総司令 第参話

扉が開き、その向こう側で僕が見たもの。
それは巨大な水槽だった。
そして、そこに浮き沈みしている数え切れないほどの、何か。

それは、すべて同じ姿、顔かたちをした少女の肉体であった。

「あ、あ、あ……」
僕は次第に目の前にあるものがなんなのか。
言葉にならない声をあげながら、少しずつ理解し始める。

そして、次の瞬間。
その少女達は一斉に僕の方を振り返ったではないか。

「う、うう、ごふっ……」
僕はその異様な光景を見た衝撃に耐えかね、思わず昼食に食べたサンドイッチを撒き散らした。
衝撃、驚愕が不快に、そして恐怖へと自分の感情が移り変わっていく。

ここは何?
ここでいったい何が行われているの?

その全ては、あの水槽が全てを物語っていた。
推察、憶測、妄想が頭の中を飛び交い、得体の知れない恐怖に顔がゆがんでいくのが判る。
何が何だか判らないけど、これだけは理解できる。
ここは人間にとって「禁忌」が行われている場所だということが。

そんな僕に駆け寄ってくる女性が一人。どうやら最初からこの部屋にいたらしい。
嘔吐する僕の背中をさすってくれながら、リツコさんに抗議した。
「そんな、そんな、こんな子供にいきなりこれを見せるだなんて」
「マヤ、いいから作業はどうなの?」
「それが、完全に成熟したものが無いんです。これでは外に出しても幾らも」
「それでいいわ。青葉君、一体ひきあげて」

リツコさんは部屋の奥に向かって命じると、別の職員らしき男性が機械を操作する。
そして、水槽からずるりと引き出された少女の体。
青葉と呼ばれた男性は「それ」をベッドに寝かせて、手早く端子のようなものを取り付けた。
まるで生け簀のある割烹料理屋のような光景、というべきか。
「あれ」がピチピチと跳ねればそうだけど、遠目で見る限り「あれ」には生気の欠片も無いようだ。

リツコさんは、その青葉さんが操作するコンピューター端末をしばしのぞき込む。
作業が完了したらしいことを見て取り、ベッドの「あれ」の側へと向かう。
そして少女の顔を覗き込み、濡れた髪を掻き分けて強い口調で呼びかけた。
「レイ、起きなさい。聞こえてるの? レイ!」
しかし、少女はピクリともしない。

マヤと呼ばれた女性は、僕の介抱をしつつリツコさんに問いかけた。
「先輩、やはり駄目なのでは。司令で無ければ」
「そうね。というわけで、ご子息の出番よ」
と、ツカツカとやってきて、僕の腕を掴んで強引に引っ張り上げた。
今までの丁寧な物腰から一変して、男性的な荒っぽさで僕を少女のもとへ引きずっていく。

僕はまるで情けない駄々っ子のように拒否を示そうとするが、リツコさんは請け合わない。
「い、いや、イヤだ、止めて……」
「いいから、噛みついたりしないから早くいらっしゃい」
と「それ」の前に突き出され、僕の後頭部を掴んで無理矢理に「それ」と顔を合わせようとする。
僕は抵抗する余地すらなく、されるがままにその顔をのぞき込んだ。

「それ」は、異様だった。
か細い体で身長は僕と同じくらいで、同年代かもしれない。
やや女性らしく成長し始めた体つきをしているが、何故だか僕には性的興奮が感じられない。
胸のふくらみなどかえってグロテスクで、ヌードモデルのような美しさなど欠片もない。
今、自分が見ている「物」は全裸の少女ではなく、実験で解剖中の動物にしか見えなかった。

でも、僕が異様と言ったのはそんなことではなく、もっと明快なことだった。
「それ」の髪は真っ青なのだ。
派手好きが髪を染めるのとは違う、なんだか病的な色合いの青。
白髪の方がまだまし、というか、なんというかまだ「健全」に見える。
その青は狂気と言っても言い過ぎではなく、まるで精神的に病んでいることを示しているかのようだ。

