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ランブルフィッシュ


太平洋に浮かぶ小島、小笠原の海に夕闇の帳が下りる
水平線を朱に染めた遥かな紅玉と入れ替わりに、その光を受ける無垢な真珠が天に昇る。
天蓋は紅藍の狭間に染まり、気の早い観客がその座を占め始めていた。

是空と素子は学校から程近い砂浜に訪れた。
是空はいまだに信じられない思いがする。
あの原素子が自分の隣を歩き、息をし、そして彼女と会話を交わしているのだ。
彼女に会うために駆けた幾千の戦場。その褒賞として彼女に万感を込めた一言を贈るチャンスを得た。
しかし願いを成就した今も彼女への思いは細ることなく、ますます確固としたものになるのを感じていた。
是空は素子との時間を、藩王としての責務と個人としての恋情を両立させなければならなかった。
藩王としての仕事は学校で終わり。ここからは大事な彼女との時間だった。

潮騒のなか並んで歩く二人。
月光の下、白砂に青く浮かびあがる妙齢の女性。そのあでやかさと、つかの間見せる危うさにより彼女から目を離すことを許さない。
素子が砂浜を歩くそのたたずまいがあまりに現実味に乏しく、不意に切迫した思いが胸を突き、是空は思わぬ言葉を掛けていた。
「寒くない?」
自分の言葉を聴いた是空は、亜熱帯の島で使うことの少ないその言葉の間の抜け具合に動揺したが、こぼれたミルクは戻らない。
是空の視界の素子は、口元に猫科のいたずらげな笑みをたたえつつ是空に振り向いた。
「29度が?」
素子の目が是空を見る。
からかうような、そして彼女の生き方のようにまっすぐな目は、是空が浮かべる自嘲とも羞恥とも、それらを見せないようにする虚勢すらも読み取っていたのだろう。
しかし素子は単なる少女のようにたわいもなく笑った。
彼女はいかに浮世の泥土にまみれてもどこか純粋な部分が残っており、それが時たま顔を見せる。
その部分がたまらなくチャーミングなのだと彼女の信奉者達は考えていた。
素子の笑顔に救われた気分になった是空は素子の横に並ぶと、気を取り直して会話を続けた。
「公式には初デートになるのかな? ここのところ藩王会議会議の毎日で、すまんかった」
是空は手刀を眼前に立てつつ、ちょっとおどけた様子で目礼までして見せた。
「あら、こっちはこっちで楽しんでるから」
素子は軽く答える。
それはそれで寂しいものなんだがな、と是空は思いつつ真摯な顔で素子の横顔を見つめた。
是空の視線の意味に気づいた素子は、またもやいたずらげな笑みを浮かべる。
無言の視線で是空の言葉を促す。
是空は大事に暖めてきた思いを言葉に乗せる。
「素子、君にちゃんと言いたいことがあったんだ」
静かにそして決意に満ちた言葉。
「あら、それは外向きの話? それとも……」
素子は軽やかに言葉を返す。
「いや……個人の……」
是空の思いの丈が言葉を途切らせた。
素子は是空の言葉を咀嚼し吟味するように間を置くと、是空の目を覗き込んで言った。
「んー。どうも信用ならないのよね」
そうしてまたいたずらげに微笑む。
是空は理由の無い焦燥感に駆られつつも、表面上は「おいおい、なんてこった」と両手の手のひらを上に向け肩の高さに上げそうな表情で、しかし本当に伝えたいことを告げる。
「お前に同一存在が居れば、今の俺とお前の影響を受けてきっと幸せになってるだろう。俺はすべての世界のお前を幸せにする漢だから」
素子を見つめつつ是空は更に続ける。
「たとえお前がほかのヤツの女だったとしても関係ない。どんな世界でも、俺はお前が幸せになるために働いてるはず。そういう良い話なんだぜ」
最後に是空はおどけて見せた。
真剣さを軽さのオブラートに包んでみせる。
本心を見せることに羞恥を覚える年長けた男の処世術の仕業であろう。
そんな是空に素子は言う。
「貴方の言葉には、いつもすこし嘘が混じってる」
是空はいつしか受身に立つ自分を自覚した。
「アイドレスでは有名なんだぞ。『女にはウソはつかない』」
次の言葉で体勢の立て直しを図る。
「お前さんが記憶喪失になろうと、時間犯罪者になろうとそれだけは真実だ」
「私の同一存在は全部死んでるわ。私の主観ではなね。200年も前の話」
素子は何の動揺も無く事実を伝えた。時間の超越者が持つ達観が素子に現れる瞬間、是空は彼女が只人ではないと無いと思い知らされる。
是空はひるまない。彼女に届けと言葉を繋げる。
「じゃあ、俺は目の前のキミを全力で幸せにする。だから、戦場にも出す」
素子は是空から視線を外していた。
「はいはい。そうでしょうね」
せっかくの言葉が取り合ってもらえない焦りを感じた。
レイカのエピソードを出し、場の雰囲気を変え流れを取り戻そうとした。
是空は思いを言葉で補うために素子に言った。
「俺は俺の手の届かないトコで死ね。と言うのは基本的に嫌なの。俺かお前が死んだら俺たちの国はお終いなんだからな」
そして最後はやはりおどけて微笑んで見せた。
素子は是空のそんな笑みを横目に見て、小さく息をつくと足を止め月下にたゆとう青い海を見やった。
素子は是空に背を向けたまま、誰に聞かすとも無くつぶやいた。
「私はどうせ、その時その時の男に利用されるだけ。もういいわ、それでも。その瞬間は、嬉しいから」
彼女が経てきた年月にどれだけの出会いや別れがあったのだろう。
情の厚い彼女が刻む年輪はなまなかなものではなかったと思われた。
素子の髪が風をはらみ白いうなじをあらわにした。
青い光の中にそれはあまりに儚げに感じられた。
是空は素子をひとりにしないために彼女の隣に立った。
そして彼女を寂しくさせないために、そして大事に思うがゆえの言葉を告げた。
「はいはい。充分利用させてもらいますよ、俺の幸せのために」
素子は隣に立った是空をニッコリにらむと、その優柔を両断した。
「とおるくん。他人が笑うのを気にしている間はペンギンの奥さんにもなれないのよ」
素子は今日初めて是空を名前で呼んだ。
頭があがらんなぁ、是空は思った。しかし是空は素子に届けるための言葉を惜しまなかった。


