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20110202(水) 17:56:03 - (2020/08/19 (水) 23:25:46) のソース

**&color(blue){悲壮なる進軍}

旧支配者によってリッチーと化したムクガイヤは、山河を飲み込むほどの死霊の大軍を引き連れて、ルートガルト一帯に遍く死をもたらした。
ただ純粋に破壊と殺戮を行なう死霊の群れは、この一帯に住まう人々に恐怖を与えた。
ルートガルト国の崩壊後、ムクガイヤ直属の正規軍はサーザイトを護国卿に推しイオナで暫定政府を樹立させていたが、それも死霊の大軍を前に塵と化す。
ロイタスではヒューマックを首領としたロイタス・ブリガードが自治を唱えるも、これもまた朝露の如く消え去った。
東の果てに続くニーアの大湿地、南に広がるローイスの大海原、北に連なるリステムの大山脈。
人々は退路を失っていた。僅かばかりの心の拠り所であったイオナは落ち、ロイタスも滅んだ。
北イオナ平原を抜けた先にあるは魔界の王が率いる異形達。
そして背後から迫るは死霊の大軍。
誰もが死を覚悟した。
――聖騎士に率いられた軍勢が眼前に現れるその時までは。
オステア国軍がルートガルト二区に居座る魔王軍を辛勝ながらも退け、人々に血路を開いたのであった。
列を成し、人々が難民となってオステア方面へと流れ往く。
しかし、死霊の大軍はすぐそこにまで迫りつつあった。


 オステア港を拠点として組織されたオステア自衛軍は、ルートガルト国の崩壊を機に独立運動を経て、新たにオステア国軍となっていた。
戦乱で荒廃したオステアの街並みを外の脅威から護る為、自衛軍の将兵が声高に独立を叫んだ結果である。
それまで自衛軍の実質的な指導者であった魔術師ピコックは、オステア国建国に伴い、ラザムの元武僧ラファエルを第一執政に、弟子アルジュナを第二執政に据え、自身は第三執政の立場に納まった。
元帥には独立に呼応し挙兵したノーアを迎え、都督ウェントル、将軍キュラサイトの両名がそれをよく支えていた。
 オステア国が纏りを見せ始めていた頃、ルートガルト一帯では突如として現れた死霊の大軍により、多くの街が壊滅の憂き目にあっていた。
凶報がイオナから発せられた早馬によってオステア国に届けられると、国軍を率いる三執政は、オステア国軍の主たる将を集め早急に対策を講じた。
――このままではルートガルト周辺に住まう民の命が危い。何れはこのオステアの地にも。
 新たなる動乱の幕開けとなった異形による危機に、集まった皆が浮き足立つ。
 長い協議の末、ルートガルト二区を解放し、逃げ場のない人々の退路を確保すると伴に、新たな脅威と相対する。との結論に至る。
当時、ルートガルト二区を占領していた魔王軍は重鎮パルスザンを筆頭に、無双の怪力を誇ったゼオン、堕天の悪魔リリックといった将兵を配してあらゆる万事に備えていた。
この地の解放はオステア国軍にとってまさに至難であり、元帥ノーアや多くの優秀な兵士を失う事になる戦いとなったが、辛くも魔王軍を退ける事には成功する。
 二区解放の噂は忽ちルートガルト周辺に伝播し、死霊に襲われた街から運良く生き残った人々が、我先にと二区の街中に入るための門前へと集まってくる。
 街道を埋める人々が造る長蛇の列は、どこまでも続いているようであった。 

 街中を東西に走る大通り。その中央に造られた噴水のある広場で、難民達へ向けたオステア軍による炊き出しが行なわれていた。
難民救済を第一とした軍部の判断であり、暖かい料理が人々に振舞われ、衣服や毛布といった生活用品も少なからず配られている。
広場の一角には処狭しと天幕が設置され、医療品を手にした医師と看護士、神官や僧侶といった者や兵士達までが、怪我を負った人々を診るために天幕の間を駆けずり回っている。
ただ、医療品の不足は深刻であった。なぜなら、二区解放の戦いで負傷したオステア国軍の兵士も相当な数に上っており、そちらに医療品等の物資を割かねばならなかったからである。
