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20110121(金) 13:20:30 - (2023/04/30 (日) 11:19:45) のソース

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 北の果て、そこは全てが凍りつくような白い大地である。まだ幼かったロザイナは単身、雪原を進んでいた。幼い娘がたったひとりでこの雪原を抜けるのは不可能だろう。ついには力尽き、涙は枯れ、最後にひねり出すように言葉を紡ぐ。
「もう歩けないよ…。神さま……」
彼女は信心深い両親に育てられた。このとき、なぜ幼い彼女がたったひとりで雪原を歩いていたのはかは想像に難くない。
かねてから、彼女は人の前では笑い、神の前で泣くようにと教えられてきた。だが、この状況で神を仰ぎ見ることは死を覚悟するのと同じではなかろうか? 実際、彼女は神の名を呼びはしたものの既に絶望しようとしていた。
 そこに、一陣の風が吹き渡った。風は暖かく、吹雪と雪雲を晴らし、天への道を作る。久方ぶりに見る太陽は神々しく、彼女を優しく照らす。ロザイナは天を仰ぐ。そこに天使がいた。天使は軽やかに空を舞い、彼女にほほえんだ。
からだに力が湧いてくる。ロザイナは再び歩きはじめた。
 あの日見た天使のようになりたい。その一念から彼女は空を求めた。独学で飛行魔法を学び、各地を遍歴しながら戦災にあえぐ人々を救って廻る。海には医療施設が不足していると聞き、ローイス海を目指す。ローイスの島から島へと船も
なしに空を飛んで廻り、多くの人がロザイナに救われた。その途中でナース水軍の残党に彼女は襲われた。人を傷つけることはできない、空を飛んで逃げる。その後の成り行きでレオーム軍へ参加することとなる。しばらくは神官として将兵や領民たちの助けとなって過ごした。
 そして、王都攻略戦。彼女に大きな転機が訪れる。王都から溢れ出た死霊の群れによって軍は壊滅。彼女の部隊も彼女を除いて全員が死亡した。
兵や聖職者は死ぬのを覚悟している。だが、死霊たちはルートガルトの無辜の民をも無差別に虐殺しはじめた。
ロザイナは恐怖した。それは海賊たちに襲われたときのものとはまるで違う。幼い頃にみた天使はこの世に射す光であったが、その時彼女はこの世を飲み込む闇を目の当たりにしたのだ。気がつけば彼女は王都から脱出した他のレオーム軍残党に保護されていた。恐らく、死霊の群れをどうにかして抜け、海を越えたのだろう。ひとり、戦友と民を見捨てて。
フェリル国に身を寄せた彼女であったが、自分がなにをすべきなのか、見失いつつあった。彼女の力を求める声に応じはしたが、かつての彼女の慈愛に満ちた表情はない。空を力なく漂う姿は煌びやかさや神々しさとは無縁であり、風が吹けばいずこへ消えてしまうのではないかとさえ思えた。
「私は……天使になれない……」
フェリル国は急速に勢力を増すゴブリンたちに押されていった。軍を支える神官である自分がしっかりしないからと、彼女は責任を一人で背負い込み、さらに追い詰められていく。
 フェリル国がホアタ平原での会戦で負け続け、ついにはホアタの町をゴブリンたちに奪われる。ロザイナは撤退していく味方をよそに、ひとり町に残った。最後まで救助を続けるという名目であったが、本当はここで死ぬつもりだった。それまで自分たちを慕い、支えてくれていたホアタの民が殺されていく。町が燃え、悲鳴がこだます。あの時と同じ。自分はこんなにも無力だ。
ロザイナは街中に立ち尽くし、空を仰ぎ見る。炎と煙に覆われたその空は重くのしかかるようであった。
「おい、あの白いニンゲン、チルクが殺すように言ってた奴だ」
「ひとりだ、今なら殺れる」「ヒャッハー!」
血に飢えた群狼がロザイナを見つけ、襲い掛かる。ロザイナは目を閉じた。これで、終わる……。
 ――。ピシャッ……。顔に生温かいものを感じた。目を開けると視界が赤い。名もなき兵がロザイナの盾となったのだ。ロザイナは今際の際に何一つ言い残せず、名も知られずに死んだその兵を抱き起こす。よくよく顔を見れば、その兵はつい今朝方、彼女が治療した兵であった。彼はルートガルトに母親を残してきており、自分よりも母親の心配をしていた。
傷を看てくれるロザイナを見て「母さんを思い出す」などと彼は言い、ロザイナの部下がそれに抗議したりしていた。ロザイナ本人は無心に治療を続けていたのだが……。
「あ……」
透明なものが視界を濡らす。彼女は既に息絶えたその兵士を残し、空へと飛び立った。

 それからしばらくして、フェリル国は体勢を立て直し、三国同盟の実現のために動き出した。歴史の中心人物ではないものの、その動きの中で天を舞う神官・ロザイナは確かに存在したのである。そして、彼女は目撃する。フェリル連合の成立を。
人々は手を取り合い、巨大な敵に立ち向かう決意を新たにした。ロザイナもその中で再び空を目指す。今度こそ、天使になろう。そう誓って……。 

