特急 後日談B

後日談(B) 

(注:Aとはまったく別の展開です。)
(悲惨な方向への展開ですので、イヤな気分になりたくない人は読まないでください)

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「おい、息はあるのか!医務班!医務班はいるか!」
「まだ地上のはずだ。すぐにヘリに乗せろ!大至急!」

初号機、弐号機、そしてエヴァシリーズをも全て倒れ、全ての戦いを終えて、
生き残った碇シンジの治療のためにスタッフ達は奔走する。
残ったスタッフはわずかばかりの首脳陣のみ。
この戦後処理において、すべきことは山ほども考えられる事項があるのだが、
しかし今の彼らに出来ること。そして、もっとも優先度の高いのは、
最重要人物となりうるであろう碇シンジの救命、ただそれだけである。

初号機から絞り出された粘液上の物質に包まれていたシンジ。
エントリープラグがイジェクトされた訳でもなく、はたしてどういう理屈で脱出しえたのか。
使徒アダムとしての力?一度は初号機に溶け込み?さらにシンジ本人の構成する物質が摘出され?
それは赤木博士が健在であったとしても、説明づけることは容易ではなかっただろう。
やがて、シンジは息を吹き返す。
「う……うん……」

「お、気が付いたか?とりあえず、バイタルを……」
「いやタンカだ。まずは地上に上げろ。ここじゃ何も出来んぞ」


そんなふうに口々に指示を飛ばし合い、かけずり回るスタッフ達。
しかし、シンジの容体は悪くはないようだ。
少しずつ薄めを開き、首を揺すって左右を見渡し、周囲の状況を確認しようとする様子がうかがえる。
しかし……

「う、うう……ああ……」
突然、悲鳴とも何ともつかないそんなうめき声をあげ、
「あ、あああ!あああああッ!!」
それが次第に絶叫へと変わる。

「おい、どうした。どこか痛むのか!苦しいのか!」
「外傷はないか?判るか?落ち着け、碇シンジ!どうした!」
そこにようやく地下から追いついてきたミサトが目ざとく気付いた。

「早くここから遠ざけなさい!それから鎮静剤!早く!」
ミサトに打たれたように命じられたスタッフ達は、慌ててシンジを担ぎ上げた。
「うーっ!うーっ!うーっ!」
もはやシンジは狂人の発作のようなうめき声を上げて暴れ出す。
それをスタッフ達は無理矢理に注射器片手で押さえ込み……
はたしてシンジが、そしてミサトが見いだしたものは?

それは、零号機のエントリープラグの残骸。

そこからは、おびただしいほどの血が流れ出していて、
そしてゴロリと転がり落ちた人間の頭部……


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その後。

NERVは、そして世界は使徒との戦後処理のため、大変な騒ぎとなった。
日本の本部における大多数の犠牲者は致し方ないとしても、
いったいどこから漏れたのか、わずか14歳の少年少女がパイロットとして戦っていたことが表沙汰となり、
その2名までもが命を落とす、という悲惨な結末に世論が憤慨したのだ。
まったくもって世論というかマスコミというか、
その連中にはこの戦いが人類の命運がかかっていたことを理解できていないのか。
そのことをすっかり忘れてしまったかのようにNERVと(表向きは)背後にある国連を大いに責め立てた。
戦うなら軍隊がやれ、死闘を望んで軍に入った大人達など、いくらでもいるだろう、と。

エヴァンゲリオンという兵器を操作できるのは子供に限られていて……などという説明は、
もはや実物を全て失った今では納得しがたいものであり、
犠牲者の遺族、そして生存者に対する保証を約束し、そして犠牲者に対する壮大な葬儀が行われても、
なかなかに収まるものではなかった。


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そして、その葬儀のこと。

総司令、碇ゲンドウを筆頭にエヴァパイロット2名、そして多くのNERV職員や自衛隊員に至るまで、
数多くの犠牲者がその場に名を連ねられ、マスコミによる報道が行われる中で盛大に行われた。
そこに回復した碇シンジも又、密かにではあるが参列した。
司令の息子、あるいは生き残ったエヴァパイロットという立場で代表の挨拶をする、などということもなく、
シンジの将来のためとして、注意深くその存在を封じられていた。

