「パターン青!みんな地上から離れて!」
これ以上に無茶苦茶な指示は無い。全ての者に「空を飛べ」と言っているのだ。
が、そう言うしかない。
使徒の反応はその辺りの地表全域から出ていたのだ。
「おい、青葉!早く乗れ!」
「え!?ああッ!!」
次の瞬間、一瞬にして辺り一帯の地表が黒い闇に包まれる!
「うわぁッ!!なんだこれは!」
「か、体が沈む!助けてくれ!」
「早く、手を伸ばせ……おいッ!離陸するのは待て!待てと言ってるだろうが!」
「ダメだ!早く出せ、このヘリも助からなくなるぞ!」
巻き起こる恐慌、悲鳴、阿鼻叫喚、しかしそれら全てを飲み込もうとする深い闇。
エヴァ初号機と、その周辺は更に絶望的な事態に陥っていた。
「うわ……何だこれ!どうなってんだよっ!」
慌てるシンジ。いや、冷静であっても対処する方法など無い。
初号機に空を飛ぶ機能など無いのだ。
パニックを起こしたシンジは、イジェクトされていたエントリープラグから思わず飛び出そうとした。が、
「ダメだ!中に入って!」
近くにいた整備士の一人が無理矢理にシンジを押し止め、そして外部からプラグ挿入の操作を行う。
その整備士もまた使徒に飲み込まれる他はなく、その命がけの機転が功を奏するかどうか。
その周囲に居た者、整備士、医務班、
そしてエヴァのための機材を積んだ各種車両はあっけなく黒い影へと消えていく。
初号機共々、悲鳴すら上げる暇も与えられずに。
が、そんな中でも幸運に恵まれていた者はいた。
「青葉……ギターを離すな……クッ!!」
「あ……ああッ……た、助かった……」
なんというか皮肉なもので、もっとも気を抜いてギターなんぞで遊んでいた者が、
持っていたそれをツテに助かったらしい。
「……はぁっ、はぁっ、だからヘリから離れて遊んでいるからこうなるんだ!」
「な、何いってる!その、遊んでいたギターのお陰で助かったんじゃないか!」
「くだらないこと言ってないで見ろ!これは……」
そう言って日向が示した地表は恐るべき光景となっていた。
もはや地上部隊は見る影もない。
既に辺り一帯は漆黒の闇と化し、僅かばかりに残っていたビルさえもまた闇の中へと沈められようとしている。
ある者はハッとなって上を見上げ、そして目にしたもの。
それはミサトが目にした第2の月、それこそが夜の象徴たる使徒レリエルの姿であった。
あるいは地上の影こそが本体なのか。しかし、事態はそれどころではない。
残ったのはヘリ数機。NERVは初号機までも失い、ほぼ全滅に近い打撃を受けてしまったのだ。
『司令ヘリは無事?』
通信機から聞こえてきたのはミサトの声。どうやら、彼女は脱出に成功したようだ。
それに対してマヤは慌てて返答する。
「は、はい!無事だったんですね、葛城さん!」
『どうにかね。副司令も一緒よ。こっちは医務班のヘリ、といっても乗っているのは私達とパイロットだけ』
「でも……でも……肝心の……」
『判っているわよ。ここにきて、こんなにあっさりと初号機を失うなんて……』
「ま、まだ判りません。使徒に飲まれたとはいえ、破壊されたかどうかまでは。恐らく……」
『何?』
「この反応からして、あれは別空間への単なる入り口と考えられます。恐らく、ディラックの海と呼ばれる……」
『シンジ君が、そして初号機が無事かもしれない?』
「……解析を続けます!」
そう返答しながらも、伊吹マヤは歯ぎしりする。
こんな不測の事態、赤木博士ぐらいでなければ正確に分析して対処できる者など居ないのだ。
その横から日向が発言する。
「今なら間に合うかも知れません!何かワイヤーか何かを垂らして……」
