猫耳少女と召使いの物語エロパロ保管庫@WIKI

太陽と月と星05

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太陽と月と星がある 第五話

   
 
 目を開いて現状を把握、目の前には長くて黒い爬虫類の尻尾とテーブルの足。床が冷たい。
 今日は叫ばなかった。大丈夫。
「オイ、どうしたんだ。冗談のつもりか?」
 頭上から降ってきた声に取り合えず、問い返す。
「寝ていたんですか?私?」
 上から覗き込んでくる御主人様に訊ねると、一瞬気まずそうな表情になり―――ああ、こんな顔も出来るのかぁ―――
 頭を動かすと髪がばっさりきたので、テーブルの下から這い出て髪留めを探すも見つからず…
「ほら」
 御主人様が何で髪留め持っているんだろ。拾ってくれたのですか
「お前、顔青いぞ。大丈夫なのか」
「さぁ…」
 私が首を傾げると、御主人様が噛み付きそうな表情になってしまった。
「自分の体だろうが!何を寝惚けた事を言ってるんだ!!」
      
  
 そういえば、そんな事も 
 
 立ち上がったら視界が暗くなった。 
 
  
 
 
 耳が痛い、
 体を揺すぶらないで ごめんなさい
 
 ごめんなさい もう しませんから、ごめんなさい だから もう
 
「キヨカっ」 
 目の前にターバンを巻いた若い男の人があれどこここは―――
 
  
 あぁ
  
 
 
 
 そうだ
  
  
              
 夢を見てしまったらしい。

「おはようございます。御主人様」
 御主人様顔近いです。
 掴まれた所が温かいくて寒気がする。心臓の音がやけに響く。
 さっきからどれくらい経った?
 私のすることは何だっけ。大丈夫、落ち着いて、ちゃんとしてれば大丈夫だから
 掃除洗濯、炊事、望まれれば夜の世話、大丈夫、私は、ヒトだから。
 この世界のヒトはみんなしていることだから、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫
 自分に言い聞かせて、呼吸を整えて
「御主人様、晩御飯、何を召し上がりますか?」

 えらく睨まれた。
 
   
 
 
 
 
  
「過労」
 
 ジャックさんがガン飛ばしています。

「働き過ぎ、睡眠不足、貧血、その他モロモロでぼろぼろ!ちょっと前に死にかけてたんだよ?
 治したって言っても傷埋めただけで生命力はギリギリなのわかってんの?魔法は万能じゃないんだよ?
 バカなの?死ぬの?しかも子育てってのは血の繋がった親でもしんどいのに世界最弱生物だよ?
 体力保つわけ無いじゃん脳味噌洗剤で洗えよバカ野郎」
 
 その上、説教というか、罵倒です。
 
 御主人様に。

「あの、今後気をつけますので出来ればその辺で…」
「そっちは黙って、ベットから出ない!」
 凄い迫力です。
 ウサギとは思えません。 
 
 えー状況を把握します。
 
 1、貧血で伸びてる私を御主人様が発見
 2、ジャックさんを呼ぶ
 3、ベッドに強制連行される
 4、御主人様がジャックさんに説教される←今ここ
 
 現在、自室として使わせて頂いている部屋はあまり広くは無いので男性二人がいると非常に狭く感じます。
 特に御主人様の尻尾的な意味で。何メートルあるんですかソレ。
 まぁそれはそれとして…
「あの、よろしいでしょうか」
 ジャックさんはウサギですが顔に傷があったり黒毛で割とでかいと言うこともあり、特にこういう状況だと …なんというか…背後に重低音な効果音が聞こえます。
「お手洗いに行きたいのですが」
「戻ってこなかったら、連れてくよ?」
 どこへ。
「早急に戻りたいと思います」
 怖いもの増えました。ジャックさん怖い。
 
 
 
 
「はー・・・」
 洗面所で思わず溜息、髪の毛どうしよう、下ろしたままでいいのかな。
 というか、自分の部屋で気が休まらないと言うのはどうなんでしょうか。
 ジャックさんがお医者さんだと言うことを考慮しても、たかが貧血程度で御主人様がジャックさんに説教と言うのは納得いきません。
 と言うか、普通は私に言うべきことじゃないんでしょうか。
 どうしてだろう、管理不行き届き?
 だとしたら御主人様がモノをどう扱おうと勝手だし、それをジャックさんがどうこう言う権利は無いはずです。
 わからない、もやもやする。
 
 今は前とは違うのに、みんな優しくしてくれる。
 大丈夫かと言ってくれた。嬉しかった。褒めてもらえた。嬉しい。
 それなのに、どうして―――
「キヨカ~おなかすいた~」
 振り返れば子供二人が切ない眼差しでこちらを見つめていました。
 確かに考えてみれば、普段の夕食の時刻をとうに過ぎています。
 や、しかし、先程のジャックさんの声は本気と書いてマジと読む勢いで…
「キヨカぁ…」
 きゅー  ぐるるる 
 可愛らしい音と悲しげにきゅうぅんと鳴る鼻声。
 そ、そんな悲しそうな濡れた瞳で見られたら…
「おなかすいた…」
 ええ、分かります。凄くよく分かります。
 痛みは我慢できても空腹には勝てない。
「ちょっと待ってて下さいね」
 取り合えず急いでキッチンへ向かいお皿とパンを出し、冷蔵庫から豆の煮込みや買ってきてもらった漬物を出して、
ソーセージをフライパンで炒め、その脂で大雑把に切った野菜も炒めて、
 和食なら色々できるのになぁ…、みそとか、しょうゆとか、鍋っていうのもいいなぁ…
 二人はテレビを見ながら待ってるから、早くしなきゃ。
「あと、スープとっひッ!?」
 背後から掴まれそのまま担ぎ上げられうわ、揺れる揺れるっ!床が近いですよ!?頭に血が!!
「じゃ、ジャックさん一体何を」
「連れていくって、言ったでしょ?」
 大丈夫、ただの冗談に決まってる。
「だって、ただの貧血ですよ。御主人様はヒトに慣れてないから驚いちゃっただけですよ。
 もう大丈夫ですから、ジャックさんのお気遣いは大変ありがたいのですが、私にはやるべき事が」
 説得を試みる私にひどくドス声。
「今日は、鍋の火消しに行かせないからね」
 
 
 
 
 
 
 
 ネコの国も冬は寒い。
 雪は無くても夜になれば相当冷えます。
 吐く息は白く、指先と鼻が痛い。
 空を見上げれば、二つの月がやけに綺麗に見えます。
 …汚くても、私は黄色い月の方が好きでしたけど。
 隣で私の腕を掴んで歩く…というか、引きずっていくジャックさんは耳あてのついたふかふかした帽子にコートを羽織り、非常に暖かそうです。
 片や私はこうやって首輪もなしで歩くなんてずいぶん久しぶり…というか、この世界でははじめてだとか…そういう感傷をすっ飛ばして寒ッ
 そのせいか、人通りはまったくなし。
 家を出て一分も経たないのに体が震えてきました。
 石畳って、冷えるんだなぁ…。
「ジャックさん」
「うん」
「帰りたいんですが」
 寒いし、ご飯準備中だし。
「ダメ。一応がっくんには言ったよ?預かるって。君このままだと死ぬし」
 あ、ダメだ。笑っちゃ。
「チェルとサフには…」
「今頃号泣じゃないかな。まあいい薬」
 さらりとひどいことを言うジャックさん。
「二人はちょっとキヨちゃんに甘え過ぎだし。がっくんはちゃんと言わなかったからお仕置き」
 お仕置きって。なんだそれ、ああ、寒い。
「二人ともまだ子供ですよ?年上に甘えるのは、当たり前じゃないですか。それに御主人様は御主人様ですし…」
 見下ろされた。
「君、自分の立場わかってる?」
「中古ヒトメスで夜使うには難のあるペットでお情けで置いて貰っているメイド的な何か」
 ジャックさんは口を開け閉めして、御主人様のように眉間に皺を寄せました。顔が近い。
「残念、正解率10%。なんで今日倒れたか、理由分かる?
 働き過ぎなの君。体力足りてないのに我侭に付き合い過ぎ。君も断らないとダメ
 それにアイツはそれを考慮すべきだったのにしてなかった。だから全員お仕置き。
 キヨカちゃんはオレんちで休養。これは医者命令だし、がっくん了承済み」
 やけにきっぱりと言い放たれました。
 心の中で、もやもやするものがあるのに言葉にならない。
 そんな私の目の高さまでジャックさんは腰をかがめ、私の顎を掴み、
「今、手を放すけど、逃げたら口では言えないような凄い事するから、逃げないでね」
 わー凄くいい笑顔で脅されてますよ。私。
 そういえば、最初の調教師もどSのウサギだったよなぁ…。
 そのうち気持ち良くなるとか言って、縛られたり傷に塩塗ったり…かちかち山じゃないつーの。
 …あ、思い出したら色々痛くなってきた。
 取り合えず留まる私の前でごそごそとコートを脱ぎだすジャックさん。
「ちょっとデカいけど」
 帽子を被せられて、コートを渡されました。
「さぁ、着て」
 躊躇しつつ、寒さには勝てないので腕を通す。
 ジャックさんだとハーフなのに私が着たらロングです。
「予想より余るね」
 これで走るのは、ちょっと無理でしょうね。絶対捕まる。口では言えない凄い事される。
「あの…お気持ちは大変嬉しいのですが、ジャックさんが寒いじゃないですか」
 帽子の上からぽんぽんと叩かれた。あんまり深く被ると前が見えないんですが。
「寒いから、早くオレんち行こう」
 なんで笑ってるんでしょうか、この人。ワケが分かりません。
 御主人様了承済みということは、…ジャックさんに従うしかないようです。
 
