その辺の道端にいるような奴ならともかく、
家に出る幽霊っていうのは、
大概は住民が引っ越してくる前からずーっとそこに居るもんだ。
前の住民も追い出すか呪い殺すかして、次の住民も。
みたいなルーチンを、それこそ物によっては百年以上繰り返してるわけで。
それを後からノコノコとやってきた人間が、
俺が金を払ってるだの、契約書があるだの、
そもそも幽霊がこの世にいるんじゃねーよだのと熱弁したところで、
あいつらにとっちゃどこ吹く風だろうし、
多少理不尽な物言いかもしれんと、
あいつらの肩すら持ちたくなるわけよ、俺は。
お前はどう思う、ボーズ?
そうか、俺の考え方は珍しいか。
そうかも知れないな。
まぁ、元からその手のものとは縁があるからな、俺の場合。


そんな俺でもだ、これだけは未だに納得できん。
だってよ、この家は、俺の方が先に住んでたんだぜ?


そうだな、これだけじゃ判断できないな。
順を追って話そう。
そうすりゃ、絶対に俺に同情してくれるはずだ。






大学に進学して早半年、
初めの頃こそ慣れない一人暮らしに四苦八苦していたものの、
最近じゃ一人の生活を随分満喫していると思う。
安くてボロい部屋だがそこはそれ、まごうことなき俺の城には変わりないので、
ピッカピカに掃除をしてれば綺麗に見えるし愛着も沸くってもんだ。
だが、その日は何か違った。
バイト疲れの重い体を引きずって帰還すると、
気のせいか部屋の空気がいつもと違うような気がした。
淀んでいるというわけではないが、
例えるなら生臭いという表現が合うような、そんな空気。
さすがボロアパート、空気が篭りやすいのだろうか。
重たい体を引きずって窓を開けるが、
熱帯夜の空気はそれ以上によどんでいたので辟易としてすぐに窓を閉める。
クーラー買いたいなぁ、などとボンヤリと思いつつも、
疲れきっていた俺はそのまま畳に寝転んで眠りに落ちていった。

――ていけ。
――ていけ。

圧迫感を感じて、俺は目を覚ました。
酷く寝苦しい。寝汗を大量に流している。
水でも飲もうと思い、起き上がろうとした、が――
「動かん」
ぼやきは言葉にならなかった。どうにも体が動かない。
金縛りか。疲れてるのかな。
あぁ、そういえば心配事があると金縛りになりやすいってカーチャンが言ってたな。
カーチャン元気にしてるかなぁ。



――出ていけ。

……はい?

――出ていけ、人間。

……おい、これでも疲れだっていうのか? 
どう考えても声が聞こえるぞ。しかも、強烈な敵意のオマケ付きだ。

――出ていけ。
――出ていけ。
――出ていけ。


結局、それから一睡もすることなく朝日を拝む羽目になった。
学校が終わった後、家賃を払うというのを口実に大家の家に押しかけ、それとなく
聞いてみたのだが、この物件に曰くなんかは無さそうだった。
大学の図書館で新聞の記録を照会しても、真っ白。
何より、俺だったら曰く付きなら一発で気づいていたはずだ。
そもそもそんな部屋はいくら格安だろうと住む気はおきないしな。
厄介ごとは御免だ。

部屋に帰ると、やはり違和感。
どうにも空気がおかしい。
しかし、幽霊の発するそれではない。
一体どうなってるんだ、この家は。
この不穏な空気自体、一昨日までは一切感じる事がなかったのだが。
とりあえず、念仏なんかを唱えてみる。


 ザワ
淀んでいた空気が鋭利になったような感覚。ちょっとヤバイかも。
――出て行け。
部屋の中央から、昨日の声が響いてきた。やはり、いる。
だが、よく分からない。未知の感覚。
触らぬ神になんとやら。
相手の正体が掴めない以上、これ以上は危険かもしれないので、止めておく事にした。
「悪いんだけど、出て行ったらみなしごになっちまうんでな」
――出ていけ。
聞く耳持たないよ、この新種の幽霊さん。
相手をしていても埒が開かないっぽいので、もう無視しておこう。
買ってきた惣菜をテーブルに投げ出して、風呂に入ることにした。
多分、今晩もうなされるんだろうし、
せめて食事くらいはさっぱりした状態で楽しみたい。

どうやら風呂には出ないらしい。
声が一向に聞こえて来ないので上機嫌で風呂に浸かり、
半額になっていた鶏のから揚げを楽しもうと部屋に戻ると、

「「あ」」

背中を丸めて一心不乱に食事をしていた少女と目があった。
「何してるんだ、あんた」
「――出てい」
「何をしていかと聞いているんだが」
コホンと咳払いをすると、女はこちらに向き直った。