葬儀とはいえ、遺体すら残っていない犠牲者も数多い。
碇総司令や赤木リツコ博士はもちろんのこと、
参号機とともに自爆を遂げた鈴原トウジの遺体も骨すら残っていない。
ましてや、火口の中で焼死したアスカに至っては、
むしろ遺体など残っていない方がマシだった、という目を背けたくなるような有様であった。

シンジは数多くの遺族や本部の生き残りに加えて、
世界各国におけるNERV支部の者達にまじり、記名だけの墓標に手向けの花を捧げた。
呆然とした面持ちで、もはや涙すら流すことはなかった。
あの戦いはなんだったのだろう、というような複雑な想いにかられながら。

その葬儀の中で、一台の車椅子に乗った少女をシンジは見つけた。
どうしようかと、戸惑うシンジ。
その車椅子の主が誰なのか、それは既に判っていた。
そして声をかけるべきか、あるいは何もせずに見送ろうかとも考えた。

しかし決断して、その車椅子に向かって歩き出し、そして跪いて声をかける。
自分のために死んでいった鈴原トウジの妹に。


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「あんたがウチの兄ちゃんの戦友ってわけやな?よろしゅうな」
「あ、ああ、実はそうなんだ。その……」
「ねるふのオッチャン達に聞いたら全部こたえてくれたで。
 ウチの兄ちゃんはあんたの命を助けて死んだんやってな?
 ホンマ、うちの兄ちゃんはようやったわ。ほんまに……」
なんと、その少女は健気にも笑ってシンジに答えたのだ。
死んだ者の遺族なら、生き残ったシンジが相手なら罵声を浴びせても無理からぬことだろうに。
シンジには、その覚悟の上で声をかけたというのに。

「ウチの兄ちゃんな?おおきゅうなったら、でっかい男になって、どーんとでっかい花火をあげたるって。
 そんな男になりたいって。よう、ウチに話してくれてたんや。なんや意味がわからんかったけどな。
 でもな?これで兄ちゃんの夢がかなったわ。ホンマ、でっかい花火やったわ。
 ウチ、テレビで放送されたの見とったもん。ああ、こういうことやったんかって、笑って見てたわ。
 ホンマ……でっかい花火やったわ……」
「……その、ゴメンね」
「なにいうてんねん。兄ちゃんの夢をかなえさせてもろたんやし。
 あ、あ、シンジはん、泣いたらアカン。アカンっていうてんのに……」
そう言いながら、トウジの妹はポロポロと涙を流し始めた。
「泣いたらアカンって……ほんま、泣き虫やな……ほんま……」
「ゴメンね……本当に……ゴメンね……」
そう言いながら、シンジは少女の手を取り謝り続ける。

「ええねん。な?うちら、握手したから、これで友達や。な?そうやろ?」
そう言って少女はシンジの手を握りかえす。苦しげに尚も笑顔を浮かべようとしながら。
そして付き添いの看護師にうながされ、ようやく別れの言葉を交わす二人。
恐らく少女の体調に限界が来たのだろう。他の者よりも早々に会場を後にした。
「元気でな。大阪に来たら会いにきてや。うち、まっとるさかい……」
か細い声で呼びかけ、尚もシンジに小さな手を振りながら。

しばらく、その場に立ちつくしていたシンジ。
しかし、妹との対話の次に、まだ彼にはやることがあった。
どうにも腑に落ちないことが一つだけあったのだ。

そして葬儀が終わり、参加者が立ち去り始める段階で、ようやく葛城ミサトを捕まえて問いかけることができた。

「あの、綾波は……綾波レイは何故、犠牲者の中に入っていないのですか?」


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元NERV本部の地下深く。
そこは最終隔壁の更に下。使徒リリスの遺体とほぼ同一の最終階層で。
そこにある設備は本部の爆破を逃れて今だに健在であり、十分に機能が働いていた。
そこにある設備は何のためか。そこで行われていたことは何か。

それは、世間に公表したくても出来ない仕事。
それこそNERVの秘中の秘。しかし、NERVが使徒と戦うための最大の技術の結集がそこにある。
そして、使徒との戦いを終えたというのに、今だに作業にいそしむ者の姿があった。
まさしく禁忌と呼ばれても不思議ではない、何かを。