若い兵士が難民の列を駆けながら、医療の心得のある人はいないか、医療品を持っている人はいないかと、声高に訊いて集めている。
 士官用に張られた天幕から、椅子に腰掛けその光景に目をやった一人の少女は、自身の腕に視線を移した。血も止まり傷口は塞がってはきているが、未だに肉を深く抉られた切創の後が、見る者に痛々しい感覚を与える。
「ありがと。もう大丈夫だからさ」
 腕を大げさに上下に動かし、治療を施してくれた同僚であり友人に治療の成果を訴えるが、その腕には未だ鈍い痛みが走る。
痛みによって上げた腕を途中で止め、顔をしかめた。
 しかめ面の少女の額を顕にした髪型は、見た目には幼さを感じさせる。それでも、尖った顎の線、整った細い眉、凛とした目元、小さく切結んだ口など、少女の顔立ちが幼さを払拭し、勝気な娘という印象に変えていた。
その証拠に、背には弓と矢筒が背負われ、女性らしい細い腰には、それに不釣合いな二振りの短剣が差されていた。
「じっとしていなさいウェントル」
「もお、わかったよ」
 念を押され、ウェントルは観念して腕を差し出す。友人は腕の傷口に両手をかざすと精神を集中し、徐に光魔法の治療を試み始めた。
切創を負った傷口の周囲が熱を持つ。しかし、決して熱いという訳ではなく、むしろ心地よい温かさだ。その感覚に浸りながら、ウェントルは治療に専念する友人の顔を覗き込んだ。
 陽に焼けた肌に黄金色の長髪がよく映え、その双眸には、見る者に息を呑ませる程の輝きを放つ赤い瞳が揺れている。ウェントルと違い、彼女は全身に大人びた雰囲気を纏っている。
普段は物静かだか、その物腰からは想像もつかない程、剣術と魔法の両面に秀でた稀有な軍人だった。こうして傷の手当てを魔法で行なえるのもそれ故である。
 じいっと腕を眺めていたウェントルであったが、受けた傷口から先の辛い戦いの事を思い出し、視線を足元へと落とす。
敵将ゼオンと対峙した際、弓の弦が切れた拍子に一撃を腕にもらった。痛みに耐えながら弓を投げ捨て、腰に差した短剣を引き抜こうとした処へ、横からノーアが割って入ってきた。
ノーアに促がされるままに、ウェントルは傷の手当ての為後方へと退いたが、それが彼との最期の会話となった。
 その時の光景が、閉じたまぶたの裏に鮮明に甦る。
「何時まで悔んでいるの」
 ウェントルの沈んだ様子を見兼ねた友人が、治療の手を止めて声をかけた。
 心ここに在らずといったウェントルが沈黙していると、友人は少し怒った風に声を荒げた。
「貴方がそれでは兵士達が可哀そうね」
「えっ」
 思いもしなかった小言を投げかけられ、垂れていた頭をあげて友人の顔をみつめる。
「元帥を失った今、兵士達が頼るのは貴方。
その貴方が何時までも落ち込んでいたら、兵士達に余計な気を遣わせるわ」
 友人は視線を逸らさずに言い放った。
 冷静で物怖じせず、理路整然と物事を言ってのける友人の顔をウェントルはまじまじと見返した。見返しながらも、それが軍人として執るべき正しい姿勢なのだと理解している。
頭では理解しているが、なかなか心の整理がつかない。心情を見透かされているようで腹が立った。
「別にうちなんか……キュラサイトがいるじゃん」
 ぼそっと口から本音が洩れる。

 表情を変えることはなかったが、治療を終え今では傷痕が残るだけとなったウェントルの腕を、キュラサイトは手のひらで強く叩いた。
「痛っ、なにすんのよ」
「はいお終い」
 そう言いながら目だけを動かして天幕の入り口の方を指す。ウェントルが顔を向けると、そこには一人の兵士が申し訳なさそうにこちらを見ながら立ち竦んでいた。
部隊を区分する際に、判りやすいようにそれぞれの隊は独自の腕章を設けている。この兵士の腕章はノーア直属の部隊を示しており、階級は兵長であった。
恐らく、指揮官を失ったことで新たに部隊を編成しなおす必要があり、それで二人の下へと訪れたのだろうが、先程のやり取りをみて話しかける機を逸していたに違いなかった。
