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新緑の息吹が一面を鮮やかに染め上げ、目の前に広がる景色に新しき季節の到来を告げている。
ふらりと、その中に唐突に現れた一人の男が、周りの景色には微塵の興味もないのか、噴水の設けられた中庭にぽつんと置かれた椅子に腰掛けると、徐に手にしていた本を開きその内容に没頭しはじめた。男の無造作に伸ばされた髪が頭を垂れた額へとまとわりつくのもお構いなしに、ただひたすらに本を読み進める事に意識を捉われた格好は、陰湿であり陰険であり、見る者に不快感を与えるような、実に不気味な様であった。男のくたびれた外套に纏われた服も皺がより、いつ換えたのかも判らないといった風体も拍車をかけている。
男は、やや痩せこけた頬をしきりに動かしながら、何かを呟く様にページを捲っていたが、開いていたページに突然影が差したのに気付くと、ゆっくりと顔を上げた。見上げた視界に、一人の少年の姿が映る。
「ここに居たのですか」
「王子……私に近づくのはおよしなさいと、あれ程に云いましたが」
「僕は周りに何を言われようと、そんな事は気にしません。
ムクガイヤさんにとって僕は迷惑な存在ですか」
私の傍に居れば、よくない噂が立ちます……陛下もお喜びはしますまい」
また父の話ですか。僕は僕だ」
貴方は王子なのです……一人の人である前に」
その話でいつも逃げるのですね、ムクガイヤさん」
ムクガイヤはそれまで開いていた本を閉じると静かに立ち上がり、目の前で不満を述べる王子の顔へと目をやった。
少年といっても過言ではない、未だ年若いレオーム王朝の嫡子ゴート三世は、毅然とした表情でムクガイヤをしかと見返してきている。意志の強そうな瞳が中庭に射し込む陽に照らされ揺れていた。大陸の将来がいずれは少年の柔軟な肩の上へと重く圧し掛かかる事は、本人の意志とは関係なく必ず訪れる事柄であり、少年はその運命に抗うかのように周りから反発をしている。ムクガイヤの目に映る少年の姿は、少なくともそうであった。
何故、私に付き纏うのです」
以前に問うた事がある。
貴方と初めて逢ったとき、僕を特別扱いしなかった」
少年はそう答えた。
ムクガイヤにとっては、王族であろうと臣であろうと、両者に大した差はなかった。正確にいえば、その様な区別に興味がなかったというべきだろうか。魔道の研究こそが彼の全てであり、魔道の世界こそが彼の生きる世界であった。魔道を基準にした価値観から見れば、王朝などはただの形骸そのもの。ただ、そこに自身の宮廷魔術師という立場から家臣としての節義を払っていたにすぎない。その彼の姿勢を毛嫌いする者は宮廷内に実に多かった。排除しようとする動きもある。それでも彼が未だに宮廷魔術師の立場にいられたのは、彼の類稀な魔力の賜物であるといえるだろう。
少年が彼に付き纏うようになり、色々と魔道についての質問を投げかけきては、それに丁寧に答える日々が幾日か過ぎたある日、周囲の囁きがムクガイヤの耳にも届くようになった。王子にあの男が取り入っている……魔術でたぶらかしたのだ……陛下も嘆いておられる……と。


その日以来、彼は少年との距離を取ることに努めた。噂などどうという事ではないのだが、少年に対して少なからず好意を抱いていた自分に気付き、屈託のない姿勢に心を僅かにでも許していた自分自身を不思議に思いながらも、少年の事を考えては突き放した。それでも、諦めようとはしない。
「フィーザレスに見咎められますぞ……彼はお目付けですからな」
「あの男は父の言いなりです。彼にしてみれば、僕はただの出世の道具です」
「人をそう悪くいうものではない」
「ごめんなさい……でも、僕は道具じゃない」
「そして飾りでもない……と」
少年は頷きで返した。
生まれながらに自分の運命を決め付けられた少年の純粋な心は、多感な時期の成長過程で強くそれに反発をし、哀しき歪みの音を奏でている。
孤独感。
慣れてしまってはいるが、ムクガイヤ自身も過去に感じたどうしようもない、哀しさ、虚しさ。幼い頃、人付き合いが苦手な彼が魔法研究にのめり込む様になった原因のひとつ。まるで腫れ物を触るかのように接してくる人の表情や所作が、深く心に爪痕を残し血を流す。この少年の心もそれを感じているのだろうか。
「何れにしても、私は王子のお力にはなれない」
「どういう事ですか……」
少年が哀しそうな表情を滲ませた時、中庭に一人の鎧を身に纏った男がやってきた。
「若、探しましたぞ」
ムクガイヤを一瞥し、あからさまに嫌そうな顔を隠そうともしない。
「そろそろ学問のお時間です。ドルス殿がお待ちですので、さあ、参りましょう」
有無を言わさない強い口調で少年を促がし、その背を強く押した。渋々といった感じにゴート三世は宮殿内へと歩き出す。
後に続いたフィーザレスが、耳元でムクガイヤにだけ聞こえる声で囁く。
「あまり若に近寄らないで頂きたい。
ドルス殿は貴殿の力を認めてはいるが、それはあくまで貴殿の魔力に対しての事。勘違いをされては困る」
「……申し訳ありません」
フィーザレスはその言葉に満足したのか、口の端を吊り上げると足早に中庭を後にし宮殿へと消えていった。
くだらぬ男だ、と思う。他者より優位に立つ事がそれ程に嬉しいのか。ムクガイヤにとって理解に苦しむ相手であった。
彼一人となった中庭に風が吹き荒ぶ。葉が舞った。宙を揺れる葉は、まるで少年の心のように見えた。

To be continued


  • 誰かを立てるために特定のキャラを過度に低印象に描くのはファンフィクションとしては下の下であるな。 -- 名無しさん (2011-03-05 22:14:39)
  • 仰られる通りでお恥ずかしい次第です。お目汚し申し訳ありません。 -- 名無しさん (2011-03-06 05:07:39)
  • どうしてもゴート側の視点の話が多い事と、その時の敵役がやはりムクガイアになってしまうことを思えば、ムクガイア視点のお話はVTの世界観を広げてくれますね・・・読ませていただきありがとうございます。 -- 名無しさん (2011-03-06 17:35:16)
  • まあお話作るのに悪役は欲しいですもんね。そこはIFってことで。
    役目を果たす悪役も魅力的ですしね。 -- 名無しさん (2011-03-06 22:45:26)
  • フィーザレスが小物なの珍しいね -- 名無しさん (2022-02-12 22:02:40)
  • 「2011-03-05 22:14:39にコメントをした人」は下の下だな
    したり顔で「下の下であるな。」とか言っちゃってさ -- 名無しさん (2023-04-30 11:26:00)
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最終更新:2023年04月30日 11:26