「シンジ」は言う。
「きっと、ぼくのホンモノはしんだんだ。だから、ママのために、ぼくがつくられた。
ニンギョウだからいくらでもつくれる。ママのがシトとたたかうために、ぼくがつくられたんだ」
カヲルは首を傾げた。
「どうして、本物は死んだと思うの?」
「いきてるの? いきてるなら、ママといっしょにいるはずなのに」
「そうか、君は……」
カヲルは感じ入ったように、シンジのことを見た。
「君はなんて切ない存在なのだろう。そして――」
そして感慨深げに、「シンジ」の頬をなでる。
「――そして、君を通して、君のママ、そして本物の君の姿が見える」
マヤはハッとして腰を浮かせた。
それを本当に言ってしまうのか。
「シンジ」がニセモノであることを認めてしまうのか。
それを認めることは、今の「シンジ」にとって、余りにも酷ではないか。
しかし、遅かった。
「その通り、君はママのために作られたんだ。ママが使徒と戦い続けられるように」
「では、ママは?」
「そうだ。君のママはね、使徒を殺すために生み出されたのだよ」
「あ、ああ……」
そこまで、言うか。
マヤの目付きが次第に鋭くなる。
この渚カヲルという少年。幼児の精神を持つ「シンジ」に対し、あまりにも容赦が無さ過ぎる。
「もう、止めて」
マヤは思わず、その気持ちを口に出した。
カヲルはマヤに対して、ん? と小首をかしげた。
マヤは立ち上がる。
「何を何処まで知っているのか知らないけど、これ以上この子を苦しめることを私は許さない」
そして銃を抜いて、こう尋ねた。
「渚カヲル――あなたは何?」
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しかし、カヲルは答えない。
その代わりに、カヲルは「シンジ」に語りかける。
「シンジ」とマヤ、双方に説明するため、こういう言い方で説明をした。
「ねえ、シンジ君。でもね、もう戦いは終わったんだ」
「……?」
「僕が言うから間違いない。僕こそが最後の使徒だ」
マヤは思わずビクリと後ずさりして、慌てて銃を構え尚した。
しかし、その手が震える。上手く狙いが定まらない。
普通なら一笑で済ましてしまうようなカヲルの発言。
しかし、それならば理解できる、という疑問が彼には多すぎた。
そんなマヤに、カヲルは告げる。
「君は下がっていてくれ。二人だけで話がしたいから」
「……あ」
――どさっ……。
唐突に、マヤの体が崩れ落ちた。
カヲルは指一本、動かしては居なかった。
カヲルは立ち上がり、マヤの手から銃を抜き取る。
マヤは死んだ訳ではなかった。
意識も完全には失っていないらしく、「う……う……」という呻き声を漏らしている。
カヲルは「シンジ」の手を引いた。
「さあ、行こう。なぜ、人間達が使徒を殺さなければならなかったのか。それを教えてあげるよ」
そう言って、部屋を出て行こうとする。
しかし、思い返して今一度、居間の中を見渡した。
そして、「使徒アダムの幼生」を壁から外す。
「お待たせ。では、行こう」
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そして、地下へ。
彼らはNERV本部のもっとも深い場所。
セントラルドグマの巨人の在る部屋へと辿り着く。
「うわあああああ……」
「シンジ」は、巨人の姿を見て素直に驚く。
カヲルは満足げな顔をして、「シンジ」と同様に巨人を見上げた。
「ねえ、カオルくん。これってママがのってた、おニンギョウとおなじくらいおおきいね」
「ああ、実は言うとね。これに鎧を着せるとママが乗っていたのと同じ人形になるんだよ」
「ふーん、これってなに?」
「僕の仲間、使徒アダム」
それを聞いた「シンジ」は素っ頓狂な顔をした。
「えー? カオルくんとは、ぜんぜんおおきさがちがうよ?」
「アハハ、僕の仲間はみんな形が違うんだ……いや、形が決まってないと言うべきかな」
「ふーん……」
「シンジ」は本当に判っているか判ってないのか、判らないような相づちを打った。
ふと、ある瞬間。
ピクリとカオルは眉をしかめる。
「おや……」
カヲルは数歩、巨人に向かって歩いてからこう言った。
「違う――あれは、リリスだ」
「シンジ」はカヲルの言ってる意味が判らない。判るはずもない。
「りりす? なにそれ」