「う、う……」
僕はそんなふうにうめきながらも「それ」の顔を見た。
顔立ちは整っているように見えるが、薬品で濡れた髪が気味悪さを演出する。
傷、シミ一つ無い青白い肌、まるで死人のそれの様。
薄く見開かれた目がなおさら不気味に見えた。

そしてその目を見た瞬間、少女の目がギンと見開かれた。
めいっぱい開かれた瞳孔。その色はなんと鮮やかな深紅であった。

「うわっ!」
と、僕は思わず体をのけぞらせてその場から逃れようとするが、リツコさんは僕を体を捕らえて離さない。
そして僕が身を離した瞬間、死んでいたかに思われた「それ」の体は急激に動き始めた。
逃れようとした僕の後を追うかのように、「それ」は上体をスクッと起こしてギロリとこちらを凝視する。
思わず僕は「ひぃっ!」という女の子のような声をあげてしまう。
それはまるで水死体のようなゾンビーがふいに目覚めて、僕に襲いかかってくるような有様だった。

「ほら、効果てきめんね。流石はご子息」
「な、なんで……それじゃ父さんは……」
ようやく言葉らしい言葉が出てきた僕に、最初に出逢った時と変わらない笑顔でリツコさんは語る。

「そう、彼女は司令の言葉しか聞かず、司令以外の存在を認めない。だから、あなたでなければ彼女を起こせない」
「そ、そんな、いくら実の息子だからって」
「さあ、それについてはこの子自身に聞いても判らないかもね。とりあえず連れてきて」
「立てるんですか?」
「立ち上がり、歩行などの基本動作や、言語の理解は可能。基本的な知識は記憶の埋め直しによって成功している」
「き、記憶の埋め直しって……」
「あなたの知らないところで科学はずいぶん進んでいるのよ。さあ、いらっしゃい」
と、僕に背を向けて歩いていく。

もう僕に「これ」を任せた、という訳だ。
僕は「これ」を放置して逃げないと、リツコさんは読み切っているらしい。
冗談じゃない。こんな気味の悪いことに、これ以上関わり合うことなんか――。

いや、「これ」自身が僕を逃がしてくれそうも無いようだ。
ぺたり、と濡れた手が僕の腕に触れ、思わずビクリと飛び上がりそうになる。
気持ちが悪い。思わず顔をしかめるほどに。
思わず振り払おうとするが、それでも腕を掴んで離さない。
しかし、でも、ボヤボヤしてはいられない。

「う、うわ、ちょっと待って……」
既にリツコさんは部屋の外に出てしまい、急がないと見失ってしまう。僕は彼女を追うしかない。
しかし、「これ」を置いていくわけにも行かず、仕方なく腕を捕まらせたまま引っぱった。
いや、なんだか僕から手を握る気にはとてもなれなかったから。
すると、驚くほどスムーズにベッドから降りて僕に付いてきた。

「うっ……」
なんだか、本当に亡霊に取り憑かれたような気分だ。
さっきのマヤという人や、この部屋にいた青葉という人は僕達を遠巻きに見守るだけ。
いや、僕がそこから動けずにいると、マヤさんは手で「あちらへ」と促してくれた。
とてつもなく心配そうな、気の毒そうな顔をして。

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なんだか歩き方を忘れた気分で、よたよたとリツコさんの後を追う。
しかし、慌てすぎてうっかり出入り口に引っかかり、肩をドスンと強くぶつけてしまう。
そこからなんとか体勢を立て直そうとするけど、足がもたついて今度は廊下の壁に激突。
もう頭の中だけでなく手や足、そして体全体が訳もわからずパニックを起こし始めているようだ。
そんな七転八倒するさながらでも、「これ」は決して僕の腕を掴んで放さない。

甘い。僕の考えは甘すぎた。
見るもの語られることを全て受け入れて見極めよう、などと考えた僕が実に愚かだった。
世の中には受け入れがたい事が山ほどあることを、十分理解していたつもりだったのに。
そして思う。世の中には知らなくても良いことなど山ほどあると。
などと、悠長に考えられる隙もなく、ただただ無心にリツコさんの後を追うばかり。