 けど…どこまで了承済みなんだろう。 
 
 
 
 
  
 
 
 
 深々冷える夜の街に足音二つ。
「キヨカちゃん、手つないでもいい?」
「どうぞ」
 握られた手はずいぶん暖かい。いいなぁ、毛皮。
 石畳に足音だけが響く。こういう沈黙苦手…。
「今の気分、凄くドナドナなんですが、このまま市場へ行ったりしませんよね?」
 訊かなきゃいい事を、思わず聞いてしまった。
 さっき、ジャックさんは自分の家といっていたから、そんな事はしないはずなのに。
「どなどな?」
 あ、向こうの歌だから通じないのか。
「すみません、気にしないで下さい」
 私がそういうと何故かジャックさんは好奇心に満ちた目でこちらを見た。
「とりえず、歌ってみようか」
 まさかの墓穴。
 
 
 
 
 
「子牛…ッ!」
 ハンカチを差し出すとなんか凄い音が聞こえた。
 聞こえないことにします。
「・・・洗って返すね」
 ポケットティッシュはこの世界ないのかな。
「結局、ドナドナってどう意味なの?」
「私にも分かりません」
 鼻声で聞かれ、私は肩を竦めました。
「牛も闘牛士とかあるから子供の頃から訓練とか大変だとは思ってたけど、そんな歌になるほど身売りが盛んなんて…グスっ」
 …誤解がある気がする。
 こちらの牛の名誉のために一応解説しておかなくては。
「これ、向こうの歌で、向こうでは牛と呼ばれている家畜がいるんです。だからえー…と、悲しいけどこれが現実なのよね的な」
 家畜 という言葉でジャックさんが固まった。
 頭をがりがりと掻いて、垂れた耳をぶんぶん振ってから小声でえー、とか、あーと言ってちらりとこちらを見て、何故か項垂れている。
 何か悪いこと、言いましたか?私…
 ……あ、
 うわ、凄い嫌味を言ってしまった事に今気がつきました。
 どうしよう、何か言わないと。
 何を言えばいいのか思いつかないまでも、取り合えず何か言おうとして口を開きかけた所で唐突に呼びかけられた。
「お、ジャックのセンセ、珍しく女連れですか。どうです?おひとつ買っていきませんか」
 親しげな声色に驚いてそちらを見ると、物陰にひっそりと小さな屋台が。
 タイヤキ屋さんらしく、奥では虎縞のネコが手揉みしていた。
 項垂れていたジャックさんが顔を上げ、挨拶代わりに片手を挙げました。
 どういやら顔見知りのようで…時々買ってくるタイヤキは、ここで買ってきてくれた物だったのでしょうか。
「そういや、晩御飯もまだだったよね…何がいい?オレあんこ三つ」
 タイヤキか…部活の帰りに食べたなぁ…
「キヨちゃん、何味食べる?」
「え!?」
 驚いて素で聞き返してしまう私を二人が面白そうに見ている。
 いえ、だって、買い食いとか、選択肢とか、いいのかな、選んで
「センセ、どこで引っ掛けたんですかこのコ。見慣れない顔だ」
 あ、どうしよう。
「引っ掛けたんじゃないですよーこのコは妹、最近引き取ってね。だからリっちゃんにオレはいつでもフリーだって言っといてー」
「まだリーイェ追いかけてんスか、諦めましょうよセンセ」
 妹設定なのか。じゃあソレっぽくした方がいいのでしょうか。
 確かにヒトメスが手元にいるのは恋路の邪魔な気が、女性からしたら気分良くないですね。
 しゃべるオナホなんて、悪趣味極まりないです。
「さて、家庭の事情で遠縁たらい回しで挙句にど田舎育ちの世間知らずでウサギなのにお耳の悪いキヨちゃんよ
 優しくて親切で就職先まで面倒を見てあげたお兄様がタイヤキを買ってあげよう。何味がイイ?」
 なんという説明口調、設定細かいし、…なんですか。
 何の意味があるのか分かりませんが。
「じゃあ、えーとハムマヨありますか?」
 メニューが張ってあるようなんですが、こっちの字、読めないし…。
「はむまよ?」
「呼び方違いますか?あの、ハムとマヨネーズの。なければハムチーズ…」
「ハム?」
 私とジャックさんを交互に見比べ、店主さんが無言になってしまった。目に不審そうな色が。
 ……ああっ!!
「私悪食なんです!イヌの国のスラムだったから、食べられるものが無くって!!何食べてももどしちゃってたのをどうにかですね」
 うさぎにくたべない。しかも普通に自分話してどうするの私。馬鹿、私の馬鹿。
 焦る私をみる店主さんの目から不審の色が消え、なんだか非常に可哀そうなものを見る目に…。
「苦労…したんスねお嬢さん、そんなに痩せて…今度メニューにその…ハムマヨを加えて置くから…またセンセに買ってもらいな」
 うわ、すみませんほんとすみません。
 
 
 結局カスタードをお願いしたら、今後とも御贔屓にと言ってあんこも数個貰ってしまった…。
 いやジャックさん、笑い事じゃありませんよ。
「悪食…っ」
 タイヤキを銜えながらぶふっと噴出し、あんこで口元を汚すジャックさん。
 カスタード美味しいです。
「い、妹とか言うからじゃないですか!意味不明ですよ!ムチャ振りですよ」
「イヤだって、オレのコート着てるんだから妹でしょ」
 理論が不明ですよ。
「ヤバイ、まさかの妹モエー…ぶっ悪食…ッ」
 ツボに入ったんですか、そうですか。
 私は無言でカスタードを味わう。
 出来立ての温もりとこんがりした表面、舌でとろける濃厚な甘さ、身が尻尾まで詰まっていて美味しい。
 御主人様はちゃんと晩御飯食べられただろうか。
 チェルは夜お話が無くても大丈夫かな、サフはブラッシングしないとあとで抜け毛が大変なんだけど。
「あー…ミルクとシリアルないや、深夜営業の所行くからちょっと遠回りするけどいい?」
「あ、はい」 
 タイヤキの袋を抱えなおし、暗い角を曲がる。
 あ、街灯壊れてる。 
 
 
「…悪食ッ…」
「笑いすぎですよ!」
 二人の声が街角で響いた。

 


  
 