「おい……」
「……」
「おい、いい加減にしろ。止めろよ。止めろと言ってるんだ!」
「……」

そこには二人の姿があった。
それは、NERVスタッフの数少ない生き残り。
それは、巨大な水槽を目の前にして端末を叩き続ける伊吹マヤと、
その背後で苛立ちながら腕を組み、彼女を引き留めようと怒鳴り続ける青葉シゲルであった。

「あのなぁ……お前は、それが何をしていることなのか、本当に判っているのかよ!」
「……」
「もう、あの子は死んだんだ。そして、もうあの子は生まれる必要なんて無くなったんだ!だから……」
その時、

    ダァァァァンッ!!

と、マヤは机の上に一丁の拳銃を叩き付けた。

「私を止めたいなら、私を撃ってください。腕づくで私を止めるつもりなら、私があなたを撃ちます」
「マヤ……」
「私は許しません。許せないです。こんな結果なんて許されて良いはずがあるません。」
「だから!これ自体が許される事じゃないんだよ!何度言えば……」
「私達はこれのお陰で使徒と戦うことが出来たんじゃないんですか!
 これがあるからこそ、弐号機や参号機、そしてエヴァシリーズ。そして……」
「……」
「パイロットとして戦うために、ただそれだけのために虚無から生み出された……」
「……」
「それが許せません。許せないんです。彼女が……」
「……」
「戦うためだけに生み出され……そして戦って死んで、それで終わりだなんて……」

「マヤ……」
「……」
「しかしな、そんな運命の人間が、これまでにどれだけ居たと思ってるんだ?
 その人間達を、全て甦らせればというのか?それで、その人達は全て救われると?」
「……」

それを聞いたマヤは、急にピタリと手を止めた。
彼女の目の前にある水槽。
そこには、ようやく形取られた何かが浮かんでいた。
まだ完全ではない。しかしおぼろげながら何かは判る。それは一人の少女の姿。

「なら、青葉さん。この子はもはや生まれるべきではない、と?
 なら彼女を撃ってください。今すぐに。もはや命が吹き込まれているかもしれない、彼女を」
「お前はッ!!」
「……」
「……くそっ!」

何かを怒鳴り散らそうとした青葉。
しかし、乱暴な仕草でマヤの隣に座り、空いている端末を叩き始めた。
「ったく!投薬が全然たりてないじゃないか!
 俺はな。実は言うと、コイツの管理の一部を任されてたんだ。
 その資料も古くて、値の設定とか後から色々修正されてるんだよ。えーっと、どうだったかな……」
「青葉さん……」
「だから俺は反対してたんだ。それがどれだけイヤな仕事だったか。
 無情にボコボコと実験体を生みだし、そいつらの失敗作を無慈悲に葬り去って、また……」
「……」
「ああッ!思い出しただけで吐き気がする!いいか?これが最後だぞ!これで最後だからな!」
「青葉さん……その……ありがとう……」
「ほら急げ!このまんまじゃ、幾らも外を歩けずに形が崩れてしまうぞ!」
マヤは、もはや涙を流しながら青葉と共に作業に没頭した。


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「嘘でしょう……?」
シンジは思わず、そうつぶやいた。
無理もない、死んだと思われた相手が目の前に現れたのだから。
シンジが葛城ミサトに伴われて、しかし何の説明も受けずに連れてこられた一室。
そこに待っていたのは、正しく死んだはずの綾波レイその人であった。

彼女は長椅子で一人の看護師と共に座り、そして何かの処置を受けている。
その側で立っていたマヤはシンジの方に振り向き、暗い声で説明した。
「嘘じゃないわ。レイよ。奇跡的に蘇生に成功したのよ……」

「そんな、あれで生きてるはずがない」
「でも蘇生したの。そして成功したの」
「う、嘘だ。僕は見たんだ。綾波の、その、首が……あれで生きているはずがない」
「何か見間違いをしたんじゃないかしら」
「僕を馬鹿にするんですか!それだけじゃなく、エントリープラグからあれほどの……」
「でも、生きているわ。この子は本物のレイよ」
「……」
「その……多少の記憶の混乱があるかもしれないけど……」

