ルグナナム


ここに、一人の男の名を記す。
名はルグナナム。アルナス出身の傭兵である。
史書には、彼が英雄・傑物として記されることはない。同時代の大人物、ムクガイヤ、ヒューマック、
リジャースドなどを記す際に、それに伴った形で記されるのを目にするのみである。
彼は歴史という大河に消えた塵芥一片に過ぎない。平凡な生まれ、人並みよりやや優れた程度の才。
だが、我々は彼を知っている。

まだアルナスを出る前、あるとき、ルグナナムは自分だけが知る水場へとやってきた。
鏡を見る習慣などない。だが、水鏡の前に立つことで自分自身を見つめなおすことができる。
以前に、同じ部族の老人が言っていた事を知って知らずか実行していたのである。
水場のみに生える背の高い樹木がかすかに揺れる。風によるざわめきではない。ルグナナムは、
剣の柄に手をかけ、そちらを睨みつける。出てきたのは、彼と同じ部族の良く知った男だった。
「よう、ルグナナム。そんな怖い顔をすんなや」
この男、喧嘩が弱く、口先三寸で生きる者であった。ルグナナムとは対照的な男…。
「ここのことは誰にも言わないからよ」
どうやら、自分が秘密の水場のことを他の者に漏らすのを気にしていると考えたらしい。
だが、ルグナナムは興味なさげに男に背を向けて言い放つ。
「やるよ」
砂漠の民にとって水場は命、生命線である。それをあっさりとくれてやると言うのだ。
同じ部族の男は、面食らったが、それがルグナナムがこの地を出ることを意味するのだと理解した。
夜明けを待たずして、一人の若者はアルナスの地を発った。その目に、空っ風の向こうに
横たわる見慣れた…あるいは見飽きた風景をに向かって、
「こんな眺めは、もう、うんざりなんだよ」

ルグナナムは中央を目指した。王都ルートガルト。世界の富と名声、力が集まる…世界の中心。
アルナス人はこの地より遠く離れ、砂漠の砂に身を擦り減らされる日々を送っていた。辺境の民、
あるいは蛮族とすら呼ばれていた。ルグナナムは、自分達が豊かな中原に住むというだけで、
選ばれた者だと思っている中原人が許せなかった。
だが、まずは中央だ。彼は、自身を天下無敵などと自負してはいないものの、独自に編み出した火竜剣を使った剣技、
それのみでどこまで天下に通用するのか試してみたいと思ったのだ。
旅先で、噂を耳にした。中原では、魔王が現れ、それと戦った都の王は敗死したのだという。
都の王の臣下の野心ある男が、中央で自らの旗を揚げ、新たに王を名乗ったという。
これは好機であった。戦乱の世ともなれば、真に強い者が名を上げる機会は訪れる。
王都に天命あり。そう感じたルグナナムの足取りは自然と軽くなった。


「アルナス六支族が一、岩の部族のルグナナムと申す。此度は、賢明なる王ムクガイヤ様が
四海より剣を集めておいでと聞き、参上した次第」
自身の出自と、仕官の意志を包み隠さず表明する。自分は、岩の部族の出自であることなど
忘れたいことだが、岩の部族式の礼の仕方しか知らない。この礼をしたのも何年ぶりであろうか、
既に頭で忘れていても体は覚えていた。
募兵の指揮を執っていた将校は、ルグナナムに他の志願兵に与えたのと同じ紙を渡す。
行列の最後尾に立ち、順番待ちをする。どうやらこれから自分達はどれほどの力量があるのか試されて、
それによって軍でのはじめの待遇が違うらしい。
列に加わった人間たちは、中原人だけではなく、リステム、リュッセル、ロイタス、ローイス…
各地よりこの地へと集った荒くれ者たちが列を成している。中には、女もいる。どうやらこの場にはアルナス人はいないようだが。
彼の順番が廻ってきた。与えられた剣で訓練用の木偶人形を斬って見せろとのこと。
ルグナナムはひとつ、深い呼吸をして剣を構え、対象との間合いをはかる。横に凪いだ剣の切っ先は、
鈍い音とかすかな煙をあげつつ木偶を両断した。短い沈黙の後に、
「「おおーー!」」
歓声があがる。
ルグナナムは一部隊を任せられる身分となった。まんざらでもない彼であった。