 ウェントルは落ち込む気持ちを奮い立たせると、頃合を見計らって兵士を天幕の中へと招き入れた。兵士は二人の様子を伺うようにして歩み寄ってくる。
「ええっと、部隊編成の件か」
「はっ」
 兵士は踵を鳴らすと、その場で直立不動の姿勢をとった。よく見れば、身に纏っている装備類にはしっかりと手入れが行き届いている。
常日頃から気を遣っているのだろう。靴は磨き上げられており、剣や鎧といった命を預ける物にも、妥協は一切見受けられない。
 ――さすが、よく訓練されている。
 決断は早かった。
「そうね、弓を扱える者はうちの部隊に。後は、元帥の旗下なら剣に長けてるわね。
残りは、キュラサイトの処で任せていい?」
「私は構わないけど」
 ウェントルの目配せに頷きながら応じる。
 物事を決める時の思い切りの良さが、ウェントルの長所である。
「じゃ、そういうことで。わかった?」
「了解しました!」
 二人に対して踵を鳴らしながら敬礼をすると、兵士は急ぎ足で天幕から出て行く。
去っていく兵士の後姿は、先程までとは打って変わってどこか安心したような、威風をもった歩き方に変わっていた。
目で後を追うウェントルはその違いに気付くと、天幕の上を見上げて大きく一呼吸してから徐に立ち上がり
「ノーアの分まで頑張らないとね」
 と、静かに、それでいて強い意志を感じさせる口調でキュラサイトに告げた。
 キュラサイトは無言で頷くと、傍らに立掛けてあった剣を手にとり、天幕の入り口へと歩を進める。ウェントルはその横へと並び、揃って外を眺めた。
 天幕から覗く景色は、どこに目をやっても戦争の爪痕を色濃く残し、さらには新たな脅威の存在をひしひしと伝えてくる。
元々は色とりどりに飾り立てられていたであろう建物は、無残にも崩れ、焼け落ち、大半が瓦礫と化していた。
王都に隣接する周辺都市として、その栄華を極めたと思しき街並みも、今では見る影もない。
通りに列を造る人々の表情は皆虚ろで、中には、恐怖に怯える者、叫び声を上げて錯乱する者、泣き崩れる者、ただ呆然と佇む者、と、その様相はまるで生き地獄のようでもある。
目に映る全てが悲惨であった。いや、悲惨という言葉だけでは語りつくせないかもしれない。
 ウェントルはその光景を目にし、自身の背にある重荷を改めて感じると同時に、自身のやるべき事を強く認識した。 

 オステア国の三執政は、二区の街中にある小高い丘の上に建てられたラザム教の寺院に集まっていた。
鐘楼を戴く荘厳な造りで、外壁には様々な彫刻が施されている古い寺院である。
ここからは東西に延びる大通りが一望でき、さらには街の広範囲を見渡す事も出来た。
 寺院の一室で、木造の丸い机に向かい合うように座り、今後について検討する三執政の表情は、先の見通しがつかないのか、何れもが顔に暗い影を落としていた。
魔王軍との戦いで予想以上の被害を被った事と、難民の数が彼らの想像を遥かに超えた数だった事が原因である。
ただ、後者は生存者の数でもあり喜ばしい事ではあったのだが、しかし、それだけ多くの難民を抱えなければならないという現実もまた、非常に難しい状況である事を同時に告げていた。
 三執政は様々な策を検討してみたが、どれも今のような状況では、到底不可能な事ばかりであった。
 蒼いローブを纏った小柄な少女は、机を囲む他の二人を交互に見やり、自身が先程から考えていた事を言うべきか迷っていた。
「神官達や僧侶達は皆、炊き出しや救護に追われておる。
それだけでは足らず、兵士の一部もこれに加わっておるのだ」
 唐突に、背の高い帽子を被った初老の男が苦虫を噛み潰した様な表情で、腹の底から唸るように言葉を吐いた。
 男の言葉を受けてすぐに、少女が遠慮がちに返答する。
「ピコック先生、これでは戦線を維持するのは到底無理なのでは……」
 第三執政ピコックは少女の方を向くと、その額に刻まれた皺の数をますます増やした。
「無理でもやらねばなるまい。以前にそう申したであろうアルジュナ」
「はい、先生」
 アルジュナは、師の強い口調に返事を言わざるを得なかった。
 ――難民救済は第一である。
