虐待 第拾壱話

アスカのシンクロ率が僕を抜いて2位に返り咲きました。
でも、あんまり嬉しくありません。彼女も嬉しそうではありません。
そのアスカの暗いまなざしが何だか気になって仕方がないのです。
僕に笑顔を見せている時ですらそうなのです。
どう話しかけていいか判らない。どうしたの?とも聞くこともできない。
いや、とにかく時間を見つけてアスカと接して少しでも話を……あれ?

パァァンッ!!

「目を覚ましなさい!戦いの中で気を抜いたら死ぬのよ?」
ミサトさんです。彼女の強烈なビンタのお陰で僕はやっと我に返りました。
今は使徒殲滅のための作戦会議中、それが済めば僕達は今すぐにでも出撃です。
武器を手にして、僕達を倒そうとする敵を倒さなければならない非情の戦い。
僕達はそんな戦場のまっただ中に居るのです。
いつもミサトさんはそう言って叱咤し、命の危険をかえりみない戦いへと僕らを送り出すのです。

作戦部長、葛城ミサト。これまでどんな経験を積んできたのでしょうか。
ただこれだけは言えます。いや、判ってきました。
彼女は必死なんです。
人類の命運をかけた戦いで勝つために。そして僕らを守るために。




今回の使徒は中空に浮かぶ巨大な球体。
いや、はたして本当に使徒なんでしょうか。センサーもはっきりとした答えが出せないようです。
作戦というのは、まず零号機と弐号機にライフルを装備されてビル屋上に配置。
そして僕の初号機は先行して使徒に接触し、可能ならスナイパー二人の十字砲火へと誘い出す。
僕にとっては恐ろしい役目ですが、アスカがバックアップに回ったので少し安心しました。
そして、綾波がいつものように冴えた動きを見せてくれるでしょう。
確かにこれが最善の策ともいえます。
さあ、いよいよ作戦決行です。

僕はアンビリカルケーブルを差し替えながら距離を詰めていきます。
妙に禍々しささえ感じる縞模様の巨大な球体。
不気味です。なんの動きも見せません。
恐ろしいけれど、むしろ向こうから何かの動きを取ってくれれば、こちらも動きの取りようがあります。
司令部のミサトさんからも何の指示もありません。
じれったさが頂点に達し、僕が初号機に短銃を構えさせた、その瞬間。

「下ッ!」
綾波です。僕はハッとなって近くのビルに足をかけて飛び乗りました。
僕が立っていた足下が漆黒の闇へと変わっていたのです。まったくの盲点でした。
僕は必死でプログナイフをビルに突き立て、もはや悲鳴を上げながらビルを駆け上がります。
そうしてる間にも僕の登っているビルはズブズブと地面に沈んでいくのです。



僕はビルからビルへと飛び移り、なんとか足場を確保しようと必死でかけずり回りました。
既に道路に駐車していた車や小さなビルなどは姿がありません。
街全体がズブズブと沈んでいく、そんな恐ろしい光景を僕は目の当たりにしました。
「輸送ヘリを向かわせるわ。耐えて!」
ミサトさんの声。
僕はようやく比較的大きなビルにたどり着き、これ以上は沈まないのを見越して一息つきました。
でも、そのビルはプカプカと水上で浮き沈みしているみたいで不安定。どうなるか判りません。
そして綾波の零号機が居るビルも無事の様子。そしてアスカは?

僕はアスカの様子を見てギョッとしました。
アスカのビルも無事なのですが、驚いたのは彼女の様子です。
警戒する様子もなく、ライフルを片手にダラリと垂らした腕。
そして、使徒が生み出したと思われる闇に向かってジッと見下ろす弐号機。

僕がアスカの名を叫んで呼びかけても、彼女は何の反応もありません。
うつろな目で闇を見下ろし、そしてブツブツと何かを言い続けるアスカ。
その唇を読んでハッとなりました。まずい、彼女を止めなくては。
彼女は確かにこうつぶやいたのです。ママ、と。

僕は恐怖も忘れて、八艘飛びする義経よろしくビルからビルへ飛び渡り、アスカの元へ急ぎました。



「シンジ君、急いで!お願い!」
やはりミサトさんも感づいていました。流石です。
などと、感心している場合ではありません。
もう既にアスカの弐号機がまっすぐ前に倒れ落ちて、身を投げようとしているのです。
僕と、そして初号機は共に渾身の力でダッシュをしかけ、ついに弐号機の立っていたビルに到着。
そして、

(あそこに……ママがいる……)

そんなつぶやきと共に、ついに弐号機は闇の中へと身を投げてしまいました。
呆然と立ちつくす僕と初号機。あと少しの所で間に合わなかったのです。
その時、バラバラというプロペラの音が背後に迫ってきました。
「……シンジ君、一時退却。」
震える声で僕に命じるミサトさん。が、聞く耳なんて持てません。

