第拾七話

o nein, dieses nicht, etwas anderes gefalliges ist es was ich fordere
(いや、これではいけない、もう少し違ったものを、快いものだ、私の求めているのは)

auch dieses nich, ist nicht besser, sondern nur etwas heiterer
(これもだめだ、良くはなっていない、ただいくらか晴れやかなだけだ)

auch deises es ist zu zartl. etwas aufgewecktes muss man suchen ……
(これも甘美に過ぎる。何か目を覚まさせるものを探さねば……)

Nein diese …… erinnern an unsre Verzweifl.
(いや、この …… はわれらの絶望を想い出させる)

Ha dieses ist es! Es ist nun gefunden!
(ハハハ、これだ!ついに見つけたぞ!)

(注)
ベートーベン交響曲 第9番第4楽章 バリトンのソロパートより抜粋(やや改変)
シラーの詩に入る前にベートーベンが加えた歌詞。


海岸を一人歩くアスカ。手には鞄が提げられている。
向かう先は港。出航まではまだ時間がある。
恐らく、傷心を抱えてのドイツへの帰途、というわけだろう。
(さて……帰りますか。もはや、私の居るべき場所はここには無い。)
(船の長旅もいいでしょう。帰りつくまで、たっぷりと泣きの涙を楽しめる。)
(笑うのはそれからでいいよ、アスカ……ん?)

「♪Freude, schoner Gotterfunken, Tochter aus Elysium ……」
アスカが振り返ると、首を失った巨像に一人の少年が座り、そして歌っていた。
「歌はいいねぇ……そう思わないかい?惣流アスカ・ラングレー。」
「あんたがドイツ語を話せるとはね、渚カヲル。」
「いや、英語のほうが好きだけどね。日本語よりも楽だ。」
「そう……何か用?」
「見送りだよ。迷惑だったかな?」
「迷惑千万、大きなお世話よ。あんたに見送られるなんて最上級の皮肉だわ。」
「そう……それじゃシンジ君ならどうだい?」
「……ここに?」
「さ、こっちにおいで。」
「あ……」
もはや是非もなく、カヲルの後に続くアスカであった。が……


NERV本部。
「重体!?アスカが?」
驚愕するミサトに、部下の一人が言いにくそうに報告する。
「はい……何者かに暴行を加えられて……その……」
「どうしたというの?」
「何者かに犯されたらしい跡が……」
「……一体、何者が。」
「それが、諜報部が発見した時には、その……」
「一体、諜報部は何をやってたのかしら……あ。」
シンジがいつの間にか側に来ていた。
「今のを……聞いておられたんですか。」
「それは本当なの?アスカが……そんな……」
ショックを受けるシンジを覆い被せるように、ミサトは言う。
「シンジ様、何やら悪い予感がします。今すぐご自宅へお戻り下さい。」
「え……でも。」
「構いません。使徒が現れても、渚カヲルが居ることですし。マヤ?」
「はい、あの……ミサトさん。」
「……なによ。」
「レイが居なくなったんです。本部に来てから行方が……」
「なんですって?」


薄暗い部屋に立つ碇ゲンドウ。そして、もう一人。
「カヲル。」
「……ここに。」
「手筈は?」
「上々ですよ。綾波レイは既に捕らえて処置を施してあります。」
「そうか。しかし、アスカをああまでする必要は……」
「いいでしょ?こういうスパイスも必要だよ。」
「まあいい……では、時が来た。」
「はい、それでは……」

「さ、急ぎましょう。」
そういってシンジの手を引くマヤ。とにかく本部にいては何が起こるか判らない。
レイのことはともかく、とにかくシンジ邸に急ぐこととなったのだ。
あそこなら、まだミサトの信頼できる者達が居る。
「……シンジ様?お早く。」
「え?ああ、うん……」
何かに心をとらわれているようなシンジ。そんな彼の様子を見てマヤは尚更あせる。
(使徒が現れても、渚カヲルが居ることですし……)
(渚カヲルが居ればそれでいい……)
(カヲルが……カヲルが……カヲルが……)
そんな言葉ばかりがシンジの脳裏を支配していた。そして、


「う……うう……」
「し、シンジ様!?」
思わず、その場にうずくまるシンジ。もう自分が何を考えているか判らなくなっている。
ズルリ、ズルリと音を立てて、これまでにない思惑が禍々しく頭の中でとぐろを巻いている。
その時である。
「あ、マヤさん。カヲル様をお見かけしませんでしか?」
「え?いえ……」
「そうですか。それでは……」
マヤに声をかけてきた一人の女性職員は、シンジ様がうずくまっているというのに構わず去っていった。
(あ……あ……あ……ああ……ああああッ!!)
思わず声を上げて、己の狂気をまき散らそうとした、その時。

「シンジ様、私が居ます。」
そういって、マヤはシンジの手を取る。
どの程度、シンジの心情を察したのかは判らない。
が、あっぱれとも言うべき勘の良さでシンジの思いを感じ取り、抱きしめるマヤ。
「私がついています。私はシンジ様から離れません。さ、お早く。」
「う、うん……」
ようやく正気を取り戻して歩き出すシンジ。しかし、行く先に待ちかまえていた者が一人。
渚カヲルである。