 ジャックさんのウチはビルの1Fまるごと。
 手前が診療室、奥が居住空間になっていました。
 一人暮らしのはずですが、意外と豪華です。
 医者って儲かるんですね…。
 裏口から入り、入ってすぐのキッチンテーブルに購入したものを置いたので、私もそれに習い…。
 何でこんなに買う必要があるんだろと思うような食料の量です。
 ミルクとシリアル、ジャムにパンに瓶詰め、調理済みのお惣菜。
 ホットケーキのもと。
 コンビニはなくても深夜営業の雑貨屋があれば、ほとんどあっちと変わらないと少し思ったり。
 私は、この世界のこと本当に何も知らないようです。
「明日はオレ寝坊するから、非常時以外は絶対に起こさないで。診療は午後からだから。
 あと、オレこう見えてもウサギだから、あんまり音立てないようにね。
 お腹すいたらここらへんの勝手に食べて~トイレはあっち、風呂はソコ。
 着替えとかはそっちの部屋のを適当に使って、寝るのもソコね」
 流れるような口調であれこれ説明するジャックさん。
 手馴れています…。
「あの、私は明日から何をすれば…」
「寝坊してだらだらして昼ご飯食べてだらだらして、おやつ食べて昼寝して、
 オレと晩御飯食べに行って風呂入って歯磨いて寝る」
 ジャックさん、真顔みたいなんですけど…。
 出来れば早く直してもらいたいのに。
「そうやってりゃバレないし、外に出ても大丈夫~いい店知ってんだ。オレ」
 そう言って帽子を被ったままの私を上からぐりぐりされました。
 子供のあやし方のようで、複雑な気分です。
「まー色々調べることもあるし、のんびりね。次の休診は三日後だから、最低それまで」
「え」
「え じゃないでしょ。こういうのは、腰据えないと」
 それは困ります。
 チェルは夜お話をしてあげないとちゃんと眠れないし、サフだってブラッシングの必要があります。
 御主人様には私は必要ない、でしょうけど…。
 それにお話は誰でも出来るし、ブラッシングだって誰でも出来る事です。
 だから、…いくらでも代わりがあるから、早く帰らないと。
 他にできることなんて、ないし。
 何箇所か店に寄ったしどうもわざと遠回りしたような気がするけど、大まかな通りは覚えながら来たから…
「大事な事を忘れてた。ハイこっち向いてーオレを熱く情熱的に見つめて!」
 どうでもいいけど、顔を掴むのはやめて欲しいなぁ、と思う今日この頃です。
 キスできそうな距離まで近づかれると、妙に背中に力が入ります。
 寒いのは、気のせいです。
 あんこくさい…。
 天井でも眺めようとしたら無理やり目線を合わせられました。
 ジャックさんの眼の色はずっと黒だと思っていたのですが、良く見れば深緑です。
 瞳孔が広がると緑色が強く輝くなって…
 
 
 
 
 
「おー珍しく成功だ。秘儀言霊!魔法より低燃費!低刺激!低効果!財布にも優しいお値段で実施中ですっ」
 一瞬放心していたのか、気がつけばジャックさんにほっぺたをむにむにされていました。
 ちょっと痛い。
 今、何があったのか頭が真っ白でよく思い出せません。
「キヨカちゃん、■■■■だよ?わかったかな?」
「はい」
 あれ?
「サフわんとかちーちゃんがおねだりしてもだよ」
「はい」
 反射的に口が動くものの、
 考えようとすればするほど、眠気と倦怠感で頭がくらくらします。
「ヒトって、本当に魔力抵抗ないね。あー原因分かってきたーやべーがっくんに殺されるー」
 私の頬を引っ張りながらぼやくジャックさん。
 体が、寒い。
 あーこの家、意外と汚れてるなぁ…一人暮らしだし、掃除しないと、それと…
 
 
 
 あれ、                           
    私、さっき何を―――

 
  
 
 
 
 
  
 
                                   
 
  
 
 
 
                          
 ――――――ッ!!!!
 
「あー  お、おっはよー・・・」
 私を見下ろす黒ウサギは、両手を宙をニギニギしながらひどく気まずそうな表情を浮かべています。
 白衣です。
 あれいつの間に
 取り合えず、挨拶を返そうとしたのですが、声が上手くでず、咳き込んでしまいました。
 胸板が叩かれたように痛い。口の中が乾いて苦くて気持ち悪い。
 ところでなんでベッドの足が目の前にあるんでしょうか。
 いつ倒れたんだろ。
 さっきまでほっぺたいじられてたんじゃなかったっけ?
 板張りの床が冷たい…寒い。
「あーえーと、急に寝ちゃったからベッドに運んでおいたんだけど、全然起きないしさ、
どうしたのかと思ってね?オレ紳士だし不可抗力だよね!
だって起そうとしただけなのにベッドから落ちるとか、ぼくもうびっくり☆てか、喋れる?頭動いてる?」
 ダウトなニオイがするけど、きっと気のせいでしょう。
 腕を掴れ、引っ張り上げられると関節が派手に鳴りました。
 寒い。
 血が落ちる音と、目の前が暗くなって少し頭痛がする。
 しばらく瞬きをしてから明かりのある方向を向くと高い位置に小さな窓。
「ねてた?」
 なんとか唾を飲み込んで掠れた声で問い返すもジャックさんはうろたえた様子のまま応えず。
 格子の入った窓から見える空はオレンジ色。
 甲高い子供の声、笑い声。
 知っている声がするんじゃないかと期待したけど、聞こえませんでした。
「つ、疲れてたんだねーきっと、うん、いやーびっくりしたよあはは」
 なんで棒読みなんだろう。
 瞼が重いけど、空腹感の方が強い…。
 眼を擦ると何かがポロポロと落ちました。
 手を見れば、肌に記号のようなものが書き込みがされています。
「おなかすいたよねー、生きてる証だよね!もう閉めるから、そしたらご飯にするからね」
 物凄い挙動不審なんですけど、めっちゃギクシャクしてますけど。
「ジャックさん、コレ、落書きですか?御主人様の許可とってます?あといくらなんでも夕方はおかしいですよね?」
「治療の一環だよーほらいっつあまじっくさーくるっ!HAHAHA-」
 ―――深く追求したい所ですが、機嫌を損ねても困ります…。
 …あれ、なんで困るんだっけ?
 寒い。
 この人は御主人様じゃないけど命の恩人で医者で…どうして困る?
 命の恩人?助けて欲しいって、頼んだっけ?
 あれ、どうして私ここに御主人様は…
 おなかすいた。
 ベッドに腰掛け、胸元を直し…あーボタン取れてるし…ここにもなんか書いてあるし…寒いし…おなかすいたし…
「寝ないでーッ!!寝たら死んじゃう!次成功させる自信ないから!もうオレのまじっくぽいんとはゼロよ!」
 揺さぶらないで欲しいなぁ…寒い…
 
 ああ、私、…どうしてここに居るんだろう…




 
 
  
 
 

「こんにちはー毎にゃん新聞です」
「ごめんなさい、うちはカツスポ(シュバルツカッツェ・スポーツ)一筋なので」
 パタン
 カリカリカリカリカリ 

 ジャックさんのおうちに来て何日目か、訪問販売や勧誘を全力でお断りする今日この頃です。
 だってやる事、ないし。
 部屋で寝てていいといわれているのですが、何故か玄関先から離れがたいので、コートと帽子を着用させてもらっています。
 防寒対策万全です。
 というか、ここの寒さは通りに面しているということもあり半端ではありません。
 コートなしでは耐えられず、油断していると鼻水が垂れる勢いです。
 先日も、うたた寝してると思ったら凍死しかけてた…とジャックさんが言っていたので主観ではないようです。
 なぜ自分がそこまでして玄関に拘るか良く判らないのですが…
 しかも気がつくと玄関の鍵を開けたり閉めたり、窓の鍵をいじっていたり…重症です。
 私は一体何をしたいのでしょう?
 大事な事を忘れている気がします。
 玄関先に座り考え込んでいると、ジャックさんが覆いかぶさるようにのぞいて来ました。
 凄い圧迫感です。
「キヨちゃん、楽しい?」
「楽しそうに見えますか?」
 しまった。質問を質問で返してしまった。
 私の言葉にジャックさんは怒りもせず髭をそよがせてから、ぽふっと手を打ちました。
「じゃあ、お仕事頼もうかな」
「玄関が私を呼んでいるので余所を当たって下さい」
 思わず勧誘と同じノリで断ってしまい慌てて訂正。
「今の、無しでお願いします。します。でも御主人様が許可をくれそうな範囲でお願いします」
 ジャックさんの機嫌を損ねるわけにもいかず、かといって御主人様に背く様な事も出来ませんので。
 私の内心の躊躇に気がつくはずもなく、ジャックさんは私の返事を聞くとなにやら傍らの紙袋を差し出し
「これ着て手伝って欲しいな♪ほら、付け耳もあるし」
 でっかい顔面キズウサギが小首傾げても可愛くありませんよ。ジャックさん。

