虐待 第拾九話

「葛城さん。やっぱりここに居たんですか。」
「……マヤ。」
私に声をかけたのは司令塔のオペレーターの一人、伊吹マヤ。
「葛城さんもどうですか?お茶でも。」
「後で行くわ。もう少し話をしたいから。」
そう言いながら初号機を見上げると、マヤは心配そうな顔つきで私を見る。
「葛城さん、元気を出してください。みんなも心配してます。」
「ああ……」
しまった。余計なことを言っちゃったかな。
「ごめんネ。この前もシンジ君に助けられちゃった気がしてさ。その……お墓参りみたいなものよ。」
「そんな、葛城さん……そうだ、あれをやってみましょうよ。サルベージ計画。」
「今となっては無理なはずよ。私もさんざん調べたけれど。」
「いいえ!みんなの力を合わせれば必ず上手くいきますよ!なんたって、シンジ君がここに健在なんですから。」
「アハハ、そうね……」
成功するはずはない。
取り込まれた時のLCLが残ってない以上は、計画の第一段階すら実施できないはず。
シンジ君が本当に居るとしても、それではどこから手をつければいいのか見当もつかない。
「では、失礼します。」
「ん、後でね。」

去っていくマヤを見送り、再び初号機の方を振り返る。



シンジ君、そこにまだ居るの?それとも、すでにアスカの元に辿り着いたのかしら。
二人はとても仲が良かったから。なんだか、うらやましいくらいにね。

あれほど職員達にしごかれても、二人はしっかりと手を取り合っていた。
力を合わせて使徒を倒した時の二人は、眩しいほどに輝いていた。
もう一度だけ見てみたかった。あの時の二人の笑顔を。

もしも、あなたとアスカが再び手を取り合うことが出来るなら。
それが駄目なら、せめてシンジ君だけでも初号機から助け出すことが出来るなら。
そして、あなたの笑顔をもう一度みることが出来るなら。

そのかわりに、私はあなたに何を支払うことができるだろう。
私の謝罪。私の持っている全てのもの。私の体。私の心。そして私の命でも。
あなたになら、私の全てを捧げても構わない。

あれだけ苦しめられ、それでも私達のために戦いへと舞い戻り、
そしてエヴァに取り込められても、尚も私達を救ってくれた、あなたになら。
あなたにならアスカ同様に握りつぶされても構わない。今すぐにでも。

……でもね、シンちゃん?
私の体だけは、その前に受け取って欲しいんだけど?



そこまで考えた私は、あまりにもスケベな自分自身に苦笑いして司令部へと向かった。

「NERV解体?」
「そりゃそうだろう。使徒を全て殲滅した今となっては。」
「そうか……あーあ、これからの身の振り方を考えなくちゃならないのか。」
「なーに、ここのキャリアさえあれば、どうしたって喰っていけるさ。」
「でも、なんだか寂しいですね。NERVやみんなとすっかり馴染んじゃった気がするし。」

みんな、全てが終わったと思っているのだろう。そうなんだろうか?本当に。
コーヒー片手に和やかに語り合っている様子から、もう平和になったと信じ切っているらしい。
私は何故だか腑に落ちない思いを抱えながら、すすめられたクッキーに手を付けた時のこと。

「使徒!?」

鳴り響く聞き慣れた警報。驚くスタッフ達。
皆、コーヒーをひっくり返す大騒ぎをしながらも、これまでと同様に配置に付く。
「パターン青!まちがいなく使徒……あれ?消えた。」
「ええ!?いったい何だったの?」
「しかも、この前と同じ地下からだ。」
ざわつくスタッフ達。
やはり、何かが残っている。この戦いはまだ終わっていない。



「ほらミサト?そんなに怖い顔をしないで。私がちょっと見てくるわ。」
そう言って、私の肩を叩いたのはリツコだった。
「エヴァもまた第1使徒アダムのコピー、いわば使徒。何かの変化でセンサーが反応したかも知れないし。」
「でも……」
「初号機が、シンジ君が動き出したのかも知れないわね。考えられないこともない。」
戦いが終わったと思っているせいか、リツコの表情もまた軟らかい。
あれだけパイロット達をしごいていたのに、いい気なもんだわ。
ああ、私も人のことは言えない、か。

「でも、エヴァはどうなるの?」
スタッフの一人が言う。
「N2爆雷の直撃にも耐えられる超兵器。今や軍事力の最高峰だからな。」
「エヴァがあれば世界征服も夢じゃないな。」
その言い回しに居合わせたメンバーが笑い崩れる。
「あはは、コンセントを抜いたら5分で動かなくなるロボットが?まさか。」

いや、笑い事ではない。
現に初号機はバッテリーなど用いずに戦い続けたではないか。
もしかしたら、そんな暴走状態は二度と起こらないかも知れない。
だが、他からはそうは見てくれないだろう。
一国を滅ぼすまで戦い続ける兵器として考えざるを得ないだろう。それが国家だ。