「リリンの母、リリス……人間は虚無から生まれたわけでも、別の生物から進化した訳でもない。
我々という存在から派生して生まれた者。それが、リリン」
「……??」
「リリンの全ての母。それがリリス。全てのリリンはこのリリスから――そういうことか、リリン」
「シンジ」はしびれを切らした。
「ねえ、きみがなにをいってるのかわからないよ、カオルくん」
「ああ、そうだね。説明してあげるよ、どういうことか」
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カヲルは語る。
「使徒というのはね。この星の古い生物なんだ。また、人間達の祖先でもある」
「そせん?」
「そう、君のママの、そのママの、そのママのママのママの……ずーっと、辿っていくと、行き着くのがこのリリス」
「うん」
「リリスは使徒。使徒の仲間。彼女は僕ら使徒の17人の仲間のひとり」
「……うん」
相づちは打つものの、既に「シンジ」はカヲルの話からついて行けなくなって来ている。
しかし、カヲルはもう構わずに話を続けた。
「使徒はもともと、この星の古い生物だった。ただ、それだけの存在なんだ。
やがて人間が生まれ、人間と使徒は共に暮らし始める。
しかし、その間に諍いが起こり、戦いが始まる。
双方が戦ったその結果――使徒は勝利し、人間は別の地に逃げ延びた。使徒の方が強いからね」
「うん……」
「それはとてもとても古い話。人間の間でもそれを知っている者は居ない。
しかし、人間の子孫が僅かにその戦いの話を伝承していたんだ」
「でんしょう?」
「言い伝えだよ。昔話として、ママからその子にお話をしたんだ」
「うん……」
「ただしね、シンジ君。伝承していくうちに、なぜ使徒と人間が戦ったのか判らなくなってしまった。
しかし、判らない、では済ましたくない。そこで人間達は考える。
使徒は何かを守っているのだと。それこそ使徒が絶対に人間に譲ってはならないものがあると。
それさえ手に入れれば、使徒の強さを身につけられる。
それを得るために昔の人達は戦ったのだと、そう昔の人間達は考えた。
では、それで得られるものはなんなのか」
「……」
「永遠の命、無限の力、不滅の体、等々……。
それを使徒は持っていると、人間は考えた。
いや、そこまでは大体あっている。使徒はそれに近い力を本当に持っている。
その使徒の持つ力はどこから来るのか? 恐らく、使徒はそれを守っているのだ。
人間は使徒から逃げ延びた。それを後の人達は使徒に追い出されたと解釈した。
かつて使徒と共に人間が居たところ。それを楽園と後の人達は想像した。
その楽園に何かがあるはずだ。それを使徒が守っているのだ。
さあ、それは何だろう」
「ん、んーん……?」
腕組みで悩む「シンジ」。
恐らく「シンジ」は話を理解していない。
何だろう、と聞かれて、とりあえず悩んでみただけだ。
カヲルは尋ねる。
「大自然の楽園にあるもの、と言えば、君は何を想像する?」
「……やま、たいよう、おおきな木とか?」
「うん、そんなところだろうな」
カヲルはニッコリと「シンジ」に笑いかけた。
「楽園――そこは神様が作った場所で、使徒に守らせている所。
そこの中心には大きな木があって、それには不思議な力がある。
人間はそんな夢を描いた。そして、その楽園の絵を自分の想像だけで描いた。
その楽園は苦痛のない素晴らしい世界なのだと。
あるいは、その大きな木の不思議な力で何でも出来るのだと」
「なんでも?」
「そうだ。使徒を倒せば、その力が手に入り、どんなことでも出来る。永遠に生きたり、死んだ人を蘇らせたり」
「しんだヒトを!?」
「でも、有り得ないことなんだ。死んだ人は既に存在しないから、生き返れる筈がない」
「……」
カヲルは床を足でトンと叩くと、彼の体がフワリと浮かび上がった。
――ビーッ! ビーッ! ビーッ! ビーッ!
NERV本部の警報が鳴り響く。
「シンジ」はビクリと驚いて辺りを見渡した。
渚カヲルが使徒としての力を発揮したため、スーパーコンピューターMAGIのセンサーがそれを捕らえたのだ。
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カヲルは宙に浮かび、彼がリリスと称する巨人と対峙する。
「リリン達――人間達はその楽園に戻りたいと考えた。
では、どうやって戻ればいい?