 
 
 
 前のところはそういうお店だったので、なんとなく想像できる範囲はおおむねやりました。
 セーラー服もブレザーも学ランも浴衣もメイド服も体操服もやりました。
 子供の頃の夢や希望らしきものがイカ臭くされるのって、本当に効きます。
 ナース服は、これで何回目だったかなぁ…。
 ミニにニーソって色々ギリギリなんですが。
 しかもナース服は…私が言うのもなんですが、胸の豊かな人が着るべきですよね。
 縦は丁度なのに横とかの布地が余ります。
「ところでセンセー、ナースさん死んだ魚の目をしてますけど」
「照・れ・て・る・か・ら☆はっはっは、よく似合ってるよ」
 やや呆れたような眼差しの患者さんを笑い飛ばすと、ジャックさんはミニの裾に手を伸ばしてきました。
 これはいけません。 
 とりあえずジャックさんの頭にカルテを挟んであるボードを振り下ろすと、手が引っ込みました。
 良い傾向だと思います。
「先生、次の方がお待ちです」
 水虫で来院したクロブチネコの患者さんが震えながら席を立ち、次の人を呼ぶ前に暖房が足りなかったようなので火力を上げると、ジャックさんが汗をかきながら謝って来ました。
 
 そのあとも患者さんの荷物を受け取ったり、手を貸したり。
 ジャックさんの魔法を観察したり、魔法陣が書かれた布を取り出して広げたり片したり。
 字も読めませんのでその程度の事しか出来ないのですが、診察時間が終わる事にはずっしりとした疲労感を感じました。
 おかげで今夜は熟睡できそうです。
 何も言われないのをいい事に待合室のソファーに座っていると、手にマグカップを二つ持ったジャックさんが隣に座りひとつを私に差し出してくれました。
 ホットココアです。
 お礼を言って受け取り、一口。
 甘い…というが、激甘。糖尿になりそう。
「おいしい?疲れたときは甘いものだよねー」
 やたら嬉しそうに訊ねるジャックさん。
 ボードの角を使った報復でしょうか、その方がいっそ助かるのですが。
 頷き一気に飲み干すと、喉の中が甘さでヒリヒリしました。
「後で晩御飯に行こうねーあと服も買っちゃう?買っちゃおうか、あとー女の子って何が必要なんだっけ?付け耳サイコーだよね!」
 付け耳はウサ耳です。
 しかも垂れ耳、非オーソドックスです。
 黒毛仕様なのでジャックさんとおそろいです。
 わりとレアな気がしますコレ。
 飼い主や客でもない人から高い物を買ってもらうのは良くないと思うのですが…。
 あ、大事な事を言い忘れてた。
「ジャックさん、他の人がいる所で裾を捲るのは止めて下さい」
 真剣な話なのに、なぜ目が丸くなるのでしょうか。
「特にここは、精神的ブラクラになりますから」
 上着の裾に手を掛けた時はやたらと煌いていた目が、持ち上げた瞬間固まりました。
 横腹の後ろ辺りなので自分では良く見えませんが凄いらしいです。
「あとここも禁止です」
 ミニスカートの裾を軽く持ち上げ腿の内側を指すと、ジャックさんはまるで御主人様のように両手で頭を抱え込みました。
「ていうか、見た事あるんじゃないんですか?」
 少なくとも一回は見てるはずなんですが、怪我治してもらったときに。
「そういう時は怪我しか見ないもん。速攻忘れるもん」
 凄い切り替えっぷりです。
 でも医者でウサギのジャックさんがこうですから、御主人様の反応も推して知るべしというか。
 私って怪我治っても精神的ブラクラですね。
 中古に名に恥じないダメッぷりです。
「でも大丈夫!着たままならアリだよ!見なきゃ全然イける大丈夫だから、心配しないで!」
 もふもふと抱きしめられました。
 消毒液とオゾンと獣の臭い。
 背中に肘当てがぶつかりました。
 ソファーだからそんなに痛くないのが救いです。
 つーか、本当に切り替え早すぎじゃないでしょうか。重いです。
「ナースプレイナースプレイっ」
 物凄く嬉しそうな声色に、あーだから看護師さん居ないんだ、と思わず納得です。
 仕事の後に押し倒されのは大変ですよね、体力的に。
 そういえば、患者さんも男性とお年寄りで占められていました。
 過去に何やったんだろうとか、色々思う節はありますがとりあえずは現状です。
「魔法使うと疲れちゃってさー腹減るしーいいにおいーあまそーうまそーいただきまーす」
 もぞもぞと首元に顔を埋められたり服の中に手を突っ込まれたり。
 されてる事に関する感情をいつものように頭の中に鉄の箱を作って押し込め、天体望遠鏡で星を観察している気持ちに切り替えます。
 どうやら、普段よりも一歩前に出ている感じです。
 これは…御主人様的には、どうなんだろう?
 あれ、ていうか私なんでここに居るんだっけ…
 確か、…貧血で倒れて、ジャックさんに連れられて…その後は?
 なんで私ここに居るんだろ。
 御主人様は私の事要らなくなったから、ジャックさんが飼う事になったのかな。
 それなら高価であろう付け耳も納得です。
 そっかーだから…なんだっけ、どうして私、玄関で待ってたんだっけ…
 ジャックさんは相変わらず何か口言いつつ、とうとうベルトに手を掛けました。
 大変脱ぎ難そうにしています。
 手伝うべきか悩んでいると、来患を告げる玄関ベルが軽快な音を立てました。
「誰か来たみたいですしやめに」
「みせつけてやろうぜ」
 どこで覚えるんだろう、そういうの。
 言っても無駄なようなので目を逸らすと、入り口の所に防寒ばっちりの凶悪そうなヘビ男性が無言で佇んでいました。
 仕事帰りなのか手に鞄。
 そしてその鞄を投げつけました。
 こちらに向かって、つまりは私の上で興奮気味のジャックさんに。
 悲鳴を上げてソファーから転げ落ちたジャックさんに更に追い討ちをかけるヘビ男性。
 がっつんがっつんいってます。
 痛そうです。
 つーか強盗ですかね。これ。
 私の希望的妄想脳内フィルターを掛ければ、じゃれて遊んでいるようにも見えます。
 二人は二人の世界に入り込んでいるようなので、私はボタンを嵌め直し、スカートの裾を整えニーソを穿き直し、髪の毛を整えました。
「一応伺いますが、お知り合いですか?」
 頷くヘビ男性。
「そうですか、ではごゆっくり」
 お風呂、入ろう。
 背後から悲鳴とひとでなし~とかいう声が聞こえたのは、多分、気のせい。
 それに私、人じゃありませんから。
 
 
 
