特急 第九話

「センパイ!お願いですから返事をしてください!センパイッ!!」
脱出を果たし、地上で通信機にかじり付く伊吹マヤ。
他のスタッフ達もその事態の前にうろたえるばかりだ。
「まさか……赤木博士は本部と共に……?」
「そんな、赤木博士が居なくなってはこれからどうすればいいんだ!」
「おい、総司令の姿も見えない!まさか司令まで!」
そんなパニック状態のスタッフ達に、もはや統制など在ったものではない。
しかし、そんな中で通信機から発せられた声に、その場にいた者はハッとなって静まりかえった。

『シンジ……聞こえるか?シンジ……』
少し間をおいて返答があった。
『父さん?……これは本物なの……本当に父さんの声……?』
シンジがそう返事した無理もない。
これまで立て続けに使徒にまやかしを見せられてきたのだから。

『俺だ。済まない、シンジ。しかし許せとは言わん』
『……父さん』
『シンジ。お前に突然、戦いに巻き込み死の危険を与えたのは俺だ。だが……』
『……』
『だが、更にお前に託さなければならないことがある。それは使徒との戦いのことではない』
『……え?』
『レイを頼む。俺が死んだ後、あいつに家族と呼べる者は居なくなる。レイを頼む』


『あの……父さん、レイって誰なの。一体……』
シンジに判らないのも無理もない。
レイとは零号機のパイロットのことで、シンジは確かに耳にしているはずなのだが、
この混戦の最中で、はっきりと記憶にとどめることが出来なかったようだ。

『逃げられるものならばレイを連れて逃げろ。もし使徒との戦いを他の者にゆだねることが出来るなら』
『父さん、あの……』
『いいか、シンジ。確かに俺はお前を見捨てた。俺はお前を捨ててNERV創設の任に着いた。それは、』
『ちょっと待って、父さん。一体どうしたというの?』
『それは、お前を含む全ての人に最大の危機が訪れようとしていたからだ。だからこそ、お前を捨てて……』
『ねぇ父さん、聞こえているの?どうしたの父さん!』
『そして今も尚、俺はお前を捨てて逃げようとしている。お前を、そして部下達をも捨てて』
『……父さん!』
『俺は持てる力の全てをつぎ込み、NERV創設に力を注いできた。だが、もう俺の出来ることはここまでだ』
『父さん!返事をして!ねえ、父さん!』
『済まない、シンジ。これでもお前や、他の者達のために戦ってきたつもりなのだ。その全ては……』

ゲンドウは少しためらい、そして少しはにかみながら、最後の言葉を告げた。

『その全ては……お前達が笑って生きていくために……』

   ブチッ……


「司令ッ!!待ってください!碇司令!」
通信が切れると同時に大騒ぎとなる彼の部下達。すでに涙を流す者までいる。
(碇。確かにお前はこの戦いから逃げることになるのかも知れないが……)
(あまり褒められたものではないが……碇、それを言いたいがために本部に残ったのだな)
冬月は口に出さずに心の中でそう唱えながら、祈るように目を閉じた。
(まあ、いいだろう。後は皆に任せて休め。これまでよく戦ってきたな、碇……)

そしてNERV本部のリツコとゲンドウ。
「お疲れ様。そして、ありがとうございます」
「……何がだ?」
「私は最後の言葉なんて苦手ですから。もっとも言ったことなどありませんが」
そう言って端末を叩き続けるリツコ。
ゲンドウはその彼女の横に並んでゆったりと座っていた。
「そして、ありがとう。私の側に居てくれて」
「……」
「私にためらいなど無いけれど、お陰で寂しい旅立ちにならずに済みそうです」
「……そうか」

そろそろ作業を終えるようだ。彼女の指が踊るようにタイプを締めくくる。
「タンタン、タタンタンっと……作業完了です。では、行きましょうか?」
「ああ……リツコ君」
「ん?」


「俺は本当に君を……」
「よして下さいな。あなたが気にかけている人が誰か、それぐらい知っています」
果たしてそれは誰のことか。零号機のパイロットか、あるいは自分の息子のことか。
「では、いきますね。スリー、トゥー、ワン……」     カチッ


   キュゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……


「あ、ああ……」
凄まじい地響きが伝わり、爆炎がキノコ雲となって舞い上がる。
その様を見て力を落とし嘆息するスタッフ達。まるで全てを失ったかのように。

そんな彼らの尻を叩く様に冬月が一喝する。
「確認はどうした!」
「は……はい……使徒イロウル、反応消失……」
涙声で答える伊吹マヤ。そんな彼女を冬月副司令は慰めようともしない。
「よし!只今よりこの場を仮の司令部とし、全ての指揮は私が執る!」
マイクを握り力強く発令する冬月。
本部と総司令、赤木博士までも失った衝撃を受けていないかのように。