そんなやりとりの中で、じっと黙ってシンジを見ているレイ。
無機質で、なんの感情も浮かべていないような表情で、呆然と、まるで人形のように……

「待て。もう本当のことを話せよ。小細工をしたってボロが出る」
そう言い出したのは、部屋の片隅で二人の様子を見守っていた青葉であった。


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「青葉さん……でも……」
マヤは苦しげな表情をして、青葉の方に振り向く。
が、もはや青葉にとって我慢の限界が来たのだろう。
シンジの真横まで近づき、そしてハッキリとした口調で説明する。

「シンジ君、その子は間違いなく綾波レイだ。しかし、君と一緒に戦ったあの子ではない」
「……え?」
「この子は、言ってみればクローンなんだ。
 更に言えば、君と一緒に戦ったのは二人目の綾波レイ。
 君が見たものに間違いはない。間違いなく、君と戦ったレイは死んだ。君の言う通りに」
「そんな……そんなことって……」
「俺は反対だったんだ。この子を甦らせることを。ただ戦うために作られたパイロットである、この子を」
「それじゃ……僕のことは……あの戦闘のことは何も……?」
「ああ、今現在のレイの記憶は、数ヶ月前にバックアップされたものだ。
 君と出会ったこと、使徒と戦ったことなど何一つ覚えていない」
「それじゃ……何故……何故、わざわざ甦らしたり……」
「待ってください」

そう言って、青葉に尚も尋ねようとするシンジを制止したのは、レイに付き添っていた看護師であった。
「あの、シンジ君。レイと話をしていただけませんか?皆さん、どうかシンジ君とレイを二人きりに」

そこにいるマヤ達は得心がいかない様子ではあったが、看護師はその彼らを促し、自分も共に退室する。
「心配いりません。あの子なら、レイならきっと大丈夫だから……」
そう言ってなだめながら。


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部屋に残されたシンジは、うろたえながらもレイに尋ねる。

「綾波……?」
「……」
「それじゃ僕のこととか覚えてないの?使徒と戦ったことは、何一つ?」
「私達は……いえ、あなた達は勝ったのね。碇司令や、NERVのみんなは悲願を達成したのね……」
「うん……」
「青葉さんの言う通りで、私は三人目の私。あなたと一緒に戦った私とは別人。
 覚えていないと言うより、知らないの」
「そう……なんだ……」

「綾波、その……なんというか……」
「……」
「それじゃ、君にとっては、これが初対面と言うことになるのかな……僕とは」
「……」
「いや、でも……」
「?」
「よかったよ、うん。あんな戦いを知らなくてさ」
「……」
「うん、その……誰かと争い、殺し合うことなんてさ。そんなことを覚えていたってさ。その……」
「……」
「あはは、よかったよ。君は戦わずにすんだし、もう人類の危機は去ったんだ。よかったよ、本当に……」
「……」
「それじゃ」

シンジはそう言ってレイに背を向けた。
もう我慢がならない。これ以上は耐えられない。
後ろを向いて、レイに見せまいとした表情がそれを物語っていた。
そして、この場を立ち去ろうと扉の方へ向かったその時、
レイは立ち上がって、シンジを呼び止めた。

「待って」
「……?」

シンジはかろうじて立ち止まったが、容易にはふりむけなかった。
どんな顔をして良いのか、今の自分がどんな顔をしているのか判らなかったから。

その場で立ち止まったまま、動くことが出来なかった。
もうこの場をすぐに逃げ出したいような、あるいは何かを期待しているような、
そんな複雑な思いにかられながら。

「碇君……もし、あなたが碇君なら……」
「……」
「碇君……もし、あなたがあの碇君なら……」
「……え?」
「確かに私は、あなたと共に戦った私とは別人。つい先程に生成された私は、誰かと同じ私ではない。
 でも……それでも……」
「……」
「私は覚えてる。いや、覚えてるんじゃなくて、二人目の私から記憶を受け継いでいるの。
 私はあなたと過ごした、小さかった頃の私達の記憶を」
「……なんだって?」


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その頃、別室でミサトやマヤ、そして青葉の三名は、レイに付き添っていた看護師の話を聞いていた。
その彼女、三十歳半ば、あるいは四十前というところだろうか。
レイが幼い頃からずっと付き添っていた専属の看護師であったという。