 
「コレ、オティス君。仕事帰りに嫌がらせに来たんだって、野暮だよね!こっち妹のキラちゃんオレ専用妹」
 久しぶりにゆっくりお風呂に入り、髪の毛を乾かし付け耳をつけてから、先ほどのヘビ男性を紹介されました。
 ヘビ男性、もといオティスさんはひどく不穏な雰囲気を醸していましたが、今は普通に見えます。
 ていうか、色々ツッコミポイントがあるのですが、控えます。
 ジャックさんの妹設定、まだ生きてたんですね。
 ならそれに従ったほうがいいのでしょうか…。
 テーブルの上にお茶請けを出し、飲み物を用意しつつ話を合わせます。
「ヘビの知り合い多いんですね」
 ネコの国なのに、比率的に偏っていますよね。
 何故かジャックさんがニヤニヤと笑いながらオティスさんを見ました。
「うん、知り合い多いね。ね!オティス君!」
 無言で頷くオティスさん。
 口元から赤い舌と鋭い牙が覗いています。
 オティスさんは、普通のヘビ男性です。全身鱗に尻尾のついた二足歩行。
 リザードマンというか、恐竜人類というか…。
 しかもちょっと眼がうつろなのに顔はこちらを向いています。
 御主人様もこんな感じな時がありましたから、恐らく種族共通なんでしょうね。
 しかしこれが標準だとすれば、そうじゃない時の御主人様が私に向ける目線は警戒心というか、敵意というか、妙に神経を尖らせているというか…。
 あれ、私、そんなに嫌われたのか…。
 いまさら気がついた事実にへこみつつジャックさんは紅茶、オティスさんはブラックコーヒー、自分用にブラックコーヒーにミルクを半分入れました。
「それではごゆっくり」
 一礼して部屋に戻ろうとしたら襟首掴まれて引き摺られました。苦しい。
「そう言わずに一緒にお話ししようよ」
 うん、なんで服の下に手を突っ込む必要があるのか、教えて下さい。
 ピシッという音がしたのでそちらを向くとオティスさんさ尻尾を床に打ちつけていました。
 確かに、目の前でこういう事されたら気分良くないでしょうね。
「ジャックさん、オティスさんに失礼です」
「ジャックお兄様って呼んでくれたらやめる~」
 首元舐めるのやめてほしいです。お風呂入ったばっかりなのに。
「ジャックお兄様、無理強いしていると妹に嫌われるぞ」
 ジャックさんの頸動脈あたりを掴みながらねちっこい口調でオティスさんが諭してくれました!
 凶悪そうなフェイスとか、ジャックさんと面識があるというだけでもダメな感じなのに予想外です。
 感謝の気持ちを込めて見上げると、オティスさんは明らかにたじろうだようでした。
 そんなに無愛想に見えたんでしょうか、私…。
「キミちゃん騙されないでッ!こいつは、えー…家政婦を扱き使って過労で倒れさせたりとか、ベビーシッターを心労で使い潰したりとかするヒドイ奴だから!」
 私の感謝の眼差しに気がついたジャックさんがオティスさんの手を解き猛然と捲し立てます。
「それは酷いですね」
「でっしょー?さっきのは不良がノラを拾うが如き稀有な行動だよ。騙されちゃダメだよ」
 ああ、雨の日に子犬を拾う的な、それはそれで優しい部分もあるということだと思いますが。
 というか、自分の行動に問題があるっていうこと、わかってるんじゃないんですか。もしかして。
「あれは…倒れる前に言わない方が悪い…」
 オティスさんは分が悪いと思ってか、気弱な口調です。
 ていうか、子持ちなんですね。
 家政婦とベビーシッターという事は、共働きかシングルファザーか…。
 さっきまで傲慢だとか馬鹿だとか罵っていたジャックさんが急に手を組みうんうんと頷きました。
「まーねーもっと早く家政婦もベビーシッターも文句言うべきだよねーキユちゃん」
 名前、違いますけど…。
「でも、抗議をして余計悪くなる場合もありますし、…まぁ、普通ならその前に辞めて転職を考えると思いますが…」
 就職難とか、給与がいいとか、弱みがあるとか、辞められない事情は人それぞれです。
「辞める…?」
「転職!」
 何故かジャックさんとオティスさんが顔を見合せ、ジャックさんが片手をあげました。
「タイム!」
「どうぞ」
 二人で部屋の隅でこちらをチラ見しながらこそこそ話し合っています。
 私はお茶請けのタイヤキをぱくつきつつ、二人の視線に気がつかないフリ。
 でっかい顔傷ウサギとでっかい凶悪悪役フェイスなヘビが密談は犯罪の相談に見えます。
 しかし辞めるって、こちらではそんなに突飛な事なんでしょうか?
 そりゃ、日本の終身雇用制なら辞めるのは一代決心でしょうけど、
 寿命が何百年とあるなら職業は変える機会は何度もあると思うのですが…。
 それとも、ベビーシッターって実は大人気の職業だったりするのだろうか。
 でも倒れたりって、相当待遇酷いっていう事だし、それなら給料下がっても楽な所を選びますよね。普通。
 遣り甲斐があるとか、使命感があるとかなら健康どころか命を賭けても本人は悔いは無いかも知れませんが…けど残された方は堪ったもんじゃないですよ。
 一瞬思い出しかけた苦い思い出をタイヤキと一緒に飲み込み、ちらりと二人を見ればまだ相談中…。
 私の意見、そんなに突飛なんでしょうか。
 
 
 美味しいーもう一個貰おうかな、と悩んでいると、変な雰囲気を漂わせた二人が密談を終えこちらへ向き直りました。
 随分長い事掛かっていましたね。
「キオちゃん質問!」
「どうぞ」
 なんで毎回名前違うんでしょうね。
「その家政婦さんに転職して欲しい場合はちょっ」
「戻って欲しい時はどうすればいい?」
「労働条件変更するなり説得するなりかと」
 番茶、欲しいなぁ…。熱くて苦いの。
 何故か途中で取っ組み合いを演じている二人を見ないようにしながら内心溜息。
 ていうかこの一連、私には全然関係のない会話ですよね。
 いいなぁ、人権ある人は…今更、どうでもいいけど。
 もう一個食べると晩御飯入らないなーと思いながらタイヤキを見つめていると、不意にオティスさんがバタバタし始めました。
「どしたの」
「あいつらの晩飯を忘れてた」
 コーヒーはすっかり冷めていましたが、オティスさんは構わず一息で飲み干し、ちらりとこちらに顔を向けました。
 あ、コートか。
 椅子にかけたままのそれを渡した時、一瞬見た手が…
 既視観を感じて内心首を捻り、オティスさんがまだ私を見ていることに気がつきました。
 なんだろう?
 訝しく思いその視線の先を辿ると… 何やってんだろ。私。
「申し訳ありませんごしゅっ」
 うわ、私、何を!
 慌てて頭を下げて、コートの裾を握っていた指を外し皺を伸ばす。
 もう一度謝ると、何か言われたのですがよく聞こえませんでした。
「じゃあねーオティス君、二度と来るな」
「黙れ腹黒、クソ、細かい話は明日だ。いいか?卑猥な事をされそうになったらさっさと逃げるんだぞ」
 
 どこに?
 
 私は黙って頭を下げ、扉を開きました。
 外はもう真っ暗で、吐いた息が白くなり、空には欠けた二つの月と星が煌いています。
 きっとサフやチェルは今頃晩御飯でしょう。
 ちゃんと寝れてるかな。お風呂入ってるかな。
 言葉の見つからない気持ちがわいて来ましたが、どうしても後一歩踏みだせません。
 私は、何かを忘れている気がする。
 呆然と空を見上げる私の頬にざらざらした冷たい手が触れ、寒さで体が震えました。
「また体壊すぞ」
 聞き覚えのある、優しい声。
 口を開いたのに、言葉が出ませんでした。
 今すぐ、いえ、ずっとしたい事があるのに、思い出せない。

 それは、もう諦めて…
 
 私は、できない事が悲しいのだろうか、言えない事が悲しいのだろうか。

 

胸の奥が痛くて仕方ないのに、涙は枯れてしまったから、もう出なくて済んだ。 
 
 
 
 
 
 
  
 豆腐屋の窓を曲がって石壁沿いに20M、古びたアパートの奥を進んだところに小さな家がある。
 玄関口にはチューリップが植えてある青い植木鉢が置いてあって…
 
  
 
 
 
 
 
 目を開くと天井が見えた。
 ひんやりした室内に朝の光が差し込んでいる。
 石畳を走る車輪の音、ポストに新聞を投函する音、鳥の声、
「…タピオカ、ゼリー こんにゃく、かぼちゃ、のてんぷら、そば、カレーうどんえび天丼、牛丼、釜飯、ラーメンマン…うう、美味しいラーメン…食べたい…とんこつ、みそ、しょうゆ、しお…」
 おなかすいた。
 考えてみれば、昨日は結局タイヤキだけだし。
 名残惜しそうに振り返りつつ去った凶悪犯罪者なご面相の[オティスさん]の事を考えてちょっと溜息が出た。
 
