口の半数を滅ぼした使徒の仲間。
自分の想いの、憎しみのままに牙をむく。
明確な意思表示で、どんな相手にも挑んでいく。
それが彼女のやり方。

だが、カヲルは何も言わない。
しかし、その彼の代わりに「シンジ」がクルリと振り向いた。
そして、手にしたマヤの銃をミサトに向けた。

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「どういう、意味かしら」
ミサトはカヲルに問う。

「そのシンジ君を操って、何をさせるつもり?
 いいわ、シンジ君に私を殺させなさい。私一人を殺してどうなると――」
「ちがう!」

その時、「シンジ」が叫んだ。
ミサトに対して、「シンジ」が叫んだのだ。

「ボクはあやつられてなんかいない。ボクは、ボクは――ボクは、ニンギョウじゃない!
 ママみたいに、オマエタチのニンギョウになんか、なるもんか!」
「シンジ……君?」

「シンジ」はレイとは違った。
かつて、シンジ以外の誰とも応じなかったレイとは違い、「シンジ」は誰とでも話すことが出来たのだ。
ただ、これまで自分の「ママ」と、渚カヲルにしか話をする気が無かっただけなのだ。

「ママをかえせ」
「え……?」

「ママをかえせ! ボクはカオルくんからきいたんだ! シトとたたかわせるためにママがつくられたんだ!
 ママはそのためにニンギョウにされたんだ! ボクは、ボクは……」
「シンジ君、それは」

「そして、シトのニンギョウをつくった。それで、ニンギョウにされたシトはおこったんだ」
「……」

「そして、シトどうしでコロシアイをさせたんだ! ほんとうにワルイのはオマエたちだ!」
「……シンジ君」

「ママをかえせ――でも、もうもどらないんでしょ? いきかえることはないんでしょ? ママは。
 それなのに、どうして――どうして――」
「……」

「どうして、ママをシトとたたかわせたりしたんだ! しんだら、いきかえれないのに!」
「シンジ君、それはね……」

ミサトは説明する。
どう言えば理解させることが出来るのか、幼年の精神を持つ「シンジ」に対して、どう言えばいいのか迷いながら。

「使徒はね、沢山の人を殺したの。死なせてしまったの。だから――」
「カオルくんが、さくさんのヒトをコロスというの?」
「それは……」
「カオルくんは、まだなにもやってないじゃないか!」
「……」

少し、子供の理屈が混じる。
大人の事情として、可能性を見過ごす訳にはいかない、と言うのが本当のところだが。
しかし、悟り得られることもある。

――オマエたちのニンギョウになんか、なるもんか。

ミサトは目を閉じて、考える。
(セカンドインパクト、その再来を防ぐため。そして、殺された父の敵を討つため。
 使徒が第三新東京市に襲来して、サードインパクトを発生させる可能性がある。そう、可能性だ。
 その可能性を聞かされて、多くの者が身を犠牲にして戦ってきた。だが実際は――)

(この子にとっては、そう――可能性のためだけに、自分の母親を犠牲がされてしまった。
 人類存亡よりも個人にとっては遙かに重い、自分の大切な家族の命が奪われる――)

(そしてみんなも可能性に怯えながら、多くの命を投じてきた。人類存亡と言う大義に操られて。
 そうだ、私達こそ操り人形に他ならない――)

しかし、そうでない人間などいるのだろうか。
人は皆、何かに操られながら生きている。
それは物であり、欲であり、人であり、過去であり。
自在に生きられる者など、この世には居ない。

「シンジ」は何も言わないミサトに焦れて、尚も銃を突き付ける。
「セキニンをとってよ。ママをかえして。そして――」
「――そして?」

「ホンモノのボクもかえして。そうしないと、ママは、ママは」
「シンジ……君? あなたは自分のことを知ってて!?」

「ママはひとりぼっちになっちゃうんだ! ボクはニンギョウだから、いきていけないんだ! ママを――」
「……」

その時。
「シンジ」が銃を持っていた右手が、ボタリと落ちた。
右上腕の途中から千切れ落ちて――そう、まるで人形のように。

「シンジ」は泣きながら、ミサトに訴える。
「おねがい、ママをもどして……ホンモノのボクももどして……ボクはもう、だめだから……」
「……」
「やっぱり、そうだ。ボクはニンギョウだったんだ。ボクは……」

