総司令 第弐拾七話

料理の――味噌汁の香りがする。

僕は台所へと向かう。
コンロには小さな蓋付きの鍋と、そして蓋付きのフライパン。

ふと、食卓の椅子に「レイ」が座っていることに気が付いた。
テーブルにうつぶせになって、眠っていた。

僕はその「レイ」をそのままにして、お玉を手にして鍋の蓋を取る。
そして、鍋の中身をかき混ぜた。

そして、デジャヴを感じる。

(牛肉をいれたの? しかも鰹出汁に?)

いや、違う。

今度はあの時の味噌汁とは違う。
これは、わかめだけのシンプルな味噌汁だ。
味を見れば鰹出汁だけの、僕好みの味。
そしてフライパンの方を見れば、野菜と卵を炒めただけの簡単な料理が作られていた。

そうか、僕の言う通りにおかずも用意してくれたんだ――言う通り?
いや、今の「レイ」は知らないはず。

僕は恐る恐る「レイ」を見た。
片手にはシャープペン。
そして、一冊のノートに被さるようにして、「レイ」は眠っていた。

僕は、そっとノートを「レイ」から抜き取り、開いてみた。

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『エヴァの、そうじゅう。
 スイッチ 1 プラグがはいる
 スイッチ 2 プラグがひらく
 スイッチ 3 プラグが……』

これは何?
メモ帳、かな?

『ひるごはん チャーハン しょくどうでたべる
 ばんごはん カレー レトルト
 あさごはん ごはんとみそしる シンジがつくる
 ひるごはん……』

ページをめくると、今度は食べた物が延々と書かれていたり。
記録というか、なんというか。

『カレーのつくりかた
 にんじんのかわをむく。そして、きる。
 じゃがいももかわをむく。そして、きる。
 たまねぎのかわをむく。いちまいだけ。そして、きる。
 おにくを……』

今度はレシピだ。
書く内容、書き方、順序、様々な形で書かれている。
僕があげたノートを、「二人目のレイ」は工夫を凝らして使っていたんだ。

それにしても、いつの間にこんなのを書いてたんだろう。
まあ、レイを残して一人で出歩くこともあったし、その時かな。

『□がつ□にち ハーモニクスのしけん けっか さいこう98パーセント』

『□がつ□にち せんとうくんれん ライフルのしゃげき』

そして、日記の形式に変わった。
まるで暦の概念を初めて知ったみたいに。
でも、これでは業務記録だな。

『□月□日 もうすぐ二号きがくる。シンジはせん力がふえるという。よく分からない』

『□月□日 シトをたおした。二号機がこなかったらしい。でも、たおした』

レイ、漢字まで覚え始めたのか。
こんなところも成長してたんだ。
最近は忙しくて、書き取りの練習を見てあげれなかった。

『□月□日 ゼロ号機に乗った。操作が簡単になった。スイッチが一つもない。考えるだけでよくなった』

『□月□日 零号機でシトを倒す。倒すってなんだろう。それを聞いたら、シンジはシトを殺すことだと教えてくれた』

だんだん漢字の使い方や文章が自然になっていく。
レイ、こんなに頑張ってたんだ。僕の見ていないところでも、頑張ってたんだ。

『□月□日 今日は書くことがない。お休みだった。いろんなことを考えた。けど、うまく書けない』

『□月□日 シトを殺す。殺すとどうなるのか。シトは死んでしまうという。
 死ぬとシトがいなくなる。私も死ぬといなくなる。シンジも死ぬといなくなる。死ぬことは悲しい』

『□月□日 死ぬと悲しい。シトも死ぬと悲しいだろう。人が死ぬと悲しい。動物も死ぬと悲しいだろう。
 だから、やっぱり、私はお肉が嫌い。でも、野菜も食べると死ぬと、シンジはいう。何も食べたくなくなった』

『□月□日 やっぱり食べる。食べないとシンジが困る。食べないと私は死ぬ。だから食べる』

『□月□日 シトが死なないと人が死ぬ。シンジが死ぬ。だから私はシトを殺す。シトは悲しいだろう。
 だからシトは人を殺す。だから私はシトを殺す。終わらない。終わらない。ずっと終わらない』

いろんな記録のその合間に、自分の考えを書くようになってきた。
それはなんだか無機質な方程式にも見て取れる。
でも、そこにはレイの葛藤が見えてくる。

レイは悩んでたんだ。
僕達に戦わされていることを、死ぬこと、相手を殺すこと、それをずっと悩んでたんだ。
言われるままじゃない、悩んだ末に僕の指示を聞くことを選んでいたんだ。
その全ては、僕のために。

『□月□日 私の記録を取るという。いったい、どういうことだろう。考えたけど、判らない。
 シンジに聞いても答えない。シンジはすこし悲しい顔をして答えない。それで意味が判った』

……?