しかし、ミサトの近くにいたらしい冬月副司令が入れ替わり非情の発令が下される。
『残った各機は早急にこの空域から退避。残った戦力維持の確保に努めよ』
「そんな!エヴァを失っては!」
そう言い返した日向であったが冬月は取り合わない。
『何が起こるか予測不能だ。使徒から全力で離れよ。まだ空輸中であった零号機が健在だ』
事実上、使徒に飲まれた犠牲者を見捨てろ、と言っているのと同じだ。
まさに背筋の凍るような非情の指令であったが仕方がない。他に何が出来るというのか。
『そちらで判るか?今、我々が居た地点から見て、司令部跡の反対側はどうだ?』
「え、は、はい!えーと……」
慌ててレーダーを操作するマヤ。
もはや広大に広がりつつある使徒の黒い空間。しかし、そう冬月が示した地点までは及んでいないようだ。
「はい!そこには何も反応はありません!」
『そうだろう。この使徒の狙いは地表にいた我々であって、本部の最終隔壁では無い筈だ』
「はい……」
『よし、司令部跡付近まで全機退避。しかし油断ならない。合わせて他の使徒共々、その動きから目を離すな!』
「はッ!!」
ようやく、というべきか。
その目からは涙は消えて、まだまだ続く戦いに向けて職務に奮い立つマヤ。しかし……
「……正に一網打尽だな。まるで計ったかのように」
そう言いながらマイクを置いた冬月は苦い表情を浮かべる。
正にその通り、NERVに残っているのは司令部や医務班、そして輸送用のヘリ。
残る戦力は、初号機よりも機能的に脆弱な零号機、そしてパイロットは溶けて消え去らんばかりの少女ただ一人。
その他、戦略自衛隊や各国連合の国連軍が束になっても使徒に勝てるかどうか。
「私は、そして我々は甘かった。手を打つなら今、そう呑気に言った矢先にこの有様ではないか」
「いえ、まだです。我々はまだ生きています。まだ、使徒の手は今一歩の所で及んでいません」
隣に居たミサトは冬月に言う。
「副司令、まだ我々には使徒に抗しうる力があるのです。
使徒の方が勝っているならば瞬時に我々は滅ぼされていたでしょう。
しかし、これままでの戦いにおいて使徒は様々な手順を踏んで来ました。彼らはそうせざるを得ないのです。
勝ち目はあります。これまでのように使徒の打つ手を崩していけば必ず……」
しかしミサトは残る言葉を飲み込み、口に出すことが出来なかった。
(だが、残る戦力は零号機のみ。もはや、その一機を整備することもままならない。
空輸されてくる量産型の到着は明け方。それまでに我々が耐えしのげるかどうか。
しかも、新たに現れる使徒がどうのような能力、形状で現れるのかまったく不明。
零号機と量産型、併せて10機の巨大ロボットではどうにもならずウドの大木と化すやも知れぬ。
ましてや……ましてや空輸されてきた参号機は使徒に浸食されていたのではないか。
本当に量産型が信頼できるのかどうか知れたものではない)
冬月はミサトの言葉を聞いたまま何も言わない。恐らく同じ考えなのだろう。
残された戦力は絶望的、ただそのことばかりが暗く心を支配する。
どうにもならぬ。しかし、それでも。
(それでも……それでも私は諦めない。私が生きている限り。我々は戦いを止める訳にはいかない……)
だが、そのように意気込んでもどうにもならぬ。
14歳の少年少女に頼ってきたこの戦い。そして今後も頼らなければ勝ち目はないのだ。
(お願い、シンジ君……お願いだから無事でいて……)
これまで弱気を見せることなど無かった葛城ミサト。
しかし、今や神に祈る思いで胸に下げた十字架を握りしめていた。
だが、そんな彼女の切なる祈りを使徒は簡単に踏みにじる。
「使徒ゼルエル、動き出しました!降下しつつ本部跡に向かっています!」