アスカはまだ死んではいません。闇の中に、使徒の中に落ちただけです。
どうなったのか判りません。でも、死んだかどうかも判らないのです。
「ダメよ!シンジ君ダメッ!!」
そんな叫び声を後にして、僕もアスカを追って使徒の闇へと落ちていきました。
どこまでも広大な、虚無の谷底へ。



落ちてみれば全天真っ白の巨大な空間。

何もありません。上も下も右も左も判らないのです。
ここが広いのか狭いのかすら判りません。
そして何より、アスカが何処に居るのかすら判らないのです。

僕は必死でレーダーを周囲に向けて探します。
アスカが居ません。弐号機は影も形もありません。
ただ、僕と初号機が居るだけ。
今、止まっているのか、進んでいるのか、落ちているのか、浮かんでいるのか。
何もないこの世界では、僕自身が存在していることすら判らなくなりそうです。

どんなに暴れても、もがいても、なんの動きも見せない白い闇。
呼べども叫べども何の反応もありません。
本部との、そしてアスカとの通信なんて通じるわけがありません。

とにかくアスカの後を追いかければ。とにかくアスカに追いついて、そして後は成り行き任せ。
僕はそんなふうにしか考えてなかったのです。
ああ、猪突猛進してしまった僕のあまりの考えのなさが、泣きたくなるほど悲しくなります。
どうすればいいのでしょう。母さん、何か方法は無いのでしょうか。
母さん、助けてください。もう僕はどうしていいやら判りません。



(何も存在しない。方角も広さも存在しない。それなら、この世界では時間や距離すら存在しない。)

僕はギクリとしました。この声は?

(でもね?何もない筈はないの。あなたにはアスカを想う気持ちがあるじゃない。そうでしょう?)

あ……

僕は何かを理解したような気がして、グッと手を伸ばして掴みました。
そこには弐号機の、そしてアスカの腕があったのです。
……う……嘘でしょ?

「シンジ?」
ジッと目を閉じて空間を漂っていたアスカ。僕に腕を捕まれて彼女はようやく気が付きました。
初号機が掴んでいるのは弐号機の腕。でも僕の目の前にいるのはアスカです。
ああ、何が何だか訳が判りません。

僕は、帰ろう、とアスカに言いました。
「このバカシンジ……何であんたがここに居るのよ……」
涙声で、そして僕に笑って言う彼女。
弐号機を抱き寄せて、ウォーンと雄叫びを上げる初号機。そして、



ズシィィィィィィィィィィィィィィィィンッ!!

気が付くと、初号機は弐号機を横抱きにして地上に降り立っていました。
背後には初号機に引き裂かれた巨大な球体の使徒。
その血しぶきを撒き散らして砕けていく使徒の姿は、
むごたらしくも僕の勝利を祝福するくす玉の様にも見えました。

「バカッ!!あれほど絶対服従だって言ったじゃない!!」
そう叫びつつ僕達を出迎えたのは、ボロボロと涙を流しながらも二人まとめて抱きしめてくれたミサトさん。
なんと、日本に存在するN2爆雷を全て投下して使徒を殲滅する寸前だったと言うこと。
まさに危機一髪にして奇跡が起きた瞬間だったようです。

「おそらく、ディラックの海と呼ばれる巨大な空間が極薄状の……」
関係者に対して、そんな訳の判らない説明付けをしようとしているリツコさんを後にして、
僕ら三人は帰途に付きました。
「命令無視は重罪よ。罰として明日から自分のエヴァを徹底的に拭き掃除して貰うわ。二人ともね。」
そんなことを言い出すミサトさん。冗談?いいえ、彼女は本気です。

さて、これほどの戦いの後でも、僕らは僕らの生活をしなければなりません。
僕は洗濯物を抱え、アスカの分も預かろうと彼女の部屋へ赴きました。



「ああ、悪いわね。それじゃ、これと、これと……ちょっと待って。」
そう言いながら、僕の腕の中に山と積み上げていきます。
「それじゃ、これもお願い。」

その時のアスカを見て、思わず僕はひっくり返って転んでしまいました。
アスカは着ていた物も全て脱いでしまって、全裸で立っていたのです。
「あんたねぇ……ちったぁ男になったかな、と思ったのに。」
身動きが取れずにいる僕の情けない姿を見て、苦笑いのアスカは頬を染めながら僕に言います。
「あんた、童貞のまま死ぬのはイヤでしょ?アタシもヴァージンのままじゃイヤよ。」

僕はやっとの思いで立ち上がり、そして言いました。
全てが終わってからじゃなきゃ嫌だと。その後なら約束すると。

「判った。それじゃ勝ったご褒美と言うことにしてあげるから、楽しみにしてらっしゃい。」
そういって、アスカはあっさりと僕を部屋から追い出します。
「だから死ぬんじゃないわよ。いいわね?」
そういって扉を閉めました。

なんだか、物凄く取り返しのつかないことをしてしまったような気がします。
母さん。据え膳喰わぬは男の恥、昔の人は良いことを言ったもんです。
しかし、久々に良い気分に浸りながら右腕をふるう、そんな気持ちの良い夜になりそうな気がします。
最終更新:2007年03月19日 08:01
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