「これ」――この少女は全裸のままだ。
こんな建物の廊下じゃ誰かとすれ違ったらどうしよう、とか思うけど。
しかし少女は羞恥心を持ち合わせていないのか、まったく体を隠したりするそぶりも見せなかった。

そしてリツコさんが案内したのは少し古びたシャワールーム。
「さ、その子を産湯につけてあげなくちゃ。そこのシャワーで洗ってあげなさい」
「……」
「待ちなさい。あなたも脱がないと服を濡らすわよ?」
「……」

もう返事というか相づちを打つ気力も僕には残っていなかった。
なんだか自分の中の何かが壊れた気分で、リツコさんの前だというのに言われるがままに服を脱いだ。
そして少女を伴い、シャワールームへ。

シャワーの使い方など見れば判る。
おぼろげな気分で蛇口をひねり、噴射されたお湯が冷たすぎてビクリとなる。
でも、そのショックのお陰で少し我に返った気分になった。
すこしずつ冷静さを取り戻し、気持ちを落ち着けてお湯の調整をし始める。
そして、あまり熱すぎてもいけないだろう、と少しぬるめの温度にして初めて彼女にシャワーを当てた。
その瞬間、彼女もまたビクリと身を震わせたが、それはその時だけだった。
僕がシャワーを彼女の体に浴びせ始めると、両腕を広げて心地よさそうに目を閉じる。
その様を見て、次第に僕の中の心地悪い感情が薄らぎ始めた。
手を触れて洗ってやろうと思ったけど、なんだかそれはためらった。

そのためらいに我ながら気付き始める。
それはもはや、気持ち悪いものに触れたくない、というためらいではなかった。
目の前にいるのは、まぎれもなく一人の少女であることを、僕は認識し始めている。
自分自身が男性として女性の体に触れる罪悪感を味わっていることに、僕は気付き始めていた。

彼女を連れてシャワールームを出ると、そこにリツコさんの姿は無かった。
そしてテーブルの上には2枚のバスタオル。
その1枚を手に取り、少女の体を拭いてやる。
すると彼女は目を細めて心地よさそうに僕の愛撫を受けている。
それはまるで子猫が体を撫でてもらっているかのような仕草であった。
もう僕の中には気持ち悪さなど欠片もなく、少し目のやり場に困りながらも全身をくまなく拭いてやる。
やはり羞恥心を感じないのか、僕だからこそ許しているのか、どんなことにも僕にされるがままの彼女。
そして最後に髪の毛をバサバサを拭いてやり、そっと前髪を掻き分けた。

その瞬間。
それが僕の指先が直接、初めて彼女に触れた瞬間だった。
「あ……」
思わず声を漏らした。
僕を見つめる、けむるような赤い瞳。
その瞳を見た瞬間、僕の全身に衝撃が走り――。

「やはり裸の付き合いは大事ね。いい顔になったわ。レイも、そしてあなたも」
いつの間にか、リツコさんが戻ってきていた。
手に何か服らしいものを持っている。この子の着替えだろうか。
「改めて紹介するわね。その子がエヴァンゲリオンのパイロット、ファーストチルドレンの綾波レイ。
 さあ、彼女にプラグスーツを着せて。あなたも早く体を拭いて服を着なさい。さっそく出撃よ」

そういうリツコさんの指示に、うわごとの様な返事をした。
なんだか周囲の状況が判らない。
まるで僕の方が水槽から引きずり出されたような気分だ。
リツコさんの声が、まるで遠くの彼方から聞こえてくるかのよう。

なぜなら――。
なぜなら僕はレイと呼ばれた少女の、その赤く輝く瞳に捕らえられ、もはや身動きが出来なくなっていたのだから。
その赤い瞳の呪縛にいつまでも捕らわれていたいと思う自分が、そこに居た。








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最終更新:2009年02月02日 00:11
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