パーサの森の野営地にて、ラクタイナとの決戦前夜――
部下たちを集めて作戦会議をしていたスヴェステェンは、ふと見やった先に、野営地の門を出ようとしている主君アルティナの姿を認めた。
その背中にはかすかに憂いの色があるように思えた。

アルティナ「…………」
スヴェステェン「お館さま」
アルティナ「……!? ああ、スヴェステェンでしたか」
アルティナ「どうしたんですか、こんなところまでわざわざ……」
スヴェステェン「お館さまのほうこそ。野営地の外に何か用があったのですか?」
スヴェステェン「しかし、この近くにまだ敵が潜んでいるやもしれません。それならば、念のために私も同行したく思いますが」
アルティナ「いえ、なんでもないのです……」
アルティナ「なんでも……」

パーサの森の木々の作る暗がりのせいで、アルティナの表情はよく分からない。
この時、一部下としての務めを果たすならば、すぐさま主君を安全な場所へと導くべきだっただろう。
少なくとも、オーティやガルダームならそうしたはずだった。
もしセレンだったなら……いや、この場合は暗闇に乗じて別のことをしたかもしれない。
だが、ともかくスヴェステェンは、その場に立ち止まったまま会話を続けた。

スヴェステェン「いや、私にはなんでもないようには思えませんな」
スヴェステェン「何か悩んでおられるのではないですか」
アルティナ「……どうしてそう思うのですか?」
スヴェステェン「今は主君と部下の関係とはいえ、我々は仮にも幼少時を共に過ごした間柄ですから」
スヴェステェン「四六時中とはいきませんが、とても長い間、お館さまに親しませていただきました」
スヴェステェン「ですから、それぐらいのことは一目瞭然で御座ります」

スヴェステェンは真面目腐った口調でそう言った。
アルティナはしばらく黙ったままスヴェステェンの顔を見つめていたが、ふいにくすくすと笑いを漏らした。
ひそやかな笑い声がパーサの森の静けさの中で響いた。


アルティナ「ふふふ……本当に頼りになるお人ですわね」
アルティナ「そうですね……貴方の言うとおり、悩みを抱えているのは確かです。でも、単なる物思いの類であって、大した悩みではありません」
アルティナ「野営地の外まで出てきたのはうかつなことでした。余計な心配をかけてしまいましたね……」
アルティナ「でも、本当に何でもないですわ」
スヴェステェン「そうですか。お館さまがそう仰られるのなら……」

アルティナはそう言って踵を返すと、ゆっくりと野営地の方へ歩み始めた。
しかし、その歩みの調子は、どこかしら不自然なようにも思われた。
それに、もし月明かりが彼女の顔を照らしていたら、その浮かない表情を見てとることができたかもしれない。
スヴェステェンはすぐに主君へつき従ったが――おもむろに、数歩歩いたところで足を止めた。
アルティナの足も自然と止まることとなった。

スヴェステェン「お館さま」
アルティナ「あ、どうしたんですか……」
スヴェステェン「明日は……重要な決戦ですね。多くの竜騎士たちが、この日のために死んでいった……その悲願がまさに明日の決戦です」
アルティナ「そうですね……明日は、重要な決戦……」
スヴェステェン「我々の努力が実って、もはやラクタイナには後がない状態になりました。しかし、それだけの分、ラクタイナも死に物狂いで攻め立ててくるでしょう」
アルティナ「…………」

スヴェステェン「お館さま」
アルティナ「はい……」
スヴェステェン「出過ぎたまねでしたら申し訳ありません」
スヴェステェン「しかし……お館さまの様子は少しおかしいように思えます。ですから……やはり、些細な悩みごとであっても、いくらか洗い流しておいたほうが良くありませんか」
スヴェステェン「あいにく、ここならば誰にも聞かれる心配はありません。差し支えなければ……このスヴェステェンが聞き役になりますが」
アルティナ「貴方が聞き役……ですか?」

スヴェステェンの突然の申し出に、アルティナは躊躇したようだった。
パーサの森特有の涼しい風がいつのまにか吹き始めていて、しばらくの間、風の音だけがあたりに聞こえていた。
しかる後に、アルティナが重い口を開いた。


アルティナ「そうですね……わかりました。お願いすることにします。このままの状態で戦場に出たら、いたずらに竜騎士たちの士気を下げるだけですし……」
アルティナ「でも、決して笑わないでくださいね」
アルティナ「それほど恥ずかしい……いえ、本来はあってはならない、持つことそのものが騎士団総長として失格であるような、そういう悩みなのです」

