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**&color(blue){願い} 彼女は願う、人々が幸せであるように。 彼女は願う、人々が苦しみから解放されるように。 トライド五世による統治で大陸が平和の時代を謳歌していた頃、この大陸に住まう多くの人々が列をなして巡礼する場所があった。 大陸の北西、険しい山々の連なる高地と乾いた砂漠を経た先に、ラザムの聖地と称されるラザム神殿が建立している。 その巡礼の道は、山や谷を幾度となく越えた先にあるゴイザムの入り口と呼ばれる地からアルナス北部の砂漠を歩むか、ブレアの西にある街から広大なアルナス砂漠を南北に歩み踏破するかの二つであった。 何れにしても、その行程は大変な苦難であり、ラザムの使途が生涯における修行とも述べる程の道である。 それでも信心深い人々は聖地を目指した。 その理由のひとつには、ラザム神殿で起こると謳われる奇跡の現象が大きい。 不治の病が癒えたという話や、神の啓示を受けたという話はどの宗教にも存在するが、やはり奇跡と謳われれば、それは信徒を集めるものである。 誰にも抜かれる事がなかったラザムの至宝『神剣ラグラントゥー』を引き抜いた神官戦士ホルスの存在もまた、その熱を煽っていた。 事実、魔法技術を応用した治療は民間療法と比べて確たる物であったし、その恩恵だけでも聖地巡礼には大変な意義があると見る人もいる。 しかし、それには相応の金が必要であり、治療費という名目では受け取らないが、お布施として収める事で両者の関係は成り立っていたのである。 昨今はその傾向が酷くなっていると語るものもいるが、それでもラザム神殿の入り口には人々が列を成して並んでいるのであった。 神殿へと居並ぶ人々が作る列に目をやり、一人の女性神官は大きく息を吐いた。 「今日もこんなにも人が……」 様々な目的があるが、多くは治療を受ける為に病に蝕まれた身体をおして、遠方から祈る想いでこの地を訪れてきた者が殆どである。 女性神官は、列を成して自分の番をじっと待ち続ける人々の疲労しきった表情に、その心を痛めた。 「ニースルー様……どうなさいました?」 ニースルーと呼ばれた女性神官の後に続き、神殿の方へと足を運んでいた僧侶の一人が彼女に尋ねた。 「いえ、何でもありません。行きましょう」 複数の僧侶を従えて、ニースルーは拝殿の脇に建てられた立派な建物へと向かう。 彼女はラザムの神殿に仕える高位の神官であり、また魔道研究の最高責任者を担う人物であった。 建物の入り口へと足を踏み入れかけたとき、彼女の背後から大声が上がった。 「お、おい!? 誰か! 誰か!!」 ざわめきが聞こえ、声を張り上げた主の周りにいた人々がそぞろく。 ニースルーは叫び声を耳にすると、集まりだした野次馬をかき分ける様にその中心へと歩を進めた。 そこには若い男の手に抱かれて、苦悶の表情を浮かべる女性の姿があった。 年は男と同じくらいだろうか、額から驚くほどの冷たい汗を流し、目は飛び出さんばかりに見開かれ、苦痛に歪むその口元からは血がゴボッと音を立ててこぼれ落ちる。 身体は小刻みに痙攣し、その手は男の手を白くなるほどに強く握り締めていた。 ニースルーは、女性を一目診て明らかに普通の病状ではないと瞬時に確信する。 なぜなら、その皮膚には奇妙に変色した痣が所々に浮かび上がっており、それが身体全体に顕れていたからである。 手をかざすと、すぐに光の力による魔法治療をはじめたが、一向に病状は改善されない。 病状によっては、ある程度の段階を踏まなければならない魔法治療であったが、ニースルーは自身の強い魔力もさる事ながら、天性の素質も兼ね揃えている人物であり、 大抵の場合を除いては一度の魔法行使で事は済むはずだった。 だが、今回は違う。 暫くの後、ニースルーの懸命な治療も功をなさず、女性は苦しみながら息をひきとった。 女性の遺体を前に、その魂が救われるように胸に提げた銀色のロザリオを握りながらニースルーは祈りを捧げ、静かに立ち上がった。 若い男は、その腕に抱える女性に覆いかぶさるように、嗚咽を漏らしながら泣き続け、周囲を取り巻いて事の次第を見守っていた人々も皆、沈んだ心の救いを神に求める。 ニースルーはその場を後にし、一言も喋らずに自身の研究部屋へと引篭もると、綺麗に片付けられた机に突っ伏して自分の力不足を悔む。 この様なことは今にはじまった事ではないが、救いを求められても必ずしも救う事が出来ないという現実は、彼女の心を常に砕こうとしていた。 教団の魔道研究に携わり、多くの結果を残してきた彼女であるからこそ、その現実が重く苦しいものであるのかもしれない。 ロザリオを振るえる手で握るニースルーの澄んだ瞳からは、幾筋もの光の筋が流れているのだった。 それから数日経ったある日――。 ラザム神殿の宝物庫で魔道研究に用いる古い魔法書の整理をしていたニースルーが、ふとした拍子に段差で足をとられて大きな音を立てながら派手に転倒した。 「痛っ……」 倒れる際に、体勢をどうにかして立て直そうと手の届くところにあった本棚へと伸ばしたのだが、勢いは止まらずに本棚ごと倒れてしまう。 