 この決意は未だに揺らいではいない。だが、その決意を打ち崩すかの如く、現実は厳しいものであった。
死霊の軍勢はまったくの未知の相手。その正確な数も個々の能力も、殆どが不明の存在。
唯一、イオナ国からの報せで判っていた事は、今までの敵とは何もかも違うという事だけである。
戦時において、物事は常に最悪の事態を想定せよ、との言葉があるが、疲弊著しいまま独立を果たしたオステア国には、まったくといってよい程に余裕がなかった。
現に、今もオステアに残る守備兵の数を無理に割いてまで、二区へと進軍してきたのである。背後のアルナスに不穏な動きがありと噂されていたが、それも承知の上であった。
無理を押してまで現れた彼らは、死霊の大軍に襲われ逃げ場を失った人々にとって、まさに光と呼べる存在になった。しかし、その光はあまりにも心細い輝きを放ち、吹けば今にも消えてしまいそうである。
 オステア国の第二執政アルジュナは、師であるピコックの言葉に素直に答えたが、内心は、不安と絶望が渦巻いている。
 それまで目を閉じ、黙って二人の会話を聞いていた老騎士が、ぽつりと呟いた。
「退こう」
 この男にしては珍しく弱気の発言であった。白銀に輝く鎧を身に纏い白馬を駆るその姿は、まさに戦神と称される強さを誇り、常に兵士達の陣頭にあり続けた。
その男が退却を決意した。苦渋の決断であったのだろう。普段は意志の強い頑固者といった風貌をもった男だ。鋭い眼光が他者を圧倒するほどの威圧感を常に放っている。
だが、決断を下したその表情に、いつもの様な鋭さは感じられなかった。
 アルジュナは、退却の二文字に、ほっと胸を撫で下ろす。
 ピコックは、その決断に辛そうな顔を見せながらも、ただ黙って頷いた。死霊の軍勢を相手に、今の状態で真っ向から立ち向かっても勝ちを得るのが難しいのは、誰の目にも明らかであった。
 老騎士の目を真正面から見返して訊ねる。
「ただ、退くとしても民の数が多すぎる。ラファエル殿、如何に」
 やはり第一の問題は難民の数であった。このまま国軍と一緒にオステアまでの退路を往くのは無理がある。人々は疲弊しているし、列となると人は自然と歩く速度が落ちる。
脱落者も多く出るだろう。怪我人や病人、老若男女を問わず、一人でも多く救う為には、相当の準備と時間が必要になるのは明白であった。 

 ――動ける者だけで。
 アルジュナは喉まで出掛かった言葉を堪え飲み込んだ。この老いた二人には、その様な考えが毛頭ない事を十二分に承知していたからだった。
もし口に出せば、師からは烈火のごとく叱責を受けただろう。だが、アルジュナの考えも理に適っているのであった。多くの被害を出さぬ為には、時には犠牲にも目を瞑る事が必要なのだ。
老いた二人の男は理想に拘り過ぎている。
 ――ボク達にはオステアの街を護る使命がある。今ここで無理をしては、それすら果せないじゃないか。
 心の中で二人に反論する。それでも、言葉にして伝えないのには、アルジュナが誰よりも師を慕い、その行動を身近でつぶさに見てきたからでもあった。
 理想と現実の差は、本人達も当に判りきっているはずである。
 三人の間に暫し沈黙が訪れた。
 徐に口を開いたのは、オステア国の第一執政ラファエルであった。意を決したのか強い眼差しを相貌に湛えている。
「早い者は既に避難を始めている。我が軍はこれより全力で避難を援助し、可能な限りの者をオステアに連れて行く。
オステアまでの先導部隊にアルジュナと神官達。道中の護衛にウェントルとキュラサイトの両部隊をつける」
 ラファエルはそう言うとピコックへと目をやった。
 ピコックは何も言わず、ただ頷きでそれに応える。
 だまって聞いていたアルジュナは、驚いて言葉を投げかけた。
「先生とラファエル様はどうするのですか」
「殿が必要であろう」
「そ、そんな……ボクも残ります!!」
「無理を言うでない。誰が民を導くのだ」
「誰か他の人がやれば! ボクには、先生達をおいて行くなんてことは……」
 アルジュナの言葉は、最後まで続くことなく途切れた。先程、自分が考えていた事柄が脳裏を過ったからであった。
