千年木の言い伝え


森人の古い言葉が紡ぐ。
……千年木の言い伝え。
その古木、千年に一度、大輪の花を月夜に咲かす。
去れど、その花、一夜にして散る。
千年の花、一夜の命なれど、千年の命を紡ぐ……。

遠い昔、ひとりの森人―エルフ―の命の灯火が消えかかろうとしていた。
その日、森は燃えていた。
森人の住まう地域より北方には大陸随一の湿地帯が存在しており、その地に住まう住人達は沼人―リザードマン―と呼ばれていたが、古来より、両種族の間に続く関係は、決してよいとは言えず、時として武力を用いた衝突を見せていた。
互いに自身の正義を信じている。それが、例え、お互いに間違った正義であったとしても。
温厚な森人は争いを好まない種族ではあったが、自身の英知に絶対の自信を持ち、その事で他者を見下す態度が多々見られた。沼人は何よりも力を信じていた。英知すら凌ぐ力の存在を。両者が相容れれないのも自然の成行きといえる。
幾度目かの衝突がおき、そして、森に火が放たれた。大挙として沼人が押し寄せ、森人の虐殺と略奪が行われた。
火の手は、沼人の大軍が引き上げて直ぐに消し止められたが、被害は集落がひとつ焼失してしまう程であった。
まだ夜の開けきらぬうちに、逃げ延びた森人達がぽつりぽつりと戻り始めた頃、力なく地面に膝をつき、今だ燃え盛る紅蓮の炎に照らされながら、うずくまる様に項垂れる男がひとり。
煤埃に黒く汚れた頬には、巻き上がる焔によって乾かされた一筋の痕が残り、その体に幾重にも鋭利な刃物で刻み込まれ、血肉がのぞくほどに開いた傷口から、今もてらてらと赤く輝きをもった血がとめどなく流れ続けていたが、男はその傷などに構う事もなく、ただひたすらに、胸に抱えたひとりの少女を抱きしめていた。
少女は沼人の凶刃に斃れたのか、煤に汚れた頬にすでに血の気はなく、白百合のごとく白い。身に着けている物は所々にやぶれ、背中には大きく斬り下げられた跡があり、そこから美しい肢体を覗かせていたが、ぱくりと割れた傷口も、また同時に露出していた。少女はまるで死んだように生気が感じられず、力なく男の腕に抱かれている。
生き残りの森人達がひとりふたりと周囲に集まり、男とその手に抱かれる少女を見て何事かささやきあっていたが、それもこの男の耳には届かない。
微かに、白い肌をした少女のまぶたが動き、薄っすらと弱々しくも目を開ける。しかし、両の瞳に光はない。それでも、自身を抱く男の事を悟ったのか、苦しげに口元を少し動かし、何かを伝えようとしていた。
男は耳をよせ、少女の言わんとしている事を聞き逃すまいとする。
一言二言、言葉が続いたのだろうか。男は顔を歪めながらうなずくと、少女を抱きかかえて立ち上がり、森の奥へと続く道に向かい歩きだす。
どれ程の間を歩いたのだろうか、うっそうとした森を抜けると、やがてそこには月や星の光が降り注ぐ、僅かばかりの草地が広がっていた。
高い木といえば、草木に囲まれて年老いた大木が一本、ひとり孤独に生えているだけである。
男はその大木の根元に腰を降ろすと、少女を寝かせ、頭を自身の膝の上に乗せてその髪を優しく撫でた。少女の頬に付いた汚れを拭い取ろうと、布切れを手にしたが、それは血で赤く染まってしまっていた。
布を手にする肩が震える。男の頬を、黒く濁った水が伝い流れる。
「おにいちゃん……花が……咲いてるよ……。
あの……花の……なまえ……なんだろ」
少女がおもむろに手を伸ばした。
男が顔を上げた。
ふと、それまで苦しげであった少女の顔から、苦痛の色が消え去る。
大木へと、天へと伸ばされた少女の小さな手は、何も掴むことなく、地へと崩れ落ちていった。