銀髪ともとれるようなロングヘアーに白い和服。
大人びて見えるが、見て取れる幼さからして、少女と言った方が適切だろう。
(まぁ、幽霊の年齢なんざ当てにならないが)
「供物を食べるのは妾の勝手であろう」
切れ長の相貌で憮然と睨み返してきたが、
深雪のように白い肌と比べてみると、頬は明らかに紅潮している。
ちょっと可愛いかもしれない。
そう思うと、恐怖感は薄らいでしまった。
「それは俺の飯なんだが。
そもそも、お供えした覚えはないぞ、お前みたいな正体不明な幽霊風情に」
「貴様、無礼なっ! 妾を人間の欠片風情と一緒にするでない」
「何だ、違うのか。じゃあ、動物霊か」
ピキッ
瞬間、目の前の空間が爆ぜた。
圧倒的な圧力にふっとばされ、強かに全身を壁に打ち付けられ、意識が遠のく。
いかん、俺、死んだかも。






「やっと目が覚めたか。人間というのはこれだから」
「お前が無茶苦茶なんだよ。何だありゃ。
 ポルターガイストなんて比じゃなかったぞ、殺す気か」
「ポルター……? き、貴様が妾を獣などと言うからだ、この無礼者が」
「……だって、お前、耳」
大慌てで頭を抱えたかと思うと、おそるおそる撫で始めた。が、そこに耳などない。
「貴様……謀りおったな……」
顔を真っ赤にして言われても怖くないが、
さすがにさっきの二の舞はごめんなので弁明をしておく。
「いや、今は出てないけどさ。さっき飯がっついてた時に出たたぞ。ふさふさの尻尾も。
お前、キツネか?」
「確かに、狐ではあるが……」
「やっぱ動物霊じゃん」
座布団が飛んできた。顔面で受け止めると結構な衝撃だが、
さっきみたいに吹っ飛ばされるよりはマシだ。放り投げてくる仕草が可愛かったしな。
「いいか、二度は言わぬからよく聞け。動物霊は死ぬ前は普通の動物だったものだ。
妾は生まれたときからこの存在なのだ」
「よく分からん」
ふふん、と得意げに語っている彼女には悪いと思ったが、
分からんものは分からんので素直に伝えておく。
「だから……妾は、神だと言っておるのだ」
「……は?」
「何を呆けておる」
「あんた、神様なの?」
「いかにも」
「それが、何で俺の部屋で惣菜食ってるのさ」
「こ、ここはお主の部屋ではない。妾の社じゃ」
頭痛くなってきたぞ。どうなってんだ、この神様。
「それで、ここはお前の社だから、俺に出て行けと言ってたのか?」

「そうじゃ、ここは神の住まわう社なのだから、
 貴様のような俗な人間がいていいわけがなかろう」
「何、このアパート、神社を取り壊して建てられたりしてるの?」
大家のババアめ。隠してやがったか。
「いや、違うぞ。妾の神社は水無瀬山の麓だ」
「じゃあ、何でうちに居るんだよっ!」
「ここが、気に入ったからな。住み心地がいいのだ。
 良き気が満ちているし、いい匂いもするでな」
「……いつからここに居る」
「昨日じゃ。散歩をしていたら見つけたのでな」
じゃあ、何か、お前は昨日たまたま見つけたこの部屋が気に入ったからって、
俺を脅して出てかせようとしたっていうのか。
「何て身勝手な奴……」
「黙れ不敬な。妾は神ぞ」
「不敬も何もねぇっ! 気に入った部屋なんかに居ついてないで
 さっさと自分の神社に帰りやがれこの不良稲荷がっ!」
「……断る」

少女の顔がかげる。逸らした眼差しには憂いが見て取れた。
「何でだよ」
「妾の神社は、もうないのじゃ」
それから彼女は自分が祭られていた神社の話をした。
昔はお供え物や参拝客が絶える事がなく。
境内では子供達が夕方まで遊び回り。
夏になるとお祭りで賑わいっていたそうだ。
飢饉の時も、日照りの時も、彼女は人々を見守り、手を差し伸べ続けてきたらしい。
初めて見せる、優しい顔は、やがて無表情な面へと吸い込まれていった。
「ずっと一緒に過ごしてきたのだ。なのに、人間というやつは……」
いつしか人々の信仰は薄れ、神社を守る神主もいなくなり、
境内は荒れ果て、人はよりつかなくり、
そして……ついに取り壊されて宅地になってしまったらしい。
そう語る彼女は、怒りよりも、むしろ寂しそうに見えた。
だからかもしれない、
『呪いでも何でもかけて工事を止めればよかったのに』
その言葉は結局発する事はできなかった。
「勿論、それも考えたが」
心まで読めるのか。さすがというか、やりずれぇな。
「やらなかったというより、できなかったのだろう。神という存在は観念的じゃ、
信仰心がなくてはその力は弱まってしまう。
……堕ちてしまえば怨みを力にする事もできようが、
妾は神である事を誇りに思っておる」