置いていく者と置いていかれる者。置いていかれる者が必要ならば、それは自分達でよい。喜んで民の為に壁となろう。犠牲が必要ならば、我等が進んで犠牲となろう。
 それは、ただのアルジュナの想像ではなく、確信に近い物であった。なにより、その証拠に師と老騎士の表情がそれを如実に物語っている。
見返してくる相貌の輝きが、言葉にせずとも意思が強固である事を訴えている。
 師が優しく微笑むのを目にした途端、目頭が熱くなり、涙が堰を切ったようにあふれ出す。
 それまで鮮明に映っていた視界が一気にぼやける。
「嫌です……いやです……いやだいやだいやだいやだッ」
 椅子を蹴って立ち上がり、師の胸に泣き崩れながら、力の限り、拳を何度も何度も師の胸に叩きつけた。
 ピコックは、駄々をこねる我が子を抱くように、優しくアルジュナの背にそっと片手を回しながら、空いた手で頭を撫でた。
ごつごつとした、節くれだった師の老いた手の温もりが、そこから伝わってくる。
「オステアを頼む」
 未だ胸で泣き続けるアルジュナに、優しく言い聞かすように話しかける。
 止め処なく流れ落ちる涙を、アルジュナはなんとか袖で拭い取ろうとするが、後から後から涙は溢れてくる。
 暫く、そのままの姿勢で泣き明かした後、ようやく落ち着きを取り戻すと、ゆっくりと師の顔を見上げた。
「さあ、行くのだ」
 アルジュナを扉の方へと向き直らせる。
 アルジュナは師の言う事を聞こうと気丈に振舞った。側に置いてあった帽子を目深に被ると、杖を手に握りしめて部屋を飛び出す。
 寺院を後にし、後ろを振り向かずに大通りへと続く下り坂を精一杯に駆ける。
 懸命に駆けるその後姿を、ピコックが頬に光る一筋の涙とともに寺院の窓から見送っていた事を、アルジュナが知る事はついになかった。 

 通りに溢れていた人の波も、刻が経つにつれて次第にその数を減らしていた。
アルジュナ率いる先導部隊が多くの難民を伴い二区を発ってから、既に丸二日が過ぎようとしていた。
その間にも、次々と難民の一団が二区を発ち、それに伴う形でオステア国軍の兵士達が護衛隊として随伴していく。
オステア国軍の懸命な献身は、実に多くの人々を救う結果となっていたのである。
幸いにも、未だ死霊の軍勢はこの地にまで到達していないようで、魔王軍もラザムの使途との戦いでこちら側に兵を割く余裕はないようであった。
だが、その幸運もいつまで続くかはわからない。
 今また、二区の門から難民の一団が発とうとしていた。
 怪我人や病人が殆どを占めており、担架や荷車といった物に乗せられた状態で、側に救護の医師や看護士が付き添っている。
難民の中でも若く健康な者や、オステアの兵士達が互いに協力して彼らの搬送に当たっている。その一団を、護衛部隊が前後にわかれて随伴する予定である。
今や、この地に残っているのは僅かな兵士と、自ら望んでこの地に留まった少数の難民ぐらいであった。
 ラファエルとピコックは殿部隊を率いてこの地に可能な限り留まり、ウェントルとキュラサイトは難民達の最後の護衛部隊として発つ。
大半が怪我人と病人からなるこの一団は、のろのろと、まるで亀が歩むような速度で先頭から順次オステアに向けて発って往く。
 列の中頃で、小さな眼鏡をかけた大人しそうな女性神官が、誰かを探すふうに辺りをきょろきょろと窺いながら歩いていた。
そのまま街道へと続く街の門前に辿り着いた時、そこで目的の人物を探し当てたのか、周りの人にぶつかるのもお構いなしに突然に小走りになった。
背後から罵声にも似た苦情が次々に飛んでくるが、それらには一切耳を貸さず、ただひたすらに探し人の下へと歩を急ぐ。
 途中で足がもつれ転びそうになるものの、なんとか持ち直し、ようやっと探し人の老騎士の前に立った。
「ラファエル様……お逢いできてよかった」
 息も絶え絶えに、素直な気持ちが先ず口を吐く。
「それほど急く事もなかろう。まったく、エルティアは昔から変わらぬな」