まずは、そこを守っている使徒達を倒さなければならない。
それは今、成し遂げられようとしている。最後に残っているのは僕だけだからね。
では、その次。楽園にはどうやって帰れば良い?
それが問題だ。楽園の場所が判らない。
人間達は考える。それはあの世じゃないのか、と。
人が死ぬと神様の元に返ると、多くの人は考えていた。
しかし死んでも楽園にはたどり着けないだろう。何故なら、人間は神から追われたのだから。
使徒が居なくても、神様が許してくれないだろう。
ならば、謝罪すればいい。
生け贄を捧げて儀式を行い、神様に贖罪をすればいい。
そう考えて用意されたのが『ロンギヌスの槍』。
かつて、今から二千年ほど前のこと。そうして贖罪した者が居た。
多くの者の心はそれで救われた。贖罪が果たされたのだと、そう思い込んだ。
ならば、同じ事をすれば良いのだと考えたのだ。本当は神様なんて居ないのに」
もはや、カヲルは「シンジ」に理解させようと努力することは止めてしまっていた。
少し上を見上げて、何かに語りかけていた。
もはや、彼は「シンジ」を相手にしては居なかった。
カヲルは話し続ける。
「そして、もう一つの方法が考えられた。いいかい? 碇シンジ君。
リリスはリリンを生み出した母。そこまでは正しい。
さらに人間はこう空想した。リリスはアダムの妻となるべき存在だった。
しかし、リリスは神様から楽園を追われて、地獄の獣たちと交わり、そしてリリンを生み出したという。
少し、話に矛盾が出ているけどね。
ならば、リリスとアダムが交わったその時こそ、それが楽園へ回帰することが許されたことになるという。
そして、こともあろうに無理矢理に交わらせれば、それが達成されると考えた。
その方法を用いれば、楽園にある生命の樹へと到達することが出来て、樹の力を使うことが出来ると考えた。
そして神様に匹敵する、この世の全てを自在にする業を手にすることが出来る。
そして、リリンと僕達との戦いが、満を持して始まったのだ。
リリン達は自分達の空想を実現するため、有りもしない楽園を目指して、再び戦いを挑んで来たのだ。
そのきっかけが使徒アダムが捉えられ、そして……」
その時。
「ほんとうにないの? ラクエンはどこにもないの?」
「シンジ」の澄んだ声が、セントラルドグマの内部に響き渡る。
「もしあったら、なんでもできるの? ママをいきかえらせることもできるの?」
カヲルは初めて「シンジ」の存在に気が付いたかのように、みおろした。
そして、スッと同じ高さに降り立つ。
「でもね、楽園なんて存在しないんだ。魂なんて存在しないから、死んだ人間は元に戻らない。
生きとし生けるもの全ては、死ぬと土に還る運命にある。
このリリスも既に死んでいる。彼女になんの力もない。もはや単なる土塊の偶像でしかない。
君のママも、本物のシンジ君である彼も、今まで失われた使徒も、既に土へと還ってしまった。
死んだ者は土へと還る。地球という名のこの星の一部へと還る。
この星という一つとなって、後に残るのは思い出だけ。
シンジ君、それが真実なのだよ。
なぜなら、死んで失われた意識はもう戻らないのだから。
例えそっくり同じ肉体を作り、同じ記憶を植え付けたとしても、それは別人でしかない。
例え同じ人間にしか見えなくとも。
死んだ人間は生き返らない。楽園に還ろうにも、そんな場所はない。
しかし、人間はアダムが実在することを知ったその時、神話が真実であると信じてしまったんだよ。
神の力が手にはいると有頂天になって、神話を全て信じてしまったんだ。
そしてこの戦いが始まった。使徒と人間との戦いが再び巻き起こってしまったんだ――」
じわり、と「シンジ」は涙をこぼす。
そして、シクシクと泣き始める。
「そんな……ウソのはなしのために、ママがたたかわされたの? ママは……」
ふと、カヲルは視線を「シンジ」から外す。
明滅するエレベーターのランプ。誰かがここにやってきたのだ。
「シンジ君、話は終わりだ。さあ、これを持って」