『□月□日 みそ汁を作った。シンジはおいしくなさそう。お肉を入れてはだめという。
 お肉を入れたらシンジがよろこぶと思っていた。味見をしても、私はお肉がきらいだから、判らなかった。
 でも、おかずってなんだろう。やはり、シンジが作ったみそ汁と同じにしよう。シンジがしたことを、おもいだそう』

『シンジと遊園地という所に行く。そこにはいろんなものがある。シンジはどれがいいかと聞いた。
 判らない。シンジが何がいいのか判らない。シンジが選んだところを、見たことがないから』

これは――そうだ。
「二人目のレイ」が死ぬ、その前日のことだ。

そして。

『□月□日――』

今日の日付だ。

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『□月□日 私の記録を取った後、水から上がって、病室で寝ていた。けど、なんだかうまく思い出せない。
 そして、シンジが私を部屋に連れて行く。シンジは、とても悲しい顔をしていた』

『シンジは私を部屋において出て行った。シンジは仕事をしにいったんだろう。そして、このノートを読んでみた』

『みそ汁のこと、覚えていない。遊園地のこと、覚えていない。日付が一日、なくなった』

『私はそれをしていない。私がしたことは私が知っている。でも、それをしていない』

この「レイ」は「自分」の日記を読んで、気が付いたのだ。
「自分の記憶」が失われていることに。

『それは別の誰かがしたことだ。それは私はしていない。ノートに書いたことも覚えていない』

『このノートに書くのは私だけ。シンジが書いた文字ではない。これを書いたのは私。私が書く文字と同じ文字』

『私は死んだ。これを書いた私は死んだ。これを書いた私がいない。シンジが悲しい顔をしている。
 だから、その私は死んだ。その死んだ私は私ではない。そのことが、やっと判った』

「あ、あの」
「え?」

「レイ」が目を覚ましてた。
僕がノートを夢中で読んでいたから、そのことに気が付かなかったのだ。

「読んじゃだめ」
「ど、どうして」

「レイ」は僕からノートを奪おうとする。
それは僕に対する初めての反抗。初めての抵抗。

「お願い、シンジ。それを読んじゃだめ。それを……」

初めて、僕の名を口にした。

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「いや、読ませて。お願いだから」
「だめ、シンジ、お願い、だめ」

僕は立ち上がり、尚もノートを取り上げようとする「レイ」を押しとどめて、先を読み進める。
これは今日一日で書き上げたらしい、一番長い日記だ。

「レイ」は僕の制止に逆らうことが出来ず、おろおろと手を口元に当てている。
いや、読みたい。レイの気持ちが、レイの考えが知りたい。

『あの水の中のこと。やっと判った。あれは私だったのだ。右にいたのも私。左にいたのも私。
 たくさんの私が私と一緒に水の中にいた。あれは全て私だった』

……あの、水槽のこと!?

僕は慌てて前のページに戻る。

(□月□日 私の記録を取った後、水から上がって、病室で寝ていた……)

レイ、あの水槽にいたことを覚えているんだ。
水槽から出てきたことを理解していたんだ。

なんていうことだ。
あの水槽に居たことを、あの水槽の中から僕に連れられてきたことをみんな知っていたんだ。

『そこから出て機械に入ると、覚えていることがおかしくなる。でも、確かに覚えている』

『私は見ていた。私の一人が出て、もう一人の私が出て、そして次は私だった』

『その思い出ははっきりしない。でもまちがいない。私は水の中から3番目に出てきた私』

『1番目と2番目の私がいない。死んだのだ。なぜなら』

なぜなら?

『私なら必ず、シンジの側にいるはずだから』

レイ……。

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「ご、ごめんなさい。シンジ、ごめん……」
ノートを読み終えて顔をあげると、「レイ」はポロポロと涙を流していた。

「レイ……」
「ごめんなさい。そのノート、書いてはいけなかった。シンジが読むと判ってしまう」
「レイ、いったい何を?」
「私が死んだことが。私が3番目ということが」

なんと言っていいのだろう。
そんなこと判りきったことじゃないか。

僕は落ち着いて、ゆっくりと説明しようとした。
「レイ、僕が君を水から出してるんだ。僕が判らないわけがないじゃないか」

「いいえ、シンジ」
「え?」
「私が知っていることをシンジが判るから。自分が3番目だと、知っていることが判るから」
「レイ。それは――」
「私、ノートで覚えなおした。お味噌汁もちゃんと作った。これで大丈夫と思ってた」
「……」
「だから、だから、私は2番目と同じくらい、出来るようになったと思ってた。そうすれば」
「レイ……」