パーサの森解放を目標に、ミシディシ達と袂を分かったリューネ騎士団セレン一派は、西パーサの森に本陣を敷き、いざ決戦の準備を着々と進めていた。
リュッセル城は既にリジャーズト率いる反乱軍によって制圧され、リューネ騎士団にとって戦況は著しくない状態であったが、今は眼前の仇敵ラクタイナを含むパーサ・パクハイト討伐が最優先の課題であった。この戦い、決して退く事は許されない。
苦境に立たされ、総長のアルティナ戦死以降、兵士達の士気が奮わない事は多々あったが、この一戦で全てが変わるはずである。
朽ちて空洞となった巨木の幹を利用した、女性用にあつらえた個室で、慌しく戦準備をはじめるセレンの下へと、ひとりの男が訪ねてきた。
「セレンさん、お願いがあるのですが」
自然な動作で幹の入り口に掛けられている布を捲り中へと入る。
「何ですかヒュンターさ……え、きゃあっ!!」
振り向き様に答えたセレンは、着替えの途中と思しき白い下着姿であり、突然、目の前に現れた男に言葉をなくしたのか、悲鳴を上げながら慌てて胸元に手をかざし、わずかな膨らみを隠そうとする。
「いえいえ、そのままで結構ですよ」
「ばかっ!!」
顔を真っ赤にし、鋭くセレンが怒鳴る。
長く美しい赤髪を背に揺らしながら、山育ちの健康的な美しい肌を露出させたまま、ばたばたと大慌てで傍に置いてあった布地を身体に巻きつける。そして、出て行って、とヒュンターを表につまみ出そうとした。
やれやれ、と表に出たヒュンターの目の前には、何時の間に現れたのか、物凄い形相をしたルオンナルが立塞がっていた。
「ちょっと、セレンの悲鳴が聞こえましたけど、どういう事ですかヒュンターさん」
「いえ、美しく咲く花を見学に、ね」
「貴方って人は、本当に変態ですね」
ルオンナルは語尾を強調しながら声を荒げる。この女性にしては珍しい。それ程に頭にきているという事なのだろう。
至高の百合を堪能し、心の中でヒュンターは微笑んだ。だが、決して顔には出さない。これこそが、彼が紳士といわれる所以である。
それはさておき、彼女の怒気を和らげる為、ヒュンターは森人が知る花の知識を披露しはじめた。大方の女性であれば花の話しには笑顔を見せる。
当初は怒り顔のルオンナルも花講釈が進むにつれ、やや険のあった表情が解れてくる。未だ幹の中からは、セレンがどたんばたんと慌てている音が鳴り響いていたが。
ヒュンターは、森人でも滅多に目にする事が叶わぬ百合の話をルオンナルに披露した。
「へえー。珍しいのですか、そんなに」
「いつ咲くかもわかりません。数も少なく、それに咲いたとしても一夜限り。
いくら長寿の森人でも、見ることは難しいと思いますね」
「でも、よくそんな花が咲くってわかりますね」
ルオンナルは目を輝かせながら、興味津々といった素振りで聞いてくる。
「古い書物に記されています。森人は数千年の記録を伝える種族ですから。
ただ、実物はやはりどうも。それと、この花には色々と噂もありますよ」
「それって、もしかして、見れたら願いが叶うとかですかっ!?」
ルオンナルは両手を胸の前で合わせると、何処か、夢心地な表情を浮かべたまま「えへへ」とにやけている。
「え、ええ、まあ、そういうのもありますけど。
例えば、不老不死の薬になるとか、亡くなった人の魂を呼び戻せるとか――」
ヒュンターがそこまで言いかけた時、幹に掛けられた布が勢いよく捲り上げられ、セレンが顔を半分だけ出しながら、こちらをじいっと覗いてきた。
そして、人名なのだろうか、ひたすらに何かを小声で呟き続けては、ヒュンターを手招きするのであった。


