チェンジ・ザ・ワールド☆
罠(垂司)No.2
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はなもあらしも
濃紺の空に星が瞬き始めたころ、垂司はそっと自室を抜け出すと、ともえの部屋の前でたちどまった。
わずか躊躇ったような表情を見せたが、次の瞬間には意を決したように口元を引き締め、いつもの調子の声を出す。
「ともえちゃん?」
「……はい」
中からともえの返事が返ってくる。その声はやはり元気がない。
「垂司だ。今、いいかな?」
「あ、はいっ」
ともえの許しを得て垂司は部屋へと足を踏み入れた。
ともえはとっさに布団から身を起こそうとしたが、それをそっと手で制すと垂司は彼女の足元へと視線を移した。
「痛みは?」
「少し……。すみません、ご心配おかけして」
「いや……」
それ以上は言葉が出なかった。気丈にふるまうともえを見ていると、今にも抱きすくめたい衝動に駆られるのを堪えるので精一杯だった。
「試合も近いのに……こんな……」
相手の姿を見ていないとともえは話していたようだったが、恐らくは笠原道場の者だろう。ともえは日輪の為、いやひいては笠原も含めた弓道そのものの為に黙っている事を決心したのに違いない。
ともえの姿を見てそれを確信した垂司は、そのいじらしさに体の奥が痺れる心地がした。
「垂司さん……?」
黙ったままの垂司を不思議そうにともえが見つめる。体の奥の痺れは、今にもそのまま脳を浸食しかねない。
「良かった……この、程度で済んで。これ以上何かあったら私は……」
「有難う御座います」
ともえはそう言うと、にっこりと微笑んだ。
足はまだ痛むだろう。心は不安で満たされているに違いない。それでも目の前の少女は自分のような男に向って健気に微笑んだ。
――――もう、無理だと思った。
次の瞬間、垂司はともえを抱きすくめていた。
「垂……司……さ……」
驚きのあまり言葉がうまく出てこないともえを、垂司はなおも力強く抱きしめた。
「良かった……。本当に……」
突然の事に身を固くしたともえだったが、垂司の熱っぽい声が耳たぶをくすぐると、体から自然に力が抜けて、垂司の背へと自分も手を回そうとした。が、その時
『垂司さんがお前に言うような事は当然美琴にも橘にも言ってるんだからな』
数日前の美弦の言葉が鮮明に記憶から掘り起こされる。
そうだ……こんな事は……きっと―――
抜いたはずの力を今度は両の手に全て込めて、ともえは垂司の体を押しのけた。
「あ、すまない……」
申し訳なさそうな顔をした垂司から視線をそらし、ともえは意を決して言葉を紡ぐ。
「……美琴ちゃんにもこんなことしてるんですか?」
「ともえちゃん?」
「私だけじゃなくて、みんなに……」
「ともえちゃん、何を?」
「橘さんにだって同じことするんでしょう!?」
荒っぽい口調でそう言ったともえの瞳には涙が浮かび上がっていた。
潤んだ瞳に映った垂司は、とても悲しげな表情を浮かべている。
「……ごめんなさい」
何を自分は言ってしまったんだろう。ともえは深く自省した。
なんでこんな事をしてしまったんだ。垂司は激しく後悔した。
なんで。どうして。
目をそらし合った二人は思う――――こんなつもりじゃなかったのに。
「いや、すまなかったね。なにかあったらいつでも家の者に言うように。それじゃ……おやすみ」
そう言い残して、垂司はともえの元を去った。
ともえのように真っ直ぐな人間には自分のような人間は似つかわしくない。
自分のような田舎娘が垂司さんの隣に立てる特別な存在になれるはずもない。
月の綺麗な夜――――二人の思いは奇妙に交錯しはじめた。