レイは、自分の顔を両手で覆い、泣き崩れる。

「そうすれば、私が死んだことにはならなかったのに……」

レイはごまかそうとした。
自分が死んだこと、自分が前のレイとは別人であることを判った上で、それを無かったことにしようとしたんだ。

それは――その全ては僕のために。

「ごめんなさい、シンジ。ごめんなさい。死んだ2番目の代わりに、謝るから」

僕はレイを引き寄せた。
このレイを憎んでいた自分のことを恥じながら。
僕に体を寄せながらも、レイは尚も謝り続けた。

「もう死なない。絶対に死なないから……」

なんだろう。
レイの体を抱きしめながら、沸き上がってくるこの怒りはなんだろう。
今こそ、ミサトさんの怒りを理解し始めた。

リツコさん。
何故、レイを作ったんですか。
何故、僕なんですか。
こんな悲しい存在を、どうしてあなたは作ってしまったんですか。
リツコさん、あなたはどうして――。

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深夜。

薄暗いオペレーター室。
そこにはただ、二人だけ。

葛城ミサトと、向かい合う赤木リツコ。

「殺すの? 私を」
リツコは言う。
その正面には、銃を構えるミサトの姿。

「いいえ、シンジ君に感謝しなさい。使徒殲滅の大事を前にして、そんなことをしてはならないと止められた」
「あら、今にしてやっとミサトに打ち明けたのね。シンジ君、本当に辛抱強いから」
「リツコ!」

ミサトは怒りに震えて、銃を構え直す。
だが、リツコは暗い笑みを浮かべるばかり。

「ミサト、撃つなら早く撃ったら?」
「だから言ってるでしょ。シンジ君に止められていると。でも、答え次第では」
「それじゃ、何が聞きたいの?」
「全てよ! あんなふうにレイを量産したあなたの目論見は何?」

リツコはミサトの怒りにも、自分に向けられた銃口にも動じない。
ゆったりとした動作で椅子に座り、足を組む。

「あれの作ったのは母さんなんだけど」
「あの悪趣味な水槽を?」
「ああ、ごめんなさい。あれは私。どう? レイ達が泳ぐ姿は……」

――ドンッ!

重い銃声。
リツコのすぐ近くに、ミサトの銃弾が撃ち込まれる。
しかし、それでもリツコは動じない。

「だから、ミサト。早く私を撃てばいいのに」
「そんなに死にたいの?」
「目論見なんて無いわ。実はあれがクローンの簡単な保管方法なの」
「……どうだか」
「ま、いいわ。あなたが撃たないなら自分でするから」

え? と、ミサトはキョトンとした顔をする。
そんなミサトを満足げに眺めながら、彼女自身の短銃を取り出した。

「……ちょっと待って! リツコ、あなた」
「あと、よろしくね」

タンッ……。

乾いた銃声と共に、ドサッと倒れるリツコの体。
ミサトは、いったい何が起こったのか判らずにいる。

今の状況、それを理解する暇も与えず、背後から現れた者。

「ミサト。その死体を片付けるの、手伝ってくれない?」

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ドンドンッ……ドンドンッ……。

(シンジ君!? お願い、開けて! すぐにドアを開けて!)

ドアをノック――いや、ドアをぶん殴る音がする。
声ですぐ判った。ミサトさんだ。

「ああ、ごめんね。まだ寝ていて」
僕に続いて起きてこようとするレイを押しとどめて、玄関口へと向かった。

ドアを開けると、なだれ込んでくるミサトさん。
「う、ううっ」
「ミサトさん、どうしたんですか? ミサトさん!」
「うう、ごふっ……」

なんとミサトさんは、ドアを開けてすぐに嘔吐した。
僕は慌ててタオルを取りに走り出す。

「――ミサトさん、しっかりしてください! 大丈夫ですか!」
「う、ああ……あ……」

嘔吐物で汚れたミサトさんの顔を拭き、僕よりも大きな体を抱えて、どうにか居間まで連れて行く。
玄関の掃除なんか後回しだ。

「教えてください。ミサトさん、どうしたんですか! 何があったんですか!」
「……」

しばらく、ミサトさんは何も言わない。
僕が水を差し出すと、むせこみながらもゆっくりと飲む。
お酒の方が良いか、なんて冗談を言う余裕も互いにない。

「シンジ君……」
「え?」

ようやくミサトさんが口にしたことは、あまりにも唐突だった。
「理由は言えない。これから先、ここから出ないで」
「え? でもそんな」
「いいから! これからは私が司令代行を勤める! 今すぐにでも辞令を書いて!」
「いったい何があったんですか。どうして?」

ミサトさんは目を閉じて考える。
しかし。

「言えないの。もう、あなた達をリツコに近づけたくない。いいから言う通りにして!」









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最終更新:2009年02月23日 09:53
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