第拾話

「じゃ、綾波はここで待ってて。」
「はい……」
綾波を置いて、軍用のVTOL輸送機から降り立ったのはシンジただ一人。
そこは広大な共同墓地である。
セカンドインパクトの折、あまりにも多くの死者が発生したため、
墓標の形状は全て規格化され、決められた間隔を開けて無機質な行列を作っている。
シンジは教えられた座標を辿り、ある一つの墓の前に立つ。
その墓の名は碇ユイ。シンジが幼少の頃にこの世を去った母親である。
そこに現れたもう一人の男。NERV司令にしてシンジの父、碇ゲンドウであった。
「やあ、父さん。」
「……」
シンジが第三東京市に迎えられて以来の対面だ。
「ねぇ……母さんって、どんな人だったの。」
「鏡を見ることだ。お前はユイに良く似ている。」
「へえ……そうなんだ……」
あまり顔を合わすことの無かった親子である。会話を弾ませることなど無理というものだ。
ぼそり、ぼそりとシンジが話しかけ、ゲンドウはそれに答えるだけだ。
実は誘ったのはシンジの方である。そうでもなかったらゲンドウはここに来なかったかも知れない。
「それじゃ……」
「ああ……」


シンジが帰るそぶりを見せたと同時に、背後の輸送機がエンジンを起動させる。
その窓からチラリと見える綾波レイの顔。
それをゲンドウは見逃さなかった。
「会えてよかったよ。それじゃ……」
そんなおざなりの社交辞令を残してシンジは乗り込む。
ただ一度だけ輸送機を振り返った後、ゲンドウはトボトボと歩いて帰途についた。

「それでは、こちらで今しばらくお待ち下さい。」
「はい……」
応接室に案内された洞木ヒカリは、出された紅茶とケーキを目の前にして大人しく待っていた。
豪華な調度品。壁には教科書で見覚えのある絵画が並ぶ。
どの程度、使用されているか判らない応接室の金のかかりようは半端ではない。
「……」
落ち着かない様子で10分程まっていただろうか。ようやくシンジが姿を現した。
「えーと……洞木さん、だっけ。ごめんなさい、学校には一度しか行かなかったから。」
「ううん、いいの。なんか……雰囲気変わったわね。その、精悍になったというか。」
「はは……」
その印象の変化は筋トレの成果だろう。
しかし本当の所は、シンジの暗い目つきの方が気になって仕方がなかった。


ヒカリはくつろげない様子で、ケーキはおろか紅茶にも手を付けては居なかった。
「ああ、この家のパティシエが焼いたんだって。遠慮しないで食べてよ。」
「そう……でも、プリント届けに来ただけだから……」
自分ち、とは言わずに「この家」と称するところから、シンジの心情が伺える。
自分の居場所、つまり気持ちの落ち着けどころがない、と言ったところか。
「なんなら、後で包ませるから……学校はどう?」
「なんか変なの……生徒がどんどん転校していっちゃって。」
「そ、そうなんだ。使徒襲来の影響で逃げちゃったのかな。」
「でもね。時折、女の子が転入してくるの。変だと思わない?」
「……」
「で、妙な人がうろうろしていて、何やら生徒たちをチェックしているの。」
「……そうなんだ。」
「私はギリギリ合格なんだって。何だか気味が悪い。」
「……」
「えっと……それじゃ、私は帰るね。」
「あ、ああ、今日はありがとう。」
「いいの。委員長としての公務だし……でも、もう会えないかもね。」
「え?」
「私も引っ越すことにしたの。お姉ちゃん達と相談してね。なんだか、この街に居たくないって……」
「……」


そしてヒカリは席を立ち、シンジは玄関口まで見送った。
「遠慮しないで車で送ってもらってね。」
「ありがとう。あの……碇君?」
「え?」
「このまま、学校に来ない方がいいかもしれない。そして……」
スッとヒカリはシンジに近づき、ささやいた。
「ここから逃げた方が良いと思う……多少の無理をしてでも。」
そう言い終えると、ヒカリはリムジンに乗せられ去っていった。

当然、ミサトはこのやり取りを聞いていた。
「優しい子ね。一度ぐらいしかシンジ様に会ったことが無いというのに。」
そんなミサトの呟きを聞いて、側にいたメイドは答える。
「素朴で真面目そうな良い子ですね。ああいう子がシンジ様の側に……」
「ダメよ。あの子を巻き込んだら、シンジ様はきっとお怒りになるわ。」
「そ、そうですね。失礼しました。」
(ロクに通っても居ない学校にまで手を入れ始めた……いったい連中はどこまで……)
「ん?あれは……」
ふと、ミサトは耳を澄ました。ゆるやかな低い音色がシンジ邸に響き渡る。
「シンジ様がチェロを奏でておいでのようです。」
「筋トレ好きのシンジ様には意外な特技ね……せっかくだから、このまま鑑賞させて頂きますか。」
「はい。それじゃお茶をお入れしますね。」


ゼーレ最高幹部会議。それはコンピュータにより作成された疑似空間で行われる。
そこに遠隔地に点在する幹部のメンバーが通信により集結する、と言うわけだ。
キール議長を中心に取り囲まれるようにして審議を受けているのは、NERV司令たる碇ゲンドウ。
「あまり成果は上がっておらぬようだな?碇ゲンドウ。」
「しかし、使徒の殲滅は確実に行っております。問題はありません。」
「そちらのシナリオなど問題ではない。あの碇シンジのことだ。」
「は……」
「一向に我々の餌に食らい付こうとはせんではないか。」
キール議長に続いて、幹部の面々達は次々とゲンドウを責め立てる。
「これまで君の息子に与えた莫大な女の数と予算の出費、大変な損害だよ。」
「全ての使徒が倒されたとき、碇シンジがあのままでは意味が無いのだ。」
「自分の息子の趣味ぐらい把握できんのかね?ゲンドウ。」
が、ゲンドウは済まして言う。
「言うまでもなく、シンジは実の息子では無いのですが?」
「ふん……」
「そしてこれを……これもある種の趣向と言っても良いかと。」
幹部各員に転送される資料。それは日々のシンジの自慰回数の累計を示すグラフであった。
それを見てキール議長は言い放つ。
「成る程。よかろう、碇ゲンドウ。しかし、それではまだ足らぬことは判っておろうな?」
「は……」
「それについては、こちらで一考しよう。碇、ご苦労だった。」


シンジの居間。
机に向かい、カチカチとマウスを操作しながらパソコンに向かうシンジが一人。
ある時、誰かがドアをノックする。
「は、はい!誰?」
そう言いながら、そんなに慌てなくても良いのにガタガタと騒々しく操作して開いていたブラウザを閉じた。
「碇君……お茶……」
そう言って入ってきたのはレイだった。
トレイ片手の無表情なレイはシンジの机に向かい、お茶のセットを並べた。が……
「……」
「あ、あの……レイ、何かな?」
シンジの様子が落ち着かない。股間がお祭り中の男が落ち着ける訳がない。
そんなシンジを見て、レイは一言。
「……する?」
「え!?な、何を……」
「……しないの?」
「な、何いってるのさ、レイ。あはは……」
「そう……それじゃ……」
「あ……」
部屋から出るレイ。シンジは何だか、釣れた魚を何故リリースしてしまったのか判らないような心境だ。
手を出す勇気が無いなら自分でしたら?と冷たく突き放されたような気分だが、
それでもやっぱりトイレに向かい、ほっとしたように握りしめるシンジであった。
最終更新:2007年02月21日 22:40
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