.
幼少の頃、彼女は病弱であった。
リュッセルでも名門と呼べる貴族の令嬢として生を受けたものの、病弱ゆえに
彼女は毎日を屋敷の奥で過ごした。
その日も彼女が見上げる切り取られた空は同じだった。
時折、遥か上空を翔る竜が横切るのみで変化はなく、読み飽きた本を少し読んではまた空を見る。
空は憧れ。だが、彼女には近くて遠いものである。空を見ていると楽しいことも思い浮かぶが、
同時に寂しくもなった。少女はうなだれ、眼を閉じる。今日もなにもしないで一日が終わる。そう思えた。
そんな彼女の耳に、聞き慣れない音が入ってきた。
大きなものが風を切る音、竜の鳴き声、それもだんだん近づいてくる。
ハッ、として窓から空を見上げると、
「とまれぇええええええーーー!!」
竜が降って来た。このままだと彼女に向かって。
しかし、降って来たものはギリギリで軌道を変えて、屋敷の庭に墜落した。
少女は寝間着のまま庭へ飛び出した。驚くほどに体が軽く、考えるよりさきに体が動いていた。
花壇に大穴をつくり、それは煙をあげていた。竜は目を回し、だらしなく舌を出している。
竜の翼を押しのけて、一人の少年が這い出てきた。
その少年は金髪碧眼のなんのことはない、普通の少年だった。だが、彼がほこりまみれになり、
動かない竜を必死に引っ張っている様はこっけいだった。
少女は幾分か警戒心を解き、少年の近くにゆっくり近寄っていく。
「あ、あの・・・。騎士・・・さま?」
「騎士じゃねーよ。俺はリジャースドだ」
これが二人の出会いだった。

少年・リジャースドは郷士の生まれだった。
彼の家は貧しく、農民とそう変わらぬ生活をしていた。
それゆえに、責任も小さく、騎士の子であるにも関わらず彼は自由に生きていた。
その日、彼は不良仲間を誘って騎士団の厩から飛竜を盗み出し、空を飛んでいた。
飛び立って間もなく、彼の仲間は飛竜を御し切れず、高度を落としていき、
程なくして空にあるのはリジャースドのみとなっていた。
調子に乗って、リジャースドはいろんな機動を試してみたが、そのうちに無理な機動をして
減速できずに落下機動に陥ってしまったという。
幸い、竜も彼も命に別状はなく、ところどころ擦りむいた程度である。
「しっかしまいったなぁー。動きゃしねぇ」
やはり、少年一人の力で竜は動かせない。少年は困ったぞ、という表情をして考え込む。
「あの・・・もしよければ、中に入って・・・・・・くれませんか?」
「んー?」
少女にとって精一杯の勇気であった。少女は家族と主治医、使用人ぐらいとしか面識がなかった。
赤の他人、それもこんな突然の来訪者と話すことなど考えもしなかったことである。
だがどうしてだろう、この少年と話がしてみたい。彼女はそう強く思った。
「まぁ、いいけど。・・・おじゃましまーす」


「・・・よう・・・・・・こそ」
少女はあどけない所作で客人を客間へ案内し、慣れない手つきで紅茶を淹れた。
少年はその紅茶をまずいと思いながらも、
「改めて自己紹介。俺はリジャースド。ここから北東に山三つほど先のトコに住んでる」
「・・・あ、アーシャと・・・・・・申します」
他人の屋敷というのに、少年はこの上なくくつろいでいる。少女は自分の屋敷だというのに、
はじめての客人を前に萎縮している。
「まーまー、そう堅くなりなさんな。自分の家だと思ってくつろいでくれよ」
「いえ、ここ、私の家なんですが・・・・・・」
少年の冗談に対し、少女は到って真面目に応える。少しだけ緊張の糸がほぐれる。
リジャースドは聞かれもしないのに、自分の武勇伝を語りはじめた。
少女・アーシャにとって、それは驚きの連続であった。マンティコアと対決した話、
森の奥でハチミツを見つけた話、直参のお坊ちゃまを殴って泣かせた話、竜の卵を盗んだ話。
彼の話はどんな絵本よりも色鮮やかで躍動していた。
自由に生きる。
それが彼女にとっては喩えようもなく羨ましいことであった。
「じゃー、ま、そろそろ帰るわ。アーシャ。俺の顔をよーく覚えとけ。このリジャースド様はいずれ
リュッセルの、いや、大陸の伝説になる男だ!」
「・・・あの、リジャースド様・・・?」
「ん?」
「また、来てくれますか?」
少女は懇願するような目で訴えかける。別れが辛い。彼といる時間はとてもとても幸せだった。
その幸せな時間が終わってしまう。
「ったりめーよ!もっと俺の伝説を聞かせてやるぜ!」
少年は格好つけて去っていった。
アーシャの母と屋敷の使用人たちは遠くから二人を見守っていた。彼らにとっても、この少年は好ましい客人であり、
二人の間に自分たちは邪魔だと思ったからだ。
リジャースド13歳、アーシャ8歳の頃のことである。