「いや、余計な時間をとりましたね」
ようやっとの事で、ヒュンターはセレンとルオンナルから解放された。
既に陽も傾きつつあり、夕闇が迫ってきている。深い森なれば、そこは暗闇が支配する刻限でもあった。何処から、獣の遠吠えが木霊し、森は急激に静けさを
その淵に湛えていく。
元々の相談事は、珍しい百合の話の効力もあり、何とか無事に了承を得る事が出来た。
上首尾が顔に出る。眼鏡をかけたこの男が持つ優しい目許は、何時にも増して緩んでいることだろう。
ヒュンターが自身のねぐらへと歩を進めていた時、目の前の切り株に腰掛けた年の若い森人の姿が目に留まった。森人にしては、やや短めの髪に、鋭い眼つきをしている。優男な美形が多い森人において、これほどに鋭く、獣に近い気配を発する男の存在は稀有であった。事実、彼は森人において、はぐれ者に近い。
腰に提げた長剣を鳴らしながら男は立ち上がると、ヒュンターの前へと歩みよる。
「それ程に、アイツを助けたいのか」
「ええ」
男の鋭い目付きの問いに、ヒュンターは鋭い応えで返す。
「アイツはオレら森人の、パーサの敵になったのだぞ。それでもか」
「貴方があの話をしたからですよ。ラザムの輪廻の話を、ね。
ホーリートーン、では、何故、貴方は私に輪廻の事を教えてくれたのですか」
「それはオマエが……」
ホーリートーンは言いかけて、そして視線を落とした。
かつて、ホーリートーンがまだパーサの森を離れる前の事。
同じ集落に住むヒュンターとホーリートーンは、同世代の若者として、互いに切磋琢磨していた時期があった。この頃、ヒュンターは悪夢にうなされる事が続いていた。見る内容は決まって同じ。集落が沼人に襲われ、全てが炎に包まれる夢である。
誰かを助けなければいけない、と頭では判っていながらも、身体がまったく動かない悪夢。
友人であるホーリートーンに相談もした。それは、未来を見る力ではないか、と言われた。集落の仲間もその様な見解が多かった。
そして、悪夢は徐々にではあるが、鮮明さを増していく。
ヒュンターはある日、新たな花の知識を得た日に決まって、夢が鮮明になる事に気付いた。元々、花は好きな方であったが、これに恐怖を覚え、花を嫌いになろうともした。しかし、それでも、無意識のうちにヒュンターは花を愛でていた。
やがて、全てを理解する日が訪れる。それは、悪夢は未来ではなく、自身の過去であるのだと。
ホーリートーンが旅立つ日、ヒュンターは彼に全てを打ち明けた。
怪訝な表情をしながら森を去ったホーリートーンだったが、数年後に戻ってきた際、ヒュンターにラザムに伝わる輪廻の事を教えてくれた。
ラザムの使徒に伝わる輪廻の教え。命あるものは何れ死を迎える。その先にあるものは、輪廻であり、再生である。
強い想い、願いは、死してもなお、輪廻をめぐり継がれゆく事があるのだと。
だが、森人の教えは違っている。死ねば土に還り、森になるのだ。パーサの森から産まれ、パーサの森へと還るのだと。それが森に生きる者の全てであると。
どちらが正しいのかはわからない。だが、
「とにかく、私は信じますよ。だから、必ず助けます。
いや、助けなければいけないんだ」
ホーリートーンは逸らしていた顔を上げ、ヒュンターを見詰めなおすと、暫くの間をおいてから「そうだな」と小さく呟き、深い森の中へと消えていった。
パーサの敵、一度でも同族を背いた者は、森人としての存続を決して許されない。
パーサの森人を、各集落を束ねる長老衆は、この行動を黙って見過ごす事はないだろう。ヒュンター自身も追放は免れないかもしれない。
それでも、ヒュンターの決意が揺らぐ事はなかった。


