総司令 第壱話

NERV本部――。

「ねえ、レイ。お願い、返事をして」

床にぺったりと座り込んでいる少女が一人。
その少女に制服姿の女性が声をかけている。
その女性の名は伊吹マヤ。NERV本部技術開発部所属。

目の前には一人の遺体。
どうやら永眠したばかりのようで、生前のままの着衣に顔は白い布で隠されていた。
そして部屋に漂う線香の煙。ここはまさしく、霊安室に他ならない。
更に、そこにもう一人。
科学者らしい白衣を着た女性がその場に訪れた。

「先輩、レイがここから、碇司令の元から動こうとしないんです。いくら声をかけても返事をしてくれない……」
マヤは振り返り、新参の白衣の女性に問いかける。
先輩と呼ばれた女性は、マヤと同じく技術開発部所属、E計画責任者の赤木リツコ。

「返事をしないんじゃなくて口がきけないか、あるいは耳がもう聞こえていないのかも知れないわね」
「え? でもそんな」
「ほら、見なさい」

その時、レイと呼ばれたその少女の左腕が、肘のあたりからボタリと崩れ落ちた。
まるで組み立てた模型が壊れ始めたような、そんな無機質な千切れ方で。
「ひっ……」
「もうダメね。自我の象徴を失い、自らの存在を保てなくなっている」

マヤはうろたえながら左腕を拾い上げ、つながるはずもないのに接続を試みるようなことをした。
そうしながらも尋ねる。
「自我の象徴って……それって精神的な概念だけの話じゃないんですか? 本当に肉体がくずれるなんて……」
「その通りよ。私達なら、そんなに簡単に壊れやしない。
 でもこの子の場合は極めて精神と肉体の構造がデリケート、というかシンプルに出来ている。
 私達と同一視出来るものではないわ……仕方ないわね」

そしてリツコが白衣のポケットから取り出したもの。
それは一丁の短銃だった。
「ああ、死人の前じゃ静粛にしないとね」
そんなことをいいながらサイレンサーを取り付ける。

「せ、先輩!何をするつもりですか!」
「どうしようもないシステムエラーが出たときどうするの?
 電源の入れ直すか、新品に取り替えるしかないじゃない。青葉君?」
リツコは少女の後頭部に銃口を当てながら、携帯電話を耳に当てた。
「三人目を用意して。もうすぐ総司令のご子息がやってくるから急いでね」

パスッ……。

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本当に僕がして欲しいことは、そんなことじゃない。
ただ、僕の側に居て欲しい。
ずっとそんなことを思ってた。

父さんは、人類を救うための仕事をしているという。
それは極めて重要で、大変な仕事だという。
だから自分の全てを仕事に注ぐため、だからこそ僕を里子に出して去っていったという。

母さんもまた、その仕事のために亡くなったという。
それも、ひいては僕のためでもあるという。
その全ては人類のために。
その中の一人、僕自身もまた救うため。
でも、それが僕を含めたみんなにとって、本当の「救い」になるんだろうか。

もし自分に大切な人がいて、
その人のことが大好きで、
その人の側に居て共に過ごすことが、
それが本当の幸せだと、僕は思う。
そりゃもちろん、その人が死んでしまってはどうしようもない。
共に過ごすの、共に生きるの、そんなこと以前の問題だ。

だからといって、
僕のために僕のもとから離れて、
そして僕のために死んでしまって、
本当に僕が喜ぶと思っているのかな、と。

本当に僕が必要なの?
僕の側に居たくはないの?
僕のもとから離れていくなら、僕が居なくても全然かまわないんじゃないの?
なら、僕なんか生んだりせずに子猫でも飼えばよかったのに。

自分の里親にそのことを聞いたら、「お前は親心というものが判らないのか」と叱られた。
判らないよ、そんなこと。
僕と子猫、自分が産んだかどうかだけの話じゃないか。

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僕は里親に預けられ、そして育てられた。
ただ学校に行き、そして帰ってくる、それだけの日々。
勉強の成績は悪くはない。
体育はちょっと苦手だけど。

友達は居なかった。
クラスにいろんな奴が居たけど、どのグループにもなじめなかった。
いやまず、近づく気にもなれなかった。
面白い奴、調子の良い奴、強気でみんなを引き回す奴、言われるままの気弱な奴。
いろんな奴が居たけど、どうにも連中の気楽そうな顔が嫌みに感じて仕方がない。

そんなことを考えながら、みんなを遠目で眺めていたからだろう。
当然ながら、目を付けられていじめられた。
別に僕から突っかかった訳でもないし、そっとしてくれればよかったのに。
子供ってこれだから面倒で仕方がない。

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小学校に通う前から習い事をさせられていた。
チェロの演奏。
家から学校、学校から家、そしてチェロの先生の所までの行き帰り。
意外と外を出歩くことが多かった。
家でのんびりしていた記憶があまりない。
ただ一人で道を歩いてばかりいたような、そんな思い出しかない小学校時代。

さっきも言ったけど、僕はたびたび、みんなにいじめられた。
だから一人で寂しいとか思わなかった。
むしろ一人にして欲しかった。
他人には嫌なイメージしか感じない。
友達なんて要らない。
どうせ嫌な気分にさせられるから。
だから、一人で歩くことなんて寂しいと感じたこともない。
一人になると、やっと気持ちが安らいだ。