 風邪、ひいてないといいんだけど。
 
 シーツを汚していないか確認し身支度を整えて台所へ向かうと、既にジャックさんが忙しそうに朝食の準備をしている。
 急いでいるのか、耳がひっくり返っているのに気がついていな様子。
 背後からそっと直すと驚いた顔をされた。
「おはようございます、ジャックさん」
「おはよう」
 隣に立って昨日の食器を洗い始めると、ジャックさんは洗った食器をふきんで拭いては片している。
 一緒に暮らして気がついたけど、ジャックさんは結構マメ。
 お手製のポタージュは絶品だったし。
 ジャガイモのポタージュサイコー超サイコー。
 昔のアルバイトで覚えたそうだけど…なんでもウサギの国って料理が美味しいそうで。
 一度食べに行きたいなぁ…。
 ちなみに今日はホットケーキにコンソメスープにヨーグルトにサラダに目玉焼き。
 でも他のも普通に美味しいというのが…見習いたい。料理の腕限定で。
 特に砂漠系、主にヘビに好まれるヤツ、具体的にいうと御主人様の好きな料理。
 ジャックさんが御主人様の好物を熟知してたら、それはそれでちょっと嫌だけど…。
 どう切り出すか考えていると、ジャックさんが珍しく目を合わせずに口を開いた。
「嫌われて当然かも、と今頃気がつきました。まじごめんね」
 思わず、動きが止まってしまった。
「大丈夫ですか?熱あるんじゃないですか?今日はお仕事休みますか?」
 訊ね返すと、勢いよく首を振られた。
 耳、当たるんですけど。
「女の子を泣かすのは、最低だと思って、調子に乗って押し倒そうとしてごめんなさい」
 む、昨日の件ですか、
 今更になって気に病むとは意外です。
 つか、泣いてないけど、泣きませんけど、泣く気ゼロですけど。
 それに…あれくらい、今更どうでもいい事だし…
 第一ヒトに謝るとか、なんかのジョークですか?
 後で腹抱えて笑おうという算段ですか?
 どうせ後で奈落の底へ落とすような事を考えているんじゃないですか?
 そもそも許すとか許さないとか、私の感情なんて、どうでもいいと思ってるんじゃないですか?

 そう思いつつ、流れっぱなしになった蛇口を止めて、もう一度顔を見たら…

 いつもよりぺったりとおみみがたれております。
 
 自分よりもでかい巨大黒ウサギがぷるぷるして涙目で見つめてきても心が揺らぐはずがないじゃないですか!
 全然揺らぎませんよ!
 しかも今まで会う度に押し倒されたり揉まれたり舐められたり吸われたりしてるんですよ!?
 好きな相手でもないのにそんな事されたって普通に気持ち悪いだけだし、そもそも不感気味だし、前のこと思い出して鬱になったりとかするだけだし!
 御主人様の前ではやめて欲しいなぁとか思って落ち込んでたりしてたけど!
 今までのセクハラ行為をこの程度の…
 この程度の…
 でっかい顔キズ黒垂耳兎の涙目程度で…ッ
 大きな耳までちょっとぷるぷるしてたって…ッ
 う、内側がッ
 ちょっとピンク色でふんわりした毛がめちゃくちゃ触り心地良さそうな大きなお耳程度で…ッ
 
 そ、それくらいの事で…ッ
  
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
「えーと、ご、ごめんね。今オレ何にもしてないけど、元気出して、買い物行こうよ、ね?何でも買うから
 あ、なんならもうちょっと耳触る?」
 台所の隅で体育座りで落ち込む私に耳の毛が毛羽立ったジャックさんが話し掛けてきましたが、正直答える気力もありません。
 どーしょーもない敗北感で打ちのめされています。
 ないわ、自分…。ありえん。まじありえん。
 耳ごときで、耳ごときの事でさっきまでの緊迫感やら緊張感やらシリアス風味が全部パー…。
 うう、凄く触り心地よかった…。
 ぺたぺたふわふわ…。
 耳かき中とか、機会はあったけど自分から触るのはまずいと思っていたのに、必死で自制してたのに…。
  
 もう我慢するのをやめていっそ…落ち着いて、自分、諦めたら試合終了だよって安西先生も言ってるし。
 

 まぁ…触ってくる以外は基本的に良い人なんですよね。
 このジャックさんは。
 ウサギの国には強姦という概念がないという話も聞いたことがあるし…だとしたらしょうがないかな、というか…
 今までの事に比べれば…痛いわけじゃないし、痕も残ってないし、全然マシな…というか無害に等しいわけで、どうももやもやするのは…多分…今引きずるよりも出来るだけ有利な形で終わらせた方がいいような気がする。
「ジャックさん…全部、水に流しますから、御主人様に言わないで下さい。私が耳触ったって」
 ジャックさんはきょとんとした表情を浮かべてからこくこくと頷きました。
 ちくしょう・・・等身大ピーターラビットのくせに…。
 手塚治虫に謝れ!ビアトリクス・ポターに謝れ!
「絶対ですよ!?それでさっきの全部チャラですからね!」
 ジャックさんの目が輝き、そのまま押し倒されたので近くにあった乾いた雑巾で渾身の力で鼻先を叩く。
 叩く。
 叩く。
 蹴る。
 手が離れた。
「次やったら耳を雑巾で洗いますから」
 厳しく言ってるのに、なんで笑うかなぁ…。


 
 
 
 
 
 
 
 
 ネコの国、背後には山が聳え街を出れば砂漠が広がる運河沿い、規模から比較すると教育施設の多いそんな街。
 確か、私はジャックさんに連れられて、久々の外出です。
 昼に普通に出歩くとか、マジで今まで考えた事ありませんでした。
 しかも首輪ナシですよ?
 なんか、普通の人みたいで、異常に居心地が悪いというか…すみませんぶっちゃけ浮れてました。
 ちょっとハイになって速攻転んだらジャックさんに手をつながれました。
 割と、いや、相当恥ずかしいものがあります。
「このコ、キヨちゃん~オレの妹です。ヨーロ-シークーネー」
 なんでこの人、いちいち頬ずりしながら紹介するんだろう…。
 どさくさに紛れて背後に伸ばされた手を抓みながら私も会釈する。
 ちなみに今挨拶しているのは魚屋さん…普通に商店街の魚屋さんです。
 これで何軒目だっけ…。
 ジャックさん、商店街の人に片っ端から紹介していくつもりですか…?
 ウサギというのはあまり他国に行かない種族だそうで、この付近に住むウサギはジャックさんただ一人とか、
 だから腕は別として、「ウサギの医者」として有名ではあるらしいです。
 会釈すれば、ほぼ向こうはこちらの事を知っているという状態のようで、ひっきりなしに声をかけられます。
 そしてその隣でウサ耳付けている私は当然、縁者だと思われ好奇の目で見られています。
 しかもお店の方に挨拶をすると、ジャックさんがよそ見している間に、非常に痛ましそうにちゃんと食べなさいね、とか、辛い事があったらウチに来なさいね、とか言われます。
 そして遠慮しても何かを下さります。
 既にネギとパンが紙袋からはみ出しています。
 ポケットの中にはリンゴみたいな果物も入っています。
 滋養強壮にいいそうです。
 
 正直、全力で謝りたい気持ちで一杯です。
 ウサギじゃなくてすみません、私ただのヒトなんです…。
 皆さんの善意を利用して、御免なさい。
 
「あの…ジャックさん…」
「お 兄 ち ゃ ん☆」
 スゲー笑顔。
 ああ、近くのネコ婦人が見ています。
 その向こうでは先ほど挨拶した魚屋のオヤジさんも表情はわかりませんがこちらを見ています。
 妹と紹介されたのに、うかつにそれを裏切る発言は出来ません。
「ジャック…お兄ちゃん…」
 は、恥ずかしい…。
 思わず俯くと近くからヒソヒソと何やら聞こえたりして。
 細切れに聞こえる単語は…虐待、DV、エロ兎、とか。
「今、垂れ耳失敗だったかなーって思ってません?気のせいか凄い誤解受けてますけど、大丈夫ですか?」
 明日からのジャックさんがちょっと心配になって来ました。
 ジャックさんは髭をふさふささせ、耳を掻きながらこっそり言う所に拠れば
 
