ナイフ片手に僕に襲いかかる零号機。
ぎりぎりで僕は刃先を交わし、間合いを開けて凌ごうとする。
しかし、綾波は凄まじい勢いで僕に追いすがる。
彼女の繰り出すナイフをやっとの思いで交わしても、鋭い打撃が僕を襲う。
しかし、何故?
あまり話をすることもなかったけれど綾波とは一緒に戦ってきた、いわば仲間。
何故、その仲間と戦わなければならないのか。
綾波は何も感じていないのか。
いや、彼女は僕を使徒としか見ていないのだろう。
あるいは使徒が操る人形として。
このとき、ふっと思い出すこと。
僕がアスカを握りつぶした時の右手の感触。
(やめろ!やめてくれ綾波ッ!!)
僕は思わず叫ぶ。叫んだ、と思う。
しかし、この声が綾波に届いているのか判らない。
聞こえているのか、いないのか。いずれにしても、僕の声でひるむ綾波ではない。
猛烈な勢いで責め立ててくる零号機。
それをしのいで、何とか相手の両腕を封じて組み付く。
しかし、ジリジリと押されつつある。
(クッ……このぉッ!!)
なんとか隙を見つけて、零号機の腹部に蹴りを繰り出した。
まともに僕の蹴りを喰らった零号機は真後ろに吹っ飛び、転倒したかに見えた。
(入った……?)
しかし、零号機は軽やかに後転して立ち上がる。
(しまった!!)
すでに零号機の手には、一度は捨てた筈のライフルが握られていたのだ。
故意か偶然か。
いや、その流れるような動作からして、彼女はワザとこのポジションで僕に隙を見せたのだ。
その一瞬。ほんのわずかな一瞬。
格闘で優位に立ち、僕が油断したこの瞬間。
激しい接近戦を経て、綾波が射撃による攻撃に転じた、この瞬間。
まさに、僕にはATフィールドの展開が不可能であろうタイミングだ。
仮に僕がこの攻撃をしのいでも、戦闘は振り出しに戻るだけ。
これが綾波が僕に仕掛けた、実に手堅い一手であったのだ。
(いや、今だ!)
僕は零号機に向けて殺到する。
むろん既に引き金を引いている綾波。
いや、だからこそタイミングが取りやすい。
パキーンッ!!
着弾する瞬間。その瞬間だけATフィールドを展開、そしてまた解放。
「!!」
驚く綾波。そうだろう、僕自身でもこんな芸当が出来るとは思わなかった。
フィールドを展開させっぱなしでは、こちらも相手に近づけない。
なんだか、自分の思考や行動が倍ほど加速されたかのようだ。
僕は零号機がライフルを構えている右腕を掴み、そのまま一本背負いで投げ倒す。
ベタベタの柔道技だったが、射撃に意識を切り替えていた綾波には反応しきれず綺麗に決まった。
そのまま地面にねじ伏せ、そして、
(綾波……ごめんよ!)
バキッ……と、無惨にも腕をねじ切ってしまった。
ライフルを握りしめていた右手ごと。
「ひぐぅっ!!」
これまでにない綾波の悲鳴が聞こえてくる。
僕も味わったことのある苦痛。いや……切り取られるより、もぎ取られる方がキツイのだろうか。
「お見事。」
カヲルが僕の方を向いて言うが、褒められても嬉しいはずはない。
(何故、僕に彼女を押さえさせたの?)
「いや、リリスの魂が眠っているうちに捉えてしまわないといけなかったのだよ。」
(リリス?では綾波が?綾波も使徒だというの?)
「彼女自身は気付いていないだろうね。彼女の体の内にある魂は、まさしくリリスだ。
僕達が捉えなければならない眠れるリリスの魂なんだ。」
(で、どうするの?そうだ!まさか君はサードインパクトを!?)
「だとしたら……どうするのかな?碇シンジ君。」
僕は思わずカヲルの体を鷲づかみにした。
が、カヲルは逃げなかった。僕があと少し力を入れれば、その体を握りつぶせるというのに。
そして僕に声を上げて笑いかけたのだ。
「アハハ……まさか、そんなことはしないよ。
僕はただ、リリスを連れて帰るために来ただけだ。ただ、それだけだよ。」
(え……でも、カヲル君。僕達は……)
「使徒がここに到達すれば、サードインパクトが訪れる。
君達はそう教えられていたんだよね?僕達と戦うために。」
(でも、これまで僕達に多くの使徒が倒され……)
「だから天罰を下せと?仕返しをしろと?そんなことはしないよ。僕の言うことが信じられない?」
(それじゃ、セカンドインパクトは?)
「あれは君達の失敗。アダムの遺体を見つけて、試行錯誤した結果がそれ。」
(そんな……あの世界の人口の半数が死滅したというセカンドインパクトが……)
「そうだね。知恵の果実を手にした君達の悲しい所行って奴かな。」
(それじゃ、何人も犠牲者を出して僕達が戦ってきたのは……何のために……)
「本当にそうだね。見てごらん?」
そう促されて、ミサトさんのただならない様子に気付いた。
これまでにないほどに顔をこわばらせているミサトさん。
いや、彼女だけではなく周囲のスタッフ全員も。
「危ないところだったね。君がこのリリスに勝ったのを見て、ここを自爆させて僕を殲滅しようとしたらしい。
どうやら初号機を僕が操っていたと思っていたようだ。パイロットが居ないからね。
でも君が僕を鷲づかみにしたお陰で、初号機に取り込まれた君自身が抵抗を始めた、そう考えたのかな?