「最初は、シンジ君が一人で頑張っていたんです。
 仮ごしらえのエヴァの操縦席に小さな体で座り込み、厳しい顔をした大人達に囲まれながら。
 試行錯誤の繰り返しでスタッフ達も混乱していて、ましてや小さなシンジ君では訳が分からない。
 ときには怒鳴られたりして泣きながら操縦桿を握らされ……
 それでも健気に頑張っていました。人類のためだ、世界を救うためだと、お父さんに教え込まれて」

「そのシンジ君の訓練に合流したのがレイなんです。
 エヴァの製造に使われたクローン技術。それを駆使して生み出された少女、綾波レイ。
 エヴァを操縦するには、それなりの適正が必要。
 それを既存の人々から選び出すのではなく、最初から理想型を設計し、生み出してしまう。
 それがE計画の秘められたプロジェクトの一端で、私もその一員でした」

「そうして生み出されたレイは、普通の子供のように逆らうことなく仕事をこなしていきました。
 それでも、困難なことは沢山ありました。
 実験機が故障して事故を起こすことはしょっちゅうで、レイはシンジ君と共に包帯だらけの日々を過ごしたことも」

「それでも、二人は頑張っていました。
 休憩中や、私の治療を受けている間でも手を取り合い、励まし合って。
 違うわね……感情的に手を握っていたのは、もっぱらシンジ君の方ばかりだったんですけどね。
 レイの方は、何のことか判らない、といった様子で、
 きょとんとした顔をして……それでもシンジ君の言うことに素直に頷いて。
 その二人の様子がなんだか可愛くて、可笑しくて……
 恐らく、シンジ君はそうしてレイを励ますことで、自分自身を保っていたんでしょうね。
 そのシンジ君の様子が、二人が一緒に頑張っているのが健気で微笑ましくて……
 私はその二人のやりとりを見ているのが楽しくて……」

その看護師は苦笑いで、そして悲しげな表情を浮かべながら、そんな話を続けていた。


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「碇君は……ことあるごとに私の手を握り、一緒に頑張ろう、僕達が一緒なら大丈夫だ、
 僕達は立派なエヴァのパイロットになって、そして世界を一緒に救うんだといって……」

レイは、そんなふうに二人の小さかった頃の話をしていた。
その彼女の話を共に長いすに並んで座り、聞いているシンジ。

「でも、綾波……僕は何も覚えていないんだ。その……
 今回でエヴァンゲリオンというものを初めて知ったし、その操縦の仕方も乗るまではまったく知らなかったし……」
「うん……」
「懐かしいという感じも、ちょっとでも覚えていたことも、何一つないんだ」
「そうね、ごめんなさい。あなたはその時の記憶を完全に消されているはず。
 私が二人目から受け継いだ記憶が正しければ、その指示を出したのはあなたのお父さん」
「ええ!?」
「詳しいことを教えてはくれなかった。ただ、何か騒ぎがあったの。
 あなたの搭乗試験の結果を経て、あなたが危険すぎると判断されたため……」
「そんな、どうして……そんな……」
「私は……これから先、私一人になると、話を聞いた。私はそれを聞いて……ああそうか……と思った。
 ただ……一人になる、それだけの……それだけのことでしかないと、思った……でも……でもね……?」
「……?」
「それが……それが……どういうことか……その時は判らなかった……でもね……」


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「それで……レイが一人になってからは?」
ミサトは、その看護師に尋ねて、話の続きを促した。
「レイは驚くほどあっさりしていましたね。
 シンジ君が居なくなってから、特に変わった様子もなく訓練の毎日を過ごしていたわ。
 あの子は今でもそうだけど、感情というものが何だか欠如したような、そんなふうに見えてならなくて」
「そう……ですね……」

ミサトは相づちを打つ。
作戦部長である葛城ミサトは後になってからNERVに配属されたので、
シンジがパイロットとして訓練や試験をしていた経緯を、この間の戦いの最中で聞くまでは知らなかったのだ。
綾波レイが、どのような経緯を経て生み出されたのかも。