「でも、NERVと共に解体したほうが無難だな。なぜならエヴァもまた使徒同然なんだから。」
また、スタッフの一人が言う。
確かにそうしたほうがいいだろう。私もそう思う。
たとえシンジ君を救出できなかったとしても。いや……

そのまま、各国政府が黙って見ているだろうか。
あの最強の兵器エヴァンゲリオンが解体されるのを、指をくわえて見ているというのか。

「遅いですね、センパイ。」
センパイとは、マヤがリツコのことを呼ぶときの呼称。
彼女はMAGIのオペレーターとして、これまでずっと活動してきた一人。
でも、なんだか不思議な子だ。リツコ直属でありながら毒気がないなんて。
そういえばマヤの仕事と言えばMAGIの操作ばかりで、パイロット達との関わりがほとんど無い。
その違い、と言う訳か。

「私が見てくるわ。さあ、みんなも休憩はほどほどにしてね。」
そう言って、気の抜けたスタッフの返事を後に残してエヴァの格納庫へと向かった。

「リツコ、どう?」
「全ての化学エネルギー反応は完全に停止しているわ。初号機ではないわね。」
「それじゃ、なんだったのかしら。各部署に連絡……」



「ミサト、たまには私と散歩でもどう?各部署を点検しながら案内してあげる。」
「リツコ。そんな悠長なことを言っていてもいいの?予測に反して新たな使徒が現れたとしたら。」
「センサーが再び反応してからでいいわ。いらっしゃい、シンジ君のお参りが済んでから。」
「……いくわよ、今すぐ。」

ゆっくりと格納庫内を歩いていくリツコ。
今までにない表情を浮かべている彼女。正直、何を考えているか判らない。
格納庫には初号機と片腕の欠けた零号機だけ。
その片腕は現在修復中。しかし、あまり急いでいる様子がない。
なんだか形式的に整備士達が動いているような雰囲気だ。
やはり、誰もが全て終わったと安心しきっているのだろうか。

ふと、ある扉の前に止まった。
「ここは確か……」
「そう、ダミープラグの開発が行われたところよ。」
リツコが電灯のスイッチをパチンと入れると、そこに浮かび上がる赤いエントリープラグ。
そこに書かれてある文字。『REI AYANAMI』
「リツコ、結局これは計画倒れだったの?」
「いいえ、ちゃんと完成したわよ。ずいぶん役に立ってくれたわ。」
「え?私は何も報告を受けていないわ。」
そう言ったのだが、リツコは何も答えずに先へと進む。



私は少しイライラしながらリツコに言う。
「ねえ、隠し事があるけど聞きたい?みたいな、まどろっこしいことは止めてくれない?」
「そうね。完成したプラグはあることに使われたのよ。それについては後のお楽しみ。」
「……。」
こういう場合、下手なツッコミを入れずに好きに喋らせた方が良いだろう。
私は問いつめるのを止めて、リツコに主導権を譲り渡した。

「ミサト、これが早く完成すれば良かったわね。そして私達がエヴァを自由に操ることが出来たなら。」
「……。」
「そうすれば、多くのパイロットを犠牲にせずに済んだのに、ね?」
黙っていようと思ったが、口に出さずには居られない。
「シンジ君、アスカ、ケンスケ君……もはや、トウジ君も……」
「それから、ツヨシ君にヨシオ君にサヤカちゃん。えーと、それから……」

私に引き継いで指折り数えるリツコに私はギョッとした。
「ちょっと待って。そんなにパイロットが」
「そうよ、あなたが来る以前にね。」
「そんなに……たくさん……」
「私は母の研究を引き継いだだけだから、さらに私が来る以前のパイロット達のことは知らないわ。」
「で、どうなったの?その子達は。」
「ミサト、あながた判らないとでも言うの?死んだのよ。決まっているじゃない。」



そんな残酷な話をしながらも、リツコは薄笑いを浮かべつつ煙草に火をつける。
「その度に資料なんて処分していたからね。あなたが知らないのも無理ないけど。」
「そんな、綾波レイがファーストの筈では……」
「ナンバリングが許されたのは彼女が最初。だからファースト。」
「リツコ、何だか学生の時に読んだ漫画を思い出すんだけど。」
「そんな話題を振られても判らないわよ。早くから母にMAGIとエヴァの開発に付き合わされていたからね。」
「……。」
話をそらせてはいけない。とことん、リツコに喋らせなければ。

「その子達が死んだ原因は?」
「そりゃあね。第1使徒アダムの体をコピーしたぐらいで、すぐにロボットとして使える筈はないわよ。
 ましてや、単なるロボットでは戦闘に耐えうるはずがない。
 様々な人体実験の失敗を繰り返し、戦闘訓練での犠牲者を積み上げて。
 そして生き残ったのが綾波レイただ一人というわけ。」
「まさか、その子達を互いに戦わせたんじゃないでしょうね。」
「大変だったわよ。そういうことをさせるのが。
 みんな適正者は子供達ばかりなんですもの。おとなしくさせて操縦席に座らせるだけでも大騒ぎ。
 母は必死だったわ。私も無我夢中だった。
 その子達を軍人並みに鍛えてパイロットに育てなければならないと、みんな必死だった。
 なぜなら、私達には絶対に失敗できない使命があるのだから。」