「みんな、そのままで聞け!」


スタッフ達は再び静まりかえり、一斉に冬月の方をみる。
そして、その場を離れているものも通信機に釘付けとなる。各国のNERV支部においても同じだろう。

「今の碇司令の最後の言葉、実の息子に対するものだが、私が皆に言わんとすべきことはさほど変わらない。
 まだ戦いは終わっていない。戦いはまだ続く。
 司令に赤木博士、そして2体のエヴァと2人のパイロットが失われた今も尚、残る使徒が迫り来る現状だ。
 みんな、戦え。我々に力を落とす暇など無い。そして、それは何のためか。
 全ては全ての人々のため。全ての人々が幸せに暮らせるように。その世界を待ち望む自らのために!」

そこまで聞いた部下達から、うおおおっという歓声が一部から巻き起こる。

「皆、戦え!自らのために戦え!それが出来ない者、戦う理由がないと思う者はただちに去れ!
 かくも厳しい戦いを強いるこの世界において、幸を勝ち得るものは戦いに勝利したものだけだ!」

部下達、いわば全ての観衆は喝采し、その歓声は爆発する。
そして冬月は指示を下す。
「各機の輸送ヘリ、各車両を仮設の本部とする。残る使徒の反応から目を離すな!」
その発令に一斉に走り出しだす部下達。それらを見送り、冬月は眉間をもみほぐしながらマイクを置いた。
「臭い演説だ。まるで私は古代の将軍にでもなったかのようだ」
「今まさにそんな戦いの最中なんです。極限状態の皆には必要なことでした。かなり芝居がかってましたが」
側に来てそう言ったのは作戦部長の葛城ミサト。
冬月同様に彼女も冷静な物腰で、むしろ笑みまで浮かべている。


「とにかく、碇が『逃げた』という印象をぬぐっておきたかったのだ。むしろ赤木博士一人の犠牲でよかったのだし」
「しかし見事な演説でした。副司令……いや、総司令とお呼びした方がよろしいですか?」
冬月は苦笑いで答える。
「よしてくれ、葛城一尉。今、碇を失ったばかりで一日と経っていないぞ」
「そうですね……ましてや、使徒との戦いが始まってようやく日付が変わったところですし」
そう言いながら、夜空を見上げるミサト。

そう、今は夜なのだ。戦いに没頭して時間などすっかり忘れていた。
使徒との戦いで、そして本部の爆発であがった煙のせいか星など一つも見えない。
ただ満月だけが夜空に輝き、その月明かりが不気味に使徒ゼルエルの姿を照らす。
(使徒ゼルエル……あれからまったく動きを見せない)
その傍らで冬月はつぶやく。
「希望的観測だが、使徒共の手筋を我々は崩すことに成功したのかも知れん」
「それは……どういうことなのですか?」
「いや、勘だよ。このしばしの沈黙がそう感じさせるのだ。使徒に手だてがあるなら、動くならば今だ」
「成る程、確かに先程の使徒イロウルは最終隔壁に至る勢いでした。あれが本命だったと」
「そうだな。それにしても、あの最終隔壁。あれこそ我々の最後の切り札と言っても良いかもしれん」
「あの隔壁が?エヴァではなく、ですか?」
冬月はそれに答える代わりに、スタッフの一人に尋ねる。
「隔壁の状態はどうか」
「ハッ!本部の爆破直後で詳細は掴みかねますが、機能はまったく損なわれていないようです」
「よし、戦自の連中を使ってもかまわん。可能な限り早急に本部跡に防衛戦を貼れ」


そう部下に命じる冬月であったが、ミサトはそのやり取りを驚いた様子で聞いていた。
「副司令、その……最終隔壁は“機能”している、ということは……単なる壁では無い、と?」
「今更、隠す必要もあるまい。最終隔壁の防御力、その秘密はATフィールド」
「ええ!?では、あの隔壁の中は?」
「第2使徒リリスだ。実はそのリリスを隔壁が守っているのでは無い。まったくの逆だ。
 リリスが放つATフィールドが隔壁を守っているのだ。隔壁自体も相当な防御力を誇っているがな。
 それこそATフィールドが失われ、N2火薬を大量に投じたとしても損壊することは無いだろう」
「……」

「第1使徒アダム。それは自ら引き起こしたセカンドインパクトと共に倒れた。
 セカンドインパクトは人口の半数を損なうまでに至ったが、そうではない。
 先人達の努力によって半数に抑えられたのだ。それに用いられたのがリリスの力だ」
「……その話は初めて聞きました」
「そうだろう。残る各国においてもどのように取り扱うべきか苦慮しているのだ。そのリリスの力はな。
 これは最高機密として私や碇、そして担当にあたった技術部のみに知らされていたことだったのだ。
 今やリリスは我らの守り神だ。それを損なわれれば我々は全て滅びる」
「だからこそ使徒が苛烈な攻撃を仕掛けているのですね。しかし何故?そしてなんで今なんですか?」
「さあな。神話では人間は知恵の実を喰らい楽園を追われた。我々は神にとって憎むべき存在なのだ。
 それから何万年の時を経たのか知らないが、時の長さが短い寿命の我々とは評価基準が同じでは無いのだろう」
「気の遠くなるような、そして信じられない話ですね」
「君のような常識人にとってはな。しかし、使徒が現実に存在している」
「はい。降りかかる火の粉を夢まぼろしと言い張るのは愚かなことです」


そう言いながら、ミサトは再び夜空を見上げた。
月明かりに照らされる使徒の姿を改めて眺めながら、ふうっとため息を漏らす。
(これは無謀な戦いなのか。もしかしたら、私達は神を相手に……)
その脅威。それは以前にシンジが口にしたことだが、恐れている場合ではない。自らの存亡を賭けた戦いなのだ。
が、その時ミサトはギクリと驚いて夜空を見返す。
(月が二つ?なんだあれは!)