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音楽を学ぶなら良い価値観を身につけなさい、とチェロの先生に勧められた音楽鑑賞。
選んで貰ったテープを携帯プレイヤーで聞きながら、小さい頃から歩き続けた。
今日も学校、そしてお稽古、ただ一人きりで歩き続けた。

で、いじめっ子連中がそれを放置するわけがない。
いつも持ち歩いていた携帯プレイヤー、小学生にはもったいない高級品だ。
歩いているところをからまれ、それを取り上げられて、返して貰えたのはぶっ壊れてから。
ま、いいんだけどね。
いつものように怪我させられるよりマシだったかも。

そしたら、里親は大いに怒る。もちろん僕に対してじゃない。
実は面倒だから、壊されたことは黙ってるつもりだったんだけどね。
怪我なら転んだと言えば済む。そう言えば、大して傷を調べもせずに里親は納得した。
でも、プレイヤーの故障は見れば判る。
立派なケースに入ってて水に落としても大丈夫な筈のものが、
壊しただけでは飽きたらず、悪戯書きまでされて帰ってきたのだから。

里親は、任せろ、と僕に言う。
もう絶対にいじめられたりしないようにしてやる、と。
けど、何をするかと思えばあちこちに電話をかけただけ。
あとは、いつも通りにお茶をすすってる。
どういうことだろう。訳が判らない。

しかし、効果はてきめんだったらしい。
飛ぶようにいじめっ子の親達がやってきて、ぺこぺこ頭を下げる。もちろん僕ではなく里親に。
いじめっ子達はやってこない。ただ、親同士の話し合いだけ。
僕には、新しいプレイヤーを手渡して、おざなりのお詫びの言葉を添えただけ。
そして翌日、学校に来てからどういう顛末だったのかすぐに判った。

クラスメイトがひそひそとささやき合う。
アイツに構うな、近づくな。訴えられるぞ、親が職を失うぞ、と。
そうか。里親は父さんの名前を使ったんだ。
国家レベルで仕事をする父さんの名前を使えば、警察も、政治家ですら縮み上がるという。
里親は自慢げにそう言っていた。
それは大人同士しか知らない話だったけど、ついにクラスメイト達に知られてしまったんだ。

そして、皆の僕を見る目。
恐れている訳でも、軽蔑する訳でもなく、ただ無視するだけ。
みんな注意深く目をそらす。
どうやら僕を居ないことにするつもりらしい。

これでもう、誰も僕をいじめることは無くなった。
これでもう、誰も僕に近づくことは無くなった。
先生ですら、遠巻きで僕のことを見る。
僕の周りには、もう誰も居ない。

なんていうか、やけっぱちの気分で授業中にプレイヤーを取り出して聞いてやった。
派手にシャカシャカと音を立てながら。
それでも誰も何も言わない。先生すら注意しようとしない。
たとえ、席を蹴って授業中に学校から飛び出したとしても。
……いや、本当にやったら流石に里親から叱られた。

そうだね。
僕は寂しいと思ってる。
それはそうだろう。これでは僕が居ない。
なぜなら、僕の周りに誰も居ないなら、僕は居ないのと同じ事になる。
誰も居ない。すなわち、僕も居ない。
もはや何も変化することのない、無の世界。

――虚無。

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通い始めた中学の話を、聞く相手など誰も居ない。
新しい通学路を、一緒に通う相手が居ない。
新しい学生服、新しい教科書、新しい教室。
そして新しいクラスメイト、新しい教師。
しかし、中学でも僕の周りには誰も居なかった。

先生も、
クラスメイトも、
近所のおばさんや、
いつも出逢う駅員さん、
僕の周りには誰も居ない。

誰の中にも、僕はいない。

里親? ああ、あの人ほど僕を見ていない人は他にいない。
あの人にとって、僕は父さんの息子でしかない。

誰も居ない世界なら、それは僕しか居ない妄想に等しい世界。
昨日、嬉しかったことも悲しかったことも、
今日、授業で習ったことも、
昨晩、テレビで見たことも、
全ては僕の閉じた世界。

勉強も遊びも、
そして習い覚えたチェロの演奏も、
僕の閉じた世界の中で、何の意味があるのだろう。

僕は、それが不満なのだろうか。
判らない。
いや、そうではない。
僕は不満なんだ。不満だからこそ、自分が一人で居ることを考え続ける。
自分が一人、と考えることは、一人では無い自分との対比なのだから。

ただ、言えることがある。
その虚無の世界から出ることなど、難しいことでは無いはずだ。
でも、僕から動かない。いや、動きたくない。
ただ、足がすくんで動けない。
誰かと居ることが辛くて、怖くて、動けない。

そう、怖くて、動けない。

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だが、事件が起こる。
僕が動かざるを得ない出来事が。
僕に、動け、という神託が降りたのだ。

それは一通の手紙だった。

差出人はNERV本部。
ああ、思い出した。確か父さんはそこで働いてるんだったかな。
でも差出人は父さんじゃない。
僕宛で、開けてみると小難しい大人の文章でこう書かれてあった。

父さんが死んだ、と。








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最終更新:2009年02月24日 19:38
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