翌朝、西パーサの森を出陣したリューネ騎士団セレン一派は、各地の森の奥深く、パクハイト勢の魔手を避けるべく隠れ住んでいた森人達を、次々と自軍に加え、パーサの森を目指し行軍を続けていた。
これに焦りを覚えたラクタイナは、聖地グリンシャス封印解除を目論むも、これに失敗。暴走を引き起こしてしまう。
パーサ・パクハイトは、この暴走を受け大混乱に陥り、好機を得たセレン一派の強襲によって、ニューマックが討ち取られた結果、パーサ・パクハイトは壊滅した。
リューネ騎士団セレン一派は、悲願のパーサの森奪還を果たしたのだった。
宵闇に紛れ、パーサ・パクハイトの主だった者達がそぞろに動き出す。ある者は逃げる為に、ある者はさらなる戦いを続ける為に。
暗く閉ざされた、一切の明かりのない深淵の森を、ひとりの森人が駆けていた。夜目が利くのだろう。草木を巧みに避け、枝を跳ね上げ、木立を飛び越える。
森人はそれまで駆け通しであったが、僅かに開けた草地に立ち止まると、大きく息を吐く。木々の合間から漏れる月明かりに照らされた緑色の髪が、宵の闇に煌き、輝いた。
一息ついたのか、草地の中央で天へと伸びる大木に歩み寄ると、その木に背をあずけて静かに目を閉じた。
小さな未発達の胸が、呼吸のたびに僅かに上下する。
「お待ちしてましたよ、エルアートさん」
突如として、背後から声をかけられた森人、エルアートは、驚いて飛びのき、あたりを見回した。
見れば腰に差した短刀は早くも抜身になり、用心深く利き手に握りこまれている。
「だれぞ、わらわを狙うのはッ!!」
「そう警戒されると、出るに出られないのですが」
「その声、ヒュンターかえ」
聞き覚えのある声と理解したのか、やや緊張を解いたそぶりで、未だ姿をみせない声の主へと返答する。
エルアートの背にしていた大木の陰から、ヒュンターはゆっくりと姿を現した。
それでも、じりじりと距離をとり、いつでも飛びかかれるようにエルアートは身構えている。
「なにぞ、ひとりかえ。わらわもあまく見られたものじゃ。
して、ヒュンター、待っていたとはどういうことぞ」
「エルアートさんに話したい事があったのですよ。
それで、ここに来られるように、予め色々と」
「……道理で、警備が薄いはずじゃ」
思い当たるふしがあったのか、エルアートの表情はいぶかしむ顔から、納得したという顔へと変化をみせる。
お互いに向かい合ったまま、それから暫くは無言の時が流れていたが、
「この場所を覚えておいでですか?」
それまで、じいっとエルアートの瞳を見つめていた視線を、ふと外し、月明かりの灯る草地を眺めるように見渡してから、ヒュンターが徐に問いかけた。
エルアートはヒュンターを警戒しながらも、言われたとおりに辺りへと目を配り、暫しの間をおいてから、言い切った。
「いや、知らぬぞ」
「そうですか。まったく記憶にも?」
「ない。ヒュンター、おぬし、なにが言いたいのじゃ」
未だ少女然としたエルアートの顔は、多分に幼さを残し、大きな緑の瞳をくりくりと動かしていた。森人特有の緑色の髪は短く、風に吹かれてかすかに揺れ、やや下向きに伸びた耳は、彼女の子供染みた印象にも一役買っている。ひとたび笑えば、それはまるで無邪気な少女であった。
だが、少女を知る周囲の者は、彼女を鬼畜王と呼ぶ。歪んだ思想を持つが故に名づけられた忌み名である。
男は殺戮し、女は蹂躙する。その思想は決して森人にあらず。闇に沈んだダークエルフですら、恐怖を覚えるほど熾烈で壮絶な性格の持ち主。
それら全ては、あの時、心に刻み込まれた、孤独、絶望、虚無、痛み、恨み、苦しみ、憎しみによるものだと、ヒュンターは兼ねてから考えていた。
大よその負の感情が輪廻に継がれて、今もエルアートの身を焦がし続けているのだ。
自身を辱めた沼人の、男という生物を怨む気持ち。
自身の受けた辱めの、女という性を怨む気持ち。
それら全てが、信頼をおき、結果として裏切られた、兄でもあるヒュンターの輪廻にも継がれている。
エルアートは、悪夢に出てくる陵辱された少女であり、ヒュンターの妹であった。
だが、今のエルアートの、妹の記憶は、心の奥底に深く封じ込められている。それでも、尚、鬼畜王と言わしめるほどに、漏れ出した感情が、心に狂いを生じさせていた。
エルアートの心情が常に不安定で、それによって森人の暮らしを追われるに到った事も、ヒュンターには理解できる事であった。