本棚に置かれていたありとあらゆる物が、大量の埃とともにニースルーへと被さってきた。 「こほっこほっ……もう」 自身の失態に文句をひとつ。 派手に散らかった宝物庫の一角で、後処理をせっせと済ませている時、奇妙な一冊の古びた本が彼女の目に留まった。 手にとってページをぱらぱらと捲ってみる。 何気なく眺めていたニースルーだが、あるページにくるとその手が止まり、食い入るように見つめだした。 「な、なんなのこれ……なんでこんな本がここに……」 慌てた様子で表表紙や背表紙はては裏表紙と、この本が何であるのかを理解するために、作者が誰であるのかを理解するために、本の至るところに目をやる。 しかし、本の表紙には何も記されておらず、何時の時代に書かれた物であるかすら謎である。 ただひとつ確かな事は、ラザムの神殿に保管されてから相当な年月が経っていると思われる事と、神殿の宝物庫に保管されるにはあまりにも不相応な内容である事だった。 なぜなら、その本には闇の魔術に関する知識が大量に記されており、まさに禁書とされるにふさわしい物だったからで、ニースルーが手にして驚いたのも無理はない。 闇の存在にはじめて触れた彼女は、すぐにでもそれを投げ捨てたい気持ちになるが、もっと先を知りたいとする衝動にも同時に襲われた。 そして暫しの葛藤の後、彼女は闇の禁書を両手に抱えると、誰にも見られまいと周囲を警戒しながら研究室へと急ぎ戻るのであった。 それからというもの、ニースルーはくる日もくる日も闇の禁書を読みふける日々を送る。 狂人が記したとしか思えないような衝撃的な内容は、それでいて実に理に適っており、魔法書の類としては大変に優れた物である。 読み進めるうちに、ニースルーの心の中には次第にひとつの考えが生まれてきていた。 闇をみることで光をみる。 闇の力を正しく理解し応用すれば、それは光の力と同等の効力を発揮するのではないか、と。 上手く応用すれば、今まで救えなかった人々を救う事が出来るかもしれない、と。 もはや彼女を止める者は誰もいなかった。 元々、魔道研究の責任者を任ぜられる程の人物である。 その知的好奇心は、怖ろしいまでの短期間で彼女に数々の闇魔法を習得させていった。 とはいえ、ラザム神に仕える神官であるニースルーは、治療に応用できる範囲だけに習得を留める理性は持ち合わせていたようである。 一冊の古びた本を読み終えるまでに、時間はそれほど必要としなかった。 次に彼女は、動物や自分の身体を実験に、闇魔法を使用しその効力の高さを証明する。 幾度も安全性を確かめた上で、遂にはラザム神殿で治療を実践するまでに至り、今まで治す事が出来なかった病状も完治させる事に成功していた。 しかし、この手法は決して人に言えるものではない代物であった。 ラザム神殿に仕える神官が闇の力を使用し人々に治療を施している。 ――誰にも知られてはならない。 それ以来、ニースルーは極力、他の神官と接する機会を減らし距離を置くように努めた。 だが、物事を長く隠し通す事は出来ないものなのである。 とある昼下がり、よく晴れ渡った清々しい天気の下、ニースルーは神殿に設けられた中庭で遅い昼食を摂ろうとしていた。 今までひっきりなしに訪れる患者を診ており、まとまった時間をまともに取ることが出来ないでいたのだ。 闇魔法を応用した治療は相当な効果をあげ、以前にも増して信徒が押しかけるようになったのだが、その治療が可能なのはニースルーただ一人であった。 魔道研究に割く時間もろくにとれず、最高責任者の名は今ではただの飾りのようなものだ。 それでも、彼女は満足をしていた。 手に持ったティーカップに淹れられたアールグレイの紅茶が香り、彼女の鼻を優しくくすぐる。 目を閉じてその香りを楽しんでいると、横長の椅子に腰掛けた彼女の隣に誰かが腰を降ろした。 ニースルーは相手の顔を覗き見る。 「ホルス様……」 薄い青髪に白い肌が似合う優男。 神剣を抜いたことで勇者を自認し、教団の代表に自称ではあるが就いた神官戦士。 「やあ、ニースルー。いい天気だね」 「え、ええ」 「これからお昼かい? よかったら一緒に食べようよ」 「はぁ……」 相手の意見をまともに聞く事もなく、ホルスは優しく微笑むと手にした袋からパンをとりだし齧りだす。 ニースルーは正直な所、この優男は苦手であった。 容姿は悪くないが、女性に対してどこか軽いところがあり、どうにも好きにはなれない。 神官戦士として優秀で、人を惹きつける魅力のある男だが、どこか近づきたくないような空気を伴っている。 その原因が、柱の影からこちらを見ている一人の女性である事については、ニースルーは知る由もない。 ホルスは屈託のない表情で色々な話をニースルーにしてくる。 それらを軽く受け流して紅茶を啜っていると、急にティーカップを持つ手をホルスに握られた。 紅茶が少し零れ落ち、ニースルーの僧衣に染みを作る。 「何をするのですか!」 突然の事に驚いて苦情をいうが、ホルスは聞く耳をもっていないようだった。 握られた手を自由にしようと、空いている手で力を込めて払おうとするが、男の力に敵うはずもない。 ホルスはニースルーの耳元でささやいた。 