虐待 第弐拾弐話

「では、いいかな?シンジ君」

僕に体を握られたまま、微笑まで浮かべながら僕に説明する渚カヲル。
しかも、説明が終わったら僕に握りつぶされなければならない、とのこと。
なんだか狂気じみています。
母さん。なんなんでしょうね、この人は。

「アハハ、生と死は等価値なんだよ。僕にとってはね。
 まあ、君達リリンには理解できないことだろう。生き続けるために生まれ出でるリリンにとっては。」
(でも、贖罪って何?そして、回帰って……)
「君達リリンが犯した罪から逃れる方法が一つだけある。
 それは、あの碇ゲンドウが生命の樹を手中にした時。その時こそチャンスがある。」
(で、何をすればいいの?)
「僕の手の者を君の元に送るとしよう。まあ、使徒のように見えるけどそれほど力を持った連中ではない。
 しかし、儀式を行うには十分だから。」
(儀式って……何?)
「その時になれば判るよ。かつて、2000年ほど前に行われた処刑を再び執り行う。
 そして今度の贄は碇ゲンドウ。
 彼の血が流され、それが地面に触れれば全ての罪が許され、全てのものが天の園へと回帰することが許される。」

(回帰……)



「そうだ。全ての罪を許された歓喜とともに、魂の回帰が始まる。それが、贖罪と回帰の意味だよ。」
(……それって、死ぬこと?)
「見方の問題だよ。その時に起こることは決して『何とかインパクト』というものではない。
 物理的な死とは少し違う。しかし、君にはもう一つ可能なことがある。」
(何?)
「君は今、こうしてリリスの乗る零号機をねじ伏せた訳だ。
 僕を殺して彼女も殺せば、君は生命の樹の力が得られる。
 そうすれば、君にも等しい力を経て、あらゆる物事を自在に操ることが出来る。
 死者を生き返らせることもね。さて、どうかな?やはり、君は贖罪する方を選ぶのかな?」
(……。)
「迷っているね。さあ、決めて欲しいな。制限時間一杯だよ。
 父親に贖罪をさせて、君達リリン全ての回帰を選ぶか、
 あるいは君の望みを樹の力に託すのか。
 このまま握りつぶさないのなら、葛城ミサトがこの地を浄化して、全てはそのままに。
 ほら、彼女が秒読みを始めた。彼女は君が手を下すのを待つつもりはないらしい。」
 確かに聞こえてくる彼女の声。

 9,8,7,6……

(クッ……!!)
そして、グチャリ……と右手に伝わるイヤな感触。



母さん。なんだか僕の頭はグチャグチャです。
なんだか、僕の方が握りつぶされた気分です。
もう何かを考えるのも疲れ果て……そして辺りを見渡すと……

「最後の使徒」を倒したと信じて浮かれるNERV職員達。
時折、僕の前に現れて何かを想うミサトさん、しかし彼女の想いは伝わらない。
そして、同じく何かを思い机に座ったままジッと動かない父さんの姿。

そして、ふと綾波レイの存在に気が付く。
自分の部屋に帰り着いたらしい彼女。
どんな部屋だろうと思っていたが、僕のそれと対して変わらない。
僕よりNERVの在籍が長いはずなのに、必要以上の物がまるで存在しない閑散とした部屋。

……ん?綾波は着替えるつもりらしい。
お定まりの制服を脱ぎ、そして下着まで脱いで部屋の隅にある篭に放り込む。
僕の脳裏に映し出された、スラリとした全裸の彼女は実に美しい。
覗き見している罪悪感を感じたが、なんだか目を離せずにジッと見てしまう。
あはは、こんなになった僕でも性欲は残っているみたいです。
なんだか情けないですね。元気でよろしい、とか言って笑ってくれますか?母さんなら。

ん、綾波。何かつぶやいている。独り言かな。



「……で、どうするの?」
何を言ってるんだろう。
そして小首を傾げるような様子を見せていた彼女だが……あ!

突然に彼女の体が輝き、背に広げられた幾枚もの羽根。
リリスとして目覚めている!?