「退け、ヒュンター。いつまでこうしておる気じゃ」
どれだけの時間が過ぎたのか、大木を前にして、ヒュンターとエルアートの二人は、互いに向き合ったままでいた。
「いつまででも」
「ええい、退かぬと、斬るぞ」
言うが早いか、エルアートがたたたっと走りより、そして二人の身体が重なるようにぶつかった。
ぬらりとした感触が、生暖かさが、ヒュンターの腹部に深々と突き刺さった短刀を握るエルアートの手へと伝わってくる。
「な、何故よけぬッ」
「避ける必要は、ありませんから」
身体を奔る鋭い痛み。
「ふん、ばかな輩じゃ。ヒュンター、おぬし気でも狂ったのかえ」
傷口の焼けるような熱さと、肌にあたる金属の冷たさと、不思議な感覚の中で、あえてヒュンターは口元を緩めて微笑む。
そして、身体ごとぶつかってきたエルアートの華奢な背中へと腕を伸ばし、その手できつく抱き留めた。
「な、なにをするのじゃ」
エルアートは身動ぎし、その手から逃れようと暴れたが、深手を負ったであろうヒュンターの力を振りほどく事が出来ないでいる。それ程に強く、ヒュンターはエルアートを抱き留めていたのだった。なおも暴れようとするエルアートの背に力を込め、その顔を、お互いの息遣いが肌で感じとれる程に引き寄せる。
「あっ」
さらに深く、根元まで突き刺さろうとする短刀の存在にエルアートは気付き、小さな驚きの声をあげて血に濡れた手を離す。
抵抗を諦め、だらりと両の手を下げたエルアートの姿をみたヒュンターは、ゆっくりとした口調で話しかけた。
「私は、貴方に謝らなければいけないのです……長い間、言えませんでしたが」
森を抜ける風が大木の枝を揺らす。葉が互いにこすれあい、ざざざっと森が静かに音を奏でた。
いつともなく大木に緑く芽吹いた蕾が、白く膨らみはじめている。
「ずっと、ずっと、貴方をひとりにしてしまった事を悔いていました。
この様な事で、許して貰えるとは、思っていませんが」
「な、なにをいうてるのじゃ」
「覚えていませんか……あの日の事を……。
いえ、思い出さない方が、いいのかもしれません」
風に吹かれ、どこからともなく香った花の香が二人を包んだ。
(……オニイチャン……)
「うあッ……あああッ!!」
まるで雷に撃たれたように、エルアートは身体をびくっと硬直させ、言葉にならない呻き声をあげた。そして、ふと糸の切れた操り人形の如く、身体中から力が抜けたかと思うと、突如、カッと眼を見開き、
「おおおにいちゃんが、わ、わ、ワ悪いんダッ!!
アノ時、ナンデそばににに、いてくれなかッタノ!!!!」
血走った眼をぎょろりとヒュンターに向け、口から泡を飛ばし、奇声を発しながら腹部に突き刺さったままの短刀へと手を伸ばした。
「あ、あ、アア、アヒャアヒャヒャヒャヒャッ!!」
壊れた人形は、誰が意思でそう動くのか。全ての感情が噴出した慟哭なのか。とめどなく流れる涙が、エルアートの頬を伝う。
短刀の柄を手にした少女の手が、ゆっくりと動き出す。
少女の頬に、飛び散った血が跳ねる。
「……すまない」
腹部から全身へと、身体中を奔り抜ける激痛に、ヒュンターはやっとの事でそれだけを口にした。