カヲルはマヤから奪った拳銃を「シンジ」に手渡した。
「この戦いを終わらせる。僕がここで死ななければ、この戦いは終わらない。
君が僕を撃つんだ。そして、全てを君が終わらせるんだ」
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その少し前のこと――司令塔において。
ミサトは少し疲れているのか。
あの渚カヲルという少年が何者なのか、それをつらつらと考えてはいるものの、マヤに彼のことは任せきり。
(ゼーレから派遣されたパイロット、特徴がどことなくレイに似ていなくもない。彼もそうなのかしら。
そういえば、リツコやシンジ君のクローンを作るシステムは破壊してしまったけど、レイを残しておいたのは問題だった。
だからこそ、あんな騒動が起こってしまい、結果として青葉君を失ってしまった)
ミサトが銃と力にモノを言わせて、その場を納めてしまったけれど。
おかげで尚いっそう、司令塔の空気は重い。
(こうなれば、レイも処分するか――そうだ。私は何を未練に思ってたんだろう。
私も青葉君と同じだ。世界を守るため、彼女だけが使徒を倒せるという意識から、レイをそのままにしてしまった)
(渚カヲル。どうも気に食わないけど――ゼーレから送られてきたというから間違いないのか)
ミサトは、ゼーレが何を企んでいるのか、人類補完計画の存在すら、彼女は知らない。
(彼が居れば、エヴァは動く。ならば、使徒を殲滅することは可能。
もうまもなくエヴァの量産型も完成するという。
あと、使徒は一体なのだ。あと、残るは一体。それを殲滅すれば、全ては――)
念のため。
知らないと言うことは、罪ではない。
「葛城さん」
ある時、日向は尋ねる。
「ん?」
「葛城さんは、どうしてNERVに?」
「そーねぇ……」
腕組みをするミサト、しかし思い出そうと努力しているわけではない。
自分の過去をどのように話せばいいのか、考えているだけだ
そして、簡単にありのままに説明することを選択した。
「私の父はね。セカンドインパクトに巻き込まれて、死んだの」
「え……?」
「私の父は、私を救って死んだ。私はセカンドインパクトの中心地に居た、唯一の生存者」
「……」
絶句する日向。
世界人口の半数を失うという大惨事。
その中心地にあって、生存を果たしたという驚異の事実。
「エヴァに使われているエントリープラグのモデルに私を押し込み、そして父は死んだ。
そのお陰で、私は無事に生還――私は見た。使徒アダムのその姿を。
そして、世界を破滅に誘う咆哮を私は聞いた」
「……」
「私は使徒を許しはしない。ここまで立ち上がった人類をこれ以上失わせてなるものか」
「そうだったんですか……」
ミサトの話。
「何故?」が抜けている。何故、使徒は人類に破滅を及ぼそうとするのか。
重ねて言うが、知らないことは罪ではない。
「あの……」
その時、二人の会話に割り込んできた者が一人。
女性オペレーターの者だった。スーパーコンピューターMAGIを通して、本部内の運営を管理するのが担当。
「セントラルドグマに向かうエレベーターが作動しています。それが……乗っているのが、あの二人なんです。
フィフスチルドレンのあの子と、それから――『シンジ君』です」
そのオペレーター、「シンジ」のことをどのように呼称すればいいのか迷ったようだが――いや、そんなことはどうでもいい。
「まったく、あの子ときたら」
ミサトは簡単に憤慨する。
「私も行って、説教してくる」
「でも、どうやって乗ったのでしょうか?」
「シンジ君が一緒なんでしょ? あの子なら生体認証でどこへでも行けるから。
本当にもう、マヤ、ちゃんと見てろと言ったのに――」
ミサトは足を止めた。
嫌な予感がする。それも、猛烈に。
思わず、息を飲む。
そして、深呼吸。
ミサトは慎重に、口を開く。
「――日向君?」
「はい、私も同じ事を考えています」
――ビーッ! ビーッ! ビーッ! ビーッ!