そのまま、「シンジ」は膝をつく。
自分の身の上を、自分の母親の運命を嘆きながら。

ミサトは自分に罪を感じてうつむいた。

――ママをかえせ。ホンモノのボクをかえせ。

もはや還らない人達のことをも、想いながら。

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やっと、カヲルは動き出した。

「僕が来た理由はね」
カヲルは、「使徒アダムの幼生」をまるで慰霊のように捧げながらこういった。
「全てはアダムの怒りから始まってしまったこの戦い、それを終わらせたいと思ってね」

ミサトは尋ね返す。
「アダムの、怒り?」

「そう。アダムは自分の怒りを解き放ち、君達に大きな被害を与えた。そして、死んだ。
 その彼の怒りに答えて、君達リリンを赦してはならないと、僕らは立ち上がったんだ」
「……」

「僕達の意識は、リリンにこそ、人間達の罪を許してはならない。
 そのために、僕達全ての者共は動き出したんだ」
「人間の、罪」

「判らない? ほら、これだよ」
再び、「使徒アダム」を示す。
「僕らはね、自分の仲間を奪われ、しかも互いに殺し合いをさせられたんだよ?」

確かに、自分達がやってきたことはその通りなのだ。
更に、ミサトやマヤ、そこに居るスタッフ達の罪の意識が重度を増す。

そんな彼らを見ながら、カヲルは続ける。
「でもね。僕達の体を操り、僕達と戦う君達を見て、僕らはこう考えた。
 ああ、それでは我々の時代はもう終わったのかなと」
「我々の時代……」

カヲルはポイッと「アダム」を放り捨て、代わりにシンジが落とした右手の銃を拾い上げる。
ミサトの背後のスタッフ達はギクリと驚くが、彼女が手を振って軽く制した。

「だから消えるよ。戦いを終え、語り合った。そして判ったんだよ」
カヲルは「シンジ」の頭をなでながら、微笑む。
「君達にもアダムの怒りを判ってくれて、同じ苦しみを味わった人達が居たからね。
 もう僕達は――いや、最後に残った僕は怒ってないよ」

「なら」
ミサトは右手を差し出した。
「和平を。あなたは消える必要などない」

カヲルは小首をひねる。
「できるのかな。そんなこと」
「努力するの。私達と共存する、その努力を」
「だけど、出来るのかな。互いの罪を捨てることが」
「それは……」

口をつぐんだミサトに対して、カヲルは提案をした。

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「なら、懺悔をしよう」
「え?」

いきなり何を言い出すのか。
神の存在などを「シンジ」に対して否定していたカヲル。
その彼がするべきことでは無い。

「宗教もまた、リリンが産んだ文化の極みだよ。互いの罪を無条件に赦し合う。
 そしてこれまでのことを水に流して、明日を生きる。君達は良い方法を知っているじゃないか」
「……」

ミサトは首を傾げた。
そんなおままごとで何もかも解決するなら苦労はしない。
昔の人なら、いざ知らず。

しかし、カヲルはそんなミサトの心を読んでいた。
「フフ、馬鹿馬鹿しいと思っているね。現実の努力をすべきだと。特にこの子に及んだ罪は、お祈りでは済まないだろう」
「……待って。何をするつもりなの」

ミサトは止めようとする。
しかし、カヲルは銃を自分の頭に突き付けた。

「シンジ」はよろめく体をなんとか動かして、跪いたままカヲルの方を見る。
カヲルは問いかけた。

「さあ、シンジ君。僕は生命の樹の元にお願いをしに行くよ。君のママを死なせてしまった、そのお詫びの印に」
「なら、なら……」
「さあ、君は何を望むの?」
「なら、ママを……ママをいきかえらせて。そしてホンモノのボクもいきかえらせて、ふたりをシアワセに……」
「君は? 君はいいの?」
「もういちど、あんなシャシンをみたいから」
「……わかったよ」

