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 今では誰も触らないピアノ。こいつを弾けるのは僕とお姉さんだけ。
 僕も昔習っていたけど、やめた。弾くたびに死んだお姉さんを思い出してしまうから。
 でも、久しぶりに弾いてみようかな・・・?



『ドー』
 低くも高くもない音が響く。僕だけにしか聴こえないように静かに響く。
 けど、少し音が悪いかな・・・。やっぱ何年も放置していたからかな。
 皆、ピアノしか弾けないお姉さんを思いだしたくなかったんだね。きっと。



 そして後片付け。寝ている家族に聞こえないようにゆっくりと。
 どうか起きませんように・・・。




 自分の部屋に戻り、携帯の待ち受け画面を開く。たまにメールが入っているときがあるからだ。
「今日は入ってないね・・・。よかった・・・」
 僕は携帯を左手に、大きなため息をついた。
 過去にメールの相手をしていて朝を迎えた事があったからだ。
 ようやく寝れると思えば着信。そしてまた着信。この繰り返し。
 僕の返信文は約五文。けど、あいつの返信文は約二文。たまに顔文字だけで帰ってくることもある。



『チャ チャラチャラチャラ チャ チャ』   
 携帯をたたもうとした時だった。弟がまた勝手に設定したのであろう『笑点』のテーマ曲が流れる。
 メールの受信音だ。
 慌てて受信したメールを開く。そのメールの送信者は他ならぬ、例のあいつからだった。
『いよぅ! モララー君! 今夜メールの相手してくれないか?』
 勘弁してくれ。僕は即座にそう思った。
 まだ馴染んでいない携帯を片手に、あたふたと返信メールを打つ。
『一分以内に理由を百字以上で述べてくれたら相手してやる。出来るかい? ギコ君』



 小さくため息をついて携帯をたたもうとした時だった。
 再びあの受信音が、部屋に鳴り響く。
「どんだけ早いんだよ・・・。あいつには他人を思いやる気持ちがないのかよ」
 そう呟きながらも、メールを開く。
 驚いた。
『…』が十一個。そして最後に『馬鹿』と。



 お前に言われたくねえよ。
 そう思いながら返信メールを打つ自分がいた。




「モララー、起きなさい。モララー」
 暗闇の中、母の声が聞こえた。
 しかし、優しいその声が鬼と化すのは、時間の問題だろう。
「モララー! いつまで寝ているつもりなの!? 今何時だと思ってるの!」
 突然聞こえた罵声に、僕は飛び起きた。
 そして時計に眼を向ける。



『八時十五分』
 なんだ、授業が始まるまで後四十五分もあるじゃないか。
 朝の会が始まるのも後十分もある。まだまだ時間があるじゃないか。
 飛び起きた体は、再び布団の中に倒れる。



 慌てて損した。
「大丈夫、大丈夫・・・。まだまだ時間があるから」
 小さく舌打ちが聞こえてきた。
 怒るとしわ、増えますぜ。
「何言ってんの!? 学校まで十五分かかるのよ!」
 学校まで・・・? そうか、ここは学校じゃないのか。
 まぁ、そうだな。参観日以外、学校に親が居るわけないし。
 と、言うことは、ここは家らしい。




「やべぇっ!」
 手に力を入れる。けど、うまく力が入らない。
 その手には携帯があった。待ち受け画面がメールの着信を知らせている。
 ・・・そんなのどうでも良い!
 慌てて、開いたままの鞄にかけよる。嬉しい事に準備は整っていた。
「ラッキィ」
 なるべく小さく、母に聞こえないように呟く。
「ほら、早く!」
 けど、聞こえてしまったようだ。なんて地獄耳。



 玄関でなんとか靴を履く。
 急いでるときに限って、なかなか履けないんだ。



 ノブに手をかけたとき、母が静かに僕を呼び止めた。
「何?」
 反射的に問いかける。
 静かに母は、僕にマスクを差し出す。
「ほら、貴方は肺が弱いでしょう。それに外は空気がすごく汚れているから・・・」
 母が差し出したマスクがまだ、風邪のときに使う普通のマスクでよかったと思った。




「いってきます!」
 ドアが閉まる。
 どこからか。いってらっしゃい、と声が聞こえた。





「よう! 今日も相変わらず遅いな、モララー君」
「五月蠅い。それと、『も』は余計だ」
 教室に入ったとたん、ギコが声をかけてくれた。



 僕はあまり目立たないせいか、友達は勿論、会話をする人すら少ない。
 だから、こうして声をかけてくれるギコに感謝している。
 ……照れくさいので口には出さないけど。