西の海を見つめる彼女の顔を小柄な少女が覗き込んでくる、潮風になびくしっとりとした青髪を軽く押さえ、少しだけ人を食ったような態度をした娘であった。ニーナナス。ローイス水軍の首領である。
「あなた、遍歴の僧なんでしょ。俗世の争いに死ぬまで付き合う必要ってあるのかしら」
今やロザイナ以外に戦場に立てる僧はいなくなっていた。次に戦えばロザイナも生きて帰れる保証はない。死ぬまで、という言葉は冗談ではなくなっていた。
「私の無力さゆえ、これまでたくさんの人々が亡くなりました。私のような者が人を救おうなどというのがそもそもおこがましいのかもしれません。ですが、私たちの後ろにあるシャンタル島にはルートガルト、ホアタ、ローイスの島々から集まった人々が闇に怯え、光を求めています。もしかしたら、私が光となれるかもしれない。そのためになら、この命、惜しくはありません」
「かなり重症ね。天使になるだとか公言してはばからないって噂は本当だったの。ま、いいわ。あなたが死ぬのは構わないけど、その考えを布教して廻るのはやめなさいよ」
棘のある言葉を残し、ニーナナスは去った。
 それから程なくして、大フェリルの襲撃があった。ゴブリンたちは人間から奪った船だけでなく、即席で筏(いかだ)や小船、果てはただの丸太や泳ぎでもって海路を埋め尽そうとする。先駆けて襲い掛かるのは水の召喚獣たちであった。
海竜・リヴァイアサンたちが水のブレスを吐き、巨体をぶつけて、フェリル連合の艦船を攻撃する。海にまではゴブリンは追って来れない、そう思っていた部分もあったのか、連合の将兵は油断していた。
慌てふためき、統制を欠いた艦隊は矢と魔法を乱射して応戦しようとするも、魔法はウンディーネの作った泡で完封され、弱弱しい矢はリヴァイアサンの群れには意味がない。見る見るうちに、状況は悪くなる。
「ルーネン、右!」
「はい、お姉さま!」
連合側の海竜が引く小型艇に乗り、ニーナナスは別働隊を率いていた。
正面の空の敵を正確な射撃で撃ち落し、群がるものは斬り捨てる。ルーネンもまた、ウンディーネたちを指揮して小型艇が一度に捌く敵と魔法の数を減らす。海竜を御し、船を動かしているのもルーネンである。一方、連合本陣の敷かれた旗艦では二刀の剣士、イーサリーが孤軍奮闘。既に本陣にすらゴブリンたちが溢れており、乱戦になっている。ホーニングをはじめとする騎士たちも槍を振るって戦う。騎馬はもちろんのこと、陸の戦士たちは船上では力を発揮できない。それはゴブリンたちも同じであろうが、海賊たちが戦闘前に言っていた「海の上でなら負けない」という持論はすでに崩壊していた。総司令、マクセンのもとにも無数の敵が集まってきている。引っ切り無しに矢を放ち続けたせいで、マクセンの弓の弦が切れた。
「もう弦が切れたか。後退する」
船上で乱戦になっているとはいえ、まだ安全なエリアはわずかにある。マクセンは一度後退しようとした。だが、そこにピンポイントで煙玉が投げ込まれる。視界が奪われ、マクセンは方向感覚を失う。その隙に容赦なくゴブリンたちが襲い掛った。
「総司令が危ない」「誰か、手の空いている者は」「こっちも手一杯だ!」「マクセン殿!」

              
                ――その時、天から一筋の光が射した。


ゴブリンたちが弾き飛ばされる。霞がかった空からゆっくりとそれは降りてきた。剣戟の音や怒号は止み、一瞬の静寂が訪れる。
ロザイナだ。ロザイナが来たのだ。煙によって傷めたマクセンの目にロザイナはそのたおやかな手をかざす。マクセンの視界が次第に回復していく。
「上空からホーリーレイか。助かった……んだが、船に穴が開いたぞ」
「すいません、他に手が思いつかなくて…」
「まぁいいさ。煙で目をやられたのか、あんたがマジで天使に見えたぜ」
「マクセン殿はいつも冗談ばっかり。天使にはなれませんが、せめて天使のように……」
と言い、スカートの端をつまみ、恭しく頭を下げると、ロザイナは再び空へと飛び立っていく。ゴブリンも人間も思わずその姿に見とれていた。 

