年 |
所在 |
立場・事跡 |
出典 |
備考 |
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蒋欽とともに孫策に随従する |
呉書・周泰伝 |
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196 |
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孫策が会稽に入ると、別部司馬に任じられる |
呉書・周泰伝 |
年は呉書・孫討逆伝による |
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宣城 |
山越の反乱軍から孫権を守り、撃退する頃には全身に十二箇所の傷を負っていた |
呉書・周泰伝 |
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孫権を助けたことを孫策に感謝され、春穀の県長に任じられる |
呉書・周泰伝 |
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199 |
廬江郡皖城 |
皖城攻めに従軍する |
呉書・周泰伝 |
年は江表伝による |
199 |
江夏郡 |
江夏攻めに従軍する |
呉書・周泰伝 |
年は江表伝による |
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予章郡 |
凱旋途中で予章に差し掛かったさい、宜春の県長に任じられる |
呉書・周泰伝 |
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黄祖討伐に従軍する |
呉書・周泰伝 |
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208 |
荊州赤壁 |
周瑜?・程普らとともに曹操を防ぐ |
呉書・周泰伝 |
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荊州南郡 |
南郡の曹仁?を攻める |
呉書・周泰伝 |
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岑 |
荊州が平定されると岑に駐屯する |
呉書・周泰伝 |
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213 |
揚州廬江郡 |
曹操が濡須に侵出してくると攻撃に赴き、曹操が撤退した後も残って濡須の督となり、平虜将軍に任じられた |
呉書・周泰伝 |
部下の朱然?・徐盛?らが周泰に服従しようとしなかったため、孫権が宴席で傷の説明をさせ、翌日に使者をやって御蓋を授けた。これにより徐盛らは従うようになった |
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漢中太守・奮威将軍に任じられ、陵陽侯に封じられる |
呉書・周泰伝 |
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黄武年間(二二二~二二九)に死去し、子の周邵が騎都尉として軍勢を引き継いだ |
呉書・周泰伝 |
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