SOS団@日吉の歴史


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SOS団@日吉の成立背景及び歴史です。


背景

2007年当初、慶應義塾大学では、リア充による勢力拡大政策により少数派のヲタクたちは領地を失い、各地でいわゆる「ぼっち」状態となり、大学構内をさまよっていた。
そんな中、日吉において 「リア充の巣窟慶應義塾大学にも自分たちの安らかなる居場所が必要だ」と主張し、立ち上がった男がいた。それが「孔明(1989~)」である。
2007年7月27日、孔明は、同郷にして志をともにする「のヮのみー(1988~)」を引き連れ、「SOS団@日吉」を設立、2人は初代団長、初代副団長に就任した。そのような中、彼らの理想に共鳴する塾内各地のヲタクたちがSOS団に合流。SOS団はいわゆる同好会とは一線を画す特殊な勢力として君臨することになるのである。

第1次孔明内閣(2007/7~2007/12)

2007年7月の設立後、夏季休暇をはさみ、9月に記念すべき第1回総会を開催。団の当面の目標として「団員同士の交流と新入団員の獲得」が採択された。
10月9日には会則が公布・施行されるなど、団の活動の基礎は着々と固められていき、12月の2007年度定例総会では、全会一致で孔明氏の団長続投が決議され、第2次孔明内閣へと時代は移るのだった。
このようにして、SOS団@日吉は未公認団体という形ながらも存続・拡大し、2008年のオリエンテーションにて一年生を呼びこむ体制を作り上げることに成功したのである。

第2次孔明内閣(2007/12~2008/12)

2008年4月、慶應義塾大学に入学シーズンが訪れると、新天地を求めた一年生ヲタク連合が怒涛のごとくSOS団に押し寄せた。かつてないほどの激しい出入りを経て、7月頃になると、安定期に入る。以後はソフトボール大会出兵、千葉遠征、バレーボールブルマ事変など数々の事件に関与し、SOS団は慶應義塾大学内の特殊勢力としての性格を露わにした。
2008年11月には三田祭に出撃し、コスプレ喫茶を展開、大幅な利益をあげる。最終日(11月24日)にはこの活動が2chに掲載されたことでSOS団の名は慶應義塾大学の歴史にその名を残すこととなったのであった。孔明とのヮのみーの2人によるこの時期の統治形態を「孔明-のヮのみー体制」と呼び、「SOS団@日吉」の安定した発展に大きく貢献したとして、2人は後世の歴史家からも高く評価されている。

第1次ミル内閣(2008/12~2009/5)

2008年12月、任期満了に伴い孔明内閣が解散、SOS団史上初の団長選を迎えた。合議制の導入、内外に対する存在の強烈なアピールを公約として掲げたミルが第2代SOS団@日吉団長に選出された。また、副団長選はELMOが選出された。ここに、「ミル-ELMO体制」が船出することとなった。

第2次ミル内閣(2009/5~2009/12)

新歓期を経て40人近くの新入団員を加えて大所帯となったSOS団では、既存の体制・制度では立ち行かなくなることが明らかになった。その問題を打開すべく5月23日に緊急の旧団員総会が決議され、新たな役職の設置・役員の改選が行われた。この決議によって「ミル-はんぺー体制」が成立し、残りの任期を全うすることとなった。

筋肉痛内閣(2009/12~2010/12)

12月総会にてミル内閣が解散、新内閣への引き継ぎが行われた。元勲・元老の指名により筋肉痛に新内閣組織の大命が降下し、彼が今年度から2人になった副団長にヌマーシュ、タラッタの両人を指名したことで、三頭体制が成立することと相成った。

ひこうき内閣(2010/12~2011/12)

筋肉痛内閣の任期満了に伴い12月の総会にて新内閣への引継ぎが行われ、ひこうきによる組閣が行われる。副団長は前年に倣い二人であるが、役職に仕分けのメスが入ったため前年度とは役員の数が違う。

ビグ内閣(2011/12~2012/12)

ひこうき内閣が任期満了により解散、12月の総会にて新内閣発足が発足し閣僚発表が行われた。ひこうき内閣三百人委員会及び付属特別審議会での議論の後、新団長にはビグが就任、また副団長には鎌田総八・千秋が就任した。度重なる紆余曲折を経て成立した新内閣の下でSOS団の歴史にまた新たな1ページが刻まれる。

内閣(2012/12~)

ビグ内閣の任期満了に伴い12月の総会にて引継ぎが行われ、新内閣が発足した。団長・副団長の三頭体制は継続するも、他の役員の数が変わり、また、女性が複数入閣するなどの新たな動きが見られた。
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