「うぃ~~っす。ナナシ。あんだ?今迄寝てたんか?」
「あらあら、ナナシさんたら。髪の毛がヒヨコみたいになってますよ」
「酒じゃ、酒じゃ。早く酒を持ってこんかい、この『にいと』めが」
最近、俺の部屋が騒がしい。
実際に音が出ているわけではないが、少なくとも俺にとっては、とても騒がしい。
ほんと、どうしてこうなった。
「ん、なんでい。いつも通りだんまりけい」
「で、出た、ナナシの秘奥技『死禍斗』!!」
「つれないねぇー」
だったら来るな。
俺に、静寂とプライバシーと安寧の日々を返せ。
それが嫌だったら、こいつのように、隅っこで黙って体育座りしてろ。
って、
ん?
なんだこいつ?
始めて見るな。
一人だけ、ポツンと、まるで隔離されているかのような少女がそこに居た。
着ている衣服はボロボロでみすぼらしく、けれども、中身は上品な洋物の人形のよう。
一言で表現すると、儚げ。
そんな少女だった。
「おや、ナナシが部屋の隅を凝視している」
「あらあら?どうしたのかしらナナシさん。何も無い所をじっと見て」
「そんなことより、酒じゃ酒」
……
こいつ等にはこの少女が見えていないのか?
幽霊ですら、見れない幽霊?
じゃあ、所詮ただのニートに過ぎない俺には、どうしてこいつを見ることができる?

まあ、その日は、酒をついだり、寝癖を直したり、その他諸々をしているうちに、何事も無く過ぎていった。

次の日。

「うぇ~い、ナナシ。珍しく早いな」
「あらあら。こんなこともあるのね。お姉さん感動しちゃった」
「そんなことより酒じゃ、はよう酒を持ってこんか」
今日も俺の部屋は騒がしい。
昨日は、例のひとりぼっちの霊のことが気になって仕方がなく、ろくに眠る事が出来なかった。
他の奴らが帰った後も、ずっと部屋の隅っこで体育座りをしていたのだ。
別に、そこに居られること自体は、随分と静かだし、どうでも良かったのだが、コクリと眠った時に、はだけた衣服から○○○○だの○○○だのを覗かせるのはやめてほしい。
さっさと追い出さないと、俺の睡眠時間が無くなる。
性的な意味で。
……我ながら趣味の悪い冗談だ。

どうやらあいつは、現在この部屋には居ないらしい。
飽きて出て行ってくれたのか。
しかし、一体なんだったんだ?
数多の霊が、この部屋を溜まり場にしてきたが、あんなやつは始めて見た。
少し、気にならないでもないが、安寧が手に入るなら、些細な事だ。
多田野名梨は静かに暮らしたい。
その、静かな暮らしを送るために、取り敢えず俺は朝食を摂りに一階へと降りた。

で、いたんだ、そこに。
俺のコーンフレークを旨そうに頬張ってる美少女が。
「俺の朝飯を返せっ!」
俺は、基本的に霊共の相手はしない主義なのだが、これは流石に介入せざるを得ない。
牛乳が波なみとつがれたボウルをひったくった。
盗まれたのは、俺の方だがな。
「あ、え、ちょ、ふえぇ?」
「ふえぇ?じゃねえよ。なんで勝手に人の飯食ってんだ、ってか、なんで霊が飯を食えるんだ……ん?いや、酒を強請る霊もいるんだから、飯ぐらい食う霊がいてもいいか……じゃなくてだな、ええと…」
「あの」
「なんだよ」
「私、見えるの?」
「なんだ、お前目見えないのか?」
「ちがう、そじゃなくて、あなた、私が見えるの?」
「じゃなかったら、これ迄のやり取りは何だったんだよ。
ちゃんと見えるし、聞こえるし、それに…」
「………とう」
「…ぱーどぅん?」
「ありがとう!!」
ぎゅっと抱きつかれた。
あまりに突然の事で、心臓が数秒間止まっていたかもしれない。
「な、なんなんだよ、一体。
って、おい!?」
俺の胸の辺りに、何か暖かな雫がポツリと落ちた。
わけがわからん。
わからんが、やるべき事は辛うじてわかった。
「え~と、ティッシュどこだったかな?」


