平野とはいえ、やはり夏は暑く蒸した。
氷は届けられ、涼が取れる身分だからまだいいというべきか。

「すごい汗・・・」
姉さんは、もう暑さも寒さも遠い場所にいた。
それが少し、淋しいといっていた。
「・・・滴っちゃうわ。少し拭きなさい」
「うん」

楽譜に汗染みをつける訳にはいかない。
ピアノも少し調整せねばならないだろう。
暑さで音が微妙に狂っているようだった。

「そうね。そこはもう少しやさしく。羽根のように指を這わせて・・・そうよ」
「はい」
「そう・・・上手よ。いいわ」

開け放たれた窓からは、入道雲が遠くに立ち上がり紺碧の空が広がっている。
心地よさ気に音色に身を任せる姉さん。

「やっぱりもう少しね。さぁ、休憩しましょう」
「はい」

世界は、戦時下に入ろうとしていた。国家総動員法が制定され不穏な見えざる雲が
紺碧の空に妖しい影を落とそうとしていた。
最終更新:2011年03月13日 14:10