「あ……」
思わず声を上げたマヤ。その顔に緊張と恐怖が走る。
「シンジ君……大丈夫?顔色が悪いよ?」
虫も殺さぬ天使の笑顔で話しかけるカヲル。
「はい……あの、今すぐお連れして休ませようと……」
「そうだね、急いだ方が良い。大丈夫、後は僕に任せてくれ。シンジ君」
(あ……ああ……)
シンジの肩を抱き、大急ぎで立ち去ろうとするマヤ。
もしかしたら、そのまま行けばやり過ごせたかも知れない。
しかし、カヲルは見事な追い打ちを仕掛けた。
「うらやましいね……こんな可愛い人について貰えるなんて。さ、急ぎたまえ。」
普段ならお愛想混じりの社交辞令でしかない、さりげない台詞。
しかし、シンジの心は音を立てて壊れ始めた。
(お前がアスカを……そして……綾波も……まさか、マヤさんまでも……)
疑念と、嫉妬と、妬みと、恐怖と、怒りと……そして狂気が、シンジを突き動かす。
「し、シンジ様!?お止め下さい!シンジ様!」
(貴様が……貴様が……僕の……)
シンジはカヲルに掴みかかり、そして首に手をかける。
カヲルは抵抗をしない。尚も柔らかい笑顔でシンジに微笑みかける。
(貴様が……貴様が……)


カヲルの首を絞めるシンジ……いや、違う。
首に指を食い込ませている。その指は既にのど笛を突き破り、
既にシンジの顔は返り血を浴び始め、カヲルの首は血潮の噴水と化していた。
「貴様が……貴様が……貴様が……僕の……ッ!!」
もはやシンジは声に出していた。それでも、それでもカヲルは笑みを絶やさない。
むしろカヲルは悦楽の境地へと達していた。そして……

   ゴキッ……

食い破ったシンジの指が直接に頸椎を掴み、
これまで鍛え上げてきた恐るべき腕力がそれをへし折っていた。

ある森の中の小さな空き地。
そこには小さな小屋が建てられ、ささやかな畑が耕されている。
植えられているのはスイカ。そこで鼻歌交じりに水をまく一人の男。
加持リョウジである。
せっせと畑仕事に精を出すように見えて……その視線は別に注がれていた。
大きな切り株の上に乗せられた一台のノートPC。
それは地下にあるNERV本部の情報ケーブルに接続され、
物理的に情報を傍受し、画面に膨大なログを流し続けていたのである。


(やはり、暗号解析が甘いな……しかし、最近になって量が増えているのが問題だ。)
(使徒殲滅もいよいよ終焉に近づこうとしている。そうなると、はたして増えるものなのかどうか。)
(気になるのは、時々現れるこの文句……『処刑』……?)
カチリ……と、銃を握り直す音が背後から聞こえる。
「えーと、誰かな?困るよ、人の秘密の花園に勝手に踏み込まれては。」
「見事なスイカね。あなたにこんな趣味があったなんて。」
ここで後ろを振り向く加持。後ろに居たのは赤木リツコ博士だ。
「なんだ、リッちゃんか。久しぶりだな。」
「謎はとけて?」
「いや、さっぱりだ。人の秘密を知ったんだから、引き替えに教えて欲しいな。」
「そうね。死ぬ前に何が聞きたいの?」
「では……シンジ君の父親は?」
「もう知って居るんでしょ?『存在しない』が正解。」
「やはり……」
「そうした者が何百年か何十年かごとに生まれてくる。有名な人では二千年程前に生まれた、あのお方。」
「ああ……では、特務機関ネルフ、そしてゼーレはそうした者を追い求めていた、と。」
「ゼーレが結成される以前からそうした組織が存在していたの。あのお方が十字架に駆けられて以来。」
「……」
「そうした者……無原罪の御宿り、なんていう言葉があるわね。姦淫の原罪を知らず生まれたため……」
「それが聖なる証というわけか。シンジ君もその一人、と。」


「そう。しかし、原罪がどうの、というより誰が何の意図で産み落とさせたのかが問題。」
「ふむ……その結果が使徒の襲来?」
「これまでの歴史の中で、どのような形で使徒、つまり天使達が降臨してきたのかを彼らは追い求めてきた。」
「……」
「そして、それは何のためか。世界中を股にかけて数百年にわたり僅かばかりの情報をかき集めた結果。」
「それは?」
「その者に、こう尋ねるというの。『この世界で生きてきたお前が何を望むのか?』……と。」
「つまり天から派遣され、この世を目にした調査員に結果報告させてるって訳か。これは傑作だ。」
「彼らはそれに目を付けた。やがて世界は情報化が進み、そうした人物を捜し出すのが容易となり……」
「それを意図的に操作するのか。では、あのセカンド・インパクトは?」
「強烈なしっぺ返しを喰らった結果らしいわね。当時の組織の大半を滅ぼすために天使の力が使われた。」
「……」
「しかし、その後に奇跡が起きた。次に何時生まれてくるか判らない神の子が、その後にすぐ現れた。」
「……それが、シンジ君か。」
「今度は上手くやらなければならない。しかし、その神の子は世の常の子供とは違い、実に動かしがたい。」
「それで、あの巨大なハーレムを創設し、シンジ君に劇薬を投じた訳か。成る程ね。」
「幸い、壊滅の折りに共に倒れた使徒アダムの遺体が残され、ことを成し遂げるための用意は調えられた。」
「それを元に作られたのが使徒殲滅のためのエヴァンゲリオンか。しかし、どうして?」
「そうね。使徒が居なくなっては、その力を利用することができなくなる。」
「……」
「もはや通常の物欲といった単純な欲望などは彼らにはない。彼らがやろうとしていることは処刑。」


「何!?」
「彼らは、二千年前に行われた処刑をもう一度やり直そうとしている。この世界の有り様を変えるために。」
ここまで話していた彼らから、幾分はなれた所から騒々しい物音が聞こえてきた。
「あれは……戦自のジープか。装甲車、それに戦車まで……」
「それじゃ、お話はここまでよ。あなたに邪魔されては困るの。」
そうして銃を構え直すリツコ。
しばらくして、パンッ……という乾いた銃声が森の中をこだました。
最終更新:2007年02月22日 23:49
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