「それで、俺の家になぁ」
「哀れなものだ。ここを社にと思っても、
人間一人を追い出す事も出来なかった。
挙句、幽霊なぞと間違われ……これでは堕ちたのとそう変わらんな」
「百歩譲ってだ、ここに住むのを認めたとしても、
何で俺が出て行かなきゃならん。
神社だって人がいないとお前の力にならんのだろう?」
「神社の境内の中で生活する人間を見たことがあるか?」
なるほど……それはいないな。
せいぜいホームレスが住み着くくらいだが、
それにしたって神様なんてもういないんじゃねーかって感じのボロばっかだもんな。
「あー、つまりだ。お前はこの家に住みたいわけだな」
「そうだ。だから貴様は出て行け」
「却下だ。しょうがねーから住まわせてやるってんだから俺に感謝しやがれ」
「……礼は言わんぞ。ここは妾の家だ。そして、貴様は出て行け」
「お前、実は凄い喜んでるだろ、しっぽ出てるぞ?」
ボフッ
また座布団が飛んできた。
まぁ、相変わらず投げる仕草は可愛いが。
「可愛いなどと気安く言うでない」
「言ってねーけどな」
「そもそも、好きで投げているのではない。
 神ともあろうものが手ずから物を放るなどと……」

「何だ、ポルターガイストくらい幽霊もできるぞ。
大体、さっきは物凄い事して俺を気絶させてたじゃないか」
「ポルター……? む、先刻のはカッとなってしまって、な。
あれで力を使い果たしてしまったのじゃ。
大体、貴様が供物ではないなどと断言するから……」
「何だ、お供え物がないと力も出せないのか。不便だな、神様ってのも」
「仕方なかろう。……もう10年以上供物は食していないのだ」
それはちょっと可愛そうかもしれん。
「ちょっと待ってろ」
冷蔵庫に不二家のショートケーキがあったな。洋菓子でも大丈夫だろうか。
「ケーキなんだけど、食うか?」
「……ケーキ?」
「まぁ、いい。ほら、俺からのお供えもんだ。受け取れ」
「む……」
おそるおそる口に運ぶ。箸でケーキを食う姿はギャグでしかないが。
「あ、甘い……、おいしい……」
驚いた。ケーキに喜ぶその顔は、年相応の少女そのものだったからだ。
「これ、もうないのか?」
「あぁ、すまんな。気に入ったならまた買ってきてやるよ」
「そ、そうか」
「だが、いいのか。妾に力が戻ったら、貴様をここから消し去るぞ」
「ん、それは困ったな。まぁ、神様にはお供え物をしないとな」
返事はなかった。黙々とケーキを食べている。
喜んでもらえて何よりだ。
「うし、俺は今日はもう寝るぞ。さっきのでまだ体痛ぇ」
「勝手にしろ」


その晩は、特にうなされる事なく寝れた。
一瞬、気配を近くに感じたが、何か暖かい感覚が俺を包んだだけで
特に金縛りに会う事もなかった。やっぱ、根はいい奴なのかもしれない。

「おい、朝飯にするぞ、出て来い」
「なぜ貴様の朝餉に妾が付き合わねばならん」
「いいんだよ、今日からは朝晩は一緒に飯食うからな。お供えもんだと思え」
「そうか」
「なぁ」
「なんだ」
「昨日の夜、寝てる俺に何かしたか?」
「知らん」
「そうか。あー、昨日あれだけ酷い目にあったのに、今日はどこも痛くないや。
むしろ体調ばっちり? 不思議だなー。ねー?」
「飯くらい黙って食ったらどうだ」
「ところでさ、神棚買おうかと思うんだが」
「いらん。そんな場所に住まう気はない。妾はこの部屋に住むのだ」
「それだと俺と一緒じゃないか」
「だから、力が戻ったら追い出すと言っておる」
「また無駄遣いしたくせに」
「味噌汁の味が濃いぞ」
「へぇへぇ、次からはお前好みにお供えしますよ」
「峯念」
「ん?」
「お前ではない、峯念だ」
「分かったよ、峯念」
「不敬な」
おい、耳、耳出てるぞ




と、まぁこんな感じだ。酷い話だろう。本当理不尽だよな。
まぁ、何とか部屋は追い出されなくて済んだんだけどさ。
代わりに人生狂わせられちまったさ。
あの頃は教師になるって夢があったんだけどなぁ。
何の因果か今じゃ毎日袴を穿いて境内のお掃除さ。
まぁ、うちの神社は賑わってるし、やりがいもあるさ。正直この仕事も好きだ。
でもなー、肝心の神様が、
境内じゃなくて裏のボロアパートに住んでるってのが玉に瑕だな、うちの神社は。
あそこは神様じゃなくて、神主の家なんだけどな。
今頃お供え物を二人分作りすぎてる頃だろう。腹減ったし、俺帰るわ。
じゃあ、ボーズも気が強い女に捕まらないように気をつけてな。
最終更新:2011年03月03日 11:39