いや、見とれていたわけではない。ゴブリンたちは空にあるあの余りにも目立つ目標を第一のターゲットに定め、人間たちは第一の重要な支柱だと再確認した。両軍の動きが変わる。大フェリル側は、連合旗艦への波状攻撃の準備をしていた後続の部隊を、すぐさま対空射撃主体の編成に変更した。狙いは勿論ロザイナ。連合側は、矢文を船から船へと渡し、急いでニーナナスら別働隊に伝達。ロザイナを援護するように伝える。この動きを空から俯瞰したロザイナはあえて囮を買って出る。空に浮かぶたった一つの的に向かって何百、何千という投石と魔法が放たれる。ロザイナは風の召喚獣らよりも高く、もっと高く舞い上がる。飛行魔法は悪魔や竜のように速い動きや急な軌道変更はできない。上空まで届いた何発かの投石は体をよじるようにしてなんとか回避し、弾速の速い魔法はシャイニングで相殺する。
ロザイナの陽動が功を奏して、連合の他の部隊は体勢を立て直していった。目を上空に向けたせいで、ゴブリンたちの後方の注意がおろそかになる。裏へ回りこんだナオーンの部隊が奇襲をかける。しばしの混乱の後、ナオーン隊に対応しようとゴブリンたちがそちらに兵を割こうとした頃、息を吹き返した連合本隊が船を突き合わせ、矢の雨を浴びせる。矢と共に騎士たちが飛んできた。「飛んできた」としか言いようがないほどの速さだった。ゴブリンたちの陣は一瞬にして突き破られ、分断され、各個撃破される。久方ぶりの勝利の兆し。連合の将兵の気勢が上がる。彼らは夥しい数のゴブリンを屠り、海へ突き落とした。しばしの戦闘の後、見止められるエリアからゴブリンたちの姿は消えていた。連合の将兵は勝鬨を上げ、勝利を叫んだ。
ロザイナもまた、手近な船に降り立ち、荒い息をはく。彼女の表情が本来の柔和なものへと変わっていった。

 見張り台の兵が上ずった声をあげる。西の方よりさらなる敵影。その数は先ほどのゴブリンたちの数倍。そう言えば、先ほどのゴブリンたちの中に名のある個体は見当たらなかった。これまではほんの小手調べだったのだ。人間たちは途方にくれる。
「また、負けか」
「その台詞も聞き飽きましたよ。で、また私が殿軍ですか?」
マクセンとイーサリーがいつものやりとりをしている。さすがのイーサリーもこの状況で殿軍をやれば生きては帰れない。
ナシュカの進言もあり、殿軍はニーナナス隊とロザイナが務めることとなる。
この命令を聞いたニーナナスは仕方がない、と肩を落とし、ロザイナは意を決した。

 もう何体の敵を撃退しただろうか。刀折れ、矢尽きるというほかない状況であった。いくら技や魔力に優れるとはいえ、少女たちの体は脆い。先に限界が来たのはロザイナであった。それもその筈。彼女は飛行魔法と光魔法を同時に行使し続けているのだ。途中で船に戻って、小休止してはまた飛び立って、といった具合に無理に無理を重ねてきた。今日、何十発目かのシャイニングを放とうとした時、光球は形を成す前に掻き消え、自分の意識と高度が落ちていくのを感じた。そして激痛。
体勢を崩したロザイナに熟練兵のエアカッターが直撃したのだ。
「天使…の翼が……折れました……」
ロザイナの姿はひらひらと一枚の羽毛が舞い落ちるようであった。しばらくした後、容赦ない「落下」の軌道へと吸い込まれる。
その下に待ち受けるのは血を欲したゴブリンの群れ。このまま落ちればロザイナは――。
「ルーネン、バブルを。あれをやるわよ!」
「ええっ!? あれやるんですか?」
「決まってるでしょ!」
ルーネンは生き残ったウンディーネたちと共に残る魔力を振り絞って大量の魔法の泡を形成する。泡の集まりは不安定ではあったが天への階段を作り上げる。その泡の階段をニーナナスが駆け上がる。蒼い風となったニーナナスは天から降ってきたロザイナを空中で抱きとめる。
傷付き疲れ果てた天使を抱えたまま、泡でできた舞台に上がった舞い手はゆっくりと泡とともに水面に下りてきた。周囲の観客たちにいたずらっぽく微笑みかけると、水の舞姫・ニーナナスは大きく飛び上がる。瞬間、ルーネンがバッと手を水平に薙ぐと泡の舞台が一斉に破裂する。水飛沫は弾丸となり、ゴブリンたちは悉く吹き飛ばされた。

 ロザイナ、ニーナナス、ルーネンらは生還を果たした。だが、次にロザイナが目覚めるときにフェリル連合という勢力はこの世にはなかった。人間はゴブリンに負けたのである。だが、地上に人の命がある限り、光を求める声がある限り、天使が再び空を舞う日も訪れよう。
どうか神よ、今はただ、彼女たちにしばしの休息を与えたまえ。 


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- 力作だなあ &br()ロザイナ可愛いよロザイナ  -- 名無しさん  (2012-09-17 00:03:45)
- ううむ、素晴らしい出来 &br()最近いい流れが続くね  -- 名無しさん  (2012-09-17 01:37:38)
- かっこいいエンドだ  -- 名無しさん  (2023-04-30 11:19:45)
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