しかし、遅かった。
「し、使徒出現、場所は――場所は、セントラルドグマ中心部!」
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司令塔に激震が走る。
使徒の目標と言われていたセントラルドグマ。
そこにある巨人、「使徒アダム」の、その遺骸。
それとの接触により、サードインパクトの発生が起こると言われていた。
「使徒アダム」――かつて、セカンドインパクトを人類に及ぼした者。
今正に、新たな使徒がその前に立っているのだ。
もはや、人類の命運は風前の灯火――。
「まさか、最後の最後でこんな手を使うだなんて」
ミサトは呟く。
少年の姿をした使徒。それがゼーレにフィフスチルドレンとして潜入。
そして本部に派遣され、司令としての権限を持つ「シンジ」に取り入り、そしてセントラルドグマへの潜入を果たす――。
これまでの戦いが何だったのかと思えるほどに、柔軟かつ確実なやり方だ。
そして、日向は言う。
「やりますか――こちらの最後の最後の、あの手段」
日向はMAGIの端末から普段、使われることがなかったメニュー画面を操作する。
そして、表示される選択肢。
本部の爆破を行うか、否か。
「待って、日向君」
ミサトは目を閉じて考える。
そして、手には銃。頭にヘッドセット――マイク付きのヘッドホンを装着して体制を取った。
「なぜ、今すぐに使徒はサードインパクトを起こさないのか?」
「それは……」
日向は答えた。
「まさか、別の目的が?」
「いや」
ミサトはエレベーターへと向かう。
「彼は待っている。私達と交渉するため、誰か来るのを待っているのよ」
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そして、ミサトは数名だけ引き連れて、エレベーターへと向かう。
「葛城三佐! もっと武器を用意した方が!」
「意味無いわ。短銃だけで十分――出来れば、戦闘を起こしたくない」
「し、しかし」
「相手は何時でも私達を滅ぼせるのよ!」
そして、ヘッドセットを確認し、日向にコール。
「聞こえる?」
『はい』
「私が、その時が来た、と言ったら」
『判っています。私は迷わず、ここを全て爆破します』
ミサトは少し優しい顔をした。
「すまないわね」
『いえ、構いません。あなたと……いえ、みんな一緒ですから』
「ありがと」
こうなると、多くの人が失われたことが悔やまれる。
老練の冬月副司令。
博士として名を轟かせた友人、赤木リツコ。
元恋人で気に食わないが、切れ者だった加持リョウジ。
その他、日向に不足はないが青葉も行動力のある仲間であった。
もし、碇ゲンドウが健在だったらどんな判断を下しただろう。
いや、もしも碇シンジが健在だったら。
(まだ子供であり、レイの保護者でしか無かったが、一点のみ光るものを持っていた。
先見の明を持って、停電の混乱の最中にスタッフに指示を下し、使徒を殲滅した彼の功績は大きい。
私は加持を殺した疑いで収容されていた、その間も)
手早い指示で参号機の暴走を対応し、続いて出現した使徒にいち早く対応したのも彼だと聞く。
しかし、その後――。
もし、渚カヲルと一緒にいるのが「本物」であれば、何かを察知してくれていたのではないだろうか。
(しかし、今は私だけ。いや、他にも頼れる人材は沢山いる)
「か、葛城さん!」
そう呼びかけながら、転がるようにして現れた者。
マヤであった。
「すみません、彼が、彼が使徒だったなんて――」
「大丈夫? 体がふらついているわよ?」
「け、怪我は無いんですが彼に――あの、銃が奪われました」
「銃を? いったい、彼がそれで何を……」
考えても仕方がない。
とにかく急げ。使徒がその手を下さないうちに。
使徒が言葉を解するなら、なんとでも言いようがある。
「とにかく」
ミサトはエレベーターに乗り込みながら、こう言った。
「使徒との和解交渉。それで、この場を乗り切る他はない」
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そして、静かに扉が開く。
ミサトは降り立ち、正面を見た。
「使徒アダム」――「使徒リリス」の巨体の、その姿を。
その足下に立っている二人。
背丈はほぼ同じ、二人の少年。
一人は渚カオル。
もう一人は「シンジ」――碇シンジのクローン体。
碇シンジの幼年時代の記憶を持つ、母を失った少年「シンジ」。
髪は青、瞳は赤。
カヲルも「シンジ」のその色によく似た髪と瞳を持つ。
こうして見ると、まるで彼らは兄弟のようだ。
今、「シンジ」の体は渚カヲルが維持している――と、見られている。
自分の「ママ」を失い、その様を目の当たりにした彼が生きていられる筈はない。レイがそうであったように。
かつて、自分の存在意義を失って崩壊した彼女に習って、「シンジ」もそうであるに違いない。
カヲルは巨人に背を向けて立ち、やってきたミサトの方を向いていた。
その斜め前のあたりに「シンジ」はミサトに背を向けて立っている。
その手には、マヤの拳銃が――そう、「シンジ」はカヲルに自分を撃てと言われた後のことだった。
しかし、「シンジ」はそれをしなかった。
「!?」
ミサトの後に続いてやってきたスタッフは驚く。
彼女はいきなり銃口をカヲルに向けたのだ。
交渉をするのではなかったのか?