アルティナはまだ躊躇しているようだったが、やがてぼそぼそとした口調で語り始めた。

アルティナ「その……私は長らく、全軍の最前線に立って戦ってきました」
アルティナ「それが騎士団総長の務めであり、義務であると信じてきましたから……」
アルティナ「そのことについて疑問を抱いたことはありませんでした」
アルティナ「しかし……あのおぞましいものが現れて、あのおぞましい光弾をあびた竜騎士たちの姿を見て以来、私は……」
アルティナ「ああ、こんなことが許されてよいはずかありません……でも、私は少し……怖くなってしまったのです」
アルティナ「全軍の先頭に立つ者がこんな弱腰ではいけません……そのことは十分に分かっているつもりです……」
アルティナ「初めのうちは本当に些細な恐怖だったのです」
アルティナ「しかし、騎士団総長としての義務感、亡くなった仲間たちへの責任感、最前線に立つという緊張感、ほかにもいろいろな感情が折り重なって……」

アルティナの声がだんだんと震え始めた。
そこには、輝かしいリューネ騎士団総長の姿はなく、一人の若い娘が立っているだけだった。

アルティナ「私は……戦場に立つのが……怖く……」
アルティナ「怖く……なって……」
スヴェステェン「お館さま……」


スヴェステェンはどう声をかけてよいかわからなかった。
先程は「一目瞭然だ」と豪語したスヴェステェンだったが、彼は今までに、こんなアルティナの姿を見たことがなかったのだ。

アルティナ「ああ……こんなことではいけません、わかっているのに……」
アルティナ「しかし……ふふふ、私も弱くなったものですね。まさか、よりによって貴方の前で、こんなふうに涙を流してしまうだなんて……」

アルティナは涙を浮かべたまま自嘲気味に笑った。
その乾いた笑い声を聞いて、ふと、スヴェステェンは声をかける必要が全くないことを悟った。
彼は言葉をかける代わりに、おもむろに手を伸ばすと、そっとアルティナの体を抱きしめた。
アルティナは驚いて身を震わせたが、しばらくすると彼へ身をゆだねた。
それから、アルティナは彼の胸に顔をうずめて、心の中の葛藤を絞り出すかのようにすすり泣き始めた。
パーサの森に呼吸音とすすり泣く音だけが響いていた。
この瞬間は永遠に続くかのように錯覚された。

アルティナ「スヴェステェン……」
アルティナ「ありがとう、もう大丈夫ですわ」
アルティナ「少し元気をもらったような気がします。なんだか気が楽になりました……スヴェステェンのおかげです」
アルティナ「ありがとう……」

暗がりの中で判然としなかったが、アルティナは照れたような表情を浮かべた。
スヴェステェンは黙ってうなずいた。
もうそろそろ野営地に戻らなければならない時間だった。
彼は再び歩き出そうとしたが、また足を止めて、アルティナの方へ向き直った。

スヴェステェン「お館さま」
アルティナ「なんですか?」
スヴェステェン「もし、お館さまの身に危険が及んでも……ご安心ください」
スヴェステェン「このスヴェステェンが命に代えても守って見せます。必ず……」
アルティナ「うふふ……ありがとうございます」
アルティナ「本当に、そういう真っすぐなところは昔から変わらないんですね」
アルティナ「でも、一つだけ文句をつけるとすれば……貴方も死んだら絶対に駄目ですわ」
アルティナ「二人とも生き残るか……」
アルティナ「それとも、二人とも死んでしまうか。どっちにしろ、貴方が死んで、私だけ生き残るだなんてことは、絶対にあってはなりません」
スヴェステェン「しかし……」
アルティナ「お願いです。私を助けようとするのは嬉しいですけど、どうか無茶だけはしないでくださいね……」
スヴェステェン「ならば、無茶にならない範囲でお館さまを助けます」
アルティナ「うふふ、まったくもう……」

それからしばらくの後、二人は何事もなく野営地に戻り、それぞれの宿舎に入った。
夜が次第にふけていく中、彼らが何を思っていたのかはわからない。
それを知ることは永劫にかなわないであろう。
翌日の激戦――一発の光弾がアルティナ目がけて飛来した時、スヴェステェンは身を呈して彼女をかばった。
しかし、わずかな残光が被弾し、アルティナも命を落とすことになった――図らずも、アルティナの願いはかなうこととなったのだ。

fin


  • 切ない、儚い、けど美しい。 -- 名無しさん (2012-08-04 13:50:38)
  • セレンは何をする気だw -- 名無しさん (2012-08-04 17:17:48)
  • セレンの扱い草なんだ -- 名無しさん (2023-04-30 11:26:56)
  • スヴェステェンがシリアスになるとセレンがふざねる -- 名無しさん (2023-11-21 18:45:21)
名前:
コメント:

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2023年11月21日 18:45