「なあ、いいだろう」 「な、なにを!? や、きゃあっ!!」 手から離れたティーカップが石畳に派手な音を響かせた。 肩を強く押されてバランスを崩したニースルーが仰向けに芝生に倒れこむ。 その上にホルスが覆いかぶさっていた。 ニースルーは両手を強く押さえつけられていて身動きがとれない状態だった。 「私は神剣を抜いた神に選ばれた者だ。私のすることは神のすることと同じさ」 ホルスはそういうと、右手でニースルーの胸を服の上から強く揉みしだく。 例えようのない恐怖がニースルーを襲う。 恐怖にかられた彼女は、自由になった手で無意識の内にパラライズの魔法をホルスに向けて唱えていた。 「ぐうっ!」 身体が痺れて自由に動けないホルスを強引に退けて、二歩三歩と後ずさる。 その時、一人の初老の武僧が二人の前に姿を現した。 「何事ぞ!!」 芝生に転がるホルスと、恐怖に震えるニースルーを交互に視界に収める。 「あ、ああ、ああ……」 声にならない声を上げるニースルーを案じてか、初老の武僧はまず落ち着かせる事を優先した。 「どうしたのだ? 拙僧がきたからにはもう安心してよいぞ」 「……………」 優しく柔和な表情を浮かべる武僧に、恐怖にひきつった顔をしていたニースルーも次第に落ち着きを取り戻したのか、着崩れした服装を慌てて正しはじめた。 その様子をみて、武僧は未だ固まったままのホルスに視線移し問い詰める。 「ホルス殿――彼女に何をなされた」 「うっ……あ」 「黙っていてはわからん。一体何をなされた?」 一向に答えようともせず、先程からずっと固まったままの姿勢のホルスに、武僧はそれでも問い詰めようとする。 その様子を眺めていたニースルーが自分のしたことを思い出し、その表情に焦りの色を浮かべた。 闇魔法――パラライズ。 相手の身体を麻痺させ、動きを封じ込める歴とした闇魔法。 それを事もあろうにホルスに対して使用してしまった。 見るものが見れば、闇の魔法の力だとすぐにわかってしまう。 「あの――武僧様」 「ラファエルと申す」 「あの、ラファエル様……私が」 そう喋りながら、恐る恐るホルスへと近づくと、解除の魔法を唱えた。 身体に自由が戻ったホルスは、何をされたか理解できない様子の表情をしていたが、ラファエルとニースルーの二人の顔をみて一瞬バツの悪そうな表情をする。 だが、それも一瞬の事で、既に普段どおりの優男に戻っていた。 「……ん、何でもないですよ。ちょっと倒れただけです」 「倒れたにしては……ちと、おかしい風に見えましたがな」 「いやいや、変な勘ぐりはよしてください」 「ふむ……」 はぐらかされたラファエルはニースルーの方に視線を移すが、彼女も何か言うでもなしに沈黙を守ったままだった。 「じゃあ、私はいきますね」 ホルスは屈託のない顔で言うと、一人足早に中庭から出て行ってしまった。 その後姿を見送るニースルーの表情はどこか後悔するような風であったが、それは致し方なかったとはいえ、闇魔法を使用してしまった事に対するものだろう。 そうとも知らず、ラファエルは不思議そうな目で彼女をみていたが、ふとニースルーが纏う僧衣に付けられた高位神官の印に気付くと、突然畏まった。 「や、これは失礼した」 「いえ――こちらこそ助かりました」 「確か貴殿は……」 「ニースルーと申します」 何という名前だったかと思案顔をして記憶を探っていたラファエルの表情をみて、ニースルーはくすりと笑うと名前を述べた。 「ニースルー殿。お怪我はないかな」 「ええ、大丈夫です」 「して、先程のあれは一体……」 「先程の事は……内緒にしてください。お願いします」 疑問が残るのか、ラファエルは再度あの時の状況を聞こうとしたが、ニースルーにこう言われてしまっては、その先を聞く事も出来なくなる。 「――わかり申した」 「すいません……」 「では、拙僧はこれで」 深々と礼をすると、ラファエルはニースルーの前から立ち去っていった。 この事を知るのは三人だけ、当事者と駆けつけた武僧の三人。 武僧はわかっていない風であったし、ホルスがこの事を騒ぎにするようには思えない。 そう考えたニースルーは気を強く持つと、割れたティーカップを拾い集めてから研究室へと戻っていく。 その後ろ姿を、柱の影から一人の女性がまるで敵を見るような目で追っていたのであった。 ラザム神殿の拝殿。 ラザムの神々を象った像が立ち並ぶ大きな広間に数段の段差が設けられており、その最上段にラザム神を背にする格好で石造りの椅子がひとつ置かれている。 そこに、教団の最高権力者であるイオナは、まるで一国の王のように椅子に座していた。 そう感じたのは、イオナはホルスを横に侍らせ、その他にも数多くの神官を控えさせていたからであった。 特にホルスは膝を折り、イオナの足を両手で揉んでいた事に大きく起因するだろう。 中庭で柱の影から覗いていた女性――それはこのイオナであった。 ニースルーは二人の光景には目をやらず、膝をついて背後にそびえるラザム神をただじっと見つめていた。 「この件に関しては釈明の余地なし、と見ます。よろしいですね」 イオナの口調は穏やかなるものの、その裏にある意思は強固であることを物語っている。 否定は許されない。 