ミサトは問う。
「あなたは、いったい何をしに来たの?」
銃を構えつつ、そう言った。
目の前にいるのは父を、人口の半数を滅ぼした使徒の仲間。
自分の想いの、憎しみのままに牙をむく。
明確な意思表示で、どんな相手にも挑んでいく。
それが彼女のやり方。
だが、カヲルは何も言わない。
しかし、その彼の代わりに「シンジ」がクルリと振り向いた。
そして、手にしたマヤの銃をミサトに向けた。
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「どういう、意味かしら」
ミサトはカヲルに問う。
「そのシンジ君を操って、何をさせるつもり?
いいわ、シンジ君に私を殺させなさい。私一人を殺してどうなると――」
「ちがう!」
その時、「シンジ」が叫んだ。
ミサトに対して、「シンジ」が叫んだのだ。
「ボクはあやつられてなんかいない。ボクは、ボクは――ボクは、ニンギョウじゃない!
ママみたいに、オマエタチのニンギョウになんか、なるもんか!」
「シンジ……君?」
「シンジ」はレイとは違った。
かつて、シンジ以外の誰とも応じなかったレイとは違い、「シンジ」は誰とでも話すことが出来たのだ。
ただ、これまで自分の「ママ」と、渚カヲルにしか話をする気が無かっただけなのだ。
「ママをかえせ」
「え……?」
「ママをかえせ! ボクはカオルくんからきいたんだ! シトとたたかわせるためにママがつくられたんだ!
ママはそのためにニンギョウにされたんだ! ボクは、ボクは……」
「シンジ君、それは」
「そして、シトのニンギョウをつくった。それで、ニンギョウにされたシトはおこったんだ」
「……」
「そして、シトどうしでコロシアイをさせたんだ! ほんとうにワルイのはオマエたちだ!」
「……シンジ君」
「ママをかえせ――でも、もうもどらないんでしょ? いきかえることはないんでしょ? ママは。
それなのに、どうして――どうして――」
「……」
「どうして、ママをシトとたたかわせたりしたんだ! しんだら、いきかえれないのに!」
「シンジ君、それはね……」
ミサトは説明する。
どう言えば理解させることが出来るのか、幼年の精神を持つ「シンジ」に対して、どう言えばいいのか迷いながら。
「使徒はね、沢山の人を殺したの。死なせてしまったの。だから――」
「カオルくんが、さくさんのヒトをコロスというの?」
「それは……」
「カオルくんは、まだなにもやってないじゃないか!」
「……」
少し、子供の理屈が混じる。
大人の事情として、可能性を見過ごす訳にはいかない、と言うのが本当のところだが。
しかし、悟り得られることもある。
――オマエたちのニンギョウになんか、なるもんか。
ミサトは目を閉じて、考える。
(セカンドインパクト、その再来を防ぐため。そして、殺された父の敵を討つため。
使徒が第三新東京市に襲来して、サードインパクトを発生させる可能性がある。そう、可能性だ。
その可能性を聞かされて、多くの者が身を犠牲にして戦ってきた。だが実際は――)
(この子にとっては、そう――可能性のためだけに、自分の母親を犠牲がされてしまった。
人類存亡よりも個人にとっては遙かに重い、自分の大切な家族の命が奪われる――)
(そしてみんなも可能性に怯えながら、多くの命を投じてきた。人類存亡と言う大義に操られて。
そうだ、私達こそ操り人形に他ならない――)
しかし、そうでない人間などいるのだろうか。
人は皆、何かに操られながら生きている。
それは物であり、欲であり、人であり、過去であり。
自在に生きられる者など、この世には居ない。
「シンジ」は何も言わないミサトに焦れて、尚も銃を突き付ける。
「セキニンをとってよ。ママをかえして。そして――」
「――そして?」
「ホンモノのボクもかえして。そうしないと、ママは、ママは」
「シンジ……君? あなたは自分のことを知ってて!?」
「ママはひとりぼっちになっちゃうんだ! ボクはニンギョウだから、いきていけないんだ! ママを――」
「……」
その時。