部隊を任せられると聞いた彼は、将軍にでもなった気でいたが、与えられた兵はわずか数名であった。
少し落胆するも、誰かの上に立ったことのない彼にとっては新鮮な気持ちだった。
彼の隊に、戦いの時はすぐやってきた。敵は、ムクガイヤへの協力を惜しんだルートガルトの
諸都市の権力者たちである。この、中央の都市群の制圧作戦はルグナナムが仕官する以前
より行われていたものである。その作戦も、”残り”と表現されるようになっていた。ルグナナムの隊はそれぞれに
武器を持って、戦場の片隅に置かれた。彼の隊の任務は、ただ戦場にいること。実際に、その戦いで彼らに出番が
まわって来ることはなく、髪の長い騎士の隊と黒い鎧の騎士たちが敵陣に突入すると、すぐに戦いは終わってしまった。
戦争とは、かくも退屈なものなのか。ルグナナムはそう訝しむ。

中原の気候はおだやかだった。蒸し暑く感じることはあったものの、飢えるような心配はなかった。
だが、アルナス出身であり、教養もないルグナナムは都の知識人や将校たちからよく馬鹿にされた。
先の戦いで戦功を立てた騎士ハイトロームと話す機会があった。話は食べ物の話題にはじまり、次第に
その場にいた者の中で誰が一番強いのかということになった。ハイトローム隊の騎士たちは、ハイトロームこそが
そうだと言った。ルグナナム隊の者は隊長であるルグナナムも負けてはいないと言う。ならば、と手合わせをしてみては
どうかということになる。ルグナナムは、騎乗したハイトロームと戦ってみたいと言ったが、それ聞いたハイトローム隊の
騎士たちは笑わずにはいられなかった。剣士が騎兵に勝とうなどと、そんなのは無理だ、と。
「やってみなければわからない!」
とやや逆上気味にルグナナムは言い放つ。ハイトロームは、軍での私闘は軍令で禁じられている、など言葉巧みにいなす。
そのとき、再び召集がかかった。西の大都市、ブレアより出立したファルシス騎士団の軍勢がルートガルトに迫っている
のだという。幸か不幸か、彼の剣が騎兵に通じるのか試す機会が早くもやってきた。


このときの戦いは様子見程度のものであった。常に優勢であったとはいえ、ルートガルト諸都市の制圧で軍と
領内は多かれ少なかれ混乱している。それをしずめつつ、相手の力量を見定め、正しい戦略を練ることは難しい。
なので、まずは負けてもよいということで、一戦あたってみて…というのがこの戦いであった。場所はルートガルト三区。
指揮官達には、それぞれの判断で退却を許す、と伝達されていた。だがこの命令を、ルグナナムは理解できなかった。
敵が迫っているのになぜ退く? 敵に尻を向けて戦うのは、アルナス騎兵のようないじましい連中のやることだ。
それがルグナナムの考えであった。
しばらくして、敵軍がやってきた。精強で鳴るファルシス騎士団の大軍が土煙を上げて迫ってきた。
少しの武者震いはあったが、相手にとって不足なしとルグナナムは剣を抜き放つ。間合いまで、あとわずか…。
「そこだ…! なにっ……!?」
騎兵の突撃とは想像以上のものだった。踏み込んできた騎士の槍は恐ろしく重く、その狙いに狂いはない。
それまで、接近戦で負けたことのないルグナナムであったが彼の剣は敵の鎧にすら届くことはなく、
宙に投げ出される。ルグナナムも、腹部に激痛が走ったのを感じ、天を仰ぐのみで意識を失った。

彼は死んではいなかった。軍の野営地に他の怪我人とともにルグナナムは運び込まれていた。
突撃で受けた傷は致命傷ではなく、ニースルー隊の魔術師の治癒魔法で応急処置を行ったおかげで
一命を取りとめたのだという。
ニースルー。ルートガルト国軍の最高幹部の一人である女魔術師だ。彼女は聞くところによると、ラザムを破門になった
元神官であるのだという。ルグナナムは、ラザムの神官なぞ金に腐敗した外道だと思っていたし、女が自分の上官に
なっていることも納得がいかなかった。それでも、こうして命を助けられてみると、どこか恩義のようなものを感じずには
いられなかった。ルグナナムは、まだ起きてはいけないと言われていたが、包帯姿のまま尋ねる。
「そのニースルー殿に礼を言いたい。どこにおられる」
聞けば、ニースルーはすぐ隣の幕舎で治療を行っているのだという。権力者なんてものは、いつも安全で高いところから
下々の者を見下ろしてると思ったが、彼女は違うようだ。遠くからルグナナムはニースルーが
せわしなく負傷兵たちを診て回る姿を目に留める。あれは邪魔してはいけない、そう思えた。
「ルグナナムがあんたに感謝していた。そう伝えてくれ」