中庭での一件以来、イオナは手を尽くしてニースルーの行動を監視し、既に闇魔法に関する証拠を掴んでいた。 それでも、ニースルーは何かを言わずしては引き下がれない心境であった。 「お待ちください!」 「まだ何か?」 ホルスの方に向けていた顔をゆっくりと戻しながら、イオナは冷たい視線と冷たい声をもってニースルーに答えた。 「これにはちゃんとした訳が――」 「ホルスさま、彼女は意見するようです。どうなさいましょうね」 イオナはニースルーの言葉を最期まで聞く事なく遮る。 あくまで目上の存在であるようにホルスに向かって問うが、その言葉尻には私に従えとの含みが多分に見て取れた。 「――イオナに任せる」 「ふふっ」 さも面白いといわんばかりに口元を緩める。 神剣を引き抜いたホルスは、神の意思としてラザムの教団の中で殆ど意見する者のいない実力者となった。 その実力者を自分の思い通りに動かせる楽しみは、例え敬虔なる者でも長く続けば染まってしまうのだろう。 ただ、彼女の場合は元からそういう気があったのかもしれないが……。 「では、追放しましょう。闇の力に魅せられた者をここにはおけませんわ」 イオナに急かされ、ホルスがその口を開こうとしたとき、石畳を響かせて駆け寄ってくる者がいた。 「待たれよ。追放処分とは、少々、事が過ぎるのではなかろうか」 初老の武僧――ラファエルがその審判には納得できないと割り込んだ。 突然の介入者に、面白くなさそうな色を浮かべたイオナは苦言を呈した。 「無礼でしょう。ラファエル殿」 「無礼とはこれいかに」 ラファエルは苦言を突っぱねる。 「ホルスさまがお決めになられた事は、ラザムの総意ではないですか」 「総意……これは妙な事を」 「教皇の座にあるは、ホルスさまでございましょう」 「それは御身が勝手に申している事。拙僧は認めていませぬ」 「……この話はまた今度にいたしましょう。今は、そこの者が犯した大罪を裁くことが本題ですわ」 石畳に膝をつけ、ラファエルの方に視線を向けていたニースルーをイオナが指差した。 片方の手には、保管庫でニースルーが見つけた闇の禁書が握られている。 証拠として部屋から押収させたものであった。 「これはまごう事なき闇魔法に関する書物。ラザムに籍を置くものが手にしていい物ではありません。  この者の大罪は、手にするだけに飽き足らず、闇魔法を習得したことにあるのです」 「なんと!! それはまことか!?」 ラファエルが驚いたような表情でニースルーを見る。 禁書を何らかの理由で所持していただけ、と思っていたのだが、まさか習得までしているとは思わなかったのだろう。 ニースルーは静かに頷くと、ぽつりぽつりと語りだす。 「闇の力を得ようとしたのは、真に、人々を救おうと考えた結果です。  他意はありません」 「そこまでして……」 ラファエルはラザムで長く武僧としての修行を積んでいた。 その日々の中では、闇の力に堕ちた者の話を聞く事も少なからずある。 ラファエルはニースルーに対して、どこか他の神官達とは違う、強い意志というべきものの存在を感じた気がした。 二人のやり取りを見守っていたイオナは、椅子に座したまま澄ましている風に見えたが、その実、勝ち誇ったような笑みを口元に浮かべている。 ニースルーが闇魔法習得の事実を認めた事で、ラファエルもこれ以上、彼女を擁護することは不可能となっていた。 イオナはおもむろに立ち上がると、ホルスに同意を促す格好で、大きくひとつ声を上げた。 「この者を追放処分とします。直ちにこの聖地から立ち去りなさい!!」 「また逢う機会があれば、それはラザムの御意思ですな」 北アルナス砂漠への入り口まで見送りにきたラファエルは、ここで別れの挨拶を切り出した。 教団を破門され追放された元高位神官のニースルーを見送るのは、一人の初老の武僧だけである。 「御身が正しき道と想うままに生きなされ」 「……そうですわね」 「神の御加護を」 ラファエルはそう言葉を残すと踵を返し、来た道を戻って行く。 誇り高き武僧の背中を眺めながら、ニースルーは胸に輝く銀のロザリオを掴むと、小さく祈りを捧げてから服の中へとしまいこんだ。 砂漠を渡る一陣の風が、彼女の長く美しい金色の髪をなびかせる。 暫しの間、風の吹かれるままに立つ。 そして――風は止んだ。 ニースルーは乱れた髪を手で制すと、ラザム神殿の建つ方角に背を向け、新たな一歩を静かに踏み出すのだった。 ---- - 素晴らしくハイレベルなSSです。 &br()ニースルーの健気で切ない感情の揺れ動きと情景描写に感動しました。 -- 名無しさん (2011-01-18 23:57:02) - う~ん、いいね、ニースルーとラファエルでプレイしてみたくなったよ。 -- 名無しさん (2011-01-19 20:57:40) - ホルスがいけ好かないやつなのが少しやだ。 &br()もっと天然というか、どこか抜けてる感じがいいな。 &br()イオナは…ほとんど違和感がないww &br() -- 名無しさん (2012-08-04 12:47:33) #comment(size=60,vsize=3) ----
