互いの温もり


 大陸に翻る穹廬奴の旗印。それはリザードマン族の国家が誕生した事を示す日であった。
 穹廬奴は二度の崩壊を受け、それでも大陸に覇を唱えた崇高なる志を、空高く掲げられた旗に籠める。
 長き戦乱の世は、単于ゲルニード率いるリザードマン勢「穹廬奴」の大陸平定によってその幕を閉じた。

 うっそうと茂る草木に囲まれたとある庵。長年放置されていたのか雨風に曝されるままに傷み荒廃している。
 その庵のさほど広くもない部屋に、リザードマン族の男女が肩を寄せ合い座していた。
 穹廬奴の単于ゲルニードと従者チョルチョである。
「まだ、傷は痛みますか」
 肌を露にした男の背に深々と刻まれた刀傷から滴る血が、チョルチョの心をとめどなく揺さぶり続けていた。
 大陸平定の悲願も間近という最期の決戦。ゲルニードとチョルチョは敵の謀った伏兵に命を狙われた。
 刹那の出来事だった。
 閃く凶刃からチョルチョが逃れられたのは、ひとえに男が身を挺し庇ってくれたからである。その時に負った深手の傷は、男が最も恥ずべき背にあった。
「案ずるな。この程度、大した事ではない」
 チョルチョの問いに毅然と答える声が、堪える様に僅かに震えていた。
 男の背に手を這わせ、流れる血を舌で丹念に舐め取る。
 ゲルニードは傷ついた身体を押し、穹廬奴の旗が翻るのを見届けてから一言「故郷へ」と呟いた。
 供は付けず、二人は肩を寄せ合いリザードマン族の故郷である湿地帯へと帰り着く。
 男が若き日を暮らした庵に。
「チョルチョよ……儂は立派な単于であっただろうか」
 ふいに男が口にした。その目はどこか遠くを見つめる風であった。
「ええ。ご立派でした」
「多くの同胞を死に追いやった。それでも儂は……」
「ゲルニード様は、穹廬奴の悲願を達せられたのです」
「悲願か……我等に刃を向ける相手は尽きぬ」
「リザードマン族の、種族の運命だと。
大陸を平定させねば、もっと多くの血が流されます」
 男の背に肌を合わせる。刀傷からとどまる事なく滴る血がチョルチョの胸に流れ伝っていく。
 身体が熱を失いつつあった。
「もう陽が暮れたのか……やけに暗い」
「ゲルニード様……」
「チョルチョ、傍に居てくれ」
「はい……」
 束の間の逢瀬を交わした男と女が求めるものは、互いの温もり。
 庵に訪れた静寂は、最期の薄暮のものか。
「今宵は冷えるな……」
「私が温めてさしあげます」
「何故だかとても疲れた……暫し眠らせてくれ……」
 ゲルニードはチョルチョの手を握ると膝の上に頭を乗せ、光を失った目を静かに閉じた。
 その手を優しく握り返し、頬を撫でる。
 男の顔は安らかであった。

 乱世に生き、乱世に死す。

 血で綴られた穹廬奴の歴史は、生まれ来る子の世代が平和である事を認めはしないだろう。
 しかし、それでも切に願う。
 この平和が少しでも長く続く事を。



  • ええやん、熱い -- 名無しさん (2020-06-30 22:56:36)
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最終更新:2020年06月30日 22:56