看護師は続ける。
「確かに、レイは通常の子と違っていて当然かも知れない。
 あるいは、どんな子でもパイロットして訓練を続ける生活を送れば、そうならないとも限らない。
 けどね?」
「……」
「あの子のお世話をしている時に、こんなことを言い出したんです。
 また、あの子に会うことがあるのかな、と。
 これまで人間らしい感情というものをどこかに忘れてきたような、あの子が」

ミサトは少し気落ちしたような顔をして言う。
恐らくはレイとのコミュニケーションを試みて、失敗したケースがあるのだろう。
「本当に?私もレイと共に行動することが多かったけど、そんなそぶりとか言動とかは何一つ……」
「そうでしょう。初めて聞いたときは、隣に座って静かにしていないと聞き取れないような小声だったので。
 そのころからでしょうか。レイの訓練や稼働試験の成果が上がり、何もかもがスムーズに動き始めたのは」
「え……?」

「葛城さん、不思議ですか?」
「逆じゃないんですか?一人になって、励ます人がいなくなって、それで気落ちして……」
「私もそう思いました。なんだか、シンジ君のことをどうでもいい、というよりむしろ邪魔だったのではないか。
 そんなふうに見えるほどに、彼女の調子が上がっていったのです。
 でも、それは逆でした」
「逆?」
「はい、逆です。私はレイを刺激する危険を恐れていたのですが、思い切って聞いてみたのです。
 そしたら、シンジ君のことについて、こう答えたんです。
 私が頑張れば、あの子がここにいる必要はない。
 私が頑張れば、あの子は危険な目に遭わずに済む。
 私が強くなれば、私が使徒を全て倒せば、あの子は死なずに済む。
 私はあの子に会いたいと思った。
 何故かは判らないけど、あの子に声をかけて貰えなくて寂しいと思った。
 それが何故かが判らないうちは、あの子にまた会いたいと、ただそう思っていた」
「……」
「それが何故か判ったとき、あの人があの子をここから遠ざけた理由が判った。
 判ったような気がした。
 だから、私は頑張ろうと思った。頑張って、全てが終わった後に、その時に初めてあの子に会おうと思った。
 そう考えて初めて、あの人が何故、こんなに頑張っているのかが判ったような気がした、と」
「あの人?ああ、碇総司令のことですね……」

「はい。全てを終えて、使徒に勝利し得た後に、その時こそ今度はあの子に……
 その時こそ、頑張ろうではなく、よく頑張ったねと、あの子に言って貰えるのかな、と……」
「……」
「それが、あの子の夢だったんですね。あの子にもちゃんと将来の夢があったんですね。
 でも……」
「……?」


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「私は……どうだった……?」
レイは、おずおずとした様子でシンジに尋ねた。

「え、その、どうだったっていうのは……」
「ちゃんと……使徒と戦えたの……?私は……」
「も、もちろんだよ。最初に使徒を倒したのは綾波だし、僕も命を救われたし」
「そう……本当に?……私が……碇……君………………を………………」
「あ、あの、綾波?」
「碇……君…………私は…………私…………は……………………」
「綾波!?綾波っ!!」

「本……当…………に………………本……当……に…………会……い……たか………………」

「綾波ッ!!」


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「既にシンジ君はいない。自分のことをしたってくれたシンジ君はもういない。
 危険であるがために遠ざけられ、記憶まで消されたシンジ君の中にはもう自分はいない。
 そのことをレイは十分に理解していました。
 そして、戦って死ぬ。それだけだ。
 私は、私を生み出したあの人のために戦い、私のことを忘れてしまったあの子のために死ぬ。
 私はそれだけの、ただそれだけの……存在だと……」

次第に看護師は目に涙を潤ませ、声を詰まらせて、そしてもう何も言えなくなった、その時だった。

(……綾波?綾波!どうしたの!返事をしてよ!どうしたというの!)