 ラファエルは柔和な笑顔を浮かべながら、エルティアの背後を顎先で示す。不思議に思い首を捻ってその方向に目をやった。
今まで彼女が強引に駆けてきた後を、もう一人の女性神官が、頭を下げ謝罪の言葉を口にしながらこちらに歩いてくる。
一心に駆けている間は何も思わなかったのだが、指摘されると自分のなりふり構わない行動が急に恥ずかしく思え、顔が熱くなる。きっと傍から見れば真っ赤になっている事だろう。
 小さな眼鏡から覗く大きなくりくりとした両の目に、深く金色に輝く瞳がよく映える。小ぶりでそれほど厚みのない薄紅色の唇が、彼女の大きな目をさらに際立たせていた。
見た目に大人しい清楚な雰囲気を纏う彼女は、その実、その通りなのだが、時折、今のように一つの事に意識をとられると、急に周りがみえなくなる事があった。
 エルティアの横に並ぶように立ったもう一人の女性神官は、仕様がないなという風な表情をエルティアに見せた後、改めてラファエルへと向き直る。
「ラファエル様、ご武運をお祈りしておりますわ」
「すまぬなクレア。エルティアの事を頼むぞ」
「はい。お任せを」
 クレアは、彼女がよく行う独特の片目を瞑った笑顔でラファエルに答えた。
全体的に細作りで整ったクレアの大人びた容姿が、その一瞬だけ少し子供っぽく見え、それが彼女の魅力をより一層引き出している。 

 二人のやりとりを目にして、エルティアは内心むっとしていたが、なるべく顔にださないように努めた。
 エルティアにとってラファエルは、ラザムの教団で直接の教えを受けた、心の底から信望してやまない唯一の人である。
その崇高な生き方に憧れ、彼自身に憧れ、何時からか常に傍らに居たいと願うようになっていた。
弟子入りを懇願したときには、少し困った風な顔を見せられたものだが、それでも結局は快く認めてくれた。それ以来、エルティアにとってラファエルは師であり想い人である。
ラファエルがラザムから還俗する時も、彼を信じ、その後を追ってきた。彼だけを信じてここまでついてきたのだった。
クレアはオステア教区で神官として長く従事していたが、荒廃したオステアの為に奔走するラファエルと出会い、彼の活動に共感を覚えて共に尽力する事を誓っている。
 ラファエルとは自分の方がより一緒に居る期間が長い。クレアよりも多くの事を手助けしてきたと自負している。それでも、クレアと比べて頼りにされていないと感じる事がある。
実際、神官としての素質はクレアに分があった。一人の女性としても、彼女の持つ大人の魅力には勝てないのかもしれない。
彼女がラファエルに好意を抱いている事は、なんとなく同じ女性であるからか、薄々は気付いていた。だからこそ、些細な事でも悔しいのかもしれない。
 エルティアは、その様な考えを巡らせていた自分に気付くと、すぐにはしたないと恥じた。神に仕える身でありながら、他人に嫉妬する精神のあまりの未熟さを悔やむ。
 頭を軽く振って考えを改める。
 ――ちゃんと伝えなくては。
 昨夜、ラファエルにオステアに戻れと伝えられたとき、エルティアは初めて彼に逆らった。今まで彼の下についてきて、初めての反抗であった。
それでもラファエルの強い意志を曲げる事は出来なかった。ならばせめてもと、エルティアは昨晩、一睡もせずに彼の無事をラザムの神に祈り続けた。
殿部隊として二区に残るということは、もう二度と逢えないかもしれないことを意味している。
ラザムの神に祈りを捧げながら、エルティアはこのまま想いを伝えられないで別れていいのかと、自問していた。
一度は神に捧げた身でもある。想いを押し殺してでも生きるのが、敬虔なる者の正しい勤めの姿勢ではないのか。
 ――それでも。
 言うべきか言わないべきか悩んでいると、後ろからクレアに優しく背中を押された。弾みでラファエルの真正面に飛び出してしまう。
 エルティアは恥ずかしさを必死で抑えながら、意を決すると、ラファエルと正面から向き合った。
「ラファエル様、オステアでお待ちしております。必ず、必ずご無事でお戻りください」
 胸元から、彼女が常に首に提げている銀のロザリオを取り出すと、それをラファエルへと手渡す。