使徒として検出されたのだろう。大騒ぎするNERV司令部。
しかし、綾波がそうしていたのは一瞬だけ。
すぐに静まりかえる司令部と、顔を見合わせる職員達に余韻を残して。

「もう一度聞くわよ。どうするの?」
そうか。彼女は直接、僕に問いかけて来たのだ。それを示すためにああして……
しかし、僕の声が彼女に届くのだろうか。

(どうするといっても、でも……)
「会いたくないの?彼女と。」
(でも……いや、それでも変わらない。それでは何も変わらない。)
「あなたは自分の痛みを恐れているだけ。自分の気持ちよさを求めているだけ。」
(そうかもしれない。正直いえば、アスカと再び会うことが出来たなら、と……)
「アスカとエッチなことが出来たなら?」



(!!)
僕の口まねでからかい、小悪魔のような笑みを浮かべる綾波。
そんな彼女に怒りを覚えたが、確かにその通りだ。
例え、彼女の笑顔が見たい、人の幸せを願いたい、などといっても根本の動機はその程度。
現に綾波の体から目を離せない浅ましい自分が居るではないか。
「所詮、あなたはリリンの子。生も死も厭わぬ私達とは違う。
 生きることを望み、そのために他人と身を寄せ合うことを喜ぶリリンそのもの。」
(……)
「どうするの?碇君。今のあなたなら体は自由に動くわね?」
(……)
「拘束具を引きちぎり、私を掴んで潰せばいい。本当に彼女が欲しいなら。」
(いや……駄目だ。それじゃ駄目なんだ。)
「……?」
(僕は……僕は……)
「そうね。そうして、奥の奥、先の先へと考える。
 あなたと、そしてあなたの知る人々は、そうして悩み苦しんで自滅へを自分を追い込む。
 そうしなければならない、と思いこんだ挙げ句の果てに。」
(……)
「哀れね……まあ、いいわ。後はお父さんに任せて悩んでいなさい。」

え?



「時間切れ。私を狙って、この本部は囲まれつつある。そうと見て、あなたのお父さんは先手を打つ。」
そう言いながら新しい服に着替える綾波。
彼女のいう通りだ。
ヒタヒタと第三新東京市に近づきつつある戦自の部隊らしい姿が見える。
水も漏らさぬ包囲網を敷き、一気に取り囲むつもりらしい。
「さよなら。」
あ……

あっさりとした綾波の別れの言葉。
それとほぼ同時に彼女の部屋の扉が開く。
「時間だ。」
碇ゲンドウ、僕の父さんだ。
「来い。」
「……はい。」
そういって父の背に続く綾波。

見放された……そんな気がした。
もう綾波は何も言わずに、父さんの後に従って歩いていく。
そして行き着いた先は地下の奥深く。
そこは深い闇に包まれた広い部屋。禍々しいまでに入り組んだ装置を闇に隠した広大な……




「ここに立てばいいの?」
部屋の中央で、綾波は父さんに尋ねる。
「ああ、そうだ。」
顔は無表情のままに答える父。
どのような装置か判らないが、綾波を死にいざなう為であることには間違いない。
彼女もそれは知っているだろう。しかし、何も知らずにいるようにも見える。

「……司令、そこまでです。」
その時、ふと闇の中から現れた一人の男。
その右手には銃が握られ、綾波のこめかみに突きつけられている。
「あなたがその機械を動かす前に、私が引き金を引く方が早いですよ?碇司令。」
「君は、その子がなんなのか知っているのか?」
尋ねる父。そして答える男。ああ、加持さんだ。
「ええ、もちろんです。さ、俺と来るんだ。こんな茶番な儀式の犠牲になる必要はない。」
恐らく綾波を説得しているつもりだろう。綾波が事情を知らないと思い込んでいるらしい。
しかし、綾波はピクリとも動かない。

「君がその子を望むなら、なぜ今すぐに引き金をひかない?」
その父の問いかけに、加持さんはニヤリと笑う。
「まあ、ね。これを必要としているのは俺じゃない。」




「成る程……君も同じか。君も又、魅入られた一人というわけだな。」
「……?」
何も理解できずにいる加持さん。
いや、僕には判る。父さんの言っている意味がなんなのか。
「では、失敬しますよ。ここで乱痴気騒ぎが始まる前に。」
そう言って綾波を伴って立ち去ろうとする加持さん。しかし、

タンッ……

鳴り響く乾いた銃声。更に闇から現れた一人の人物。
リツコさんだった。突然に打たれたため、何も言えずに倒れる加持さん。
そんな彼を冷たく見下ろした後、リツコさんはエレベーターに乗り込む。
「では、司令。ご存分に。」
そう言って、彼女はエレベーターで昇っていく。
上からは下層の様子を見回るためだろうか、ミサトさんが降りて来た。
その彼女を出迎えに向かったのだろう。あるいは、ここで行われることを見せないために、だろうか。