**&color(blue){願い} 彼女は願う、人々が幸せであるように。 彼女は願う、人々が苦しみから解放されるように。 トライド五世による統治で大陸が平和の時代を謳歌していた頃、この大陸に住まう多くの人々が列をなして巡礼する場所があった。 大陸の北西、険しい山々の連なる高地と乾いた砂漠を経た先に、ラザムの聖地と称されるラザム神殿が建立している。 その巡礼の道は、山や谷を幾度となく越えた先にあるゴイザムの入り口と呼ばれる地からアルナス北部の砂漠を歩むか、ブレアの西にある街から広大なアルナス砂漠を南北に歩み踏破するかの二つであった。 何れにしても、その行程は大変な苦難であり、ラザムの使途が生涯における修行とも述べる程の道である。 それでも信心深い人々は聖地を目指した。 その理由のひとつには、ラザム神殿で起こると謳われる奇跡の現象が大きい。 不治の病が癒えたという話や、神の啓示を受けたという話はどの宗教にも存在するが、やはり奇跡と謳われれば、それは信徒を集めるものである。 誰にも抜かれる事がなかったラザムの至宝『神剣ラグラントゥー』を引き抜いた神官戦士ホルスの存在もまた、その熱を煽っていた。 事実、魔法技術を応用した治療は民間療法と比べて確たる物であったし、その恩恵だけでも聖地巡礼には大変な意義があると見る人もいる。 しかし、それには相応の金が必要であり、治療費という名目では受け取らないが、お布施として収める事で両者の関係は成り立っていたのである。 昨今はその傾向が酷くなっていると語るものもいるが、それでもラザム神殿の入り口には人々が列を成して並んでいるのであった。 神殿へと居並ぶ人々が作る列に目をやり、一人の女性神官は大きく息を吐いた。 「今日もこんなにも人が……」 様々な目的があるが、多くは治療を受ける為に病に蝕まれた身体をおして、遠方から祈る想いでこの地を訪れてきた者が殆どである。 女性神官は、列を成して自分の番をじっと待ち続ける人々の疲労しきった表情に、その心を痛めた。 「ニースルー様……どうなさいました?」 ニースルーと呼ばれた女性神官の後に続き、神殿の方へと足を運んでいた僧侶の一人が彼女に尋ねた。 「いえ、何でもありません。行きましょう」 複数の僧侶を従えて、ニースルーは拝殿の脇に建てられた立派な建物へと向かう。 彼女はラザムの神殿に仕える高位の神官であり、また魔道研究の最高責任者を担う人物であった。 建物の入り口へと足を踏み入れかけたとき、彼女の背後から大声が上がった。 「お、おい!? 誰か! 誰か!!」 ざわめきが聞こえ、声を張り上げた主の周りにいた人々がそぞろく。 ニースルーは叫び声を耳にすると、集まりだした野次馬をかき分ける様にその中心へと歩を進めた。 そこには若い男の手に抱かれて、苦悶の表情を浮かべる女性の姿があった。 年は男と同じくらいだろうか、額から驚くほどの冷たい汗を流し、目は飛び出さんばかりに見開かれ、苦痛に歪むその口元からは血がゴボッと音を立ててこぼれ落ちる。 身体は小刻みに痙攣し、その手は男の手を白くなるほどに強く握り締めていた。 ニースルーは、女性を一目診て明らかに普通の病状ではないと瞬時に確信する。 なぜなら、その皮膚には奇妙に変色した痣が所々に浮かび上がっており、それが身体全体に顕れていたからである。 手をかざすと、すぐに光の力による魔法治療をはじめたが、一向に病状は改善されない。 病状によっては、ある程度の段階を踏まなければならない魔法治療であったが、ニースルーは自身の強い魔力もさる事ながら、天性の素質も兼ね揃えている人物であり、 大抵の場合を除いては一度の魔法行使で事は済むはずだった。 だが、今回は違う。 暫くの後、ニースルーの懸命な治療も功をなさず、女性は苦しみながら息をひきとった。 女性の遺体を前に、その魂が救われるように胸に提げた銀色のロザリオを握りながらニースルーは祈りを捧げ、静かに立ち上がった。 若い男は、その腕に抱える女性に覆いかぶさるように、嗚咽を漏らしながら泣き続け、周囲を取り巻いて事の次第を見守っていた人々も皆、沈んだ心の救いを神に求める。 ニースルーはその場を後にし、一言も喋らずに自身の研究部屋へと引篭もると、綺麗に片付けられた机に突っ伏して自分の力不足を悔む。 この様なことは今にはじまった事ではないが、救いを求められても必ずしも救う事が出来ないという現実は、彼女の心を常に砕こうとしていた。 教団の魔道研究に携わり、多くの結果を残してきた彼女であるからこそ、その現実が重く苦しいものであるのかもしれない。 ロザリオを振るえる手で握るニースルーの澄んだ瞳からは、幾筋もの光の筋が流れているのだった。 それから数日経ったある日――。 ラザム神殿の宝物庫で魔道研究に用いる古い魔法書の整理をしていたニースルーが、ふとした拍子に段差で足をとられて大きな音を立てながら派手に転倒した。 「痛っ……」 倒れる際に、体勢をどうにかして立て直そうと手の届くところにあった本棚へと伸ばしたのだが、勢いは止まらずに本棚ごと倒れてしまう。 本棚に置かれていたありとあらゆる物が、大量の埃とともにニースルーへと被さってきた。 「こほっこほっ……もう」 自身の失態に文句をひとつ。 