壁を通してシンジの絶叫が聞こえてきたのだ。
慌ててミサトは駆けつけようと立ち上がる。が……

他の三人。マヤ、青葉、そして看護師の三人とも落ち着き払った様子で微動だにしない。
その不審な態度を見て、ミサトはようやく気付く。
「まさか……レイは?」

それに対して、マヤは答えた。
「はい。蘇生というか、レイの再生は失敗でした。必要な薬品の不足が原因で……
 もはや今のNERVでは、その薬品を入手して彼女を復活させることは不可能となったんです」
「そんな……そんな……」

そして青葉が後を引き継ぐ。
「俺は、失敗ならばシンジ君に引き合わせるのは止めようと考えていたんです。
 ですが、この看護師さんの話を聞いて、それならって思ったんです。
 どうにか、レイは前と同じ姿を保てるようにはなりました。それも僅かな間だけ。
 彼女が崩壊するのは意識が失われた、その後だから……まあ、シンジ君には悲惨な状態を見ずにすむだろうし……
 とにかく、行きましょうか。シンジ君のあの様子だと、そうなるのも時間の問題だ」

そして、青葉は看護師を伴ってシンジ達の部屋に向かう。
後にはミサトとマヤが残され、しばらくの間は何も言えずに立ちつくしていた。

が、やがてマヤの目に涙があふれ出し、そしてミサトにすがりつく。
「ミサトさん……私は……私は……」
「マヤ……」
「私は……間違っていたんですか?私は……」
「……」


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やがて、シンジはその部屋を後にした。
あの後、看護師から全ての話を聞いた、その後に。

いったんは彼を見送ったミサトであったが、そのシンジのふらふらとした足取りを見て慌てて追いかけ、
自分の車に押し込んで、そのまま送り届けることにした。

車の中でシンジは何も言わない。
泣くことも出来ず、何かを話すことも出来ず、ミサトが運転するその隣でぐったりと座っているだけだった。
そして、彼の脳裏に甦ってきた言葉。
それは綾波レイの言葉ではなく……

“あんた、人を好きになったことがないのね。誰かの為に戦うということを知らないのね……”


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やがて、シンジ達がいた部屋から青葉がレイの身体を肩に担ぎ上げ、そして立ち去ろうとしていた。
青葉は何かを考えながら、急がなければレイの身体の崩壊が始まってしまうと言うのに駆け出す気にもなれず、
ゆっくりと仮ぞなえ本部の中を歩いていく。
その、ある時だった。

トントン、と青葉の肩を叩く者がいる。
驚いて振り向いてみると、そこに立っていたのは一人の少年だった。

「落としましたよ?」
そういって手渡したもの。
それは既に崩壊が始まり、床に落ちたことに気が付かなかったレイの左腕。
「!!」
青葉は驚いて、その少年を見返そうとする。
当たり前だ。腕が落ちていたなどと言って、平然と手渡す者など不審者以外にありえない。

しかし、既にその少年の姿はなく、誰もいない廊下にいるのは青葉ただ一人。
「……?」
青葉は頭を振って、なにかの見間違い、思い過ごしだろうかと、考える。

勘の良いものなら、その者が尋常な者ではないことが見て取れたのだろうが、
更にその者が、最後に残った使徒タブリスと見破れる者は、誰一人としていなかっただろう。


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「生と死。僕にはそれをリリン達がこうまで恐れ、悩み、苦しむのか。正直いって理解しがたいところだけど」
彼は上を見上げてそうつぶやく。

彼が居るのは、元NERVの最終階層。
そして、そこに安置されている使徒リリスの巨体の足下であった。

「そして、そこに悲劇と喜劇が生まれる。
 どうしてこう……リリンというのは、もがき苦しんだ挙げ句に悲劇を求めるのだろうね。
 僕は理解に苦しむよ。ねえ、どう思う?」

そう言いながら、リリスを再び見上げる。

「リリンが産んだ様々な文化。悲劇も又、その一つ。
 そういえば、作り物の少年が人間になることを夢見て、居るはずもないブルーフェアリーを求めて旅をする、
 そんな作り話を聞いたことがあるよ。ねぇ、知らない?」

そう言いながら、タブリスはクスリと笑う。
「それは、リリンにとって常軌を超える存在が居ないと仮定された世界だからこそ、はかない夢を追う悲劇となった。
 しかし僕達の存在こそ、リリンにとっては正にそれ。
 さて……どうする?何もしないの?
 人間達を守っておいて、その中の小さな者達までは救うつもりはないのかな?」

しかし「彼女」は動かず、そして何も言わない。



……かに見えた、その時のことだった。


(完)
最終更新:2007年06月26日 04:26
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