そして、綾波と父さんのもとに静寂が戻る。
装置に手をかける父さん。しかし、容易には動かない様子。
「どうしたの?」
問いかける綾波。が、父さんは動かない。



「どうしたの?……いや、いいわ。こんな機械なんて必要ない。」
そういって、父の方に近づく綾波。
歩きながら上着を脱ぎ、父さんの右手を自分の胸に押し当てる。
「!!」
ズブズブと綾波の胸の中に沈み込む父さんの手。流石の父さんも驚愕を隠せない。
「これは……そうか、お前は使徒として目覚めているのか。」
「さあ、それを握りつぶせばいい。」
今、父さんの手に握られている物。それは綾波レイの心臓か、それともリリスが持つ赤いコアなのか。
「何故だ。そうと知った上で何故、私に殺されようとしている。」
「さあ、時が来た。あなたの念願が成就する時が。」
「……。」
念願。それは何の願いか。母さんを生き返らせる?それとも……

グシュッ……

あ……

ばたり、と倒れる綾波。ついに父さんが手を下したのだ。
これで、全ての使徒が倒されたことになる。
そう、遂に生命の樹に到達したのだ。僕の父さんが。




何も起こらない。何も動かない。
そのままジッとしていた父さんであったが、
「……ガァッ!!」
突然、そんな呻き声を上げて倒れ、全身を両腕で押さえて藻掻き始める。
やがて、どこからとも無く現れた毒々しい触手が、父さんの体を包んで全身にまとわりつく。
「ガ……ガ……ガ……ガ……ガ……ガ……」
いったい何が起こっているというのか。
まさか、これが生命の樹なのか。
まさか、これが生命の樹に到達した者の姿であるというのか。
まさか、到達した者が生命の樹そのものに化すということなのか。
やがて父さんの体は直立して、両腕は大きく広げられる。
その腕と胴が十字と無し、両脚から無数の枝が伸びて木の根と成す。
これが……これが、生命の樹……

<では、そなたの元に参るぞ!碇シンジ!>
突然に頭の中に響く声。
ビクリと驚いて辺りを見渡すと……あそこだ。遙か上空に浮かぶ12体の新たな使徒。
そして僕の所にやってくる。僕と、そして父さんの元に。
<碇ゲンドウの処刑の儀を始めるぞ!心せよ、碇シンジ!>
そうか、あれが渚カヲルが言っていた使いの者。
これから僕は……そうだ、僕は父さんの処刑を行わなければならないのだ。



どうする、シンジ……
どうすればいいの。ねえ、教えて。どうすればいいの?母さん……いや……

……迷ってどうする。
今更、考えて何になる。
シンジ、見てみろ。
シンジ、見えてるんだろ?
ほら、NERV本部で始まってしまった、このバカ騒ぎを。
次々とNERV職員が倒されていく有様を。
そして、無抵抗のままに殺される鈴原の妹の姿を。

それでも足りない?
なら、これならどうか。鈴原が死を覚悟して、今にも出撃しようとする姿では?
そして、既に心破れた葛城ミサトの姿ではどうだ?
さあ、どうする!碇シンジ!

……ッ!!ウワァァァァァァァァァァァァッ!!

僕の絶叫とともに、バリンッと全身の装甲が吹き飛び、背中に開かれた6対の羽根。

<来たれ、我らの元へ!彼の者を処すべき13人目の使徒となるのがそなただ!>



そして、遙かな上空を目指して僕は飛び立つ。
NERV本部の隔壁を雲霞のごとしと突き破り、そして尚も上空へ。
これが来襲した使徒の力だろうか。見下ろせば、生命の樹が後に続いて浮上してくる。
そう、それこそ変わり果てた父さんの姿が……

いや、もう迷わない。僕には迷いはない。
彼を討たなければならない。
彼を……そう、僕の父さんを。

やがて僕達は、12の使徒が築く真円の中央に浮上する。
僕はその中央で停止し、生命の樹はさらなる高みへと浮上。
使徒の一人が僕に近づき、手渡したもの。

……これは。
<ロンギヌスの槍。さあ、彼の者をこれで討て。>
そうだ。これで終わる。母さん、これで全てが終わるんだ。
そして、僕は投擲の体勢に入る。そう……全てがこれで終わる……

(待って!)
その時、僕の背後から響き渡る凛とした声……母さん?