「でよ、昨日はごめんな」
 ギコのその言葉に耳を疑った。
 昨日、ギコは僕に謝るようなことをしただろうか。
「どうして?」
 即レスで聞き返した僕にギコは頬を赤めて言う。
「いや、昨日のメールのことでさ、途中で寝ちまってよ。……だから返信できなかった・・・」
 そんな深刻そうに誤られても、こっちが困るんですけど・・・。
「ううん、気にしてないよ。同じくらいに僕も寝ちゃったし」
 これは嘘ではない。
 どちらにしろ、互いに仕方がないと思う。
 メールが途切れたのは午前二時ごろ。どんなに寝るのが遅い人でももう寝ていると思う。



 僕はギコと高らかに笑いながら自分の席に着く。
「話し変わるけど、いい加減マスクとったら?」
 口元に何か違和感があるなと思っていたらマスクか。
「ありがとう、でも取らないよ」
 僕は皆と違って肺が弱いから。
 すぐに「ぜんそく」とか起こすし。
 外の空気、周りの環境には人一倍、敏感なんだ。
「・・・今日の体育、また休むのか」
 うん。ギコに分かるよう大きく頷いた。
 僕だって外を走り回りたいさ。皆と一緒に体育受けたいさ。
 でも・・・無理なんだ。



「でもね、その代わりに音楽は頑張っちゃうんだから!」
 ギコは、にっこり笑って頷いてくれた。






 とうとう体育の時間がやってきた。お腹がきりきり痛くなってくる。
 そこに、モナーとガナーがやってきた。
「よう、ヘボモララー。今日も体育休むモナか?」
「うっわぁ、ズルイわねぇ」
 二人はからかいの眼で僕を見つめてくる。僕は目線をそらすことしかできなかった。
 そして、皮肉げに笑いながら、教室を出て行った。
 全く感じの悪い兄妹だ。



「モララー!」
 ギコの声だ。
「どうしたの? ギコ?」
 作り笑いを見せた。どうしてここで君が出てくるの、そう思いながら返事を返した。
 ギコはしばらく間をおいて言う。いつもより潤った眼で。
「お前……。どうして言い返さないんだよ」
 もしかして、僕の心配をしているのか?
 いや、そんなわけないか。
 ギコ、君もあの兄妹と同じ人間なんだ。外見だけじゃ裏は分からない。
「だって、言い返したって無意味じゃないか」
「どうして」
 わからない。そんなの、わからない。
 その前に、君が僕を心配する理由も分からない。僕と君は他人でしょ?
 ただ、友達という見えない何かで結ばれているだけ。
 君は僕でも、僕は君でもない。君は君、僕は僕なのだから。
 じゃあ、ギコ。
「君にはわかるのかい」
「なにを」
「僕の気持ち。僕の心」




 勝手にしてろ。
 ギコは、それだけ言うと教室から出て行った。
 目の錯覚だろうか。君が泣いているように見えた。



 その反面、ドアを閉めた音が、とても冷たかった。痛いほど冷たかった。



「・・・先生」
「ん? どうした」
 頭痛がする。吐き気がする。
 息を大きく吸った。症状は余計に酷くなる。
「気分が悪いので早退してもいいですか」



 その後、先生がどう頷いたか。僕は知らない。
 僕はそのまま気を失ってしまったから。





 真っ暗闇の中、どこからかピアノの音が聞こえてきた。
 間違いない。
 この音は、家にあるピアノの音だ。
 たとえ、そうでなくても、まだ体育の時間だし、そうだとしても、ピアノは僕しか弾けないはずだ。



 おかしい。



 起きて、確かめに行こうかな・・・?
 そう思ったものの、身体は動いてくれなかった。何かに縛られているように動かなかった。




 今でも音は続いている。
 やめろ、やめろ。今すぐ弾くのをやめろ。そのピアノに触るんじゃない。
 ずっと訴えていた。心の中で。ずっと。
 やめろ。聞こえないのか。やめろと言っているんだ。さもなくば殺すぞ。
 聞こえるはずがないと分かっていた。けれど、心が勝手に暴走しはじめていた。




 音がピタリと止む。
 もしかして、聞こえちゃったのかな。
 冷や汗が背を伝った。


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