派手に散らかった宝物庫の一角で、後処理をせっせと済ませている時、奇妙な一冊の古びた本が彼女の目に留まった。 手にとってページをぱらぱらと捲ってみる。 何気なく眺めていたニースルーだが、あるページにくるとその手が止まり、食い入るように見つめだした。 「な、なんなのこれ……なんでこんな本がここに……」 慌てた様子で表表紙や背表紙はては裏表紙と、この本が何であるのかを理解するために、作者が誰であるのかを理解するために、本の至るところに目をやる。 しかし、本の表紙には何も記されておらず、何時の時代に書かれた物であるかすら謎である。 ただひとつ確かな事は、ラザムの神殿に保管されてから相当な年月が経っていると思われる事と、神殿の宝物庫に保管されるにはあまりにも不相応な内容である事だった。 なぜなら、その本には闇の魔術に関する知識が大量に記されており、まさに禁書とされるにふさわしい物だったからで、ニースルーが手にして驚いたのも無理はない。 闇の存在にはじめて触れた彼女は、すぐにでもそれを投げ捨てたい気持ちになるが、もっと先を知りたいとする衝動にも同時に襲われた。 そして暫しの葛藤の後、彼女は闇の禁書を両手に抱えると、誰にも見られまいと周囲を警戒しながら研究室へと急ぎ戻るのであった。 それからというもの、ニースルーはくる日もくる日も闇の禁書を読みふける日々を送る。 狂人が記したとしか思えないような衝撃的な内容は、それでいて実に理に適っており、魔法書の類としては大変に優れた物である。 読み進めるうちに、ニースルーの心の中には次第にひとつの考えが生まれてきていた。 闇をみることで光をみる。 闇の力を正しく理解し応用すれば、それは光の力と同等の効力を発揮するのではないか、と。 上手く応用すれば、今まで救えなかった人々を救う事が出来るかもしれない、と。 もはや彼女を止める者は誰もいなかった。 元々、魔道研究の責任者を任ぜられる程の人物である。 その知的好奇心は、怖ろしいまでの短期間で彼女に数々の闇魔法を習得させていった。 とはいえ、ラザム神に仕える神官であるニースルーは、治療に応用できる範囲だけに習得を留める理性は持ち合わせていたようである。 一冊の古びた本を読み終えるまでに、時間はそれほど必要としなかった。 次に彼女は、動物や自分の身体を実験に、闇魔法を使用しその効力の高さを証明する。 幾度も安全性を確かめた上で、遂にはラザム神殿で治療を実践するまでに至り、今まで治す事が出来なかった病状も完治させる事に成功していた。 しかし、この手法は決して人に言えるものではない代物であった。 ラザム神殿に仕える神官が闇の力を使用し人々に治療を施している。 ――誰にも知られてはならない。 それ以来、ニースルーは極力、他の神官と接する機会を減らし距離を置くように努めた。 だが、物事を長く隠し通す事は出来ないものなのである。 とある昼下がり、よく晴れ渡った清々しい天気の下、ニースルーは神殿に設けられた中庭で遅い昼食を摂ろうとしていた。 今までひっきりなしに訪れる患者を診ており、まとまった時間をまともに取ることが出来ないでいたのだ。 闇魔法を応用した治療は相当な効果をあげ、以前にも増して信徒が押しかけるようになったのだが、その治療が可能なのはニースルーただ一人であった。 魔道研究に割く時間もろくにとれず、最高責任者の名は今ではただの飾りのようなものだ。 それでも、彼女は満足をしていた。 手に持ったティーカップに淹れられたアールグレイの紅茶が香り、彼女の鼻を優しくくすぐる。 目を閉じてその香りを楽しんでいると、横長の椅子に腰掛けた彼女の隣に誰かが腰を降ろした。 ニースルーは相手の顔を覗き見る。 「ホルス様……」 薄い青髪に白い肌が似合う優男。 神剣を抜いたことで勇者を自認し、教団の代表に自称ではあるが就いた神官戦士。 「やあ、ニースルー。いい天気だね」 「え、ええ」 「これからお昼かい? よかったら一緒に食べようよ」 「はぁ……」 相手の意見をまともに聞く事もなく、ホルスは優しく微笑むと手にした袋からパンをとりだし齧りだす。 ニースルーは正直な所、この優男は苦手であった。 容姿は悪くないが、女性に対してどこか軽いところがあり、どうにも好きにはなれない。 神官戦士として優秀で、人を惹きつける魅力のある男だが、どこか近づきたくないような空気を伴っている。 その原因が、柱の影からこちらを見ている一人の女性である事については、ニースルーは知る由もない。 ホルスは屈託のない表情で色々な話をニースルーにしてくる。 それらを軽く受け流して紅茶を啜っていると、急にティーカップを持つ手をホルスに握られた。 紅茶が少し零れ落ち、ニースルーの僧衣に染みを作る。 「何をするのですか!」 突然の事に驚いて苦情をいうが、ホルスは聞く耳をもっていないようだった。 握られた手を自由にしようと、空いている手で力を込めて払おうとするが、男の力に敵うはずもない。 ホルスはニースルーの耳元でささやいた。 「なあ、いいだろう」 「な、なにを!? や、きゃあっ!!」 手から離れたティーカップが石畳に派手な音を響かせた。 肩を強く押されてバランスを崩したニースルーが仰向けに芝生に倒れこむ。 