「だって、誰も気付いてくれなかったから」
「成る程」
霊や人間にいくら話しかけても、一切反応が得られなかったらしい。
誰にも気付いてもらえない状態で、これ迄色々な人の家を転々として、生活してきたとのこと。
まあ、確かに、ある日突然自分が誰にも認識されなくなるというのは、なかなか寂しいものがあるかもしれん。
「落ち着いたか?」
「うるさい」
涙は何時の間にか止まっていたようだ。
今は、何というか、ツン、とした顔をして、なんだかんだ流れで自分の物になってしまったコーンフレークをぽりぽりやっている。
さっき迄の美少女は何処へやら。
ふと、コーンフレークを食すこいつを見て、くだらない事を思いついた。
「なあ」
「なによ」
いちいち突っかかってくるのは、解せないが、今は棚に上げて質問を続ける。
「お前、人間に触ることは出来たのか?」
「出来てたら、気付いてもらえてるわよ」
やっぱりか。
だとすると、なんで俺に抱きつけたのか、は、置いといて、何故こうしてスプーンを持ってコーンフレークを食べる事が出来る?
人間とコーンフレークの違いはなんだ?
「なあ」
「今度はなによ?」
「動物には、触れたのか?」
「ん、そいえば、試してない」
「…ちょっと待ってろ」
抗議の言葉を聞き流し、俺は玄関の扉を開けた。

どんよりと曇った空。
水分を吸って太った風。
これだから、この季節は外に出たくないんだ。
ここ迄あいつにしてやる必要はあるのか?
してやった場合の見返りはなんだ?
…まあ、いいか。
多田野名梨は静かに暮らしたい。
よって、やるべき事はさっさとやるべきだ。

「お~い、みいや~ん」
みいやんというのは、この近所で有名な野良猫の名前だ。
野良猫だが、とても人間慣れしており、こうして呼ぶと、直ぐにそばに寄ってくる。
と、いうのも…
「うにゃっ!?にゃにゃしのこえにゃっ!めずらしいこともあるにょねっ」
みいやんは、猫であって、猫では無いのだ。
本人曰く、キメラ。
簡単に説明すると、猫の中に人間の魂が入った、といった感じだろうか。
「相変わらず、何を言っているのかわかりにくい喋り方だな。ワザとやってんだろ、それ」
「むむ、じだいはねこむすめなのにゃ!もえ~なのにゃ!!『にゃ』をはずすわけにわいかぬゃ」
勿論、普通の人間には、みいやんの人間としての声は聞こえない。
なんで、俺に聞こえるのかは、俺にもわからない。
「無理やり『ゃ』を入れんでいい。なんだよ『ぬゃ』って、発音に無理があり過ぎるだろ。
…って、そうじゃなくてだな」
「にゃにゃ?」
「ちょっと、署まで来てもらおうか」
むんず、とみいやんの腹を掴み、肩の上に担ぎあげる。
「にゃにゃぁ。そこはらめにゃぁぁ!」
声は人間だが、見た目は完全に猫なので、セーフだ。
さて、推測が外れればいいが…。


「遅いっ!!」
「遅くない。10分くらいでゴチャゴチャ言うな」
「うるさい。…いなくなっちゃうかと、思ったじゃない」
「ん?何か言ったか?」
「何でも無い…」
よく分からん奴だ。
「そ、それより、あんたの肩に乗ってるそれ、何よ?」
「それじゃない。みいやんだ」
「…にゃにゃし、さっきからだれとしゃべってるにゃ?」
「え?ね?!猫が喋った!!」
今のみいやんの台詞から、大体結果が分かってしまったが、一応試してみるか。
「おい」
「な、なによ」「にゃんだにゃ?」
再びみいやんを掴んで、少女の前に突き出す。
「触れ」
「へ?……あ、うん」「ど、どうなってるにゃ?だいじょぶにゃか?にゃにゃし?」
そろりそろりと、少女の手が猫を撫でるために伸びる。
少し震えているのを見て、つい、可哀想な事をしてしまったかもしれないと、柄に無い後悔をする。
彼女の手は、猫を突き抜けて、宙を彷徨った。
「…やっぱり、そう、だよね」
「…………」
「どうしちゃったのよ、黙りこくって。あんたらしく無い」「にゃにゃし、なんかくら~いかおしてるにゃ」
「…いや、大丈夫だ、心配するな」
「べ、別に、心配とかじゃ、なく、て」「そうかにゃ?」
俺が落ち込んでどうする。
「もうこれで、充分わかった。帰っていいぞみいやん」
「ぬぬ、いったいなんだったんだにゃ?まあいいにゃ、あとでかならずせつめいするにゃよ?」
「約束する」
とは言ったものの、こんな状況、どうやって説明すればいいのやら。