「シンジ」が銃を持っていた右手が、ボタリと落ちた。
右上腕の途中から千切れ落ちて――そう、まるで人形のように。
「シンジ」は泣きながら、ミサトに訴える。
「おねがい、ママをもどして……ホンモノのボクももどして……ボクはもう、だめだから……」
「……」
「やっぱり、そうだ。ボクはニンギョウだったんだ。ボクは……」
そのまま、「シンジ」は膝をつく。
自分の身の上を、自分の母親の運命を嘆きながら。
ミサトは自分に罪を感じてうつむいた。
――ママをかえせ。ホンモノのボクをかえせ。
もはや還らない人達のことをも、想いながら。
- =- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=- -=-
やっと、カヲルは動き出した。
「僕が来た理由はね」
カヲルは、「使徒アダムの幼生」をまるで慰霊のように捧げながらこういった。
「全てはアダムの怒りから始まってしまったこの戦い、それを終わらせたいと思ってね」
ミサトは尋ね返す。
「アダムの、怒り?」
「そう。アダムは自分の怒りを解き放ち、君達に大きな被害を与えた。そして、死んだ。
その彼の怒りに答えて、君達リリンを赦してはならないと、僕らは立ち上がったんだ」
「……」
「僕達の意識は、リリンにこそ、人間達の罪を許してはならない。
そのために、僕達全ての者共は動き出したんだ」
「人間の、罪」
「判らない? ほら、これだよ」
再び、「使徒アダム」を示す。
「僕らはね、自分の仲間を奪われ、しかも互いに殺し合いをさせられたんだよ?」
確かに、自分達がやってきたことはその通りなのだ。
更に、ミサトやマヤ、そこに居るスタッフ達の罪の意識が重度を増す。
そんな彼らを見ながら、カヲルは続ける。
「でもね。僕達の体を操り、僕達と戦う君達を見て、僕らはこう考えた。
ああ、それでは我々の時代はもう終わったのかなと」
「我々の時代……」
カヲルはポイッと「アダム」を放り捨て、代わりにシンジが落とした右手の銃を拾い上げる。
ミサトの背後のスタッフ達はギクリと驚くが、彼女が手を振って軽く制した。
「だから消えるよ。戦いを終え、語り合った。そして判ったんだよ」
カヲルは「シンジ」の頭をなでながら、微笑む。
「君達にもアダムの怒りを判ってくれて、同じ苦しみを味わった人達が居たからね。
もう僕達は――いや、最後に残った僕は怒ってないよ」
「なら」
ミサトは右手を差し出した。
「和平を。あなたは消える必要などない」
カヲルは小首をひねる。
「できるのかな。そんなこと」
「努力するの。私達と共存する、その努力を」
「だけど、出来るのかな。互いの罪を捨てることが」
「それは……」
口をつぐんだミサトに対して、カヲルは提案をした。
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「なら、懺悔をしよう」
「え?」
いきなり何を言い出すのか。
神の存在などを「シンジ」に対して否定していたカヲル。
その彼がするべきことでは無い。
「宗教もまた、リリンが産んだ文化の極みだよ。互いの罪を無条件に赦し合う。
そしてこれまでのことを水に流して、明日を生きる。君達は良い方法を知っているじゃないか」
「……」
ミサトは首を傾げた。
そんなおままごとで何もかも解決するなら苦労はしない。
昔の人なら、いざ知らず。
しかし、カヲルはそんなミサトの心を読んでいた。
「フフ、馬鹿馬鹿しいと思っているね。現実の努力をすべきだと。特にこの子に及んだ罪は、お祈りでは済まないだろう」
「……待って。何をするつもりなの」
ミサトは止めようとする。
しかし、カヲルは銃を自分の頭に突き付けた。
「シンジ」はよろめく体をなんとか動かして、跪いたままカヲルの方を見る。
カヲルは問いかけた。
「さあ、シンジ君。僕は生命の樹の元にお願いをしに行くよ。君のママを死なせてしまった、そのお詫びの印に」
「なら、なら……」
「さあ、君は何を望むの?」
「なら、ママを……ママをいきかえらせて。そしてホンモノのボクもいきかえらせて、ふたりをシアワセに……」