(違うわ。あなたは間違っている。それでは単なる復讐のための処刑。それでは駄目。)

母さん!何が違うというの!
いや、待てない!迷わない!復讐というならそれでもいい!

(待って!アタシが待てと言ってるのに!それでは贖罪が成立しない!)

……ッ!!

………………

…………………………ああっ!?

(だから、待てと言ったのに。ほら、それでは彼のATフィールドは破れない。)

その通りだった。
父さんが、生命の樹が展開した強力なATフィールドに阻まれて、
槍が突き立ったまま貫くことが出来ないようだ。

(如何にロンギヌスの槍を用いたとしても、樹の力は破れない……少し、待ちなさい。)
そして地上から飛び立ち、あっというまに僕の背後まで到達した影。それは……



母さん……?

それはかつてNERVの地下で見た旧式のエヴァ。
そう、母さんが取り込まれた筈のエヴァであった。

(待ちなさい。あなたのお父さんが心を開き、ATフィールドが解き放たれるまで。)

そして、更に母さんは浮上し、樹と同じ高さに至り……父さん……?

父さんが……笑った……?

    ドシィィィィッ!!

あ……

(これで……あなたのお父さんの罪が許される。そして、全ての罪がゆるされる。)

……全ての、罪。

(そう、全ての罪が。地上にありとある罪が今、許される。贖罪が成立したのよ。)




そして、遂に始まる狂喜のカーニバル。
槍によって貫かれた生命の樹から、おびたたしいほどにほとばしる血潮。
それが地上へと届いた瞬間、悲鳴にも似た歓喜の雄叫びが地上の全てを埋め尽くす。

みるみると姿を変える地上。喜びと共に死にゆく人々。
死……いや、只の死ではない。
全てが、地上の全ての生命が帰って行くのだ。
自らの姿を失い、互いに解け合い、一つとなって雪崩れ込む。
それは何処へ?そう……神の御許へ、と。

「あ、ああ……あなたは……あなたは……!」
「ああ、センパイ、センパイ、センパ……」
「そうか……おまえか……ワシを迎えにきたんはやっぱりお前なんやな……ハハハ……」
死んだはずの家族、出会えるはずもない知人に再会し、歓喜の中で死に行く人々。
何故?それは、その者の罪が許された瞬間なのだから。

(さあ、彼女を見送ってあげて。)
……え?
(彼女にも許しが必要よ。さあ、それがあなたの役目。)

バリンッ!!



「ああっ!!」
僕の体からコアが外れて……

いや、もう僕は既に初号機では無くなっていた。
初号機のコアが砕けて、僕は初号機から解放されたのだ。
そして、ゆっくりと地上へと落ちていく僕の体。
その行く先は勿論……

「ミサトさん……」
「シンジ……君……?」

これまで、その場にうずくまっていた彼女が僕を見上げた瞬間、
輝かしい笑顔を浮かべて、そして僕を両腕いっぱいに抱きしめる。

「シンジ君……ああ、そんな!シンジ君!ああ……ああ……神様!!」
「み、ミサトさん……いや、ミサトさん待って!そんな、イヤだッ!!」
「シンジ君、ああ、シンジ君シンジ君シン……」

    パシャッ……

「そ、そんな……ミサトさん……そんな……」



(彼女が好きだったの?)
「判らない……判らないけど……でも……」
(そうねぇ……でも、冷たいわね。一緒にいた私の名前ぐらい呼んでくれたって。)
「え!?」

「じゃーん!!」
ずっと僕の後ろから話しかけていたのは、まさか……

「あ、アスカ!?」
「ンもう……ずっと、アタシが話しかけてたってのに、気付かないなんてさ。」
「え、あ、あの。」
「だーから、最初に違うって言ったでしょ?このマザコン男。」
「あの、あの、アスカ、あの……」
「ほら、男でしょ?抱きしめるとか何とかしたら?」
「いや、あの、でも……僕は……アスカを……」

すると、アスカはクスッと笑いながら僕に手をさしのべた。
「いいのよ……今、全てが赦されたのよ……」
「ああ……アスカ……」
「さ、逝きましょう。とりあえずは、ね?」
「うん……アスカ……」



そして、僕は













                                          パシャッ……

(終劇)
最終更新:2007年03月19日 14:18
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