「さて、今回の実験で、お前は動物にも認識されない事がわかった」
「あれは、動物に入るの?」
「あれじゃない、みいやんだ」
「…ここからは、俺の推測に入るが、お前は、スプーンを持ち、コーンフレークを食べ、地面に立つ事が出来る。
しかし、人間と会話する事も、幽霊に存在を認識される事も、動物に触れる事も出来ない。
この事から、お前は命、だと、霊の場合に困るな、魂、いや、違う、なんというか、…意志?そうだ、意志が有るものから干渉される事が無いと言える」
「いや、言いたいことはわかるけどさ…」
「飽くまで俺の推測だ。続けていいか?」
「…どうぞ」
「だが、その推論で行くと、一つ障害になるものがある。俺だ。
俺は自分の意志を持つ人間でありながら、お前に触れる事ができた」
「あんたの意志が弱過ぎるだけじゃない?」
「…こほん。
まあ、兎に角、このままでは、この推論は成立しない。そこで俺はこう考える。
お前は、俺の妄想の産物だ」
「はぁ!?何それ!じゃあ、あんたは唯の精神異常者で、私はあんたの幻覚だっての!?」
「うるさい、落ち着け、飽くまで俺の推測だ。だが、そう考えるのが合理的なのは否定出来ない。」
「どうしてよ?」
「 幻覚は、視覚的なものだけでは無く、触覚や嗅覚、認識にまで影響を及ぼす場合がある。
先ず、さっき俺が言った、意志ある物に干渉されない話しは、一旦無かったことにしてくれ。
お前は、何処にも存在していないと仮定する。さっき俺がお前に触られた気がしたのは、そう、俺が錯覚したからだ。
コーンフレークを盗られた気がしたのは、そう、俺が誤った認識を持ったからだ。
意志ある物に認識されないのは当然だ。他の者や物にとってはお前は存在していないのだから。
意志の無い物にも、実はお前は認識されていない。ただ、それを表現する手段が無いだけだ。
その逆で、俺がお前を認識出来るのも、当たり前だ。
お前は、俺の妄想なのだから」

「で、でも、それだと色々可笑しいじゃない。どうして、私にはあんたに出会う迄の記憶があるの?あんたは、その頃の私を知らない筈、それから…」
「設定。この一言で全部片付く。
そういうふうに、出来ているんだ、といったように」
いよいよ、反論の余地が無くなってきたのか、顔が俯き始めた。
「妄想……………。
………ふん、私が妄想だからって…なん、なのよ。何が、どうなるの?」
そう、俺はそれを伝えたかった。
「そうだ、妄想だからって、どうだというんだ」
「え?」
「妄想だからってなんだ。お前は俺にとって、確かにここにいる。
例え、他の奴にとっては、ここにいない事になっていても、俺にとっては、確かにここにいる。
だから、これからは、ここに居てくれ」
な、とか、え、とか、あっ、とかいう声があがる度に、つい、俺は顔がにやけそうになる。
「な、ななな、なんなのよ、もうっ!!!」
「いや、お前が可愛かったもんで、つい、虐め過ぎてしまった」
今更、ここに居てくれと言うのは、気恥ずかしかったから、などとは言えない。
可愛かったのは、本当だが。
こんな気持ちになったのは、久しぶりだ。
「…ドS」
なんだか妙な勘違いをされてしまったようだが、まあ、いいか。
「身の回りの事くらいは自分でやれよ、あと、飯くらいは出す。粗末なモンで良ければ。
あと、それから…」
多田野名梨は静かに暮らしたい。
静か過ぎると、またそれも騒々しいので、少し、煩いのを増やしただけだ。
さて、今日は少しいつもより高い酒を備えてやるか。
あと、彼女に服について注意しないと。流石に毎晩眠れなくなるのは辛い。
そういえば、あいつの名前まだ聞いてなかったな。
あと、それから………

多田野名梨は静かに暮らしたい
第一話 完………?
最終更新:2012年07月01日 22:49