「君は? 君はいいの?」
「もういちど、あんなシャシンをみたいから」
「……わかったよ」
カヲルは引き金に指をかけ、そして自分の頭に向けて銃を構え尚した。
その狂気にも似たその光景、ミサトの脳裏に悪夢が過ぎる。
あのかつての碇シンジの死に様を思い出しながら。
「止めて! 渚カヲル、止めなさい!」
「天に召します我らが父よ、願わくば全ての人々の罪を赦し、天界の楽園へと通ずる門が開かれんことを――」
ミサトは思わず、カヲルに向けて突進する。
マヤは悲鳴を上げ、スタッフ達は凍り付き、そして「シンジ」はカヲルを見上げて、目を閉じる。
そんな彼の頭に、カヲルはそっと手を添えた。
「あなたの願いは聞き届けられました――アーメン」
タンッ……。
カヲルは倒れてその力を失い、「シンジ」の体は溶けて消え去る。
「くっ……」
苦悶し、うなだれるミサト。
マヤもまた、顔を両手で覆い、失意に落ちる。
やはり何も言えず、何も出来ずに、呆然とするスタッフ達。
カヲルは何故、懺悔の真似事をしたのか。
この世界に神は居ない。神が人を創造したのではない。
人が孤独と苦悩を癒すために生み出されたもの、それが神。
仏教にもある。南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土に逝けるという。
それは現実にそうなるのではなく、死にゆく者の心を癒すための手段に他ならない。
キリスト教の懺悔も然り。彼はやりきれない「シンジ」の心を癒し、ミサト達の罪を赦して消えていった。
こうして、全ては終わった。
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使徒殲滅の完了が本部内に、そして世界の各支部に告げられた。
むろん、その背後にあるゼーレにも。
もはや、ミサトの心は疲弊し尽くした。
司令塔に戻り、使徒殲滅の宣言を済ませた後、後ろ手で手を振って後を振り返らずNERVを去る。
誰にも何も告げず、マヤや直属の日向にも告げず、事務手続きもしないままに。
殺し合い、殺され合い、時には自ら死を選び、誰かの死を見捨てて。
この戦いで、そんなやり取りが余りにも多すぎた。
仇討ちの空しさ、などという言葉で済ませられることではない。
もう、懲り懲りだ。
部屋に戻ってビールを空ける。
しかし、苦くて喉を通らない。
ほとんど口にしないまま、ゴミ箱にゴトンと投げ捨てた。
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さて、NERV本部全ての者が事後処理に入る中、マヤも後片付けをしなければならない。
「レイの水槽」の前に座り込み、ジッとそれを眺めていた。
もう見慣れた光景だ。
水中を乱舞するレイの姿を眺めながら考える。
いや、感じていた。
それらが美しいとも、禍々しいとも、気味が悪いとも、そして切なくとも感じていた。
マヤにとって、シンジやレイを弟や妹のように感じていた。
しかし、もうシンジは居ない。
レイも、もはや目覚めることはない。
あの二人の仲睦まじい光景が脳裏から離れない。
儚いあの二人のことを思い出すだけでも涙が出てくる。
そして、もっと早くに処分をしておけばよかったと、ミサトと同じ事を考える。
ならば、青葉が死なずに済んだのに。
未練たらしく、人類存亡のためとレイを捨てる気にもなれなかったのだ。
こうして浮かんでいるレイの肉体を滅ぼす――殺してしまうことなど、そう簡単にできる事ではない。
でも、仕方がない。
これは仕方がないことなのだ。
マヤは自分の先輩であるリツコの体を処分した、その時以上に悩んだ、その挙げ句。
彼女は、やっとの思いで心を決めた。
水槽のスイッチを操作して、全ての「レイ」の処分を実行する。
もう、こんなものを作ってはならない、と――。
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最終更新:2009年03月13日 20:08