その上にホルスが覆いかぶさっていた。 ニースルーは両手を強く押さえつけられていて身動きがとれない状態だった。 「私は神剣を抜いた神に選ばれた者だ。私のすることは神のすることと同じさ」 ホルスはそういうと、右手でニースルーの胸を服の上から強く揉みしだく。 例えようのない恐怖がニースルーを襲う。 恐怖にかられた彼女は、自由になった手で無意識の内にパラライズの魔法をホルスに向けて唱えていた。 「ぐうっ!」 身体が痺れて自由に動けないホルスを強引に退けて、二歩三歩と後ずさる。 その時、一人の初老の武僧が二人の前に姿を現した。 「何事ぞ!!」 芝生に転がるホルスと、恐怖に震えるニースルーを交互に視界に収める。 「あ、ああ、ああ……」 声にならない声を上げるニースルーを案じてか、初老の武僧はまず落ち着かせる事を優先した。 「どうしたのだ? 拙僧がきたからにはもう安心してよいぞ」 「……………」 優しく柔和な表情を浮かべる武僧に、恐怖にひきつった顔をしていたニースルーも次第に落ち着きを取り戻したのか、着崩れした服装を慌てて正しはじめた。 その様子をみて、武僧は未だ固まったままのホルスに視線移し問い詰める。 「ホルス殿――彼女に何をなされた」 「うっ……あ」 「黙っていてはわからん。一体何をなされた?」 一向に答えようともせず、先程からずっと固まったままの姿勢のホルスに、武僧はそれでも問い詰めようとする。 その様子を眺めていたニースルーが自分のしたことを思い出し、その表情に焦りの色を浮かべた。 闇魔法――パラライズ。 相手の身体を麻痺させ、動きを封じ込める歴とした闇魔法。 それを事もあろうにホルスに対して使用してしまった。 見るものが見れば、闇の魔法の力だとすぐにわかってしまう。 「あの――武僧様」 「ラファエルと申す」 「あの、ラファエル様……私が」 そう喋りながら、恐る恐るホルスへと近づくと、解除の魔法を唱えた。 身体に自由が戻ったホルスは、何をされたか理解できない様子の表情をしていたが、ラファエルとニースルーの二人の顔をみて一瞬バツの悪そうな表情をする。 だが、それも一瞬の事で、既に普段どおりの優男に戻っていた。 「……ん、何でもないですよ。ちょっと倒れただけです」 「倒れたにしては……ちと、おかしい風に見えましたがな」 「いやいや、変な勘ぐりはよしてください」 「ふむ……」 はぐらかされたラファエルはニースルーの方に視線を移すが、彼女も何か言うでもなしに沈黙を守ったままだった。 「じゃあ、私はいきますね」 ホルスは屈託のない顔で言うと、一人足早に中庭から出て行ってしまった。 その後姿を見送るニースルーの表情はどこか後悔するような風であったが、それは致し方なかったとはいえ、闇魔法を使用してしまった事に対するものだろう。 そうとも知らず、ラファエルは不思議そうな目で彼女をみていたが、ふとニースルーが纏う僧衣に付けられた高位神官の印に気付くと、突然畏まった。 「や、これは失礼した」 「いえ――こちらこそ助かりました」 「確か貴殿は……」 「ニースルーと申します」 何という名前だったかと思案顔をして記憶を探っていたラファエルの表情をみて、ニースルーはくすりと笑うと名前を述べた。 「ニースルー殿。お怪我はないかな」 「ええ、大丈夫です」 「して、先程のあれは一体……」 「先程の事は……内緒にしてください。お願いします」 疑問が残るのか、ラファエルは再度あの時の状況を聞こうとしたが、ニースルーにこう言われてしまっては、その先を聞く事も出来なくなる。 「――わかり申した」 「すいません……」 「では、拙僧はこれで」 深々と礼をすると、ラファエルはニースルーの前から立ち去っていった。 この事を知るのは三人だけ、当事者と駆けつけた武僧の三人。 武僧はわかっていない風であったし、ホルスがこの事を騒ぎにするようには思えない。 そう考えたニースルーは気を強く持つと、割れたティーカップを拾い集めてから研究室へと戻っていく。 その後ろ姿を、柱の影から一人の女性がまるで敵を見るような目で追っていたのであった。 ラザム神殿の拝殿。 ラザムの神々を象った像が立ち並ぶ大きな広間に数段の段差が設けられており、その最上段にラザム神を背にする格好で石造りの椅子がひとつ置かれている。 そこに、教団の最高権力者であるイオナは、まるで一国の王のように椅子に座していた。 そう感じたのは、イオナはホルスを横に侍らせ、その他にも数多くの神官を控えさせていたからであった。 特にホルスは膝を折り、イオナの足を両手で揉んでいた事に大きく起因するだろう。 中庭で柱の影から覗いていた女性――それはこのイオナであった。 ニースルーは二人の光景には目をやらず、膝をついて背後にそびえるラザム神をただじっと見つめていた。 「この件に関しては釈明の余地なし、と見ます。よろしいですね」 イオナの口調は穏やかなるものの、その裏にある意思は強固であることを物語っている。 否定は許されない。 中庭での一件以来、イオナは手を尽くしてニースルーの行動を監視し、既に闇魔法に関する証拠を掴んでいた。 それでも、ニースルーは何かを言わずしては引き下がれない心境であった。 