小笠原の夜には都会の大気の下では見られない天に輝く星々を見ることができる。
星が降るようだと人は言う。
人は星を掴むことはできるのだろうか。
否、という人もいるだろう。是、という人もいるだろう。
手を伸ばさねばつかめない物事は、手を伸ばさずに是非を知ることはできるのだろうか。
ここに先達が体現した物語がある。
届かぬ手を伸ばし続けて己が星を掴むことをあきらめなかったお話が。
そしてその星が告げる。
「自分次第」と。
至言であり厳しい言葉だ。しかし星は掴めるのだ。


エピローグ
【30分後 小笠原のある波止場】

月夜に浮かぶコンクリートの波止場の上、タイトスカートの裸足の素子に膝枕される是空。
「顔のない男……いずれはそうなりたい…… 俺がお前さんをずーっと覚えてるから許してくれ」
そして是空は寝転がったまま器用に肩をすくめ、おどけて見せる。
「で、また会ったら口説きなおす。楽しみがふえるだろ?」
素子はこぼれるように輝く笑みを漏らす。そして女神は裁定した。
「その言葉には嘘がない」
是空は沸き起こる高ぶりのまま、素直な言葉を告げた。
「素子…… 愛してる」
素子は是空の顔を見つめ、やさしく微笑んだ。
是空の唇に白い人差し指で触れ、その形に優しくなぞった。
指が離れる。
陶然とその感触を楽しんでいた是空が素子を見上げると、笑みの形がその中身を変えていた。
素子は腹腔に「怒」として高まった内圧の命ずるまま、雄雄しく宣言する。
「泣いてエースやめますと、言わせてやる」
是空はそんな素子に魅入られ圧倒されつつ、男の矜持をかき集めてニヒルに笑って見せた。
「逆だね。お前さんにこそ時間犯罪者やめますと、言わせてやる」

波止場の突堤に寄り添いにらみ合う男女が一組。
月明かりに伸びるいびつな影。
上下に結ばれた視線の距離が縮まるとともに、一時の永遠が恋人達に訪れた。
小笠原の夜はその海と同じく青く深い。
潮騒が全てを満たし宵闇は密度を増していった。

九頭竜川
2007.10.9上梓
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