 天涯孤独の遠縁の女の子を親切と見せかけて私欲の為に引き取った。
 もちろん夜はそれなりの事をして逆らうと食事抜き。今日はそういうプレイの一環。
 
 と、言う事になっているとか。
 
 妹です、よろしくね、しか言ってないのに。
 痩せてるのは前からです。むしろジャックさんは色々食べさせてくれています。
 
「お兄ちゃんファイト☆」
「わースゲー棒読み、せめてそこは笑顔で言ってくれれば誤解とけると思うんだけど」
 うん、そうしようかな、と思いました。
 お尻触られるまでは。
「悪評で病院潰れるんじゃないですか?」
「大丈夫、オレ腕いいから。それにちょっと痩せ過ぎだけどかわ…」
 思わず嘆息し、荷物を持ち直す。
「え、何ソレ、ちょ、なんで目を逸らすの?ねぇキヨちゃんっあ、アイス売ってるよ!何味がいい?それともタイヤキ?ほら、雑貨屋で期間限定御菓子だって!食べる?食べようよ、ね、だからその目はヤメテ」
 あー雑貨屋…最初に行った所です。
 そういえば、これから必要になるものが…。
 あの時は言えなくて買えなかったけど…。
「ジャックさん」
「はい!何、何味?アフアとかお勧めだよ!」 
「何でも買ってくれるって言ってましたよね、ちょっとお金下さい。一食分くらい。そしてついて来ないで下さい」
 当然のようについて来ようとするジャックさんの手に戴いたパンやネギの入った袋を押し付けてお店へダッシュ。
 
 
 
 数分後、雑貨屋から出てきておつりを返すと、非常に気まずそうな表情を浮かべるジャックさん。
 ま、まさか…。
「キヨカちゃん。あの…ごめんね」
 触れないで欲しい…。
「聞こえましたか」
「この距離は聞こえるねぇ」
 ジャックさんに恥らわれると、死にたくなるんですけど。
「し、しかたないじゃないですか、生理現象だしっ」
 落愕病で高熱出して失明したヒトとか、皮膚病になったとヒトとかいましたけど…
 生理止まるのは含まれるんでしょうか。
 多分、体重が急に減ったから止まったんだろうな。
 で、最近増えたから復活的な…。
 ええ、まさかの貧血原因です。
 だからただの貧血だって言ったのにー!!
 御主人様に言えるわけないじゃないですか!
 男二人に幼女ではアレが置いてあるはずも無く…。
 言えない、御主人様に買ってきてとか、言えない。
 性交渉あるならまだお休み的に言えるかもしれませんけど…。
 何それ美味しいの?の世界ですよ、背中流そうとしたら追い出される位なのに。
 でもこれで来月からは多い日もばっちりです。
 店主お勧め、超吸臭素材仕様犬国産です。
 うん、死にたい。
「今日はお赤飯だね!」
「そういうの、どこで覚えるんですか…」
 がっくりと肩から力が抜け、思わず乾いた笑いが出てジャックさんが驚いたように目を見開いた。
 
その姿が面白くて、本当に笑えてきた。
 笑ったら、言いたい言葉を思い出せた。
 今更、こんな簡単な事だったなんて、本当に笑える。
「ジャックさん、私、そろそろ帰ります」
 言ってみたら、心のもやもやがやっと晴れた。

 本当に帰りたい所は遠すぎて、思い出すたびに苦しくなる。
 やりたい事があったし叶えたい夢だってあった。
 やれる事がやれるわけじゃないし、叶うとも限らないし、
 こちらに落ちるか死ぬかの二択だったとしても、やっぱりあっちに帰りたいという思いは消えない。 
 落ちてから辛い事ばかりで、こんな世界大嫌いだったけど。
 
「私が帰らないと誰がチェルにお話するんだろうとか、サフのブラッシングするんだろうとか、気になって、ここら辺がずーっと、もやもやするんです」
 もう代わりの人が居たら責任とってジャックさんが飼って下さいねーと付け加えたら、いつもの三割り増しぐらいの勢いで頬擦りされた。
「もうちょっとがっくんの事信じてあげなよ。泣いちゃうよ?あのヘビ」
 あーウサギって、本当に口が回るなぁ…。
 言いくるめるの、ネコと同レベルじゃないですか?
 
 うっかり信じそうになるじゃないですか。
 

 
 
 
 
 
 

「じゃ、頑張って。ダメだったらお兄様の胸にいつでも飛び込んできてね!」
 そう言われてお別れして十数分ぐらい、玄関の前で荷物を抱えたままの私。
 
 
 しかし、その…どうしよう。
 
 ジャックさんには帰りますとか言ったけど…。
 
 チェルとサフの事は物凄く気になるけど…一番重要なのは御主人様です。
 御主人様に何か言われたら、どうすればいいんだろう。

 
 勇気を出して、ドアノブを握ろうと思うけど何度も躊躇う。
 
 そろそろ日も暮れて、風も吹いてきました。
 小さく咳き込んで思わず溜息、いつまでもここに居ても仕方ないし、どこか適当な所でもうちょっと一人で考えよう。
 そう考えて、方向転換しようとしたら肩に手を置かれ、驚いて逃げようとしたらがっしりとした手でつかまれ、思わず悲鳴を上げそうになった。
 体をよじって避けようとしたけど、羽交い締めにされてしまった。
 諦めて振り返ると、血が凍るような美青年が不機嫌そうな表情を浮かべている。
 足に絡みつく硬い鱗に覆われた長い尻尾。
「どこ行く気だ、このバカ」
 耳元で囁かれて、腰が抜けてしまった。

 …いつから見てたんだろ、御主人様。
  
 
 
 御主人様はただの冷血美少年、下半身はヘビのボス系モンスターと自分に言い聞かせつつ、台所の片付けをする私。
 しかし片付けは遅々として進みません。
 腐海とまでは言いませんが、色々積まれています。足元には割れたお皿の欠片に鍋も焦げてます。
 明日は掃除と鍋磨き決定です。
 しかも号泣する幼女抱きかかえたまま皿を洗うのは、無理です。
 おまけに背後には野性味の増したわんこがついて回っています。
 そろそろ腕が痺れてきました。
 しかも御主人様は玄関でへたり込んだ私を一瞥すると付け耳を毟り取り、どこかへ行ってしまいました。
 サフとチェルに押し潰された私を鼻で笑った上にです。
 笑うのはともかく、後で付け耳返してくれるかなぁ…。
 出てけとは言われてはいないから、ここに居ても良いって事…だと前向きに考えておきます。
 しかしアレです。
 顔面と髪の毛はサフの唾液でベタベタだし、胸元は涙と鼻水でえらい事になっています。
 服、換えたい。
 顔も洗いたい。
 晩御飯の準備も、したい。
「あの…そろそろ放してもらえないかなぁ…と」

「「やだ」」
 
 片方は涙声で、片方はここにもジャックのにおいがする!と怒りながら。
 
「けど、放してくれないと御飯が作れません」
「どこにも行かない?」
「行かないから、放して」
「ヤダ」
 子供って、どうしてこう…
 さすがに疲れてきたので椅子に腰掛け、チェルの頭を撫でながら考えていると、サフが肩に頭を載せてきました。
 髪に頭を突っ込み、まだジャックのにおいがするとか呟いてから、私の前に来て顔を一舐めし、見つめてきて、一言。
「ねぇキヨカ、ぼく今度も家事手伝うよ」
「!?」
 私の存在意義がいきなりピンチです。
 内心冷や汗を垂らす私。
「その代わり、もう行かないでね」
 きゅぅんと鼻が鳴らされました。
 薄蒼の眼も心なしか潤んでいるように見えます。
 二人してそんな事をいわれても、困ります。
 そ、そりゃ中古ですけど…いつだって売られる覚悟はあったけど…。
 チェル泣くし、サフも…それに、私だって…
 こうなったら御主人様に嫌われないようにするしかありません。
 具体的にどうすればいいのかさっぱりですが…。
「頑張ります…」
 目をキラキラさせ尻尾を振るワンコ。

 ピンとたったお耳にふわふわの尻尾が目の前でぶんぶんと振り回され、ピンクの肉球が…!!!!