「お待ちください!」 「まだ何か?」 ホルスの方に向けていた顔をゆっくりと戻しながら、イオナは冷たい視線と冷たい声をもってニースルーに答えた。 「これにはちゃんとした訳が――」 「ホルスさま、彼女は意見するようです。どうなさいましょうね」 イオナはニースルーの言葉を最期まで聞く事なく遮る。 あくまで目上の存在であるようにホルスに向かって問うが、その言葉尻には私に従えとの含みが多分に見て取れた。 「――イオナに任せる」 「ふふっ」 さも面白いといわんばかりに口元を緩める。 神剣を引き抜いたホルスは、神の意思としてラザムの教団の中で殆ど意見する者のいない実力者となった。 その実力者を自分の思い通りに動かせる楽しみは、例え敬虔なる者でも長く続けば染まってしまうのだろう。 ただ、彼女の場合は元からそういう気があったのかもしれないが……。 「では、追放しましょう。闇の力に魅せられた者をここにはおけませんわ」 イオナに急かされ、ホルスがその口を開こうとしたとき、石畳を響かせて駆け寄ってくる者がいた。 「待たれよ。追放処分とは、少々、事が過ぎるのではなかろうか」 初老の武僧――ラファエルがその審判には納得できないと割り込んだ。 突然の介入者に、面白くなさそうな色を浮かべたイオナは苦言を呈した。 「無礼でしょう。ラファエル殿」 「無礼とはこれいかに」 ラファエルは苦言を突っぱねる。 「ホルスさまがお決めになられた事は、ラザムの総意ではないですか」 「総意……これは妙な事を」 「教皇の座にあるは、ホルスさまでございましょう」 「それは御身が勝手に申している事。拙僧は認めていませぬ」 「……この話はまた今度にいたしましょう。今は、そこの者が犯した大罪を裁くことが本題ですわ」 石畳に膝をつけ、ラファエルの方に視線を向けていたニースルーをイオナが指差した。 片方の手には、保管庫でニースルーが見つけた闇の禁書が握られている。 証拠として部屋から押収させたものであった。 「これはまごう事なき闇魔法に関する書物。ラザムに籍を置くものが手にしていい物ではありません。  この者の大罪は、手にするだけに飽き足らず、闇魔法を習得したことにあるのです」 「なんと!! それはまことか!?」 ラファエルが驚いたような表情でニースルーを見る。 禁書を何らかの理由で所持していただけ、と思っていたのだが、まさか習得までしているとは思わなかったのだろう。 ニースルーは静かに頷くと、ぽつりぽつりと語りだす。 「闇の力を得ようとしたのは、真に、人々を救おうと考えた結果です。  他意はありません」 「そこまでして……」 ラファエルはラザムで長く武僧としての修行を積んでいた。 その日々の中では、闇の力に堕ちた者の話を聞く事も少なからずある。 ラファエルはニースルーに対して、どこか他の神官達とは違う、強い意志というべきものの存在を感じた気がした。 二人のやり取りを見守っていたイオナは、椅子に座したまま澄ましている風に見えたが、その実、勝ち誇ったような笑みを口元に浮かべている。 ニースルーが闇魔法習得の事実を認めた事で、ラファエルもこれ以上、彼女を擁護することは不可能となっていた。 イオナはおもむろに立ち上がると、ホルスに同意を促す格好で、大きくひとつ声を上げた。 「この者を追放処分とします。直ちにこの聖地から立ち去りなさい!!」 「また逢う機会があれば、それはラザムの御意思ですな」 北アルナス砂漠への入り口まで見送りにきたラファエルは、ここで別れの挨拶を切り出した。 教団を破門され追放された元高位神官のニースルーを見送るのは、一人の初老の武僧だけである。 「御身が正しき道と想うままに生きなされ」 「……そうですわね」 「神の御加護を」 ラファエルはそう言葉を残すと踵を返し、来た道を戻って行く。 誇り高き武僧の背中を眺めながら、ニースルーは胸に輝く銀のロザリオを掴むと、小さく祈りを捧げてから服の中へとしまいこんだ。 砂漠を渡る一陣の風が、彼女の長く美しい金色の髪をなびかせる。 暫しの間、風の吹かれるままに立つ。 そして――風は止んだ。 ニースルーは乱れた髪を手で制すと、ラザム神殿の建つ方角に背を向け、新たな一歩を静かに踏み出すのだった。 ---- - 素晴らしくハイレベルなSSです。 &br()ニースルーの健気で切ない感情の揺れ動きと情景描写に感動しました。 -- 名無しさん (2011-01-18 23:57:02) - う~ん、いいね、ニースルーとラファエルでプレイしてみたくなったよ。 -- 名無しさん (2011-01-19 20:57:40) - ホルスがいけ好かないやつなのが少しやだ。 &br()もっと天然というか、どこか抜けてる感じがいいな。 &br()イオナは…ほとんど違和感がないww &br() -- 名無しさん (2012-08-04 12:47:33) - トライドびゃなくてトライトだよ -- 名無しさん (2024-01-20 11:52:10) #comment(size=60,vsize=3) ----

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