なんてことだろう。
如何に人類の存亡を賭けているとはいえ、そんなことがここで行われていたなんて。
思わず唇を噛む、そんな私をリツコはエレベーターの前に来て手招きをする。

「ほら、ここがエヴァの墓場。」
そこには、幾体もの古びたエヴァが朽ち果てて放置されていた。
ここに入るのは初めてだ。
興味をひいて入ろうとしたけれど、私のIDカードでは許して貰えなかった。

「全て、訓練を経て使い物にならなくなった残骸。
 この大半はね。綾波レイの戦績といってもいいものばかり。
 彼女は来た当初から無類の強さを誇っていたわ。」
「レイ……いったい何者なの?」
「ああ、突然に碇司令が連れてきた子よ。経歴の一切は不詳。」
「そんな子をエヴァに乗せるなんて。」
「ここに来てから様々な訓練をこなし、軍人並の力量を身につけていったわ。
 もしかしたら、あなたでも勝てないかもしれないわね。
 パイロットに関しては強さが全て。経歴なんてどうでもいいの。
 なにせ、人類の存亡がかかっているんですもの……ね?」

ニヤリと笑うリツコ……まあ、後回しにしよう。



リツコは再び煙草を咥えながら、私に話し続ける。
「そうして、幼い頃から鍛え続けたせいかしら。あの無表情、無感情な性格は。
 まあ、無理もないわね……ねぇ、こういうの知ってる?」
「……え?」
「ある被験者に問題を解かせて、それが出来なければ科学者が被験者に電流を流す。
 でも、その実験の真相は科学者側が実は被験者。
 被験者には電流なんて流されずに、テープで悲鳴を科学者に聞かせていただけ。
 これ、アイヒマン実験といってね。
 ナチスの心理を研究するために行われた、人の残虐性を試す実験だったというわけ。
 最後には即死しかねない電圧まで上げてしまう人もいるんですって。」

 聞いたことがある。また、似たような実験も知っている。
 その実験を繰り返すと、電流を流す側が笑い始めたらしい。
 どんな残虐なことでも馴染んでしまえば平気になってしまい、精神の異常もきたす。

「ねぇミサト?つまり、私はその実験結果という訳ね。そして、綾波レイも。
 まったく……母さんにNERVへ引っ張り込まれたお陰で、このザマよ。」

リツコ、私に哀れんで欲しいのかしら。黙っていようと思ったけど、言わずにはいられない。
「それで?アスカを素っ裸で溶岩漬けにした言い訳をしたいのかしら。」




するとリツコは笑い出す。
「アハハ、あの時は痛感神経の伝達レベルをかなり下げていたのよ?
 せいぜい、バラエティー番組の熱湯風呂ぐらいだったはず。そこまで私は壊れていないわ。」
「漫画は読まないのに、くだらないことは知ってるのね。でも、お陰でアスカの方が壊れたじゃない。」
「あの子、私に噛みついてきたからね。ちょっとお仕置きしたくなっただけ。」
「でも、そこまでして……」
「そう。シンジ君を、ましてや相田君を初見でリンチにかけたあなたのように、ね?」
「あれは……私は……」
私は何も言えなかった。
軍人として私は鍛えられ、あの子達の扱いもその範囲を超えていないと思っていた。
私がドイツに居た頃、アスカのことも自信を持ってしごいていた。そう思っていた。
しかし、私とリツコ。どの程度の違いがあるというのだろう。

そう考えていた私に、リツコは察したかのように言う。
「まあ、あなたはマシよ。流石、軍人と科学者との精神力が違うわね。それにね?」
「え?」
「元来、自由に出来る奴隷というものを人間は誰しも求めるものよ。いや、今の世にはまだ必要なのよ。
 リンカーンの奴隷解放宣言なんて、何の役にも立っていないわ。
 今の世間の労働条件を見てご覧なさいよ。経営者は従業員から絞りとることしか考えていない。
 それが人間の本性の一つよ。」




……吐き気がする。このリツコの言うことがムカついて仕方がない。

いっそ、この場で銃を抜きたいぐらい。
綺麗事と言えばいい。
私は真から、人と生きることの楽しみを知っている。

でも、知りたい。
この果てにいったい何があるのか。

「……ん?」
近くにある内線電話が鳴り出した。
近くにいたリツコが受話器を取る。

「……はい……え?……あらそう……判ったわ。」
そう言って受話器をカチャリ。そして、私に向かって暗い笑みを浮かべる。
「さ、司令部に戻って。続きはまた今度。」
「え?」
「ここに軍隊が押し寄せてくるわ。これもまた、人間の暗い本性という訳ね。」




最終更新:2007年03月19日 14:15
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。