 大丈夫、まだ自制は効いてます。
 悔しいので胸元のチェルの頭をごしごしして笑わせてみる。
 半月型のお耳とふんわりほっそりとした尻尾は直視しない方向で…ッ!
「ねぇ、キヨカ」
 顔を上げたチェルの目と鼻は赤くなって、涙と鼻水で凄い事に…。
「なんですか」
 指先で涙を拭うとチェルは満面の笑顔を浮かべてくれました。
「だいすきっ」
 こういう時、私はどういう顔すればいいんでしょうね…。
「あ、ズルい!!キヨカ、ぼくも好きだよ。大人になったら結婚して」
「ずるい!!ちーとキヨカはケッコンするの!!」
 初のプロポーズです。
 告白するどころか、された事もないのに、まさかのモテ期到来です。
「あと10年経っても気持ちが変わらなかったら、宜しくお願いします」
 頭を下げ、ふと視線を感じ振り返ると、非常にヘビらしい…としかいいようのない眼差しで御主人様がこちらを見ていました。
 …すみません、働きます。
  
 
 
 
 
 
 なんとか食事をおえ、お風呂を戴き…
(サフが入ると毛が凄いし、御主人様は長風呂なのです。いつか煮蛇にならないか心配です)
 
 
 
 


 
「御主人様、お風呂お先しました」
 ソファーに寝そべる御主人様に声をかけても返事がありません。
 顔を覗くと…端正な顔に眉間に皺を寄せたまま寝ています。
 躊躇しつつそっと肩を揺すってみましたが、疲れているのか起きる気配がありません。
 どうも…台所や各所の惨状をみるに、私が居ない間、代わりが居たわけではないらしく…だとすると、おそらく、多分、御主人様が二人の面倒を見ていたわけで…だとしたらきっと大変だったと思うわけで…。
 …御主人様、恋人とか居ないんでしょうか。
 居ても家の面倒見てもらうほど親しくないとか…ああ、もしかして、それって私のせいだったりして…。
 ちらりと御主人様を確認すると、相変わらず眉間に皺が寄っています。
 まだまだ夜は冷えますので、このままだと風邪を引きます。
「御主人様ー起きてください。ジャックさんみたいな事しますよ」 
 もちろんしませんけど、御主人様だし。
 しかしピクりともしません。
 下手するとこのまま冬眠してしまうかもしれません。
 だとしたら、防寒対策が必要です。
 仕方ないので部屋から毛布を持ってきて上から掛け、尻尾にもかかるようにあれこれ工夫し…。
 台所でホットミルクを作り戻るとソファーの住民が増えていました。
 御主人様の懐に潜り込み、こちらを見ています。
 テーブルにマグカップを置いて、ソファーの前にしゃがむとチェルはなんだか嬉しそうな顔をしました。
 かわいい…いやいや流されちゃダメだ。
「チェル、風邪引くから部屋で寝て下さい」
「えーキヨカも一緒に寝ようよ」
 えーっと…
「とりあえず、ここは冷えるからお部屋に」
 無理に引っ張り出そうとしたら冷たい手でつかまれました。
「こんなに冷えて!風邪引くから、もう一度お風呂入って体をあたた…」
 …少し見ない間に随分と手が成長したようで。
 指長いー筋肉質ー鱗まで生えてるーわー…。
「うるさい」
「ごしゅッ…ガエスタル様、ここで寝たら風邪引きますよ。チェル、早く出て下さい」 
 今のは反則じゃないでしょうか、油断してて思いっきり至近距離ですよ。
 吐息が掛かる距離で囁かないで下さい。
 美形は攻撃力が高すぎて困ります。それに…こうやって顔合わすの久しぶりだし…。
 そろそろ手を放してもらわないと動揺が外に出てしまいそうです。
 だって、もうちょっと上の方だとまるで手を繋いでるような状態になるんですよ!?
 手フェチにそんな事したら大変ですよ。
 もぎってパンの袋に入れる趣味はないので、代わりに御飯三杯くらいいける気がします。
 うっかり至近距離でガン見している御主人様の美形っぷりにさっきから動機息切れで大変です。救心が必要です。
 頑張れ私。御主人様に嫌われない努力するって決めたんだから。
 ここでうろたえたら変に思われる…!
 深呼吸、深呼吸
「キヨカーいいにおいーっ」
 
 うろたえている所に急に後ろからサフに抱きつかれ、驚きのあまり自制が効かず変な声をあげてしまいました。
 
「びびびっくりしたあああ!!!!やだもうっ」
 驚きのあまり、変な笑いまで出てきて固まったままのサフをベシベシと叩いて、ふと我に返った。

 そっと振り返る。
 
 チェルは大きな耳をこちらに向け、まんまるの目を大きく見開いて口を開けていました。
 
 御主人様は、真顔でこちらを見てます。
  
 

 痛いほどの沈黙の後、御主人様は無言で私とサフに尻尾チョップしチェルを押し出し毛布を頭から被ってしまいました。
 はみ出した尻尾がバシバシと床を叩いています。
もしかして、怒ってるんでしょうか。
 変な声出して騒いだから?
「早く寝ろ」
 くぐもった声を聞いて、ちらりとサフとチェルが視線を交わしました。
 私と違って、御主人様との付き合いが長い二人には何かわかるようです。
「じゃ、おやすみなさい…がっくん、もうキヨカ泣かせたらだめだからね」
「がっくん、キヨカいじめたら許さないからね。オヤスミ」
 二人に抱きしめられ、顔がうっかりにやけてしまいそうになったものの…。
 えーっと…
「御主人様、風邪引かないで下さいね?」
 私も、早く出てった方が良さそうです。
 明日は大掃除だし。
「…おやすみなさい」
 と、言ってるのになぜ手をにぎ…もといつかまれ…いやにぎられているのでしょうか。私。
 毛布からなぜ顔を出してるんでしょうか。
 困った事に、さっきの事を思い出して血が上ってきました。
 わ、判ってます。
 非常に良く判ってますが…
 ジャックさんも言ってましたが、服脱がないか、灯り消してしまえばいいんですよね。
 そうすれば、たぶん、あんまりそんなには気にならなくて済むんじゃないかと…だって、ヒトメスは…
「キヨカ」
「はい」
 幸い、お風呂は入りました。
 ホットミルクは飲みましたが、歯は磨いてあります。
 至近距離の御主人様は何度も言いますが攻撃力が高すぎます。
 吐息がかかる距離なんか心臓が瀕死です。
 平静を装うのが精一杯です。
 今地味に気がつきましたが、御主人様が私の名前を呼びました。
 凄いレアです。
 ど、どうしよう!まずは落ち着いて、深呼吸を!
「おかえり」
 思わず見つめ返していると、御主人様の眉間に皺が寄りました。
「やっぱりジャックの所の方がいいか」
 やっぱりって、なんですか。
「御主人様の方が全然いいに決まってるじゃありませんか!みだりに触ったり撫でたり揉んだりして来ないし!押し倒さないし舐めてたりもしないんですから!!サフとチェルだって居ないし!しかもベジタリアンですよ寒いのに!おなか壊しますよ!」
 御主人様の虚を突かれた顔というのを、はじめてみた。
「…そうか」
「ハイ」
 やば、ジャックさんに対して凄く失礼な発言をしてしまった。
 でも御主人様は気がつかなかったのか、気にしていないのか特に何も言ってこない。
「あの、失礼してよろしいでしょうか」
 御主人様が頷いたので私は後ずさりして部屋を出ようとして…大事な事に気がついた。
「あの…御主人様」
 こちらを向く御主人様は困った事にやっぱり攻撃力が高い。
 平静を、装えているだろうか。
「ただいま帰りました」
「うん」
 
 
 御主人様の笑顔のせいで、今夜は徹夜決定です。
 明日から、どうしよう。

 

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