ロザリオには彼女の名が刻まれている。ラファエルは驚いた表情を見せたが、いつもの鋭い目元を急に和らげると、黙って受け取った。
その手が離れようとしたとき、エルティアは両の手で強く握り締めた。
 長い静寂が二人を包む。
「案ずるなエルティア」
「必ず戻ると約束してくださいますか」
 ラファエルは暫し沈黙する。
「……それは出来ぬ」
「それでも約束してください。私は、ずっと信じてお待ちしております」
「約束しよう。必ず戻る」
「はい――」
 その言葉を聞いて、エルティアはまるで守護天使のように微笑むと、名残惜しそうに手を離し、一歩身を引いた。
 ――どうかご無事で。
 今は、これが彼女に出来る精一杯であった。
 心の中で別れを告げると、クレアの姿を探して辺りを見渡すが、その姿はどこにも確認できなかった。
 ラファエルの下を離れ、元いた一団の列へと急いで戻ってみると、そこには既にクレアが待っている。
 片目を瞑って笑顔を見せる。その表情は、どこか優しく慈愛に満ちているように感じられた。
 街道に差し掛かり、見送るラファエルの姿が次第に遠くなる。
 二人の女性神官は名残惜しそうに、二区の門が見えなくなるまで何度も後ろを振り返りながら、オステアへと続く道を歩むのであった。 

 エルティア達一団の後方に、オステア国軍の最後となる護衛部隊が少し距離をおいて続いていた。
この護衛部隊はウェントルとキュラサイトの両名が率いている。
殿として残留する事になったラファエルとピコックに、自分達も残ると談判したものの、オステアを護る者がいなくてどうすると、きつく反論された。
しかし、なお食下がっていると、万が一の際に、第二の殿としての役目にもなる後発部隊を担って貰いたい、と、頼まれる結果に至った。
死霊の軍勢を二区で押し留める事が出来ない時には、そなたらが壁となって戦い防いで欲しい。
そう言われては、これ以上の無理強いが出来るわけもなく、二人は最後となった護衛部隊を率いて、先発しているエルティア達一団の後ろを進んでいた。
 ルートガルト三区へと続く道々に、避難の途中で力尽きた脱落者の亡骸が無造作に転がっている。鳥に啄まれたり、野獣に喰われたりした跡が残るものもあった。
亡骸は棄てるしかないのであろう。あまりの居た堪れなさに、ウェントルは遺棄された亡骸を注視できずに目を逸らす。
目をかっと見開いたまま、その瞳が恨めしげに自分を見ているような錯覚に陥る。街道に点々と転がっている様は、それが一種の道標にみえる程であった。
共に歩む屈強な兵士達も、この光景にはさすがに表情を曇らせている。せめてもの救いは、亡骸のうち幾つかは胸の上に手を組まされ、最後の祈りを捧げられた後がみられた事だった。
先を進む神官や僧侶の誰かが、不憫に思い施したものであろう。
 ウェントルはそれらを目にし、心の中で冥福を祈っていた。
 その時、突然、背筋に今まで味わった事のない様な違和感を覚え、進めていた歩を止めた。
身体の底から噴き上がる恐怖心というのか、焦燥感というのだろうか、とてつもない何かが、まるで波のように襲ってくる異常な感覚に、汗が噴きだし身体が震えた。
不思議な事に、周りを歩いていた兵士達も一斉に立ち止まっている。その表情は、血の気が引いたみたいに蒼ざめている。
キュラサイトの方に眼を向けると、彼女も額にうっすらと汗を滲ませ、瞳だけを動かして周囲の様子を伺っていた。
 確かな事は、何かが背後から、明らかな殺意を伴って迫ってきている。
軍人として戦場を生き抜いてきた身体が、無意識のうちに危険を知らせている。だが、膝が震え足が動かない。
 ウェントルは、両の手のひらで頬と太ももを一回、音が響くくらいに強く叩いた。そして、勇気を振り絞って後ろを振り向く。
 緑の草原に延々と続く真っ直ぐな茶色の街道。一面の緑に線を引いたように、その道がくっきりと浮かび上がっている。
遠く彼方には、高い山々の頂を覆い隠すように、山頂付近に真っ白な雲が広がっていた。