カヲルは引き金に指をかけ、そして自分の頭に向けて銃を構え尚した。
その狂気にも似たその光景、ミサトの脳裏に悪夢が過ぎる。
あのかつての碇シンジの死に様を思い出しながら。
「止めて! 渚カヲル、止めなさい!」

「天に召します我らが父よ、願わくば全ての人々の罪を赦し、天界の楽園へと通ずる門が開かれんことを――」

ミサトは思わず、カヲルに向けて突進する。
マヤは悲鳴を上げ、スタッフ達は凍り付き、そして「シンジ」はカヲルを見上げて、目を閉じる。
そんな彼の頭に、カヲルはそっと手を添えた。

「あなたの願いは聞き届けられました――アーメン」

タンッ……。

カヲルは倒れてその力を失い、「シンジ」の体は溶けて消え去る。

「くっ……」
苦悶し、うなだれるミサト。
マヤもまた、顔を両手で覆い、失意に落ちる。
やはり何も言えず、何も出来ずに、呆然とするスタッフ達。

カヲルは何故、懺悔の真似事をしたのか。
この世界に神は居ない。神が人を創造したのではない。
人が孤独と苦悩を癒すために生み出されたもの、それが神。
仏教にもある。南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土に逝けるという。
それは現実にそうなるのではなく、死にゆく者の心を癒すための手段に他ならない。
キリスト教の懺悔も然り。彼はやりきれない「シンジ」の心を癒し、ミサト達の罪を赦して消えていった。

こうして、全ては終わった。

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使徒殲滅の完了が本部内に、そして世界の各支部に告げられた。
むろん、その背後にあるゼーレにも。

もはや、ミサトの心は疲弊し尽くした。
司令塔に戻り、使徒殲滅の宣言を済ませた後、後ろ手で手を振って後を振り返らずNERVを去る。
誰にも何も告げず、マヤや直属の日向にも告げず、事務手続きもしないままに。

殺し合い、殺され合い、時には自ら死を選び、誰かの死を見捨てて。

この戦いで、そんなやり取りが余りにも多すぎた。
仇討ちの空しさ、などという言葉で済ませられることではない。
もう、懲り懲りだ。

部屋に戻ってビールを空ける。
しかし、苦くて喉を通らない。

ほとんど口にしないまま、ゴミ箱にゴトンと投げ捨てた。

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さて、NERV本部全ての者が事後処理に入る中、マヤも後片付けをしなければならない。

「レイの水槽」の前に座り込み、ジッとそれを眺めていた。
もう見慣れた光景だ。

水中を乱舞するレイの姿を眺めながら考える。
いや、感じていた。
それらが美しいとも、禍々しいとも、気味が悪いとも、そして切なくとも感じていた。

マヤにとって、シンジやレイを弟や妹のように感じていた。
しかし、もうシンジは居ない。
レイも、もはや目覚めることはない。
あの二人の仲睦まじい光景が脳裏から離れない。
儚いあの二人のことを思い出すだけでも涙が出てくる。

そして、もっと早くに処分をしておけばよかったと、ミサトと同じ事を考える。
ならば、青葉が死なずに済んだのに。
未練たらしく、人類存亡のためとレイを捨てる気にもなれなかったのだ。
こうして浮かんでいるレイの肉体を滅ぼす――殺してしまうことなど、そう簡単にできる事ではない。

でも、仕方がない。
これは仕方がないことなのだ。
マヤは自分の先輩であるリツコの体を処分した、その時以上に悩んだ、その挙げ句。

彼女は、やっとの思いで心を決めた。
水槽のスイッチを操作して、全ての「レイ」の処分を実行する。

もう、こんなものを作ってはならない、と――。









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最終更新:2009年03月13日 20:08
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