(……オニイチャン……)
「アアア、アアアアアアッッッ」
(……オニイチャン……)
「ううルサイっウルサイッウルサイッ」
(……オニイチャン……)
「やめろっ……ヤメロッヤメロッヤメロッ!!
うるさいんだよオマエッ!! きえろおおおおッッ!!!!」
力の抜けかけたヒュンターを、エルアートは物凄い力ではじき飛ばし、頭を抱えふらふらとよろめきながら、エルアートは怒号をあげて叫び続けた。
ヒュンターは突き飛ばされ、体勢を崩し、そのまま大木の幹へと倒れこむ。
「ワ、わらわは、わらわは――ッ」
大木の根元、ヒュンターの前で、エルアートは両膝をつき、手にした血染めの短刀を投げ捨て、両手で頭を掻き毟るように抱えながら、強く左右に頭を揺すり、そして、地面へと叩き付けていた。
腹部から滲み出た血がヒュンターの服を赤黒く染めていく。既に痛みは感じなくなっていた。ヒュンターは、錯乱し苦しみに悶えるエルアートに、優しい口調で語りかける。
「私は、貴方を護りたかった。でも、それが出来なかった。
今までも、そしてあの時も、全て、私が、悪いのです……」
大木に咲く花が風に吹かれ、一輪、また一輪、と、散りだす。
頭を抱えてうずくまるエルアートを、ヒュンターは辛うじて動く腕で抱きしめ、乱れた髪を撫でた。
髪を、頭を撫でるたびに、エルアートの身体から強張りが解けていく。そして、全てをヒュンターへと委ねてくる。
「ごめんよ……いままで、辛い想いをさせたね」
「お、にい、ちゃん……」
その言葉に、エルアートが、涙に濡れ、くしゃくしゃになった少女の顔をあげて応えた。

本来、木には咲く事のない、大きな白い百合の花が、大木に余す事無く咲いていた。
それは森人の言い伝えにある、千年木。
空を見上げたヒュンターに、散り舞う花びらが目に映る。
「花が、咲いていますね……」
頬を涙で濡らしながら、懸命に兄の腹部を治療しようと、手を真っ赤に染めたエルアートが、不思議そうに空を見上げる。
「この花の名前は……千年百合ですよ。
やっと、私も見る事が出来ました……」
風に舞う大輪の花が、はらはらと散りゆく。
美しく、穢れなき純白の花びらが、地につく前に跡形もなく消えていく。
花にふれようと、伸ばした手に力が入らず、そのまま崩れ落ちる。
「嫌だ、死なないでッ! 死なないで、おにいちゃんッ!!」
「エルアート、なにを……泣いているんですか……。
きれいな……花じゃないです……か」
風にふかれ、花が香る。
やがて、最後の一輪となった百合が空へと散った。

森人の古い言葉が紡ぐ。
……千年木の言い伝え。
その古木、千年に一度、大輪の花を月夜に咲かす。
去れど、その花、一夜にして散る。
千年の花、一夜の命なれど、千年の命を紡ぐ……。


  • 感動した -- 名無しさん (2023-10-23 18:20:14)
名前:
コメント:

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2023年10月23日 18:20