その一見穏やかな景色の中で、凄まじい気配は、二区のある方角から間違いなく伝わってくる。
 目を凝らして注視していると、遠くの空に無数の影が現れたかと思いきや、その影が徐々に大きくなる。
 巨大な影の波が頭上を物凄い音と共に通り過ぎた。
 それは、ルートガルト付近に生息する野鳥の群れであった。皆、同じ方角に向かって飛び去っていく。
 明らかに何かから逃げている様子であった。
 だが、その何かの姿は一向に見えない。 

「キュラサイト!!」
 恐怖に押しつぶされそうになって、隣にいる友人へと大声で呼びかけた。
 キュラサイトは大声で呼ばれ、肩をビクッっと振るわせる。
「どうなってるの!?」
「わからない……けど、死霊なのは、間違いないわ」
 普段から何事にも冷静で物静かなこの友人にしては珍しく、喋り声が上擦っていた。
魔術の心得がある分、ウェントルよりも遥かに過敏に、相手の気配を察知しているのだ。
 この場にいた者達が皆、二区のある方角を仰ぎ見、その意識を奪われていた時、目に見えて変化が訪れだした。
何時の間にか空に暗雲がたれこめたと思いきや、二区の方角の空が真っ黒に染まり、時折、眼を射るような赤い閃光が瞬いて空を赤黒く染める。
さらには、頭の中に何重にも響く怨嗟の唸りや咆哮が、遠くから風にのって運ばれてきた。
 ついに、死霊の大軍が二区へと迫ったのであった。
 部下の兵士達は、あまりの恐ろしさにその場に腰を落とし、地べたに座り込んでしまう者も現れている。
恐怖心がウェントル達を支配していく。常に戦場には恐怖が付き纏うが、それを克服しなければならないのが軍人の責務である。
だが、今回ばかりは勝手が違った。魔王軍とも互角に渡り合った歴戦の兵士達が、皆揃って怯えた表情をし、無様な醜態を晒している。
姿はおろか、気配だけで怖気づいてしまっていた。
 怯える兵士達をみて、自分がしっかりしなければと心に強く言い聞かせる。歯を食いしばって恐怖心に打ち勝とうともがく。
 最初こそ気圧されたものの、ウェントルは何とか気持ちを落ち着かせる事が出来るようになっていた。
隣に居るキュラサイトの存在が支えにもなっている。自分一人では到底無理であっただろう。
まだ死霊の姿は見えないが、それでもひしひしと感じる凄まじいまでの重圧。これは並々ならぬ怖ろしい相手だとウェントルは驚愕した。
「距離はある。大丈夫だよ」
 自分に言い聞かせるように、言葉が自然と口から漏れた。
 キュラサイトを見ると彼女も自分を取り戻したのか、周囲で呆然としている部下達を叱咤激励している。
「なにをしている! 立て!! 進むのだ!!」
 凛とした声が辺りに響く。彼女にしては珍しく、いつになく感情が顕わになっている。あえて、弱気になるまいと強がっている風にも見て取れた。
 ウェントルも声を荒げた。
「怖気づくな!! それでもオステアを背負う者か!!」
 兵士達はその声に応えるかのように、座っていた者は立ち上がり、震えていた者は怒号を上げた。
 皆が一歩、また一歩と前進を再開する。
 背後からいつ襲われるか誰にもわからない。気配は常に、背に感じているのである。
 殿部隊として二区に残ったラファエルやピコック、そして兵士達は無事なのであろうか。
 ウェントルは振り返ると、遠く暗雲たれこめる空を眺め、無事でいて欲しいと強く願うのであった。

- すごい  -- 名無しさん  (2011-02-03 23:35:03)
- イベントを作る際、文章をほぼ使わせてもらいました。 &br()もし作者様が不快に思われましたら、ここか避難所ででも教えて下さい。  -- 名無しさん  (2012-07-17 01:37:59)
- S6オステアOP実装おめ!  -- 名無しさん  (2012-07-28 18:38:35)
- なるほど、こういう歴史があったからオステア国のシナリオはこんな感じなんだな  -- 名無しさん  (2020-08-19 23:25:46)
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