隊のうちで生き残った者は自分と、あと一人だけ。すぐに代わりの兵が隊に補充される。”補充”……。兵も消耗品なのだ。
戦場、そして戦争を実際にその身で経験して痛感したもの。己の甘さ。剣のみで戦えるなどというのは思い上がりであった。
ルグナナムは寸暇を惜しんで、騎兵に対抗する術を模索した。
はじめに、彼はヒューマックのもとを訪れた。彼は、隠密集団を指揮して戦場以外の情報戦などで活躍する特務校尉で
ある。先のファルシス騎士団の前哨戦でも兵を減らさずに敵軍を手玉に取ったという。その強さのわけを聞きに行った。
「で、俺に教えを請いに来たのか? ご自慢の剣だけで戦いぬくんじゃなかったのか、アルナスの剣士さんよ」
いつもどおり人を食ったような態度、ルグナナムを足蹴にすらするかのようである。まわりのヒューマック隊の歴戦の男たちも、
同じようにルグナナムをひよっこと見下している。そんなルグナナムは、
「誇りなんざ糞の役にも立たないのがわかった。俺はそんなものより、手柄をあげたい」
彼なりに言葉を選んでの発言だった。その顔は、井の中の蛙だった頃のものではなく、戦場を生抜いた者のみに備わる
何かをまといつつあった。少し興味を持ったヒューマックは、ルグナナムの近くの床にナイフを投げつける。
そして、外へ出て二十歩の距離をとり、そこから自分にナイフを当てられたら手ほどきをしてやる、と言う。
ルグナナムは、投げ物の心得などなかったが、とにかくやってみた。結果――。
「だめだな。おまえには才能がない、失せろ」


その後、ルグナナムは諸将を訪ねてまわった。ハイトロームにはうまくかわされ、
サルステーネには目通りすら許されなかった。一時は弓兵になることも考えたが、さすがにそれは考え直す。
気がつくと、彼は誰もいない平原にやってきていた。おもむろに、愛剣を抜いてみる。手入れがされず、先日の
敗戦の際に傷ついたままの刀身。よく見ると、馬の蹄のような跡がついている。自分の誇りは、踏みにじられたのだ。
そして、誇りを捨てても自分はなにも成せずにいる。やりきれない思いよりも、怒りがこみ上げてきた。
「くそ……! クソッ!!」
力任せに振り下ろした剣。その切っ先から、いくつもの火球が飛び出した。爆音とともに、火球は目の前にあった
樹木を焼き焦がす。驚いたのは彼自身であった。伝承にのみ知られる火の剣技の極意…火炎斬。
それを自分が使って見せたのだ。しかし、どうやらこの技の威力を自分の腕では出し切れていないらしい。
不完全に燃え残った樹木のあとがそれを物語る。
「やってみるさ」
天が与えたもうた力は、ここまで。あとは、自分次第である。炎の剣士は、その闘志を再燃させた。

ルグナナムの頭脳ではムクガイヤの戦略は理解しきれなかったが、どうやら再戦の機会が巡ってきたらしい。
ルートガルト三区の奪還。それがルグナナムに与えれた命であった。当然、その戦いの総司令官ではない。
同様の命令を下された将兵達の末端、それが自分の身の置き場だ。だがそれでいい。彼を戦場に駆りたてるもの、
それは功名心でも正義感でもない。闘志のみであった。
忘れもしない音、地を踏みしだく馬の蹄の音がルグナナムの耳にも届く。敵が、ファルシス騎士団が迫ってきたのだ。
今回の戦いには、ルートガルトの主だった将兵が参加している。総力戦ということらしい。
先陣を斬るのは駿馬を駆るハイトローム隊であった。敵の騎士たちよりも速く動き、
敵陣の一片を切り取った後に右方向へと突き抜ける。続いて、
一騎の暗黒騎士たちが進み出る。闇の剣技の極意…黒竜剣。一刀のもとに、何騎もの敵兵が死に、さらにその
数倍の数が動きを封じられる。瞬時にして距離を詰めて、敵の首を刈り取る暗黒騎士たち。
後方ではダイナイムの部隊が大弓に矢をつがえて、放つ。負けじと、敵軍からも矢が放たれる。
ルグナナムの足元にも矢が突き刺さる。まだ動いてはいけない。敵の矢に倒れる兵もいる。
まだ動かない。ようやく、騎馬隊が迫ってきた。これを押し留めるのが、自分達の役目だ。
汗が頬を伝う。まだだ、もう少し――
「燃えよ剣。火炎斬!!」
撃ち出された火球が目前の騎士に残らず命中する。それでも騎士は炎を掻き分けて、止まることはない。
再度剣を構えて、迎撃の姿勢をとる。
「突破させるな!」
騎士槍が目前に迫る。以前のそれより、速度は遅く感じられる。肩の肉をいくらか裂かれつつも、
急所をはずさせ、ギリギリの間合いで剣を振りぬく。
ザッ!ドザアアッ!!
このとき、ルグナナムの名が歴史に刻まれた。


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最終更新:2011年10月09日 15:26