そのころ、初号機パイロットの碇シンジは医務班の介抱を受けながらショックを受けていた。
父ゲンドウとの対話のときは事態の把握が出来ていなかったのだ。
使徒から解放されたばかりで、本部に何が起こっているのか知るよしもなかったのだから。
「じゃあ、父さんは本当に?」
「はい、立派な最期でした。総司令の名に恥じぬ……」
「あの爆発が……そんな……」
「自らを犠牲にされて使徒の危機を救われたのです。ですが、」
「……」
「ですが、無理をなさらぬように。司令もあのように言われていましたから」
「うん。あの……」
「はい?」
「レイって?」
「ああ、それは」
そう医師が言いかけたときに、突然にセンサーが鳴り響いた。
「……え?」


「グス……グス……」
尚も止まらない伊吹マヤの涙。鼻をすすりながらの作業、手慣れているはずの端末を叩く指もたどたどしい。
無理もない、彼女は絶対の信頼と尊敬をもって接していた自分の上司を失ったのだ。

そんな彼女を気遣い、隣のオペレーターが声をかける。
「少し休め。俺が替わる」
「ありがとう日向さん……もう少しで終わるから……」
彼らは特に大きなヘリに乗って作業をしていた。
その内部は初めから各種の端末が備えられ、小さいながらも会議室となる設備まで揃っている。
正に動く司令室と言うわけで、こうした事態とは限らず遠隔地での対応などに備えて用意されたものだろう。
彼らが居るのは先程まで初号機と参号機が戦っていた場所。
今ではパイロットと同様にグッタリと初号機が横たわっていた。
そこには司令用のヘリと共に医務班のヘリ、そして機材を積んだ整備作業用のトラックが群がっている。

そこに各方面から様々な伝達が入る。
「使徒ゼルエル、まったく動きを見せていません」
「零号機、輸送ヘリにより曳航中。そちらの仮設本部において整備を行います」
「ロンギヌスの槍、大気圏を抜けて月軌道上にあることを観測しました。もはや回収不可能と思われます」
「アメリカ支部より伝達、量産型エヴァシリーズが完成。全9機は正常稼働し、既にこちらに空輸中」
その最後の伝達に周囲のスタッフは驚き、そして歓声を上げた。
「嘘だろう?初号機が正常稼働したのは、つい昨日のことだぞ」
「勝てるぞ!それだけのエヴァがあれば、我々は勝てる!」


「おい、みんな。だからといって油断は出来ないぞ。使徒にその力があれば、隔壁を破るのは一瞬で済むのだぞ」
「いや、上手く時間を稼げば圧倒的に優位に立てる。いけるぞ!」
「あのなぁ……巨大ロボットが何体あったとしても、さっきのような使徒イロウルに勝てるか?」

そんな騒ぎの中、ようやくマヤは手を止めた。
「終わりました。これで中国MAGIをこれまで同様に使用できます。多少、ラグがあるかもしれないけど……」
「そうか、お疲れさん。ちょっと休んでくれ。ほら、少し食べろよ」
「ありがと。でも、今は何も欲しくないから……」
そんなこんなで、仮設本部は少し落ち着いてきたようだ。
交代で休憩を取り、食事や仮眠をとるものまでいる。あるいはヘリを降りて体を伸ばす者。
「青葉さん……ヘリからあまり離れない方が……」
ぐったりしたようなマヤが、ヘリから降りた一人のオペレーターに声をかけた。
「何、大丈夫だ。ん?あれは……」
そう言って近づき、瓦礫の中から引っ張り出した物。
それは一本のアコースティックギターであった。
「よっと……ん、少し音がおかしいかな」
そう言いながら弦を爪弾く青葉。
「えっと、どうだったかな……♪あなたはもう忘れたかしら……赤い手ぬぐい、マフラーに……」
「おい!この非常時に何やってんだ!」
「ああ?いいじゃないか、少しぐらい」
ダラリと椅子にもたれて、そんなやりとりを横目で見ながら物思うマヤ。
(どんな苦境にあっても、ただ二人で居られればそれでいい。それだけで幸せな二人、か……)


    ピーッ ピーッ ピーッ ピーッ

(……ん?)
マヤは、ぼんやりとした気分で端末を見た。
ああ、センサーが鳴っている。なんだろう……

最初はなんだか判らなかった。
次第におぼろげながら気付き始める。
それは、とてつもない非常事態だと言うことに。

そしてガバッと跳ね起きて端末を覗き込み、マヤは叫んだ。

「パターン青!みんな地上から離れて!」
最終更新:2007年06月25日 21:07
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