それから、リジャースド少年はアーシャのいる屋敷に何度も通った。
少年としては屋敷の使用人たちの目を盗んで忍び込んだつもりだろうが、使用人たちはそれを黙認していた。
アーシャはベッドの上で上体のみを起こし、つまらなそうにで本を読んでいた。
少女の体には大きすぎる豪奢なベッド。部屋の調度品はいずれも高級なものであったが、
それらが少女の憂いを忘れさせるはずもなし。
少女は今か今かと彼の来訪を心待ちにしていた。
「リジャースド様っ!」
アーシャは、リジャースドの姿を見留めると、その表情は晴れ渡り嬉しそうに高い声を上げる。
「おうよ、来たぜ」
あれから、リジャースドは操竜の腕を磨き、より遠くへと飛んだ。西の海峡を越えると、
そこは一面銀世界。クイニックの雪原であった。しばらく雪原を進むと、街道を見つけ、それを辿る。
その町はリュッセル、ハルト、グリーンをつなぐ交易都市であった。
人々は毛皮を纏い、白い息を吐きながらも活発に声を出して商売をする。
鯨油、蜜蝋、獣皮などはもとより、見たこともない品々が並んでいた。
海をひとつ跳び越せばそこは別世界。リジャースドは自分が井の中の蛙であることを改めて知ったという。
そんな話をする彼に対し、アーシャは、
「リジャースド様は私なんかよりよっぽど多くを知ってます。私なんか、
この屋敷から一歩も外に出られないんですから」
空気が重く沈む。少年は話題を変えようと思った。
「あのさ、そのリジャースド様ってのもうよしてくれよ。貴族サマたちの礼儀なんざ、
俺たちの間じゃナシにしようぜ」
「そう・・・ですか?じゃあ、・・・・・・兄さん」
可憐な小さき唇から出たその言葉は彼女として最上の親しみと敬愛を込めたものであった。
口にしてみると思った以上に恥ずかしい。少女は赤くなり、布団を目の下にまでたくし上げて隠れてしまう。
少年もまた、兄と慕われることにくすぐったい感じはしたものの、悪くないと思った。

二人の出会いから何年かの歳月が経過した。リジャースドは各地を飛び回り、多くの魔物を討伐し、
何人もの賞金首を捕らえた。既にその名を知らぬ者はリュッセルにはいないほどにまでなっていた。
小さかった少年の体は立派に成長し、面構えも精悍なものになる。
やがれ彼は騎士団に入団した、その実力は騎士団の若手の中でも屈指のものであるとされていた。
だがしかし、彼の出自が卑しいばかりに彼が出世することはなかった。
その日、リジャースドはアーシャの屋敷を訪ねた。
少女は少しだけ大人になったが、青年との身長差は頭一つ、いや二つほどのものになり、まだあどけないさが残っていた。
外見こそ、やや幼いものの、少女はそれから淑女となるべく教育を受け、物腰は穏やか、奥ゆかしく、
深窓の令嬢と呼ぶにふさわしいものとなっていた。。聡明で、家柄・容姿ともに優れる彼女には既に
多くの貴族たちが求婚を申し込んできていた。
しかし、アーシャはそれを一顧だにしなかったという。
二人は成長したが、リジャースドが彼女の屋敷を訪ねることに変わりはなかった。
アーシャにとってリジャースドは既に家族。もっとも頼れる存在、心を許せる数少ない人間であった。
そんな彼が、今日はいつになく暗い表情をしていた。
「兄さん、どうしたのですか?」
「ん?・・・ああ、すまない。いや、騎士団にリューネ家のお嬢様のアルティナっていう赤毛の女がいるんだが」
他の女の話。アーシャは少しふくれる。彼が他所から土産話を持ってくる際に女の話をするのはこれが初めて
ではないが、いざその場に立ち会ってみると、言い知れぬ感情が芽生えはじめる。