頼むから待ってくれ。
思わず使徒に白旗を揚げて、そう頼みたくなる。しかし、そんな馬鹿馬鹿しい頼みなど聞いてくれる筈もない。
そしてミサトは心に決めてマイクを握りしめた。もう他にどうしようもないのだ。
「零号機を本部跡に下ろして。状態は?」
『ハッ!損壊はありません。バッテリーはフルで5分、装備はパレットライフルとプログナイフ』
「パイロットは?」
それに対して、パイロット自らが返答する。
『大丈夫……行きます……』
「……頼むわ」
そして、ミサトは冬月に向きなおる。
「もし零号機が倒れたその時は……」
「判っている。戦自に連絡し、保有する全てのN2爆雷を投下。国連軍にも引き続き持てる火力を全て投入させる」
それはもはや破れかぶれの戦略だ。いや、戦略などと称することなど出来やしない。
「この地帯、いや日本そのものが蒸発しかねませんね……」
「もしそれで世界が無事でいるならば止むを得ない。NERVが敗れたその時には、そうすることが既に決議されている」
「……」
(人一人救えなくて何が!)
そう叫ばずには居られない。誰かの犠牲の上で勝ち得た勝利など、ミサトにとって我慢のならないことだった。
しかし、既に多くの犠牲者を出している。自らの意思で使徒と共に散っていったパイロットやリツコ、そして碇司令。
だがミサトは命じた。そうするしかない。残る零号機に戦えと、使徒の餌食となれと命じたのだ。
そして、遂に地上に降り立った使徒ゼルエル。
その巨体、それに満ちあふれるほどのエネルギー。
勝ち目はない。零号機ではあるはずもない。
が、その時であった。
「レイ!どうしたというの!」
なんと零号機はカラリとライフルを地面に落としたのだ。
そしてその右手が背中にまわされ、そして取り出したもの。
「N2……火薬……!レイ、何をするつもり!」
一体、いつの間にそんなものを持ち出していたのか。
恐らく使徒アラエルの殲滅のために出撃する間際だろうか。
だとすればあまりにも用意が良すぎる話だが、そんなことはどうでもいい。
「止めなさい!そんなこと、私は許さないわよ!」
『これしかない……使徒のATフィールドを突破さえすれば……こちらのATフィールドさえ維持すれば……』
が、どんな結果となるものか。零号機が本当に無事で済むかどうか知れたものではない。
しかし、レイが何と言おうとミサトは確信していた。
レイは死ぬ気だ。使徒と差し違える覚悟で突撃しようとしているのだ。
「ダメよ、レイ!お願い!」
絶叫するミサト。だが、もはやレイは聞く耳を持たず、零号機の起動を開始する。
(既にあの人は逝った。私は何も怖くはない。もともと私は死を賭して戦うために生み出された、それだけの存在……)
そして、槍を投げた時と同様に助走を始める。
ドシッ……ドシッ……ドシッ!ドシッ!ドシッ!ドシッ!ドシッ!ドシッ!ドシッ!
使徒に向かって突進する使徒。むろん使徒ゼルエルは何もせずに見ているはずはない。
両腕とおぼしき帯が広げられ、それが零号機に繰り出される!
ズシャァッ!!
カミソリと化した使徒の腕が零号機の腕を切り裂き、そして吹き飛ばした。
よろめく零号機。しかし、失った腕は火薬を持っていた方ではない。
果たしてそれは幸か、それとも不幸か。
身を立て直して、改めて零号機は突進する。
先程はためらいがあったのか、という程に凄まじいスピードで。
もはやミサトは半狂乱となって叫び続けた。
もはや作戦部長という存在ではなく我が子が危機にさらされた母親のように。
「誰か!お願い、誰かレイを止めて!シンジ君ッ!!」
最終更新:2007年06月25日 21:08