それで思いとどまったのだろう。本当に危なかったね、シンジ君。」
(教えて。それじゃ、僕達は何のために使徒と戦ってきたの?)
「さっき説明した通りだよ。生命の樹に到達するため……君の父親がね。」
(僕の父さんが?一体なんのために?)
カヲルは何も言わずに、軽く顎をしゃくって僕に示した。
その視線の先。朽ち果てた古いエヴァ機。
恐らく零号機以前に作られたであろう、古い試作の機体。
そして、ふと蘇ってくる父さんの言葉。
『もうすぐ、お前に会える。もうすぐだよ、ユイ。』
まさか……あれは……
「そうだね、シンジ君。あの機体に取り込まれているのは誰かな?」
そうだ。父さんは知っていた。
シンクロ値が高まればエヴァに取り込まれてしまう、と。
そしてミサトさんが言っていた、過去に行われたサルベージ計画。
そうだ。それでも助けることが出来なかったんだ。
エヴァに取り込まれてしまった、母さんを。
「もはや、君達が彼女を助ける手段はなさそうだね。
しかし、一つだけ。一つだけ方法がある。君の母親を助け出す、死者でも蘇らせる方法が。」
(まさか……そのために?母さん一人を救うため?)
「他の者達に、サードインパクトを防ぐため、と称して使徒殲滅を企てたのだろうね。
その利を君の父親がかすめ取ろうとしている。自分の妻を救うために。」
そのために……そのためだけに……
僕があれほど苦しめられ、
ミサトさんが苦悩しながらも、僕達を戦地に送り出し、
アスカを壊れるほどに苦しめ、そして僕に殺させて、
それだけでは収まらずに、トウジを引きずり出して苦しめて、
相田ケンスケが新たな犠牲者となり……
そのために……母さんを救う、それだけのために。
「罪の意識。」
苦悩する僕を見て、渚カヲルは僕に言う。
「罪の意識が君達リリンを狂わせる。
罪の意識が、そうしなければならないという意識が、君達を狂わせてきたんだよ。」
(罪の意識……?)
「そうだね。判るかな……あの葛城ミサトが君と肌を重ねたいと言ったのは何故?
悪いね。そんなことを覗き見しちゃって。」
ああ、そうか。判るような気がする。
僕の倍ほどもある年齢の女性が、たかが中学生の僕を本気で男と見るはずもない。
自分では戦えない使徒を倒すため、命の危険まで僕達に課したミサトさん。
僕達を戦場へと送り込むため、僕達が傷つくこともかえりみず、
僕らを苦しめなければならず、苦悩していたミサトさん。
その罪の意識がミサトさんを狂わせ、僕に体を捧げたいと考えたのも無理はない。
「そうだ。君の母親が実験の果てにエヴァに取り込まれ、その原因は自分にあると君の父親は考えている。
そのために、彼は生命の樹を手中に収めることを計画したのだ。
樹の力を手にすれば、正に神に等しい存在となる。
むろん、君の母親を救い出すことも可能となるだろう。」
そのためにエヴァを建造。さらに巨額の費用を投じてNERVを設立。
昼夜問わずに働き続けるNERV職員。そして今も自らの死で防ごうとしているミサトさん達。
起こりもしないサードインパクトが起こるのを防ぐために。
「さて、シンジ君。どうする?」
(え……?)
「僕はリリスを連れてここから去る。そのために君はその手を開かなければならない。
そうすれば、ここは終わりだ。あの葛城ミサトは間違いなく、ここを爆破させるだろう。
僕がそれで殲滅されるかどうかは……まあ、それはどうでもいいとして。」
(……。)
「それでこの話は終わる。このNERV本部の人々が全て犠牲となってね。
でもね?その君達の犠牲はリリンの世界にとってなんでもないことじゃないかな。
戦争となれば、もっと多くの人々が死ぬよ。違うかい?」
戦争……大勢の兵士達が鍛えられ、苦しめられて送り出される戦争。
そして、それは何のためか。より多くの人々を傷つけ、そして殺すため。
「そうだね。それは未来永劫まで続くだろう。
けどね、その全てを終わらせる方法が一つだけあるんだ。」
(それは?)
「贖罪、そして回帰。」
(贖罪?)
「そうだ。そのためにはね、まずは君の手で僕を消さなくてはならない。」
(……なんだって?)
やがて初号機はNERVの最下層から引き上げられ、格納庫に納められました。
そして洗浄される僕の右手。いまだに渚カヲルの、使徒タブリスの血がしたたる、その右手を。
母さん、僕は彼の申し出を受け入れました。
母さん、ご免なさい。僕はあなたの復活を阻止することに決めました。
全てを終わらせるために。
全ての苦しみに襲われている、全ての人々のために。
母さん、これって僕のエゴでしょうか。
でも、僕にはこれを選ぶしかありません。
これまで、様々な苦しみを味わってきた僕には、苦しむ人々を見てきた僕には、選ぶほかはありません。
その時、一人の女性が僕の足下にやってきました。
ミサトさんです。
「シンジ君……ありがとう……ありがとう……」
そうして、僕の足にすがりつき泣き崩れる彼女。
恐らく、僕が力を振り絞ってサードインパクトを防いだと信じているのでしょう。
ご免なさい、ミサトさん。
僕が……僕が、全てを終わらせます。
最終更新:2007年03月19日 14:14