「い、いや待て。そういう意味じゃない!誤解すんな。俺が言いたいのは出世の話だ」
「・・・・・・出世、ですか?」
思わぬ言葉を聞いてアーシャの胸の奥から火が消える音がする。それにしても妙だ。この男は出世など
興味ないといつも言っているのに。自由に生き、空を翔るのに地位なんてものは余計だというのがリジャースドの
持論であったのだが。
「自分で言うのもなンだが、俺は騎士団に入ってから多分ここんところで一番活躍してる。
なのに、出世できない。俺よかちょっと劣るがそれなりに活躍してる赤毛は出世しまくってる。なぜだと思う?」
「出自・・・・・・ですね」
言うまでもなく、リューネ家公女アルティナはリュッセルでも名門中の名門の出自である。
さらに、彼女自身、騎士団開闢依頼の天才と謳われ花実兼備と羨まれる存在であった。
彼女に付き従うスヴェステェン、オーティら幕僚たちも有能である。
彼女とその配下はその才覚を遺憾なく発揮し、多くの功績を上げた。
既にこの頃からアルティナの人気はリュッセルの将兵と民全ての間で絶大なものであり、
彼女がゆくゆくはリュッセルの支配者となるのは誰の疑いもなかったという。
一方、貧乏騎士の息子に過ぎぬリジャースドはというと、彼の上司に功績を奪われ、
逆に上司の失敗の責任を押し付けられる毎日であった。
「生まれが卑しい俺はいくら活躍しようが出世できないって、そういう話らしい」
やはりリュッセルの郷士・直参の対立は根が深い。直参の中にも有能な者がはいるが、
郷士の中にも才覚のある者は数多い。なのに、生まれに拘る騎士団の首脳部は郷士たちを正統に評価することはまずない。
これはリュッセルの先人たちが解決できずに今に至る問題である。この二人が悩んだところで解決できるもの
でないのは明らかであった。リジャースドは意を決したように膝を叩いて立ち上がると、やや強引に
アーシャを抱き上げた。
「きゃっ! ・・・・・・兄さん?」
「空へ!」

――その日のことを私は昨日のことのように思い出せます
はじめ 高き空の風は冷たく 目を開けるのも大変でしたが
どうにか目を開いてみると そこは見渡す限り青空
雲のじゅうたん 光の階段 境界などなく
どこまでも空は広がる
自由
私はその日 自由を知りました


「じゃあな。次に会う時は、リュッセルは俺とおまえのモンだ!」
「お待ちしております」
少女の体から病魔は失せていた。少女は修道院に入り、神官として修行をはじめる。
青年は騎士団の任務で黒竜の討伐に赴き、そこで行方不明となる。
騎士団がリューネ家のものとなり、少女は神官として軍に用いられた。
リューネ騎士団は無価値な戦いを続けるうちに自滅した。

帰ってきた青年はならず者たちを率い、リュッセルを占領した。
「騎士たちよ、今我が故郷は流賊によって占領され我が家族は苦しめられている。
これを許してなるものか。心ある者は我に従え!」
「はい、ミシディシ殿。私もリュッセルの神殿が心配ですので、貴方に賛同いたします。
後方の備えはお任せください」
本拠奪還のために愚か者たちが鼻息を荒くする。冷めた目で少女はそれを見ていた。
結果、愚か者たちとならず者たちは死に、そこには王とその神官のみが残った。
「アーシャ、貴様謀ったな! ぐふっ・・・」
「価値のない生。終わってよかったですわね。おやすみなさい」

リジャースドはリュッセルの王となった。彼の政治は実力主義。実力のない血筋だけの者は
生き場を失った。反発も多くあったが、それらは粛清され、あるいは懐柔された挙句に
追い落とされた。
悪魔を雪原から放逐した後、リュッセル王はクイニック経由での貿易を奨励した。
やや不平等な交易にまたも反感があったが、雪原の救い主である彼に対し、雪原の民は
朝貢に近い形で従うこととなる。

――大陸では誰かと誰かが覇権争いをしている
でもリュッセルに手を出さなければ構いはしない
ここは私と兄さんの庭
見て 兄さん 今年も綺麗な花が咲きましたよ
私たちは ずっと一緒

それから時が過ぎ、大陸を覆う戦火は消え果てた。欲深き愚か者たちは死に絶え、残ったのは
荒れ果てた大地、飢えた民草のみである。
それに対し、偉大な王と聡明な神官が治めるリュッセルの地はどこよりも豊かであった。
  • end-


  • リジャースドはできる子 -- 名無しさん (2012-08-04 11:38:02)
名前:
コメント: